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「沈黙の塔」 |
飛行機が砂漠で墜落し、二人の男が生死の境をさまよう。そのうちの一人はもう一人を欺いて、自分だけ逃げ、さらに大事な研究成果と恋人をさらってしまう。復讐を誓った男がたどり着いた恐ろしい塔に住んでいた、娘とその父親。その父親はマッド・サイエンティストだった...。
もう、上のスチール写真だけでわくわくするような映画ですね。マッド・サイエンティストが、塔の上であんな格好しているのですから、いい映画に間違いありません。
この映画は「忘れられた名作」として近年注目を浴びている作品です。2006年にプリントの修復が行われ、2007年にベルリン映画祭で記念上映されました(1)。1924年当時、ウーファのスタジオでは4本の作品が製作に入っていたと記録されています。F・W・ムルナウの「最後の人」、フリッツ・ラングの「ニーベルンゲン」、アーサー・フォン・ガーラッハの「王城秘史(Zur Chronik von Grieshuus, 1925)」、そして「沈黙の塔」。なかでも、この「沈黙の塔」の不気味な塔のセットはひときわ目立っていたそうです(2)。
監督のヨハネス・グウター(1882 - 1967)は、ラトビア出身です。彼は、1905年の革命のときに警官を殺害し、ベルリンに逃亡してきました。はい、そうです。彼はいきなり殺人犯です。翌年、理由は定かではないのですが、ラトビアに舞い戻り、そこで逮捕され収監されます。一年間の収監の後、裁判所へ連行される際に再び逃亡、その後はヘルシンキ、コペンハーゲン、そしてウィーンと放浪します。舞台経験をつんだ後、1917年に映画界に転身、1919年には自身の映画会社、センタウア・フィルムを立ち上げます。彼は1920年代、同じラトビア出身の女優、ゼニア・デスニを主演にした作品を何本か監督しています。そのうちのひとつがこの「沈黙の塔」です。彼は、1922年にウーファがデクラを合併したときに移ってきた映画監督たちーフリッツ・ラングやF・W・ムルナウもいますーのひとりです。1930年代半ばまでは、軽い娯楽作品を監督していましたが、その後文化映画を何本か製作した後、公の場から姿を消します。
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「支配者(1937)」 |
脚本のクルト・J・ブラウン(1903 - 1961)は人気の作家、脚本家でした。1920年代から30年代には、週刊誌などにたびたび寄稿し、小説も多く出版しています。ロマンスから何でも担当していましたが、ナチスの台頭後にはプロパガンダ映画の脚本も手がけています。悪名高い「突撃隊員ブラント(S.A.-Mann Brandt, 1933)」(YouTube)の脚本にも参加したようですが、クレジットは外されています。フリッツ・ラングの元妻、テア・フォン・ハルボウと共同で「支配者(Der Herrscher, 1937)」の脚本も担当しました(3)。これはかなりストレートなプロパガンダで、今でも上映制限がかかっています。戦後も特に支障なく書きつづました。
(1)Lathrios Film Festival Database
(2)Klaus Kreimeier, "UFA Story: A History of Germany's Greatest Film Company, 1918 - 1945"
(3)映画「支配者」については、counter-correntの記事(英語)に詳しく書かれています。
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