2014年4月9日水曜日

広告に載った九つの映画:ミカエル (前篇)



------------------------------------------------------------------

ミカエル
Mikaël
1924

カール・テオドア・ドライヤー 監督
Carl Theodor Dreyer

ワルター・スレザック、マックス・アウツィンガー、ベンジャミン・クリステンセン 出演
Walter Slezak, Max Auzinger, Benjamin Christensen

ヘルマン・バング 原作、テア・フォン・ハルボウ、カール・テオドア・ドライヤー 脚本
Herman Bang, Thea von Harbou, Carl Theodor Dreyer

カール・フロイント、ルドルフ・マテ 撮影
Karl Freund, Rudolf Mate

ヒューゴ・へリング 衣装・美術
Hugo Häring

 エーリッヒ・ポマー、ウーファ 製作
Erich Pommer, Universum Film

ウーファ 配給
Universum Film

------------------------------------------------------------------

この作品は、「広告に載った九つの作品」のなかで、観賞が容易な作品です。日本でもDVD化されています。これはカール・テオドア・ドライヤーのサイレント期の代表作のひとつで、ホモセクシャリティが注意深く、しかし時には大胆に表現されています。

有名な画家ゾレにとって、彼の若い弟子マイケルは精神的な支柱であり、かつ芸術的なインスピレーションの源泉であった。ザミコフ公爵夫人の肖像画を委託されたゾレは、彼女の瞳をうまく描けず悩んでいたが、ミカエルが彼女の瞳を見事に仕上げてしまった。それ以来、ミカエルと公爵夫人は愛人関係となり、ミカエルはゾレから離れていく...

これは、ドライヤーがエーリッヒ・ポマーに呼ばれてウーファで撮った唯一の作品で、ヘルマン・バングの原作自体もポマーに推薦されたと言われています。しかし、この作品が完成した後、すぐにウーファを離れてしまいます(一説には、作品のエンディングをエーリッヒ・ポマーが勝手に変えたからだと言われています)。ドライヤーはこの映画を最後に実に40年間もひとつの製作会社にとどまることなく、漂流者のように渡り歩きながら作品を作り続けていきます。カール・テオドア・ドライヤーの生涯や作品については、ジョルジュ・サドゥールの書籍などに詳しいです。

画家の弟子、ミカエルの役を演じているのがワルター・スレザック(1902 - 1983)です。オーストリア生まれのこの俳優は、マイケル・カーチスの誘いで舞台から映画に転向しました。若いころは美男子の主役が多かったのですが、1930年代にアメリカに渡ってからは太り始めて、性格俳優に転じました。最も有名な役どころはアルフレッド・ヒッチコックの「救命艇(Lifeboat, 1944)」のドイツ人将校です。この「ミカエル」のときと、あまりに風貌が変わってしまっているので、同じ俳優だと気づきませんでした。

1928年頃のワルター・スレザック

ベンジャミン・クリステンセン監督
「魔女(Haxän, 1922)」

この映画でほぼ主演とも言っていい、ゾレ役を演じるのが、ベンジャミン・クリステンセン。ドライヤーと同じデンマーク出身の映画監督ですが、ここでは役者として見事な演技をしています。彼は、ヴィクター・シェーストロムとともにサイレント期の北欧映画界を代表する映画監督で、代表作は「魔女(Haxän, 1922)」です。これはヨーロッパにおける「魔女」と「魔女狩り」の歴史をクロニクルする作品なのですが、ドキュメンタリーでもなく、教育映画でもなく、一般的な劇映画でもない、極めて特殊な映画です。特に「魔女」の夜会のシーンや魔女裁判における拷問の説明などは、当時としてはかなりショッキングな映像表現でした。この映画はどこの国でも検閲でズタズタにされたものの大ヒットとなり、それがきっかけとなって、クリステンセンはウーファに招待されます。ここで、役者として「ミカエル」に出演したわけです。1925年、MGMからのオファーを受けたクリテンセンはハリウッドに渡り、「悪魔の曲馬団(Devil’s Circus, 1926)」をノーマ・シアラー主演で監督し、大ヒットしますが、次作の「嘲笑(Mockery, 1927)」はロン・チェイニーが出演したものの大失敗。さらに「神秘の島(The Mysterious Island, 1929)」で製作が大幅に頓挫してMGMからお払い箱になります。ワーナー・ブラザーズに移ってから、コーネル・ウールリッチ(ヒッチコックの「裏窓」の原作者)が脚本に参加した作品を監督します。中でも「悪魔への七つの足跡(Seven Footprints to Satan, 1929)」は、今でも見ることのできる数少ないクリステンセンの作品です。トーキーの到来とともに彼は故郷のデンマークに帰国、その後10年ほどは舞台の仕事をしていました。1930年代末に映画監督に復帰しますが、四作品で引退してしまいます。

ベンジャミン・クリステンセン監督
悪魔への七つの足跡(Seven Footprints to Satan, 1929)


0 コメント:

コメントを投稿

 
 
Copyright © KINOMACHINA
Blogger Theme by BloggerThemes Design by Diovo.com