帝国ホテル Hotel Imperial (1927) モーリッツ・スティルレル監督

手持ちカメラ


これは「帝国ホテル」ではなく、「明眸罪あり(The Temptress, 1926)」の撮影現場
左はモーリッツ・スティルレル監督
右でタンゴを踊っているのがグレタ・ガルボとアントニオ・モレノ
カメラ(手持ちカメラのEyemo)を構えているのがトニー・ガウディオ
モーリッツ・スティルレルはこの映画の撮影に入って10日ほどで降ろされ、
代わりにフレッド・ニブロが監督をつとめる

「帝国ホテル」のダンスのショットも手持ちカメラ(Eyemo)で撮影されたものでしょう。Eyemoとは1925年から市場に導入されたベル&ハウエル社の手持ち35mmカメラ(Hand-held Camera)。1970年代まで使用されていました。ニュース用、あるいはドキュメンタリー用として主に活躍していましたが、このように劇映画でも多く使用されています。無声映画の当時は、撮影は手のクランクしていましたが、Eyemoはゼンマイ駆動なので、握っているだけで撮影できました。このおかげで機動性が格段によくなりました。

American Cinematographer誌に掲載されたEyemoの広告(1927)
Eyemoを握っているのはセシル・B・デミル
「キング・オブ・キングス(The King of Kings, 1927)」で使用

他にも、1920年代後半に手持ちカメラが市場に登場しています。1910年代からニュース映画用として使用されていたAkeleyよりも、より機動性のあるDeVry、Cine-Kodakなどが盛んに広告を出しています。

DeVryカメラの使い方の例
特別なクランプで様々な場所に固定できる

これを思い出しました
ニード・フォー・スピード(Need for Speed, 2014)の撮影現場
GoPro3を設置しています
(via. hurlburvisuals.com)
これはシドニー・フランクリン監督が「クオリティ街(Quality Street, 1927)」撮影中に、ローラースケートを履いてEyemoで撮影している様子です。

 
 このような撮影手法もサイレント後期の1926年以降にはかなり頻繁に現れるようになります。