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海賊ピエトロ
Pietro der Korsar
1925
アルトゥール・ロビソン 監督
Arthur Robison
パウル・リヒター、アウド・エギデ=ニッセン、ルドルフ・クライン=ロッゲ 出演
Paul Richter, Aud Egede-Nissen, Rudolf
Klein-Rogge
ウィルヘルム・ヘーゲラー 原作
Wilhelm Hegeler
アルトゥール・ロビソン 脚本
Arthur Robison
ルドルフ・マテ、イェオリ・シュネーヴォイクト、フリッツ・アルノ・ワグナー 撮影
Rudolph Maté, George Schnéevoigt,
Fritz Arno Wagner
アルビン・グラウ 美術
Albin Grau
エーリッヒ・ポマー、ウーファ 製作
Erich Pommer, Universum Film (UFA)
ウーファ 配給
Universum Film (UFA)
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石油王の御曹司、ピエトロは、海賊の自由気ままで冒険に満ちた生活にあこがれていた。孤島にある父親の城にいたところ、ピエトロは海賊に襲われ。とらわれの身となった。しかし、海賊の首領サルバトーレはかつてピエトロが命を救ってやったことがあった男だった。サルバトーレはピエトロを仲間に加え、海の無法者たちが暴れ始める...
20世紀はじめの人気作家、ウィルヘルム・へーゲラーの原作をもとにアルトゥール・ロビソン監督、エーリッヒ・ポマー製作のウーファ映画です。
監督のアルトゥール・ロビソン(1883 - 1935)は、アメリカのシカゴ生まれのドイツ系アメリカ人で、ミュンヘンで医学を学んでいましたが、1916年に映画の道へ進みます。デビュー作が「恐怖の夜(Nächte des Grauens)」で、エミール・ヤニングス、ウェルナー・クラウスらが出演した吸血鬼映画だったようです(プリントの存在は確認されていません)。1923年に「戦(おのの)く影(Schatten – Eine nächtliche Halluzination)」(YouTube)を監督します。男爵とその美しい妻、そしてその妻に言い寄る男達。「影使い」の男が、これから起こる悲劇の幻影を彼らに見せる…という幻想作品で、「影」と「鏡」をモチーフにした、印象的な作品です。この「海賊ピエトロ」はその直後の作品です。後ほど取り上げますが、美術のアルビン・グラウとは「戦く影」と「海賊ピエトロ」で共同しています。ロビソンはその後も「マノン・レスコー(Manon Lescaut, 1926)」「パンチネロ(Looping the Loop,
1928)」(YouTube 一部)、イギリスで「密告者(The Informer, 1929)」ドイツに戻って「プラーグの大学生(Der Student von Prag, 1935)」と精力的に活躍しますが、1935年に早逝してしまいます。
戦く影(1923) |
主演のパウル・リヒター(1895 - 1961)は、フリッツ・ラングの「ニーベルンゲン」でジーグフリートを演じた男優です。ウィーンで演技を学んだあと、ドイツで映画に出演するようになります。彼はこの映画でも共演しているアウド・エギデ=ニッセンと結婚、他の多くの作品で共演もしています。リヒターはその典型的な「アーリア人」の風貌のため、サイレント期から英雄の役どころが多かったようですが、ナチ政権下ではババリアなど山岳地帯を舞台にした作品を中心に仕事をし、戦後も「郷土映画(heimatfilms)」と呼ばれる、ドイツ語圏独特のジャンル映画に数多く出演していました。
アウド・エギデ=ニッセン(左)とパウル・リヒター 「海賊ピエトロ」 |
共演のルドルフ・クライン=ロッゲ(1885 - 1955)は、映画史上、マッド・サイエンティストの原型となったロトワング博士、そしてやはり映画史上の犯罪組織黒幕の原型となったマブゼ博士を演じた俳優です。フリッツ・ラング監督「メトロポリス」のロトワング博士は、ユニバーサルの「フランケンシュタイン」シリーズに影響を与え、特に「フランケンシュタインの復活(Son of Franknstein, 1939)」のなかでライオネル・アトウィル演じるクローグ警視になり、これを見たスタンリー・キューブリックによってストレンジラブ博士(「博士の異常な愛情」)に昇華していきます。クライン=ロッゲは長い間ニュールンベルグの舞台の人気俳優でした。その時期(1910年代)、テア・フォン・ハルボウと結婚していましたが、彼は主演俳優として12000ドイツマルク、ハルボウは脚本家として100000ドイツマルクを稼いでいました。しかし、二人は「よりよい条件を求めて」ベルリンに移ります。ベルリンでは泣かず飛ばずのクライン=ロッゲでしたが、ハルボウの方は人気脚本家となり、やがてフリッツ・ラングと組んで映画に乗り出します。二人は離婚したものの、ハルボウの強い要請で、クライン=ロッゲはフリッツ・ラングの映画で重要な役を演じます。この時期が彼の全盛期なのですが、フリッツ・ラングのドイツ脱出とともに、彼の人気も下降していきます。ハルボウ脚本・監督の映画「Elizabeth und der Narr」などにも出演しますが、ゲッベルスが彼のことを嫌っていたこともあって、脇役へ回されるようになります。戦後、フリッツ・ラングに映画出演の交渉を申し込みますが、頓挫。世間からはほぼ忘れ去られてしまいました。
「メトロポリス」撮影セットでのクライン=ロッゲ |
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