2015年10月2日金曜日

『戦慄の調べ(1945)』



今回のUNKNOWN HOLLYWOODは、ハリウッド・ホラーの系譜を追います。上映作品は『戦慄の調べ(Hangover Square, 1945)』二十世紀フォックスの代表的なミステリー・ホラー作品です。1930年代から40年代のハリウッドのホラーといえば、ユニバーサルのモンスター達(『ドラキュラ(Dracula, 1931)』、『フランケンシュタイン(Frankenstein, 1931)』)がすぐに思い浮かびます。あるいはRKOの『キャット・ピープル』などアトモスフェリックなホラー映画を手がけたプロデューサーのバル・リュートン、監督のジャック・ターナーなどが好きな方もいるでしょう。そういった評価の定まったホラー映画から少し離れたところにある他のスタジオの作品や、あるいはホラー映画の雄とさえ呼ばれたユニバーサルの作品の中でも歴史に埋まっていったホラー映画があります。その中でも二十世紀フォックスで活躍したジョン・ブラーム監督の作品は再評価されるべきでしょう。

19世紀後半のロンドン。霧の街の夜闇に隠れて、殺人放火事件が発生します。殺されたのはフルハム街の骨董商。警察は犯人探しは難航しますが、ある一人の男が現れます。「事件が起きた時刻の記憶がない、気がついたら血が付いたコートを着ていた」というその男は、ジョージ・ボーンズ、将来を嘱望される新進気鋭の作曲家です。彼は果たして殺人を犯したのか。シャーロック・ホームズが「帝国のゴロツキと怠け者たちが集まる汚物溜」と呼んだロンドンの夜を舞台に奇怪な物語が展開します。


この作品の持つ、強い負のエネルギーを牽引するのは、主演のレアード・クリーガー(1913 - 1944)。夭折の天才俳優です。1940年、27歳の彼は舞台『オスカー・ワイルド』で主演をつとめて、一気に西海岸の演劇界の注目を集めました。ハリウッドのスタジオから様々なオファーを受けた彼が、映画で最初に注目を浴びたのが『血と砂(Blood and Sand, 1941)』タイロン・パワーとの共演でした。しかし、彼の演技派俳優としての名声を不動にしたのは『I Wake Up Screaming (日本未公開, 1941)』初期フィルム・ノワールの傑作です。ここでのクリーガーの演技は鉛のように重く、見た者をしばらく放心させてしまうような、異様なエネルギーに満ちたものでした。その後、『拳銃貸します(This Gun for Hire, 1942)』『天国は待ってくれる(Heaven Can Wait, 1943)』などで手堅い演技を重ねていきます。
レアード・クリーガー

 しかし、1943年にパートナーだった男性が謎の死を遂げることや、同じような役回りしか来ないことなど、ストレスを感じることが多くなり、自分のイメージチェンジをはかろうと、過激なダイエットに励むようになります(当時のクリーガーは130キロ以上あったそうです)。異常に歪んだキャラクターを演じることを、誰よりも忌避しながらも、一方で誰よりもそれを見事にやり遂げてしまう、そのクリーガーの矛盾の結晶が『下宿人(The Lodger, 1944)』と『戦慄の調べ』の二作です。『戦慄の調べ』の時には、彼はあまりに過激なダイエットを敢行し、おそらく薬物服用の影響による精神の消耗から、それまでとは全く違う、横暴で手に負えない人物になってしまった、と記録されています。クリーガーはクランクアップ後、ダイエットのために胃バイパス手術を受けます。ただ、彼の心臓はすでに弱っていたようです。1944年の12月9日、心臓発作のため、31歳の短い生涯を閉じました。彼が映画界にいたのは、わずかに4年です。しかし、もし彼が現在の映像作品に出演しても、その作品の全てを引っ張っていって、彼のものにしてしまうような、そんな恐ろしいまでの存在感があります。
 
この映画のもう一つの主役は音楽、それを担当したのは、ハリウッド映画音楽史のなかで、マックス・スタイナーと並んで、最も高く評価されている作曲家、バーナード・ハーマン(1911-1975)です。ニューヨーク市にユダヤ人中流家庭の子として生まれ、13歳の時にはすでに作曲のコンペティションで優勝するなど、音楽の才能は早くから認められていたようです。ニューヨーク大学、ジュリアード大学で音楽を学んだ後、CBSにオーケストラ指揮者として就任します。1930年代、ラジオがノヴェルティから大衆の娯楽への変容していくなかで、ハーマンは実験的な番組製作に積極的に関わっていきます。『コロンビア・ワークショップ』は前衛的なメディア表現の試みとして画期的な番組でしたが、その中心人物であり音楽を担当していたのがハーマンです。また、当時ラジオ番組製作にマーキュリー・シアターが乗り込んできており、オーソン・ウェルズとも共同で仕事をしています。

バーナード・ハーマン

1941年、オーソン・ウェルズが『市民ケーン(Citizen Kane, 1941)』を監督した際、音楽をバーナード・ハーマンに依頼しました。この時から、ハーマンはハリウッド映画の仕事を数多く引き受けるようになり、ウェルズ(『偉大なるアンバーソン家の人々(The Magnificent Ambersons, 1942)』)そして、ヒッチコックの映画(『ハリーの災難(The Trouble with Harry, 1955)』から『マーニー(Marnie, 1961)』まで)あるいはトリュフォーの『華氏451(Fahrenheit 451, 1966 )』など、多くのスコアを残しました。彼の最後の作品は、マーティン・スコセッシ監督の『タクシー・ドライバー(Taxi Driver, 1976)』です。

『戦慄の調べ』では、ハーマンはクライマックスで演奏されるピアノ協奏曲を作曲しています。この曲のスタイルが、19世紀後半の音楽のスタイルを正確に反映しているかどうかは、議論のあるところですが(当時はロマン派から後期ロマン派にかかる時期だと思われるので[注])、この曲が映画全体に与える翳りの和音は、映像を響鳴する場所として用いつつ、それ自体が独立した音響を持っている、稀有な作品でしょう。この作曲家の同じ手によって、『サイコ』のシャワーシーンの切り裂くバイオリンの音と、『タクシー・ドライバー』のサックスの音が作られたと思うと、そのボキャブラリの豊かさに驚嘆せざるを得ません。

『サイコ』組曲

『タクシー・ドライバー』より

監督はジョン・ブラーム。ハンブルグの生まれで、俳優から舞台監督に転向し、ヒトラーが政権につくまではベルリンの劇場で人気だったようです。しかし、ナチスの台頭とともに祖国を離れ、まずイギリスで初めて映画を監督します。デビュー作はD・W・グリフィスの『散り行く花』のリメイクでした。ハリウッドに渡ったあとはコロンビア、二十世紀フォックスで手堅い作品を残しています。特に二十世紀フォックスのホラー三作品『Undying Monster, 1943』『下宿人』『戦慄の調べ』は彼のハリウッドでのキャリアの頂点に位置するかもしれません。1950年代の後半から多くのTV番組の演出を手がけます。『ヒッチコック劇場』『トワイライト・ゾーン』などで幾つかのエピソードを担当しています。

『戦慄の調べ』でファム・ファタルを演じるのは、リンダ・ダーネル(1923-1965)。キャリアの浮き沈みが激しい女優でしたが『永遠のアンバー(Forever Amber, 1947)』などで印象深い演技をしています。しかし、自宅の火災で41歳の若さで亡くなります。

リンダ・ダーネル

犯罪学者ミドルトンを演じるのは、永遠の『くそったれ野郎(cad)』ジョージ・サンダース(1906- 1972)です。ロシア生まれのイギリス人、生来の皮肉屋で女たらしだった彼は、その本来の彼自身がにじみ出る、にもかかわらず魅力的な、不思議な俳優でした。『海外特派員(Foreign Correspondent, 1940)』『イヴの総て(All About Eve, 1950)』などが代表作です。サンダースは後年、病に苦しみ、最後は「退屈だ」という遺書を残して自殺したのは有名な話です。


ジョージ・サンダース

撮影はジョセフ・ラシェル(Joseph LaShelle, 1900-1989)。スタジオ時代は主に二十世紀フォックスで仕事をし『我が谷は緑なりき(How Green Was My Valley, 1941)』ではオペレーターでしたが、その後撮影監督に、『ローラ殺人事件(Laura, 1944)』『堕ちた天使(Fallen Angel, 1945)』などのフォックス・スタジオ独特のフィルム・ノワールを手がけています。


追記(2015.10.4)
[注]この作品の舞台は『20世紀初頭のロンドン』となっています。しかし、映画全体から受ける印象は、ヴィクトリア朝のロンドンであり、ジョン・ブラーム=レアード・クリーガーコンビの前作『下宿人』の元となった切り裂きジャックのロンドン(1888)です。
 
 
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