2016年3月12日土曜日

パセーイク・テクスタイル・ストライキ

『ザ・トゥルー・コスト~ファストファッション 真の代償(The True Cost, 2015)』は、Zara、H&M、ファーストリテイリングなどのいわゆるファストファッションの擡頭によって、壊滅的な「変革」に曝された繊維・衣料業界についてのドキュメンタリーである。グローバリズムの下に、劣悪な環境で劣悪な賃金・労働条件で労働する人たち(主に女性)の実態をとらえていく。製作者らは(主にアメリカの)消費者が、この生産者たちの状況を知らないことを踏まえ、テーマの一つとして「あなたの服を作っている人を知ろう」という点を挙げている。

今から90年前に、同じ言葉で始まるドキュメンタリー映画がアメリカで製作されている。

『ザ・パセーイク・テクスタイル・ストライキ(The Passaic Textile Strike, 1926)』は、ニュージャージー州パセーイクで起こった労働争議を、労働者運動の側からとらえた極めて珍しいドキュメンタリーだ。

1890年のマッキンリー関税法、1897年のディングリー関税法によって、外国の経営者によるアメリカ国内での工業生産が加速した。パセーイクはオランダ系移民が作った町で、20世紀のはじめにはアメリカ東部の繊維産業の中心地の1つであった。その大部分は(海外の)ドイツ人によって経営されており、その一方で、労働力の大部分は移民かマイノリティであった。人種、宗教などの違いによって、労働者がコミュニティとして分断されていること(またそうなるように経営者が募集した)を利用して、経営者は労働力のコストを大幅に抑制し続けた。特にそこで働く女性たちの給与は低く、自立はもちろん、生活自体が維持できないレベルであったという。それに加えて、繊維くずによる呼吸系の病気なども多発しており、明らかに死亡率が高くなっていた。パセーイクでは、就労機会への不安を煽ることで、労働者の基本的人権の遵守がなされないという、典型的な雇用の不均衡が起きていた。さらに、第一次世界大戦でのドイツの敗北にもかかわらず戦後もドイツ人による経営が再開され、生産の機械化によって労働者の地位は更に低くなっていった。


1925年10月の経営者による「賃金10%カット」の通告を受けて、パセーイクでの最初のストライキが始まった。その後、労働組合教育連合(Trade Union Educational League)と労働者党(共産党, Worker's Party)の指導のもと、15000人以上の労働者が1年以上にわたってストライキを行った。結局、労働者側の敗北に終わったこの労働運動は、アメリカ共産党によるはじめての運動であるとともに、その後の労働組合と共産党との関わりに大きな遺恨を残したと言われる。 このストライキを継続するための資金の一部は共産党から出資されていたが、一方で資金を獲得するために、労働者が置かれている状況を宣伝する必要があった。パセーイク繊維労働者統一戦線委員会を率いていたアルバート・ワイスバーグは、資金調達のための宣伝手法として、映画製作を行うことを決定、アルフレッド・ワーゲンネクトが実質的な製作担当として撮影が開始された。


この作品は、長い間「失われた映画」と思われていた。映画史研究家のケビン・ブランロウは、「もうこの映画は見ることができないだろう」とずっと思っていた。ニューヨーク近代美術館を訪問した時、アイリーン・バウザーに「そういえば『ザ・パセーイク・テクスタイル・ストライキ』のプリントが見つかったのよ」と言われて卒倒するほど驚いたらしい。この映画は全7巻であるが、完全な形で現存するのは、第5、7巻を除く5巻である。第5リールはその後、かなり劣化した状態で見つかり、修復されて米国国会図書館に保管されている。

この5巻をNew Jersey Research and Education Networkが運営するNJVID.NETで見ることができる。



最初の30分くらいは、労働者たちによる「実態」の再現ドラマである。経営者(現場レベルのマネージャーのようだが)による(未成年への性的暴行を含む)暴虐と、それによって崩壊していく労働者の家族がメロドラマ的に描かれていく。だが、その再現ドラマから突然、工場前のピケを映した映像に変わって、私たちは1926年のニュージャージーのくすんだ風景に放り込まれる。記念写真撮影のように並んでニコニコと笑う女性たち、ピケをはって練り歩く人の群れ、カメラマンに向かって手回しクランクを回す真似をしてみせる男、大人の群れを見入る子供、カメラの前に並んでいるのに兄弟にちょっかいを出す青年。いずれは離れ離れになってしまったであろうその人々の、少しだけ望みが見えた気がした日々。警棒やガスによって、やがてやって来る不況によって、潰されていった笑顔の撮影記録である。


この映画は、製作途中から、パセーイクの労働者を集めて上映会を開いたりしていた。完成後は、幾度か上映されたようだが、結局コミュニティの外への発信力は極めて低く、資金調達の目的は果たせなかった。その後、映画の上映用プリントは共産党事務局に保管されたまま忘れ去られてしまっていたようである。

このストライキの時に共産党員だったマーサ・アッシャーは、1980年代にパターソン・コミュニティ・カレッジでこの映画を上映した。学生の中にはパセーイク出身の黒人のティーンエイジャー達もいた。彼らは、(普段見慣れていないサイレント映画にもかかわらず)スクリーンをじっと見つめ、メモを取りながら見たという。「こんなことが自分たちの町で起きたなんて信じられなかったみたいね」とアッシャーはインタビューで語っている。

参考資料
Kevin Brownlow, "Behind the Mask of Innocense", University of California Press, 1990

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