2016年4月14日木曜日

『チャーリー・チャン オペラ劇場の殺人(1937)』




 第9回のUNKNOWN HOLLYWOODは、「名探偵、聖林に現わる」と題して、1930年代に黄金期を迎えた探偵映画にスポットを当てます。上映作品は『チャーリー・チャン オペラ劇場の殺人(Charlie Chan at the Opera, 1936)』、当時、最も人気のあった名探偵映画シリーズ、「チャーリー・チャン」の絶頂期の作品です。

 チャーリー・チャンは日本ではあまり馴染みのない探偵です。もともと、原作者のE・D・ビガーズが、チャリー・チャンを主人公にした作品を6作しか発表していないうえに、邦訳の出版にも恵まれませんでした。近年、いくつか邦訳(『最後の事件』『鍵のない家』『黒い駱駝』いずれも論創社)が登場しており、再発見が進むのではないのでしょうか。



 チャーリー・チャンの映画化はビガーズの『鍵のない家』が出版された翌年に同名の連続活劇としてパテ社からリリースされたのが始まりです。更には1927年に『支那の鸚鵡』がユニバーサルから公開されます。しかし、チャーリー・チャンのシリーズが爆発的な人気を得るのは、トーキーになってから。『チャーリー・チャンの活躍(Charlie Chan Carries On, 1931)』を皮切りに、第二次大戦後の『上空の殺人(Sky Dragon, 1949)』までほぼ毎年新作が公開され、サイレント期から含めると合計47作品が公開されています。その大部分は、ビガーズの原作のキャラクターを元に新しく作られた話で、設定もホノルル警察の刑事ではなく、私立探偵だったり、今で言うコンサルタントのようだったりと様々です。主人公のチャーリー・チャンを演じる俳優も、ワーナー・オーランドから、シドニー・トーラー、ローランド・ウィンタースと入れ替わっていき、製作会社も20世紀フォックスから最後はポヴァティ・ロウのモノグラム・ピクチャーズに移っていきます。そのなかでも、最も人気があったのはワーナー・オーランドが主演した1935年から37年頃までの作品です。

 今回の上映作品『オペラ劇場の殺人』は、ロサンジェルスのオペラ劇場が舞台。カリフォルニアでの滞在を終えたチャーリー・チャンがホノルルに戻ろうとするその日に、オペラの人気プリマドンナが殺しの脅迫を受けるのです。その夜の公演のさなか、楽屋で殺人が発生、魔の手はさらに・・・。オペラ劇場という、迷路のような密室のなかで繰り広げられる事件を、落ち着いた観察と推察で解決していく、チャーリー・チャンの絶妙な推理術を楽しんでほしい作品です。

 探偵チャーリー・チャンを演じるのは、ワーナー・オーランド(1879-1938)。スウェーデン生まれの白人俳優です。13歳の時に渡米し、ブロードウェイの舞台などを経て、サイレント期から映画に出演し始めます。最も有名なのは、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『上海特急(The Shanghai Express, 1932)』での、反乱軍頭領、ヘンリー・チャン役でしょう。オーランドは、その出自にもかかわらず、東洋系の役どころを与えられることが多かったハリウッド俳優です。1929年の『フーマンチュウ博士の秘密(The Mysterious Dr. Fu Manchu, 1929)』以降、中国系の役柄を演じなかった作品は数作品しかありません。

ワーナー・オーランド

オーランド自身、「私が中国人のように見えるのは、モンゴル来襲のおかげだよ」と言っていた。彼のロシア系の母親からアジア系の血を引き継いだと考えていたようだ。(1)

 オーランドは中国人を演じる際、特殊なメークアップをする必要がなく、「ゴーティーを生やし、ヒゲを少し下向きにし、眉毛を櫛で上に向ける」だけで済んだ、と共演のキイ・ルークが語っています。

 「白人が他人種を演じる問題」は、ハリウッド映画史では未だに議論が続くテーマですが、象徴的な例として、しばしば「映画史上初のトーキー」として紹介される『ジャズ・シンガー(The Jazz Singer, 1927)』があります。ここでは、ワーナー・オーランドはユダヤ人司祭を演じ、その息子役のアル・ジョルソンがブラックフェイス/ミンストレルをして『マイ・マミー』を歌います。多人種社会のアメリカで白人であることを強調するメカニズムのひとつとして、ミンストレルが機能していた、(特にユダヤ人が支配的なハリウッドにおいて、この事は示唆的です)という見解があります(2)が、「チャーリー・チャン」になると事態はもっと複雑です。『オペラ劇場の殺人』を見ていただくとわかるように、この現象を単なる「黄禍(yellow peril)」の亜流と捉えるのは明らかに的外れですし、人種差別はむしろ愚か者の犯すこととして明確に描かれています。けれども、ステレオタイプや偏見がないわけではなく、さらに映画製作・興行のシステムとして、アジア系の俳優を主演にすることが実質的に不可能だった時代でもあるわけです。

 チャーリー・チャンの息子「第1号」、そして彼の推理のパートナーとして登場するリー・チャンを演じるのは、ケイ・ルーク(1904-1991)、広東市生まれの中国系アメリカ人俳優です。幼いころにシアトルに移住、1930年代からハリウッド映画に出演し始めます。ルークはチャーリー・チャンの息子第1号役が当たり役で、その後もミステリー映画に数多く出演します。彼こそ、チャーリー・チャン映画シリーズの魅力の原動力ですね。後年は、『グレムリン(Gremlins, 1984)』で骨董屋の主人、そしてTVシリーズ『燃えよ!カンフー』でデヴィッド・キャラダインの盲目の師匠ポーを演じました。

ケイ・ルーク

ポー先生(左:ケイ・ルーク)とケイン(右:デヴィッド・キャラダイン)

 さらに『オペラ劇場の殺人』には、謎の狂人役としてボリス・カーロフ(1887-1969)が登場します。1931年公開の名作『フランケンシュタイン(Frankenstein, 1931)』でフランケンシュタイン博士が創造した怪物の役を演じた、ハリウッドホラー映画の支柱とも言える俳優です。その彼がオペラ劇場の中で、まさしく「怪人」となってさまようなか、殺人が起きるのです。

ボリス・カーロフ


映画『フランケンシュタイン(1931)』よりフランケンシュタインの怪物


 監督のH・ブルース・ハンバーストーン(1901-1984)は、1930~40年代を中心に活躍しました。代表作はダニー・ケイ主演の『天国と地獄(The Wonder Man, 1945)』でしょうか。フィルム・ノワール初期の佳作"I Wake Up Screaming (1941)"は、もっと見直されてもいい作品です。

劇中で使われるオペラは、この映画のために作曲されたもの。オスカー・レバント(1906-1972)が曲をウィリアム・ケンドールがリベレットを担当しました。レバントは、この映画のためにオペラを一曲まるごと作曲したのですが、使用されたのはごく一部です。 オスカー・レバントの言葉、「天才と狂気の間には細い線しかない。私はその線を消した。」というのは、『オペラ劇場の殺人』を見ると、ひときわ意味深いと思います。オスカー・レバントは『巴里のアメリカ人(An American in Paris, 1951)』で売れない音楽家の役で登場し、ジョージ・ガーシュインの『ピアノ協奏曲へ長調』を演奏しています。



撮影はルシアン・アンドリオ(1892-1979)。映画黎明期から活躍したカメラマンで、サイレント期フランスの大ヒットシリーズ『ジゴマ(1911)』から1960年代のTVまで、200以上のフィルモグラフィーを持つベテランです。我々には、ジャン・ルノワール監督の『南部の人(The Southerner, 1945)』で馴染み深いかもしれません。

(1) Yunte Huang, "Charlie Chan, The Untold Story of the Honorable Detective and His Rendezvous with American History", W. W. Norton, 2010
(2) Michael Rogin, "Blackface, White Noise: Jewish Immigrants in the Hollywood Melting Pot", University of California Press, 1996

 
 
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