「沈黙の塔」

撮影のギュンター・リッタウ(1893 - 1971)は、もちろん、フリッツ・ラングの「メトロポリス(1927)」をカール・フロインドと担当した有名なカメラマンです。特に「特殊撮影の」リッタウとして有名でした。ドイツ国内でのはじめてのトーキー「心のメロディ(Melodie des Herzens, 1929)」(Youtube, 部分)やジョセフ・フォン・スタンバーグがドイツで監督した「青い天使(Der Blaue Engel, 1930)」(YouTube)の撮影を担当し、1930年代からは自ら監督もこなしました。1940年の「潜水艦よ、西へ!(U-Boote westwärts!, 1941)」(YouTube)は彼が監督した国策映画のヒット作です。戦後は50年代から撮影監督にもどっています。

「沈黙の塔」ゼニア・デズニ

ルディ・フェルド(1897 - 1994)は、ベルリン出身の舞台美術家です。1910年代後半からナイトクラブのポスターなどを手がけ、映画の美術は1920年代から担当しました。1926年にはウーファの宣伝PR担当部長になり、主にウーファ・パラスト劇場の舞台や看板美術を担当します。ウーファ・パラスト・アム・ズー(Ufa Palast am Zoo)はベルリンのブライトシャイトプラッツにあった、ウーファのフラッグシップの劇場です。20世紀のはじめに隣接する動物園のホールから映画館に転換され、1926年に改修されて2000人以上を収容できる最大規模の映画館となりました。

「スピオーネ」公開時のウーファ・パラスト劇場装飾デザイン

フリッツ・ラング監督「月世界の女」公開時の
ウーファ・パラスト劇場内の装飾
(ルディ・フェルド)

パラマウント映画「つばさ」公開時のウーファ・パラスト劇場
(ルディ・フェルド)
ルディ・フェルドは、この映画館で新しい映画がプレミア上映されるたびに、劇場の内外に独創的な装飾美術や仕掛けを創り出していきました。1928年のフリッツ・ラングの「スピオーネ(Spione)」(YouTube, 部分)の公開の際には、入り口のファサードに大きな眼を据えつけて、そこからサーチライトが劇場前を照らす仕掛けで話題になりました。「アスファルト(Asphalt, 1929)」(YouTube)の公開の時には都会の通りが写された透明なシートが貼り出され、その前を点滅する自動車の仕掛けが動いていたと言われています。また映画のプレミア公開の前にライブショーを催すのも、この劇場の特徴だったのですが、この舞台芸術もルディ・フェルドが担当しました。しかし、1933年、ナチスが政権を掌握すると、ユダヤ人である彼はウーファ経営陣から「長い間は雇えないから」と言い渡され、国外へ脱出します。パレスチナでナイトクラブでも経営しようかとしているところへ、弟で俳優のフリッツ・フェルドからの誘いがあり、ハリウッドへ。ハリウッドで主にプログラム・ピクチャーの美術を担当しました。
 
ウーファ・パラスト劇場での
「サム・ウディングとチョコレート・キディズ・オーケストラ」のショー
舞台装飾はルディ・フェルド(1928)
ルディ・フェルドがプロダクション・デザインで関わった
フィルム・ノワールの傑作「ビッグ・コンボ(1955)」