パウル・フェヨスとアクセル・ヴェナー=グレン

この東アジア遠征中に、タイのチェンマイで「一握りの米(原題:En Handful Ris)」という作品を製作します。これは珍しくフィクションのストーリーを盛り込んだ作品です。オープニングは、ストックホルムのアパートで引っ越しの真っ最中の夫婦の話です。引越しの荷物や家具を全部運び出した後、棚の引き出しに残っていた一握りの米を、「ちょっとしかないから」捨てるという場面から始まります。そして、映画はタイの農村に舞台を移します。新婚の夫婦が新しい生活を始め、森を切り開いて耕し、米を栽培するものの、旱魃に襲われて、最後はやっと収穫できたのが一握りの米だったという話です。この映画は、最初のストックホルムの部分を切って、RKOが”The Jungle of Chang”という映画で公開しています。ハリウッド時代から「君と暮らせば」まで、ずっと彼がテーマとしている、容赦ない人生の苦労と生きのびることの大変さが、ここでも描かれています。

パウルとその一行は「コモドドラゴンを撮影したら面白いな」と話し合い、ボートで島に乗り付けて、撮影することにしました。ところが、このボートが珊瑚礁に座礁して、ばらばらになってしまい、一行は遭難します。一行はコモド島に流れ着くのですが、集落などどこにもなく、その上、乾季の最中で飲み水がない。3日間、飲み水なく、いよいよ死ぬかと思われた夜に沖を航行する船を見つけ、高い木の上から懐中電灯でS.O.S.を発信して、無事見つけ出してもらって救助されます。その後、パウルはこの島をもう一度(今度はココナッツの実を大量に持って)訪れます。実はこの島は無人島ではなく、彼らが遭難した島の反対側には集落がありました。コメディーでそういう設定がよくありますが、それを地でいったわけです。この訪問で、パウルは、コモドドラゴンを2頭捕獲します。1頭はストックホルムへ、もう1頭はコペンハーゲンの動物園へ送られ、それぞれの国の最初のコモドドラゴンとなります。

パウル・フェヨスが捕獲したコモド・ドラゴンの剥製 コペンハーゲン

もうひとつ、この旅では非常に重要な人物と出会います。スウェーデンの実業家、アクセル・ヴェナー=グレンです。彼は、スウェーデンのエレクトロラックス社を掃除機や冷蔵庫の有名ブランドにし、一大財閥を作り上げた人物です。ナチス・ドイツのヘルマン・ゲーリングと親交があると噂され、ナチス幹部に太いコネクションがあると信じられていました。しかし、実際には彼は、まったくそんなものを持っておらず、ドイツにおいては何の影響力もありませんでした。

1938年に、ストックホルムに戻ってきたパウル・フェヨスはスプルー/熱帯性下痢に罹患しており、非常に弱っていましたが、1939年には次の遠征に出発します。ヴェナー=グレンは、ペルーに鉱山を保有しており、ペルーの先住民についての情報を必要としていました。パウルは、ペルー先住民のマシコ族と接触して、彼らの生活・文化について調査することを依頼されます。この部族は19世紀の終わりにカルロス・フィッツカラルド(ヴェルナー・ヘルツォークの「フィッツカラルド」のモデルですね)の部下によって大部分が虐殺され、それ以来、アマゾンの奥深くに住んで外部との接触を一切断ってきました。パウルはこの部族と接触するのですが、様々な不運と無知が重なって、途中であきらめざるを得なくなりました。ペルー政府は、パウルたち一行に、ペルー軍の兵士を連れて行くよう要求したのですが、これが仇となってしまったのです。銃を持っているがゆえにマシコ族の部族間の争いに巻き込まれ、兵士の一人が住民の一人を射殺してしまったのです。もうこうなっては、部族と接触することはできず、引き上げざるを得なくなりました。

ちなみにこのマシコ族は、今現在も外部との接触がほとんどなく、アマゾン流域の未踏の地で暮らしています。今はむしろ彼らを守るために、ペルーの一般市民や人類学の研究者などが彼らと接触しないよう、呼びかけられています。現在までずっと孤立していたので、様々な病気、特に20世紀以降に現れた疾病に対して耐性がないと考えられているためです。ところが、この数年、彼らの食糧事情が悪化したようで、マシコ族のほうから食料を求めて姿を現すことが多くなり、今年に入ってからビデオに撮影されるような事態にまでなりました