ロベルト・ヘルルト

ワルター・レーリッヒ
 「心の喜劇」で美術を担当しているのは、ロベルト・ヘルルト(1893 - 1962)とワルター・レーリッヒ(1892 - 1945)です。このコンビは映画における「ドイツ表現主義」の風景を作った張本人たちと言っていいのではないでしょうか。

レーリッヒは「カリガリ博士」ですでに美術として参加しています。その後、ヘルルトとコンビを組み、フリッツ・ラングの「死神の谷(1921)」、G・W・パブーストの「財宝(Der Schatz, 1923)」(YouTube)、フォン・ガーラッハの「王城秘史(Der Chronik von Greihuus, 1925)」、ジョー・マイの「アスファルト(1929)」を担当します。何よりも、ムルナウの映画には欠かせない美術監督たちでした。「最後の人」「タルチェフ」「ファウスト」、さらにムルナウのハリウッド作品「四人の悪魔(Four Devils, 1928)」まで美術を担当します。30年代も「会議は踊る(Der Kongress tanzt, 1930)」「紅天夢(Amphitryon, 1935)」などをコンビで担当しています。二人の担当については、文献によってまちまちで、バーデンハウゼンのようにヘルルトは衣装やアクセサリを担当していたと言う人もいれば、ロッテ・アイズナーのようにセット全般を担当していた、という人もいます。

「ファウスト」のセットを準備するヘルルトとレーリッヒ
ヘルルトとレーリッヒの二人で共同監督をした「運のいいハンス(Hans im Glück, 1936)」は、大失敗作でした。もともと1934年にウーファ社内で「金がかかる上につまらない」として却下された脚本でした。グリム童話にも採られているドイツの民話で、いわゆる「わらしべ長者」の正反対の話です。永年の働きの給与として金塊をもらったハンスが、母親に会いに家に戻る間に多くの人間に騙されて、金塊を馬に、馬を牛に、と交換していき、最後には砥石になってしまうのですが、それも川に落としてしまう。「ああ、これでせいせいした」とハンスは意気揚々と家路につく、と言う話です。この話に眼をつけたのが、ウーファに吸収されたデルタという会社でした。ここはナチス党の息のかかった会社で、配給は帝国プロパガンダ局。脚本は党の方針に沿って書き直され、ドイツの農村生活を豊かに描いて「農本主義」をことさらに強調するものになりました。ヘルルトとレーリッヒは、もちろん美術も自分たちで設計し、党のバックアップで湯水のように製作費を使ったのです。ロケーション撮影にはアーノルド・レーター、ジョセフ・ディートリッヒのような党の幹部も顔を出し、宣伝も製作時から豊富に行っています。中世の村のセット ーまるでデューラーの版画のようなー だけで10万帝国マルクもかかっています。1936年の1月に完成したもの、情報省での試写は不評。半年かけて90分あったものを1時間程度まで編集し、7月3日にウーファ・パラスト・アム・ズーでプレミア公開したのですが、上映は嘲笑とブーイングの嵐となり、たった一日で上映は取りやめられました。

「運のいいハンス」
「運のいいハンス」撮影風景
後ろのセットは建設中

「運のいいハンス」

とは言え、この「デューラーの版画のような」幻のようなセットの画像を見ると、それはそれで見てみたいですね。

この後、二人は共同で仕事をしなくなり、レーリッヒはいくつかのプロパガンダ映画の美術を担当、敗戦の年に亡くなります。ヘルルトは戦後も美術監督の仕事を続けました。二人がパートナーをやめた理由として「ナチに傾倒したレーリッヒをヘルルトが嫌悪した」などという記述も見られますが、定かではありません。むしろヘルルト自身が自由に仕事が出来ない状態にあったことが大きな原因かもしれません。彼の妻はユダヤ人で、ナチス統制下では彼自身も二級市民扱いです。ところが、彼の妻は収容所送りになっていないというエピソードがあります(1)。

他にも、レニ・リーフェンシュタールが自分の立場を利用して、危険な立場にいる人間を助けた例がある。自身も1933年に移住を余儀なくされ、レニ・リーフェンシュタールに対しては最も批判的な映画史家、ロッテ・アイズナーの回想記に次のような話がある。ロベルト・ヘルルトの妻はユダヤ人だったが、ゲシュタポによる逮捕を彼女が阻止したと言うのである。ヘルルトは、リーフェンシュタールの「オリンピア」のプロローグのセットを担当していたが、リーフェンシュタールに助けを求め、彼女はすぐに対応して、ヘルルトの妻の安全を確保した。このことは、ヘルルト自身が、アイズナーに戦後語ったことである。ー ユルゲン・トゥリンボーン「レニ・リーフェンシュタール」より

リーフェンシュタールは、使える男がいなくなると困るから動いたのか、それともかわいそうだと思ったのか。ナチに傾倒した人間が嫌になったのか、うまくいかないことがあって付き合わなくなったのか。そのあたりはもうわかりません。


(1)Jurgen Trimborn, "Leni Riefenstahl: A Life"