これは、1925(大14)年9月21日号のキネマ旬報に掲載された広告です。右から読むので読みにくいですが「おゝうるはしの ウフア映画」とあります。ドイツ映画を輸入していた会社の広告で、とくにウーファ(Ufa)社の映画を扱っていたようです。ここにはこの会社が輸入した(あるいは輸入する予定の)9本の映画が宣伝されています。私はウーファの映画、ドイツ表現主義の映画についてはかなり好きでよく見ているつもりだったのですが、これらの映画の中で知っていたのはカール・Th・ドライヤーの「ミカエル」だけでした。1925年ごろと言えば、古典ドイツ映画が頂点を迎える時期です。フリッツ・ラングが「ニーベルンゲン」2部作を完成し、F・W・ムルナウが「最後の人」を撮った時期です。これから「メトロポリス」や「嘆きの天使」が出てくる時です。ウーファが映画史にそれこそ「燦然と輝く」時代です。ですが、ここに挙げられた映画を、私は聞いたこともありませんでした。ここに並んでいる、監督や俳優の名前もあまり耳にしたことがありません。そこで、それをタイトルごとに調べてみました。そこから見えてきた色んなことがあまりに面白いので、ここに書きとめておこうと思います。
ウーファという会社の大まかな歴史については、ウィキペディアに譲るとして(笑)、この時期から1945年にいたるまでのドイツ映画界についてちょっと述べておこうと思います。私たちは、どうしても「巨匠」や「名作」の歴史に眼を奪われがちですし、「問題作」や「汚点」に注意がいってしまいます。つまり、ジーグフリード・クラカワーの「カリガリからヒトラーへ」やロッテ・アイズナーの「The Haunted Screen」のような映画史書、批評書が語り続けてきた、ヴェゲナー、ラング、ムルナウといった巨匠やその名作、リーフェンシュタールのような問題人物のプロパガンダ作品が、この時代のドイツ映画を代表していると思いがちになってしまうことです。もちろん、それらは大作であり、ウーファが全面的にバックアップした作品群ではあるのですが、同時にウーファ、あるいはドイツの観客がそういう好みだったと言うわけではないと思うのです。たとえば、ナチス政権下の映画はすべて「意思の勝利」のような、あるいは「ユダヤ人ズース」のようなプロパガンダ映画だったかと言うと、むしろそういう映画は稀で、大部分の映画は現実逃避的なエンターテーメントだったわけです。
ウーファは、特に芸術映画の根城というわけではなく、この時代のドイツに特徴的な一企業だとおもいます。ワイマール時代は、資本家の保守的な性格をもった利益追求型の企業、そしてナチスの台頭後は、政権に吸収されることに抵抗しきれずに「国家」が要求するものを提供しながら利益を追求する、という道をたどります。「国家」と言っても、なんだか分からない連中が相手です。ヒトラーもゲッベルスも映画が好き。不思議なことに二人とも勇ましいプロパガンダ映画は二の次で、ヒトラーは「(大して面白くも無い)センチメンタルな社会派コメディ」がお好みで、ヴァイス・フェルデルという俳優の「二つの封印(Die beiden Seehunde, 1934)」が特にお気に入り(1)。ゲッベルスはもう少し映画の好みが高尚で、一応「ユダヤ・ボルシェヴィキの」エイゼンシュタイン監督の作品には一目おいている。二人に共通するのは、美人女優に眼が無いこと。総統は、レナーテ・ミュラーのことを大いに気に入ってしまい、彼女の映画をもっと作るように命令。問題は、彼女には秘密のユダヤ人富豪の恋人がいたことです。ゲシュタポに嗅ぎつかれて、彼女は謎の死を遂げてしまいます。ジェニー・ユーゴは、ヒトラー、ゲッベルス、ゲーリングにいたずらをして射殺されなかった唯一の人間です。ヒトラーに「私は総統だ」と叫ぶオウムをプレゼントしたり、ゲーリングの食事にゴムのソーセージを出したり。ジェニーがいない夜は、特別に撮影された彼女の全裸体操フィルムを総統はご覧になっていたようです(2)。リダ・バーロヴァ(「メトロポリス」の主役グスタフ・フレーリッヒの元婚約者)に狂ってしまって、ゲッベルスは自殺未遂をしてしまう始末。1920年代後半から敗戦まで、ドイツ映画は女優の時代と言ってもいいかもしれません。リル・ダゴーヴァー、亡命してしまったマレーネ・ディートリッヒ、レニ・リーフェンシュタール、リリアン・ハーヴェイ、ツァラ・レアンダー、マリカ・レックと挙げるときりがありません。彼女たちが、美しく着飾り、歌い、踊り、愛にうつつを抜かす(多くの場合勇敢な軍人に)、そんな映画が大量生産されました。
ジェニー・ユーゴ |
リリアン・ハーヴェイの"Ins Blaue Leben (1939)"公開時の ウーファ・パラスト・アム・ズー劇場 |
とは言え、文化政策の一環として、政治色が濃い映画も製作されました。そのためにナチス政権はウーファを国有化し、ゲッベルスの配下においたのです。完全に徹頭徹尾プロパガンダの目的で製作された映画は、本当に数えるほどで、歴史上の人物や出来事に沿って、ナチスのイデオロギーを刷り込んだ内容のものがほとんどです。
1925年の段階では、まだナチスはミュンヘンの田舎に巣くっているゴロツキくらいなものです。しかし、この広告に並んでいる作品に関わった人たちが、その後歩む道を考えると、この広告に凝縮された世界が奇跡にようにも感じられます。
ここに挙げられている映画について、ひとつずつ書いていきます。あらかじめ告白しておきますが、私が見たことがあるのはカール・Th・ドライヤーの「ミカエル」だけです。一般にDVDなどで流通しているのは、この作品だけです。「フレデリック大帝」の第四部が非常に低いクオリティのもので出ています。「沈黙の塔」は最近ヨーロッパでリバイバル上映がされています。その他の作品はプリントがアーカイブに存在していることがわかっているものもありますが、大半が行方不明です。調査には、英語、ドイツ語の文献を参考にしました。
References
(1) Eric Rentschler, "The Fuhrer's Fake" in Hitler - Films from Germany: History, Cinema and Politics Since 1945, edited by Karolin Machtans, Martin A. Ruehl
(2) Hitler's Sex Life, Liberty Magazine
2 Comments
ブログ拝読しました。いやー面白いですね。続きが早く読みたいです。ところで「ドイツ映画」という本はご存じですか。現代的な切り口から見たドイツ映画の概説書なので感心しました。多少参考になる部分があるのではと思います。ブログに感想を書いています。http://goo.gl/OrT9ro
ReplyDeleteコメントありがとうございます。
ReplyDeleteこの本は興味深いですね!早速見てみます!
ドイツ映画に関しては、どうしてもワイマール期、ナチス期、戦後、ニュージャーマンシネマ、と分けて議論されることが多いように感じます。特に「ナチス期と戦後で分断してしまった」感じで議論されていることが多い気がするのですが、作っている人たちは変わっていませんし、観客だって変わっていないので、それは違うんじゃないかといつも思っています。1925年のこの時期に活躍していた人たちも多くも戦後に映画作りに関わっているんですよね。このシリーズで、そのあたりも紐解く端緒になればと思っています。
Post a Comment