2013年11月22日金曜日

パウル・フェヨスの数奇な人生(12/12)


晩年のパウル・フェヨス

晩年のパウル・フェヨスは、ヴァイキング財団、のちのヴェナー=グレン財団の理事長として、考古学を主とする科学全般の研究支援をし続けました。1950年代には、考古学や文化人類学が活発になり、財団は以前にも増して創造性のある研究をサポートしています。

パウル・フェヨスは戦前にハンガリーに立ち寄ったのを最後に、祖国の土を踏むことはありませんでした。生涯を通して慕っていた母親にも会うことができず、母親の訃報を聞いて、非常に強いショックを受けたといわれています。彼は1963年4月23日に亡くなりました。

パウル・フェヨスについて、ひとつ言えることは、彼はどこに行ってもそこで才能を開花させていますが、同時に常にアウトサイダーだったことです。ニューヨークにたどり着いたときには、まったく無知な外国人。ハリウッドで一流監督になったときも、いわゆるハリウッド映画監督とは、モチベーションも、目的も、感性もあまりに違う。人類学も、正規の教育を受けておらず、ドキュメンタリー映画と言うからめ手から入ってきた。そういう「亜流の眼」だからこそ、達成できたことも多かったと思います。彼はその分野の人たちが見落としていること、当たり前だと思っていること、をもう一度自分の目で見直すのです。学者としての成功とか、学会での評価などは、さして気にすることなく、むしろ自分のしていることが自分が理想としているレベルよりも低いことに、つねにフラストレーションを感じていたのです。特に彼が文化人類学の研究において、全くの素人にもかかわらず業績を残せたのは、研究の対象としている民族、原住民に対して、対等の人間として接しているからだと思います。これは彼がニューヨークやハリウッドで、底辺で暮らし、そこで人間としての威厳を失うことなく生き抜いてきたからでしょう。彼は決して西欧の科学や知が、優れているとは思っていませんでした。特に西欧人の無知を、自分が無知であることを知らない、その無知を嘆いていました。彼は自分を医者だとは思っていませんでしたが、常に最先端の医学について論文を読み、旅先で医師として治療にあたることもありましたが、こんなことを言っています。
ニューギニアから、パプア人がニューヨークにやってきたとしましょう。彼らは自分たちとさして違わない人々を見て驚くのではないでしょうか。特に科学と言う魔術によって支配されている人々を。医者に行って、レントゲンを撮ってもらう。患者はレントゲンの装置がどう動くのかも、X線についても何も知らない。レントゲン写真を見てもどう診ればいいのかわからない。けれど、呪術を使いこなす医者という人物のいうことを信じて治療を受けるのです。テレビで言っていることの90%は魔術でしょう。なんだか科学的な名称がついていれば、みんな効果があると信じてしまう。
ー パウル・フェヨス 

インドネシアのスンバワ島で調査していたときのことです。ドドンゴの村の呪術師(医師、シャーマン)は、パウル・フェヨスにとって重要な情報源でもあり、同じ医師同士という友人でした。パウルは、彼の治療法や薬草について教えてもらい、彼が医術についてたずねてきたときには助言をしたりしていました。時にはパウルが持っている薬、-ドイツのバイエル社のものですーを分けてあげることもありました。バイエル社の薬には、トレードマークの円に囲まれた大文字のBが印刷されています。呪術師の彼は、パウルの魔術の力とそのトレードマークが深い関係にあるのだと信じるようになりました(その通りですが)。数ヶ月たった後、その呪術師は、パウルに正式に申し入れをしてきました。彼らは非常に厳しく自分たちを律しています。そのルールに従って、正式に「そのマークを使わせてもらいたい」と申し入れてきたのです。パウルは「バイエル社の承諾なく、倫理的には問題がある行動だったが」、そのトレードマークを使うことを了承します。呪術師は大きな円に囲まれた「B」のトレードマークを胸に刺青し、彼の治癒能力はいっそう高まったのです。

このことは、私たちにもそのまま当てはまります。医学の研究者たちでさえ、効能のメカニズムを完全に把握できていないけれど効果のある薬や治療法を、ましてや一般人の我々は、「有名な医者が言うから」「話題になっているから」「テレビで言っていたから」信じて受け入れています。医術だけではありません。リンゴのマークがついているアップル社の製品だから、品質がいいと思い、旅行先で偽物だってつかまされかねない。東京大学の教授の言うことに間違いはなく、成功したビジネスマンの言っていることは、ためになると思っている。そのことをパウルは見抜いていたし、だからといってそれを愚かなことだとは思っていない。むしろ人間とはそういうものだと思っていたのでしょう。彼は自分たちの文明はそういう迷信や迷妄から解放されていると勘違いすることを諌めていたのだと思います。

そういう眼でもう一度彼の映画を見直すと、今までとはもっと違うことを感じるかもしれません。


参考資料:
The Several Lives of Paul Fejos, John W. Dodds, The Wenner-Gren Foundation, 1973
”Image" On the Art and Evolution of the Film, Ed. Marshall Deutelbaum, Dover, 1979
Hollywood Destinies, Graham Petrie, Routledge & Kegan Paul, 1985
Lonesome, Bluray, The Criterion Collection, 2012

参考動画:
「都会の哀愁 (1928)」
       Lonesome, サイレント (YouTube)
「最後の演技 (1928)」
       The Last Performance, サイレント (YouTube
「ブロードウェイ (1929)」
       Broadway (部分:YouTube, ハンガリー語のサイレント版プリントから:YouTube
「ファントマ (1931)」
       Fantomas (部分:YouTube
「春の驟雨 (1932)」
       Tavaszi zápor (YouTube)(字幕ファイル [スペイン語]*
「君と暮らせば (1933)」      
       Sonnenstrahl(YouTube


*字幕ファイルを編集、同期、翻訳するには、Subtitle Editというソフトが便利です。たとえば、「春の驟雨」のスペイン語字幕(今のところ、この字幕しか見つけられませんでした)を他の言語(たとえば英語)で見たい場合には、Subtitle Editの翻訳機能(実際にはGoogle翻訳)を使って翻訳することができます。字幕ファイルを開くときに「File」-「Import subtitle with manual encoding」で、「1252:西ヨーロッパ言語(Windows)」を選択すると、文字化けすることなくファイルを開くことが出来ます。「Auto-translation」でGoogle翻訳を選択し、好きな言語に翻訳することが出来ます。いきなり日本語まで変換すると、ちょっと苦しいですね。








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