2014年4月6日日曜日

広告に載った九つの映画:男對男 (後篇)

天国へのエスカレーター
アルフレッド・ユンゲが美術を担当した「天国への階段(1946)」
不思議なことに、この「男對男」でカメラと美術を担当したスタッフは、その後EA・デュポン監督と深いかかわりを持ち、イギリスで仕事をすることになります(1)。

カメラマンのヴェルナー・ブランディス(1889 - 1968)は、第一次大戦前から映画界に入り歴史作品などを撮っていましたが、戦後ジョー・マイのカメラマンとして仕事をします。彼の最も有名な作品はEA・デュポンの「ピカデリー(Piccadilly, 1929)」とアーサー・ロビソンの「密告者(Informer, 1929)」(これはセオドア・スパールクールと共同撮影)です。どちらもイギリスで製作されましたが、彼のカメラワークのスタイルはそれまでのイギリス映画には見られないものでした。EA・デュポンとともに都会を切り取ったイメージを前面に押し出していくものです。ドイツに帰国後はゲルハルト・ランプレヒト監督の「少年探偵団(Emil und die Detektive, 1931)」で、第2次大戦前のベルリンを美しくとらえています。

美術を担当したアルフレッド・ユンゲ(1886 - 1964)、オスカー・フリードリッヒ・ヴェルンドルフ(1880 - 1938)は、イギリスの映画界に大きな足跡を残した美術監督です。ユンゲはもともと舞台美術をゲールリッツ劇場で担当していました。映画監督のパウル・レニがユンゲを映画界に招き、ウーファで1920年から6年間仕事をします。そしてEA・デュポンのブリティッシュ・インターナショナル・ピクチャーズに参加し、1930年代にはアルフレッド・ヒッチコックのイギリス時代の作品、「暗殺者の家(The Man Who Knew Too Much, 1934)」と「第三逃亡者(Young and Innocent, 1937)」の美術を手がけます。キング・ヴィダーの「城砦(The Citadel, 1938)」、ロバート・スティーブンソンの「ソロモン王の財宝(King Solomons Mines, 1943)」などを担当した後、マイケル・パウエル/エメリッヒ・プレスバーガー監督のもとで名作を次々に担当します。「老兵は死なず(The Life and Death of Colonel Blimp, 1943)」、「カンタベリー物語(A Canterbury Tale, 1944)」、「天国への階段(A Matter of Life and Death, 1946)」そして「黒水仙(Black Narcissus, 1947)」は、イギリス映画界の美術としては屈指の出来だと思います。特に「天国への階段」の美術はずば抜けて独創的ですし、「黒水仙」はテクニカラーで描かれる美しい世界をマットペインティングで表現しきった作品です。あの崖っぷちの鐘楼や、元ハーレムだった修道院の建物の壁画などは、製作初期からユンゲがデザインしていたものでした。


崖っぷちのクライマックス
アルフレッド・ユンゲが美術を担当した「黒水仙(1947)」


オスカー・フリードリッヒ・ヴェルンドルフは、ウィーンで美術を学んでいたのですが、1913年にヨーゼフスタットの劇場で美術を担当するようになります。第一次大戦後、映画界に転身、ラインホルト・シュンツェルの映画で美術を担当していましたが、1925年にEA・デュポンの「ヴァリエテ(Variete, 1925)」を担当してから、ユンゲとともにEA・デュポンの下で仕事をすることが多くなります。トーキーへの移行時期にイギリスへ移住、彼もアルフレッド・ヒッチコックの「三十九夜(The 39 Steps, 1935)」、「間諜最後の日(The Secret Agent, 1936)」、「サボタージュ(Sabotage, 1936)」で美術を担当しますが、戦争が始まる前に亡くなってしまいます。

「間諜最後の日(1936)」のチョコレート工場
美術:オスカー・フリードリッヒ・ヴェルンドルフ


サイレント後期からトーキー初期にかけてヨーロッパ大陸からハリウッドに渡った映画人たちとともに、イギリスに渡った映画人も多くいます。特に美術監督たちは、それまでのイギリス映画が「全体的なデザイン」を欠いていたことを指摘し、製作初期の段階から参加して、映画の「見た目」を作り出すことをイギリス映画の現場に持ち込みました。ヒッチコックのイギリス時代の作品が、箱庭的に統一された世界を持っていることは、この二人の美術監督の仕事に負うところが大きいでしょう。

この「男對男」という作品、美術監督たちがどんな仕事をしたのか見たかったです。

(1) Tim Bergfelder, Christian Cargnelli, "Destination London: German-speaking Emigrés and British Cinema, 1925-1950"





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