2016年8月13日土曜日

『タクシー・ドライバー』とPTSD

『タクシー・ドライバー』を見直す

先日、ロナルド・レーガン大統領(当時)を狙撃したジョン・ヒンクリー・Jr が収監されていた病院から退院し、自由の身になるという発表があった。ヒンクリーは1981年3月、レーガン大統領暗殺を単独で企てて失敗、ただし精神鑑定で責任能力がないとされて無罪、ワシントンD.C.の聖エリザベス病院に収監された。彼は『タクシー・ドライバー(Taxi Driver, 1976)』を見てジョディー・フォスターを気に入り、イエール大学に在籍していた彼女をストーキングするまでになった。レーガン大統領の暗殺も、ジョディー・フォスターに気に入ってもらうために実行したと証言している。もちろん、ヒンクリーにロバート・デニーロが演じたトラヴィス・ビックルを重ねてみてしまうのはやむを得ないことだろう。

トラヴィス・ビックルは、アメリカ映画史のなかでも非常に衝撃的なサイコパス・キャラクターの一人であろう。ビックルは、殺人のためのトレーニングをつんだ怪物という設定なのだが、その制御機構がショートしていて、いったい何をやらかすか、全く予想ができない。社会にとって脅威となるのは、まさしくその「殺人のためのトレーニングをつんだ」という部分であろう。彼はベトナム戦争に従軍した元海兵隊員である。そのことは、映画の冒頭、彼がタクシー会社の面接を受けるシーンで明らかにされる。

タクシー会社のマネージャー:従軍経験は?
         ビックル:名誉除隊、1973年5月19日。
タクシー会社のマネージャー:陸軍か?
         ビックル:海兵隊だ。
タクシー会社のマネージャー:俺も元海兵隊だぜ。



「ベトナム戦争帰還兵が精神を病んで平和な生活に戻れず暴力犯罪を犯す」という、1970年代から延々と続くテーゼをこの作品ではストレートに抉り出している。私もそういうテーマの作品があちこちにあるので、80年代に『ディア・ハンター(The Deer Hunter, 1978)』から『地獄の七人(Uncommon Valor, 1983)』まで見ながら、そういう社会問題を映画のストーリーに組み込んで問題提起しているのだろうと思っていた。だが、90年代にアメリカに住んで、実際に社会を見渡してみると、どうも様子が違うようだと感じ始めた。

知り合いの海兵隊出身の男性(ベトナム戦争よりは後の世代)は、『タクシー・ドライバー』のビックルは元海兵隊員のようには見えない、という。「まあ、もちろん色んなヤツがいるんだけど」と前置きをおいて、「でも、タクシー会社のヤツが『俺も海兵隊だぜ』と言った時に、『そうか、どこにいた?俺は〇〇にいた』って言わないところとか、なんとなくピンとこない。」彼は、映画だからなあ、と言って、「でも、あのビックルが海兵隊に憧れていたけど、不適合でハネられた奴だと思ってあの映画を見ると面白いよ」と教えてくれた。

確かにそういう眼で見ると、PTSDに悩む海兵隊員というのとは別の部分が見えてくる。他の退役軍人などとは交わらないのに、「コング・カンパニー」のジャケットを着ていたり(こういうものは割と入手しやすい)、銃を買う時にマグナムを選んだり(タクシーの客がマグナムのことを話していたから?)、TVシリーズ『ワイルドウェスト』に出てくるスリーブ・ガン(袖からスライド式で飛び出す銃)を真似したり、どこか「格好」や「イメージ」が先行した人物のように見えてくる。



『ワイルドウェスト』より

マーティン・スコセッシ監督は、トラヴィス・ビックルは元海兵隊員だと完璧に信じてこの作品を演出している。そのことは繰り返しインタービューなどでも述べている。面白いことに脚本のポール・シュレーダーは、ビックルを陸軍兵士の設定にしていた。だが、シュレーダーもスコセッシも従軍経験がない。トラヴィス・ビックルのモデルとなったと言われるアーサー・ブレマー(大統領候補だったジョージ・ウォレスの暗殺未遂犯)も、変わった男だったが、従軍経験がない。つまり、従軍経験のない2人が、従軍経験のない暗殺未遂犯をモデルに、従軍経験によって狂わされた暗殺未遂犯/殺人犯を作ったのである。そして、この従軍経験、「ベトナム帰還兵である」という部分が、『タクシー・ドライバー』を観るうえで重要なカギだと思われるようになった。もちろん、色んなヤツがいるわけだが。

だからといって、『タクシー・ドライバー』が価値のない作品だと言うわけではない。「健全な白人男性が主役のアメリカ社会」というイメージがほころび始め、それがファンタジーであったことを自覚できないでいる男たちの脆さを、トラヴィス・ビックル本人やその周辺の人物に投影して描いている優れた作品であることには変わりはない。ベトナム戦争に仮託して、当時の脆弱な個人とそれを取り巻くコミュニティの病理を描いているのだ。だが、「ベトナム戦争によって人間性が奪われた」「非人間的な殺戮によって精神を病んだ」というように、ベトナム戦争に原因を求めるのは、その後のステレオタイプ化された帰還兵像をフィードバックして増強しているに過ぎない。

ステレオタイプの誕生

しかし、この「仮託」がステレオタイプ化に繋っていく流れは、既に60年代から始まっていた。ピーター・ボグダノヴィッチ監督『殺人者はライフルを持っている!(Targets, 1968)』は、テキサス大学オースティン校で1966年に起きたテキサスタワー乱射事件を元にしている。犯人のチャールズ・ホイットマンは元海兵隊員だ。とはいえ、彼の場合は、グアンタナモ・ベイでの従軍経験によって射撃の技術が上達した面はあるが、暴力性の直接的な原因とは考えられていない。ところが、『殺人者はライフルを持っている!』では、ベトナム戦争帰還兵に設定が変えられている。

特に1970年代から80年代にかけては、ベトナム帰還兵の抱える問題をアクション映画の題材にすり替えてしまうことが多かった。『コンバット・ショック(Combat Shock, 1986)』『エクスターミネーター(The Exterminator, 1980)』に見られるように、低予算のバイオレンス・アクションには、「アメリカに帰ってきても馴染めず、キレて殺人を起こし続ける」という帰還兵のこの設定は使いやすかったのだろう。『ランボー(First Blood, 1982)』のように、帰還兵の心の問題に寄り添うような視点であっても、結局は「(火をつけると怖い)サバイバルスキルを身につけた殺人マシン」という見世物の要素がマーケティングのポイントにされてしまっていた。

ベトナム戦争に従軍した兵士達を、当時のアメリカ社会がどのように受け入れたかには非常に複雑な背景がある。当時の反戦運動やピース・ムーブメントにどっぷり浸かったベビー・ブーマー達の中には、あからさまに帰還兵を嫌悪したり排斥したりする者もいた。一方、帰還兵は、彼らに対する反感もさることながら、社会全体が帰還兵を忌避するような傾向があることに腹を立てていた。特に境遇に恵まれない帰還兵は、彼らに対する無知や無関心に対して過敏に反応することもあった。

1980年代初頭にベトナム戦争戦没者慰霊碑を建立することになった際に、マヤ・リンのデザインが一部の帰還兵や保守派から批判された。彼女のV字型の黒い壁のデザインに、「兵士たちの誇り」を見いだせない、という意見が出たのだ。マヤ・リンが、中国系アメリカ人の若い女性アーティスト(当時21歳)で、見た目も幼い、無名のイエール大学生だったことも、反感の火種となった。人種差別も入り交じる反対意見の山に対して、一度は計画が中止される事態にもなった。非常に過激な反対意見を述べる者に対して、企画した財団は、「悪い、狂ったベトナム帰還兵が、幼い女の子をいじめているような」図になってしまうから、気をつけるように、という注意を出したと言われる。

ベトナム戦争戦没者慰霊碑 (Wikipedia)

慰霊碑のデザインを掲げるマヤ・リン(当時)(VVMFウェブサイト

ベトナム帰還兵への視線

ベトナム戦争が、それ以前の戦争に比べて特別視されるようになったのには幾つか理由があるだろうが、兵士のトレーニングが第二次世界大戦の時と大きく変わったことが指摘されている。デイブ・グロスマン大佐は、『殺しについて(On Killing)』のなかで、第二次大戦における米兵の攻撃(射撃)率の低さが問題視されたことが発端だと述べている。

S.L.A.マーシャル准将の調査結果(第二次大戦中、コンバットにおいて、わずか15~20%の兵士しか発砲しなかった)は学術界、精神医学、心理学の分野から無視されたが、陸軍はこの結果を非常に真摯に受け止めた。そしてマーシャル准将の提案をもとに、多くのトレーニングの手法が組み入れられたのである。これらの変更によって、朝鮮戦争の際には55%(マーシャル准将の調査)、ベトナムでは90~95%(R・W・グレンの調査)まで上昇した。

マーシャル准将の調査手法については疑問を呈する者も多い。しかし、重要なのは、ベトナム戦争までには陸軍がトレーニングの手法を変え、兵士が条件反射的に発砲するような訓練プログラムになっていた、という事実であろう。兵士が発砲しないので上官が兵士たちを蹴って回って発砲させていた、という証言もあるくらいだった第2次大戦に比べて、ジャングルでのゲリラ戦がその大半を占めたベトナム戦争では、新しい訓練は非常に有効だった。このような訓練(殺人マシンになる訓練)を経過し、実際にコンバットで条件反射的に殺戮をした人物が兵役を終えて戻ってくる、とアメリカ社会は不穏な感触を抱いたのである。

もう一つの側面に、TVによる報道が大衆に与えたインパクトがある。実際の戦場の映像が放映され、TVの前に座っている国民は、米兵が戦場で何をしているかを目の当たりにしたのである。1965年のモーリー・セイファー(CBS)のTVレポートは、ベトナムの小さな村の家々を Zippo ライターで火をつけて焼き払う米兵の姿を映し出した。当時のアメリカTVのニュースで最も信頼と人気のあった、ウォルター・クロンカイトがテト攻防の様子を伝えた時は、もっと状況は悪くなってしまった。敵に射撃を続ける兵士たちの姿が映しだされ、負傷している兵士が救出される様子が放送され続けた。さらに、南ベトナム軍のグエン・ゴク・ロアン少将がベトコンを射殺するシーンなどの衝撃的な映像が重なり、狂気の戦場というイメージが一般国民に植えつけられてしまった。


モーリー・セイファーの取材(1965)

CBS 1970年放送

PTSDへの無理解

普通の青年が、殺人機械になるように訓練され、戦場に行ってたくさん人を無慈悲に殺して戻ってきたら殺人鬼になっていた、というようなステレオタイプは、映画のような大衆エンターテーメントには都合がよい。まだ、PTSDという用語がまだ人口に膾炙していなかった時代、理解できないことは怪物として扱って消化しようとしていた。PTSDという用語が登場したのは1970年代の後半と言われるが、理解が進んだのはごく最近のことである。

戦争、特に機械化が進んだ第一次世界大戦からは、PTSDが無視できない問題になっていた。「シェルショック(Shellshock)」は、種のPTSDの症状、あるいは別名だが、これが 第一次世界対戦では「怠け者の戦場からの逃避」としてしか解釈されなかったのである。オーストリアでは、シェルショックに苦しむ兵士を収容している施設の医師らが、患者に対して電気ショックを与える「治療」が戦時中に行われていた。電気ショックに耐えかねた患者たちは「(こんな苦痛に耐えるくらいなら)戦場に行きます」と戻ったため、効果があると勘違いされてしまった。戦後、この件をめぐる法廷で証人として呼ばれたジグスモンド・フロイトは「これは効果がない」とバッサリ切っている。

第二次大戦ではもう少し理解が進んだものの、決して解決したわけではなかった。パットン将軍は「シェルショックなど、ユダヤ人がでっち上げたものだ」という二重の意味で間違った発言をし、シェルショックで収容されている兵士を罵ったといわれている。

実際には、ベトナム帰還兵にとっての深刻な問題は、失職、アルコールやドラッグ中毒、ホームレス、自殺であったし、今もそうである。戦争終了後の5年間で150,000人の帰還兵が自殺しているとさえ言われている。帰還兵の半分以上は精神が不安定でアルコール依存症、ドラッグ中毒であった。刑務所に収監される者も多かったが、凶悪犯罪というよりも貧困や中毒からくる窃盗や暴力沙汰のほうが多かった。

そのような帰還兵の問題、特にPTSDとそれに伴う社会への復帰の困難さを扱う映画もないわけではなかった。『幸福の旅路(Heroes, 1977)』は、ヘンリー・ウィンクラー演じる帰還兵が、サリー・フィールドとアメリカ横断の旅をするロードムービーだが、彼は実は重大な心理的な傷を負っているという設定だ。『帰郷(Coming Home, 1978)』『7月4日に生まれて(Born on the Fourth of July, 1989)』などの作品は、戦争そのものに対する疑問と帰還兵と社会との間の軋轢を描き出すことに成功している。帰還兵の問題をより現実的に把握する姿勢は、90年代になってからようやく見直されるようになってきたが、一度植え付けられたステレオタイプはなかなか消し去ることができない。 

似たようなステレオタイプ化は、今度はイラク戦争後の帰還兵に対して起こっている。彼らの多くは深刻なPTSDの症状に悩まされているのだが、適切なケアが行き届いている状況ではない。ニューヨーク・タイムスが2008年に、「イラク・アフガニスタン戦争の帰還兵が2年間で121件の殺人事件を起こしている」と報じ、ホメロスの『オデッセイ』、『西部戦線異常なし』『ディア・ハンター』に『告発のとき』まで、題材にされてきた深刻な問題だ、とまで述べている。その後の調査で、実際にはそのうち56%が第一級殺人であったことが分かっている。その時期に従軍した軍人の数が160万人であることを考えると70件は多いのか、少ないのか(アメリカの2012年の殺人事件は10万人あたり6.7件)。メディアは帰還兵と暴力犯罪をカジュアルに結びつける傾向があり、そのことがより問題の深刻さを見えにくくしている。『アメリカン・スナイパー(American Sniper, 2014)』では、イラク戦争の「英雄」、クリス・カイルもPTSDに悩まされていたことが描かれているが、この映画への評価が、カイルを「英雄」とみる か、「殺し屋」とみるかで真っ二つに分かれているのも、問題の根深さを感じさせる。

決して映画化されない帰還兵

想像を絶する暴力の経験をした兵士が、社会に馴染めず狂気にとらわれ、最後には大量殺人を犯す。そのプロファイルに当てはまりそうな実在の人物がいる。ティモシー・マクヴェイ(1968 - 2001)は、1995年4月、オクラホマ連邦政府ビルを爆破して168人を殺した凶悪犯、テロリストである。彼は湾岸戦争に従軍し、腕利きの狙撃手として勲章も受けている。しかし、帰還後は家族から見ても明らかに奇異な言動をするようになった。彼は、政府がアメリカ国民を洗脳しようとしているという妄想に取りつかれ、テキサスのウェイコで起きたブランチ・デヴィディアンの立てこもり事件をみて、テロ活動を起こすことを決心したと言われている。

湾岸戦争はその後のイラク戦争に比べて話題にはならないが、アメリカ軍はかなり問題のある作戦をいくつか展開している。その一つが、「死のハイウェイ」と呼ばれる事件である。クウェートからイラクに敗退中のイラク軍をバスラ高速道路上で全滅させた攻撃だったのだが、その壮絶な現場をマクヴェイは目撃していた。彼はこの派兵時にいくつかの失望を味わっており、その一つが「とんでもない悪者がいると思ってクウェートに行ったら、戦う気のない兵士と飢えた子供ばかりだった」ということだったようだ。帰国後、彼は政府への不信を強め、テロリズムに傾倒してしまう。ゴア・ヴァイダルは、マクヴェイの知性に興味を持ち、死刑を待つ彼と書簡を交わしている。

だが、この白人の、若くて、ハンサムで、書簡のやり取りをアメリカ随一の評論家と交わすことができ、イラクで「飢えた子供に食べ物を与えてはいけないと命令されて腹立たしく思った」男が、19人の子供と3人の妊婦を含む168人を殺した大量殺人犯になっていく経過はハリウッドで映画化されることはないだろう。いくつかそういう計画はあったがどれも被害者の家族の強い反対を受けて頓挫しているようだ。

ハリウッドはエド・ゲインを何度映画化しても飽きないみたいだが、なぜ、マクヴェイは心底嫌悪され忌避されるのか。それとも、爆破なんてその暴力が瞬間的で、猟奇性や残虐性が売り物に出来ないからだろうか。マクヴェイはステレオタイプに当てはまらないからか。そのことは考えてみても良いかもしれない。

 
 
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