The Truman Show (© Paramount Pictures 1998)

『トゥルーマン・ショー』の世界に入ったみたいだ。

訪れた人の多くがそんな感想を残す町がある。フロリダ州セレブレーションだ。

ディズニーが作った町。ウォルト・ディズニーのヴィジョンが詰まった町。12月にはホワイト・クリスマスが訪れる。降るのは人工雪だ。

フロリダ州オーランドのディズニー・ワールドリゾートから車ですぐのところにある人口7,000人余りの町。まるで、映画のセットのような風景が続き、ゆったりとしたコミュニティに子どもたちの声が響く。今のアメリカの都市では考えられない光景だ。ネット上には色々紹介記事があるので参照してほしい(例えば、ここここここ)。

ウォルト・ディズニーは1960年代、実験的な街の建設を念頭に置いてフロリダで土地を買い漁っていた。彼の死後、彼のヴィジョン(EPCOT, Experimental Prototype Community of Tomorrow)を現実化しようとする試みがはじまった。セレブレーションの建設は、1990年代初頭からウォルト・ディズニー社が入念に研究と調査を重ね、1996年から開発が始まった。この計画を推進した当時のディズニーCEO、マイケル・アイスナーはこんなことを言っている。「過去においてコミュニティを強くしたもの、そして今日の我々が学んだベスト・プラクティス、それに未来へ向かって、素晴らしいコミュニティのヴィジョンと希望をかけ合わせたものが、この町だ。[1]」ディズニーのチームは全米各地の20以上の都市や町を研究し、家の様式についてフォーカス・グループを呼んでアンケートをとった。ピッツバーグのUDA建築事務所が家のスタイルを6種類に絞り込み、ニューヨークのロバート・A・M・スターン建築事務所とクーパー・ロバートソン&パートナーズが都市計画を担当。チャールストン(サウス・カロライナ州)、サヴァンナ(ジョージア州)、イースト・ハンプトン(ニューヨーク州)などの「アメリカの小さな町」を参考にした[2]。

もともと、人口比率も人種・エスニシティを考慮して「多様性」をもたせたものにするつもりだった。しかし、2000年には人口の88%、2020年には91%が白人という結果になった。売り出したときには、土地付き家屋の価格は13万ドルから110万ドルまで、周辺地域から比べると極めて割高な価格だったが[2]、それは今も変わらない。住民は、コミュニティが細かく決めたルールを守る。それがあるから、この町はいつも清潔で、美しく、会う人々は礼儀正しく、安全で、平和なのだ。

ディズニー社は2004年にこの町の所有権の大部分を管理会社に売却している。

 

Celebration, Florida (Google Earth)

 

このセレブレーションと言う町は「ディズニーが作った町」というキャッチフレーズとは別の側面を持っている。1980年代からアメリカで急速にモーメンタムを獲得し始めた<ニュー・アーバニズム>の成果としての側面だ。ニュー・アーバニズムとは、第二次世界大戦後のアメリカ国民の生活空間が、<郊外の無軌道な拡大/スプロール化>とともに様々な問題を抱えるようになったことへの危機感から生まれた新しい都市開発の哲学とその実践を指す。地域コミュニティは多様性に富んだ機能や住民構成から成っており、移動手段は自動車のみならず、歩行者にも配慮され、公共の空間や施設が町の空間を形作る ─── 都市空間は、地域の歴史や気候、エコロジー、建築慣習などを尊重した建築・空間設計に基づくべきだ、という思想である[3]。この活動の中心にいたアンドレス・デュアーニー、エリザベス・プレッタ=ジーベックらが開発し、ニュー・アーバニズムの最初の成功例となったのが、やはり同じフロリダ州にあるシーサイドという町である。

ニュー・アーバニズムは、郊外開発が進む前のアメリカの小さな町をコミュニティ設計の下敷きとしている。大きな通りをはさんで様々な商業施設が立ち並ぶ中心、様々なスタイル、設計の住居群、子どもたちが安全に遊べる場所、日用品が揃う店、それらすべてが歩いていける距離にあり、迷ってもすぐに特徴的で見覚えのある風景に戻っていける、そういった<古き良き町>を理想としているのだ。フィリップ・ラングトンはイリノイ州のオーク・パークという町を観察して、車ではなく、人を念頭において町を設計することの重要性を説いた。シーサイドを計画する前に、デュアーニーとジーベックはフロリダの小さな町を数多く訪れて、この地方に最適な町の設計を考察している。そうして生まれた町は、創造性に富み、住民の生活の質を変えるものとして注目を浴びた。

しかし、皮肉なことに、多くの人にとってシーサイドという町は『トゥルーマン・ショー』のロケ地として有名なのである。

 

Seaside, Florida (Google Earth)

 

原案では、映画のロケーション撮影はマンハッタンの予定だった。しかし、監督のピーター・ウィアーは、フロリダ州の町を訪ね歩いてロケーション撮影に理想的な場所を探しまわっていた。このメキシコ湾に面した町を彼に紹介したのは彼の妻だった[4]。

シーサイドという町の成り立ちを考えると、『トゥルーマン・ショー』に登場するシーヘイヴンの町は、厳密な意味では<郊外>ではなく、むしろ<反郊外>と位置づける必要がある[5]。だが、その<反郊外>なるものを考える前に、まず<郊外>の成り立ちを探る必要があるだろう。

アメリカの郊外は、第二次世界大戦後の高速道路の急速な発達とベビーブーマーの誕生・成長が要因となって、急速に拡大する。それまで都市部に集中していた人口が、一気に周辺地域に拡散した。周辺地域とは、都市部にある職場に高速道路を使って自動車通勤が可能であり、かつ購入可能な一軒家が豊富に供給される場所である。多くの場合、デベロッパーが高速道路のジャンクションを起点に広い土地を開発し、グリッド状に広がる街路を均質的な低コスト住宅で埋めていった。だが、郊外発展のもう一つの重要な要因として有色人種の都市部への流入があった。例えば、ボストンのある地域では、1960年において、人口の99.9%を白人が占めていたが、その後、黒人の流入が続き、1970年には黒人が48%、1976年には85%を占めるまでになった[6]。1940年から1970年のあいだに400万人の黒人が南部を離れて北部、または西部の都市に移動、都市における黒人の人口比率が4%から16%に増加している[7]。これは戦後20年間にわたって、南部で産業の機械化が進んだことが引き金となっている。

有色人種が都市部の生活圏に流入してきたことを嫌った白人が、外縁に逃げ出して新しい生活圏を創造した。それが郊外である。そして白人のベビーブーマーたちの多くが郊外で育った。

1970年代に入ると、このベビーブーマーたちが同じ郊外で家庭を持つようになる。つまり、郊外が<コミュニティ>としての世代の記憶を背負うようになったのだ。この時代の郊外の夢を象徴する映画が『E.T.(1982)』だろう。ロサンジェルス郊外のサン・フェルナンド・ヴァレーが舞台、母親役のディー・ウォレスは1948年生まれのベビーブーマーだ。自動車が生活維持のための必需移動手段であり、子どもたちは親の運転する自動車に依存している。子どもたちが、自分たちの唯一の移動手段、自転車で空を飛んで夢を叶える。『E.T.』は郊外で芽生え始めていた<退屈>をすでに予見していた。

 

San Fernando City, California (Google Earth)

 

レーガン時代を経て、郊外はさらに<退屈>な場所になっていく。『ホーム・アローン(1990)』は、自動車がないとどこにも行けない場所に閉じ込められた少年が、<郊外>に存在してはいけないものを暴力で消し去る話である。ロジャー・イバートは『ホーム・アローン』に登場する泥棒撃退の仕掛けの数々を『鮮血の美学(Last House on the Left, 1972)』の父親が発明したものだろうと嘆き[8]、マイケル・フィリップスは、この映画の残酷さは『わらの犬(Straw Dogs, 1971)』にインスピレーションを得たものだろうと当時の美術スタッフに詰め寄っている[9]。

『ホーム・アローン』の舞台となったのはシカゴの郊外だが、ここで奇妙なズレが生じ始めている。ロケーションに使われたのはイリノイ州ウィネトカ・ヴィレッジ、平均年収が25万ドルを超えるコミュニティである。確かに<郊外>なのだが、実はアップスケールされた高級住宅街が物語の中心になっているのだ。

この奇妙なズレは、<郊外>がすでに新しい位相に入っていたことと密接に関係があるだろう。白人が都市中心部から逃げ出して作った<郊外>だったが、またここでも<違う人種>が流入し始めていたのだ。例えば『E.T.』の舞台になったサン・フェルナンド・ヴァレーは、1970年から2000年にかけて、白人以外の人種、とりわけヒスパニック系の人口が爆発的に増加した[10]。1990年から2000年のわずか10年間にヒスパニック系は43.3%、アジア系は25.8%、黒人/アフリカン・アメリカンは16.5%の人口増加を示す一方で、白人は5.3%減少している[11]。ヒスパニック系にも白人はいる。だからアメリカの国勢調査では「家庭で使用されている言語」という項目がある。2019年、サン・フェルナンド・ヴァレーの一部であるサン・フェルナンド・シティーでは、白人人口比率が65.2%であるが、スペイン語を家庭で使用している人口は78.4%にも上り、英語を使用しているのは19.9%しかいない。

カリフォルニアは、特にヒスパニック系の流入が大きかった場所だが、大都市では類似の傾向が見られる。イリノイ州の巨大な郊外オーロラでもヒスパニック系の比率が高く、家庭で英語を話す家庭の比率が54.1%に対してスペイン語の家庭が35.8%である。だが、『ホーム・アローン』のロケーションに使われたウィネトカ・ヴィレッジは、英語率89.8%、白人率92.9%のコミュニティである。映画の舞台として「あなたが今住んでいるような(いろんな人種のいる)<郊外>ではない場所」を意図的に選択し始めていたのだ。

『ホーム・アローン』が郊外のふりをして高級住宅街を使い、『ボーイ’ズ・イン・ザ・フッド(Boyz n the Hood, 1991)』でローレンス・フィッシュボーンがジェントリフィケーションとは何かを仲間に説教しているとき、ニュー・アーバニズムが注目され始め、フロリダを中心に白人/英語族が親密で清潔なコミュニティを作り始めた。フロリダのセレブレーションなどのニュー・アーバニズムの町は、白人比率が90%を超え、英語率も周辺自治体と比べると高い。人口の少ないアヴァロンなどでは英語率が100%である。言い方は悪いが、また白人は逃げ始めたのである。ニュー・アーバニズムの哲学は、無秩序な拡大、自動車依存、無軌道なエネルギー消費、デザインのコモディティ化といった<郊外>の病に対する<反郊外>であったのだが、実際に町として実現されてみると、住民の多様化という<郊外>に対する<反郊外>でもあった。

そもそも、ニュー・アーバニズムが手本とした「戦前のアメリカの小さな町」とはどんなところなのだろう。例えば、ウォルト・ディズニーが幼少の数年間を過ごし、生涯アメリカの理想とした町、ミズーリ州マーセリンはどんな町なのだろう。この19世紀末に現れた小さな炭鉱の町は、ウォルト・ディズニーがディズニーランドの「メインストリート」を設計する際に参考にしたといわれている[12](注1)。ディズニーが幼少期を過ごした頃は人口5000人[13]、現在は2000人ほどの町である。サンタフェ鉄道の駅として始まり、1888年に正式にリン郡に組み入れられた。地域の炭鉱が鉄道の石炭を供給していた。1906年、ディズニー一家はこの町に引っ越してくる。ウォルトはこの町で学校に通い、映画というものを初めて経験し、「ピーターパン」の劇を見た[14]。町は駅を中心に小さな商店や施設が立ち並ぶ大通りがあり、周辺に広く家が広がっている。広くと言っても町は2キロメートル四方に収まるくらいの大きさしかない。端から端まで歩いても1時間とかからないだろう。マーセリンの町は今でもディズニーが育った当時の面影を残している。ちなみに2019年の国勢調査では住民の93.6%が白人である。

歩いていける距離に生活圏がすべておさまり、自動車を必要としない町。穏やかな中心に公共の場があり、その周辺に多様な設計の住宅が広がっている。まさしく<ニュー・アーバニズム>のヴィジョンそのもののような町だ。だが、誰かが設計してそういう町になったわけではない。サンタフェ鉄道の駅を中心にコミュニティが自然発生したにすぎない。この土地には名前さえなかった(あっても白人は知らなかった)。「マーセリン」という町の名前は駅長の妻の名前からとられている。しかも、マーセリンは長い年月をかけて、形作られた町でもない。幼いウォルト・ディズニーが住んでいた頃は、町ができてわずか20年ほどのことなのだ。

 

Marceline, Missouri (Google Earth)

 

『ホーム・アローン』がクリスマスの定番映画になる前に、12月になると必ずTVで放映されていた作品がある。フランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!(It’s A Wonderful Life, 1946)』だ。キャプラは1930年代からコロンビア・ピクチャーズで<アメリカの民衆>の良心を描き続けていた。彼の物語は政治的なメッセージで溢れているように見えるが、実際には政治性は極めて脱色されており、「アメリカには隅々まで善良な人々が住んでいる(一部の欲深い人を除いて)」というシンプルなメッセージが込められているに過ぎない。『素晴らしき哉、人生!』も、ベッドフォード・フォールズという小さな町に住む一人の善良な男とその家族の物語である(ただし、FBIは「銀行家は欲深い人間だという共産主義者のメッセージが込められている」と報告している[15])。ベッドフォード・フォールズは、キャプラが長年描いてきた「アメリカの小さな町」の集大成だと言ってもいいだろう。町の中心に大きな通りがあり、通りの中央には並木の分離帯がある。ドラッグストアでは子どもたちがどのアイスクリームにするか悩み、鞄屋の主人は、ジョージがどんなスーツケースを欲しがっているか言われなくても分かっている。恋人と結婚したら住みたい家はヴィクトリア様式の大きな家だ。クリスマスになると通りは雪に覆われ、楽しそうな飾りで埋まっている。人々は欠点もあるし、間違いも犯すが、悪い人間はいない。だが、一人だけ欲深い人間がいる。銀行家のポッター。この町の権力者、イニシャル入りの馬車に乗って自らの権勢を誇示している。ジョージは、このポッターに追い詰められて橋から身を投げようと思いつめる。

ベッドフォード・フォールズは、ニューヨーク州にあるセネカ・フォールズという町がモデルになっているのはほぼ間違いない[16]。セネカ・フォールズは、シラキュースの西、約30Kmに位置する人口6,000人ほどの町である。1940年の人口は6,452人、1970年代から80年代に10,000人近くまで人口が増加したが、その後減少して今ではまた6,000人ほどである。町の大通りには並木の中央分離帯があり、商店や施設が立ち並ぶ。今でも住宅街にはビクトリア調の住宅が点在し、かつての優雅な風景が思い起こされる。町を横断するカユーガ=セネカ運河に架かった橋(’Bridge Street Bridge’)には、映画のプロットを彷彿とさせる史実がある。1917年、イタリア移民の若者が、運河に飛び込んだ若い女性を救った。しかし、彼自身は溺死してしまった[17]。セネカ・フォールズは貧しいイタリア移民が多い町だった。

そのセネカ・フォールズには19世紀から続く工場がある。グールド社というポンプの製造をしている会社だ。特に3代目の社長ノーマン・J・グールドは合衆国下院議員にまでなった有力者である。彼の車のナンバープレートは「NJG1」というイニシャルで、「町の若者を兵役に送ることも、自分の工場で働かせることも、彼の意思次第」と言われた[16]。

 

Seneca Falls, New York (Google Earth)

 

ニュー・アーバニズムは、マーセリンやセネカ・フォールズのような町を、「地域の歴史や気候、エコロジー、建築慣習などを尊重した建築・空間設計」という思想のもとでアップデートする試みだった。しかし、そもそもの成り立ちが違う。戦前のアメリカの町はその土地の気候に耐えるしかなかったし、さらに材料の調達も含めて建築慣習もその土地にあったものにならざるを得なかった。歴史と言っても、他国の人間が思うような数世紀にわたって刻み込まれる歴史ではなく、数十年の開発と居住の記憶の話である。その町のあり方を「エコロジー」や「多様性」という用語で修飾して再構成したのが、ニュー・アーバニズムだ。この思想は、一方で極めて巧妙に排外的な姿勢を隠蔽している。<郊外のスプロール化>という言葉で、自分たちの「新しい都市開発の思想」から<郊外>を切り離して取り除いていく。<戦前のアメリカの小さな町>を理想として、<戦前の都市部のスラム>、<南部の小作人たちの部落>、<ゴールドラッシュで湧いた町>を記憶から消し去っていく。いくら多次元的な枠組みを標榜しても、結局英語話者の白人が大半を占める人口構成になるのは、むしろそれを目指しているからだと言わざるを得ない。HOPE VIのような貧困層をも取り込んだニュー・アーバニズムの試みも、多くの場合、個々の住居の質の向上が優先され、ハウジング・プロジェクトから立ち退いた貧困層が帰還できないという事態が起きている[18]。経済的格差の問題が拡大されてしまうのは、住居と生活空間を整えれば、生活(そしてコミュニティ)が改善されるという思想が、人間の活動の多くの側面を見逃しているからだ。労働、物資の確保、廃棄、処理、そういった活動をループに含めなかったからである。これでは、<郊外>がスプロール化してしまったことをそのまま維持してしまっている。多くのニュー・アーバニズムの町で自動車の利用率がまったく低くならないのは、住民たちは結局町の外に働きに行くからだ。ひどく高価な不動産を維持するには、どこか別の場所でより多く稼がないといけないからである。

 

Goldfield, Nevada (Google Earth)

 

『トゥルーマン・ショー』は、架空のシーヘイヴンを映しだすために、実在のシーサイドというロケーションを利用して、この隠蔽の二重機構を投影している。消費の場と自意識の交差を描きながら、消費のために必要な資源の確保と廃棄のプロセスが隠蔽され、同時にコミュニティの絆を強調しながら、そのために断ち切ったものを隠蔽している。『トゥルーマン・ショー』のシーヘイヴンは外部がないと機能しないはずだ。水、電力、食料、ガソリンなどの資源の確保や、生活によって排出される廃棄物の処理はすべて書割の壁の向う側にある。しかし、実際のこの世界でも、私達のような一般の消費者は、消費行動のなかでそういったプロセスを、自意識の外側に追いやっている。消費だけをひたすら続けていれば、トゥルーマン・バーバンクのように「生活」が維持ができる。その消費を続けるためには、とくに快楽の充足を追求する消費を続けるためには、労働、しかも払いの良い労働が必要だ。そのためには、コミュニティの外側に出る必要がある。さもなければ、セネカ・フォールズのノーマン・J・グールドのように自分の町に工場を所有して移民を雇い入れる必要があるだろう。だが、現代で質の高い住宅と居住圏を手に入れる人たちは、自分たちを<支える>賃金の安い労働者たちを切り離した。

ピーター・ウィアー監督は、『トゥルーマン・ショー』に適したロケーションを見つけ出すために、フロリダの町を次から次へと見て回ったが、満足のいく町が見つからなかった。ところが、シーサイドについた瞬間、「ここだ、荷物を降ろせ」とスタッフに告げ、あっという間に撮影準備に入ったという。この作品については、パノプティコン的なパラノイアについての議論が多いが、それとともに消費社会が必然的に抱える構造を隠蔽する仕組みについての物語だとも思う。ニュー・アーバニズムは、居住圏を購入/消費して、<消費社会を超えたコミュニティという幻想>を充足させる試みだ。モノを消費して、世界の仕掛けを隠蔽する。この思考と行動は、私達の今の日々の生活に極めて深く、広く浸透している。

ディズニーが作った町、セレブレーションは、あまりにシニカルな存在である。訪れた人が『トゥルーマン・ショー』のセットみたいだ、と思わず言ってしまうのは、セレブレーションとシーサイドが同じ<ニュー・アーバニズム>の思想のもとに作られたために、居住圏としての<不自然さ>を共有しているからだ。セレブレーションを開発したとき、ディズニーのマーケティングがひねり出してきたコピーは「ここは、あなたが育った故郷のような───そうでなければ、こんな町で育ちたかったと思うような、そんな町です」である[2]。つまり、あなた方のなかには、ロクでもないところで育った人もいますよね、と言っている。なかなか言えることではない。ディズニー・リゾートのモットー”Where Dream Comes True”は、長年にわたる「消費者」についての洞察に基づいているらしい[19]。ディズニーだけでなく、すべての企業は、実質的に「あなた(消費者)の<夢>を<現実>にしています」と宣伝する。だが、それは<夢>の代替品でしかないか、そもそも私達がそんな<夢>を持っているのかさえ怪しい。

トゥルーマン・バーバンクがドアを開けて出ていった、その先の世界がどんなところか、まだ誰一人として知らないのかもしれない。また別の企業が用意した<夢>を<現実>にした世界なのかもしれない。

2019年国勢調査結果より(U. S. Census Bureau): Eng.は英語、Sp.はスペイン語

 

[1]        H. A. Giroux, The Mouse that Roared: Disney and the End of Innocence. Rowman & Littlefield, p. 67, 1999.

[2]        P. Lowry, “It’s A Small-Town World,” Pittsburgh Post-Gazette, Pittsburgh, Jul. 13, 1997.

[3]        taotiadmin, “The Charter of the New Urbanism,” CNU, Apr. 20, 2015. link.

[4]        L. B. Smyer, “Finding Truman,” 30A, Oct. 14, 2018. link.

[5]        D. A. Cunningham, “A Theme Park Built for One: The New Urbanism Vs. Disney Design in the Truman Show,” Critical Survey, vol. 17, no. 1, pp. 109–130, 2005.

[6]        I. G. ELLEN and I. G. Ellen, Sharing America’s Neighborhoods: The Prospects for Stable Racial Integration, p. 36, Harvard University Press, 2009.

[7]        L. P. Boustan, “Was Postwar Suburbanization ‘White Flight’? Evidence from the Black Migration,” The Quarterly Journal of Economics, vol. 125, no. 1, pp. 417–443, 2010.

[8]        R. Ebert, “Home Alone Movie Review; Film Summary (1990) | Roger Ebert,” link.

[9]        M. Phillips, “‘Home Alone’ a holiday classic? Don’t make me laugh,” chicagotribune.com. link.

[10]        “Our Future Neighborhoods: Housing and Urban Villages in the San Fernando Valley,” Economic Alliance of the San Fernando Valley, Jul. 2003.

[11]        J. Kotkin and E. Ozuna, “The Changing Face of the San Fernando Valley,” Economic Alliance of the San Fernando Valley, 2002.

[12]        C. Strodder, The Disneyland Encyclopedia: The Unofficial, Unauthorized, and Unprecedented History of Every Land, Attraction, Restaurant, Shop, and Event in the Original Magic Kingdom., p. 254, Santa Monica, Calif. : Santa Monica Press, 2008.

[13]        “Thirteenth Census of the United States Taken in the Year 1910: Volume II, Population”, p. 1079. Department of Census, Bureau of the Census, U. S. Census, 1913.

[14]        “Marceline History.” link.

[15]        “Running Memorandom on Communist Infiltration into the Motion Picture Industry (Up to Date as of December 31, 1955),” Federal Bureau of Investigation, 100-138754–1103, Jan. 1956.

[16]        “The Real Bedford Falls,” Sep. 27, 2013. link.

[17]        “A Wonderful Life? In Seneca Falls, Antonio Varacalli Laid His down for Someone Else,” syracuse, Apr. 15, 2014. link.

[18]        T. Trenker, “Revisiting the Hope VI Public Housing Program’s Legacy.” link.

[19]        “Disney Parks Introduces ‘Where Dreams Come True,’ A Worldwide Initiative Tied To Global Consumer Insights,” The Walt Disney Company, Jun. 07, 2006. link.

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注1    セットデザインを担当したハーパー・ゴフは自分の生まれ故郷、コロラド州フォートコリンズも参考にしている。