ネバダ州エンパイア(Google Map Street View)

マッケンジー

先生はホームレスになったってママがいってたけど、本当?

ファーン

違うよ。私はホームレスじゃない。ハウスレスよ。同じじゃないでしょ?

こんにちは、市長さん

1981年6月、アメリカのレーガン大統領は、ホワイトハウスで開かれた会合でサミュエル・R・ピアス・ジュニアと握手しながら「やあ、こんにちは、市長さん」と言った。ピアスはどこの市長でもなかった。彼は住宅都市開発省の長官だったのだが、レーガンは国民の住宅事情に興味などなかった。彼の政権は低所得者層のための住宅助成金を削減の対象にしてゆき[1]、任期中に3分の1以下に減らした[2]。後年、住宅都市開発省から共和党関係者に資金が流れていたというスキャンダルが発覚したが、ピアスはその中心人物として議会委員会や司法省の調査の対象となった[3], [4]

「ホームレス」という言葉は、1980年代初頭にアメリカ英語のボキャブラリーとして登場している。レーガノミクスが生んだ言葉だと言っても過言ではないだろう。レーガンはテレビのインタビューでホームレスについて「あの人達は好んで(by choice)ホームレスになったんでしょう」と言っている1)[5]

アメリカの新聞での"homeless"という言葉の出現推移(newspapers.com)

1998年、ネバダ州リノのエルドラド・ホテル&カジノの重役イアン・ヒルが3日間にわたってホームレスを装って路上生活を経験した。その経験のあと、彼はリノの地元紙に語っている。「ホームレスはこの地域の人間にとって選択肢であってはならない。」[6]

日本では『幸せの黄色いハンカチ』で知られるピート・ハミルは、ニューヨーク・マガジンに寄稿した文章のなかで、「ホームレスはもはや住居の問題ではなく、公衆衛生の問題だ」と断言し、使用しなくなった政府の施設にホームレスを収容して、一般市民から隔離することを提案している[7]

『ノマドランド(Nomadland, 2021)』の主人公ファーンはベビーブーマーだ。レーガン時代は、まだ20代、レーガンに反感をいだく若い世代として、ホームレスに同情していたかもしれない。だが、夫とネバダ州のエンパイアに住んでいた頃には、160キロ離れたリノの町がホームレスで悩まされているという新聞記事を読んでいただろう。ピート・ハミルが呪詛のごとく吐き出した文章も読んだかもしれない。多くの人は、ホームレスはアルコール中毒者、薬物中毒者、ベトナム戦争帰還兵、精神病院を追い出された者たちの集まりで、エイズや結核を撒き散らしていると思っていた。ホームレスの問題を共和党の責任にする民主党支持者たちも、いざとなると「Not in my backyard(NIMBY)」の仏頂面で態度を硬化させた。ファーンの「私はホームレスじゃない、ハウスレスだ」というセリフには、80年代から90年代を生きたベビーブーマーたちのホームレスに対する嫌悪感にも近い差別意識がにじみ出ているように感じる。

『ノマドランド』を現代の格差を描く映画としてとらえる批評も多く存在するが、私にはどうもしっくりこなかった。町山智浩は前述のファーンのセリフを「家(ハウス)はないが、ホーム(住む場所)はある。この広い大地すべてだ。」という意味に解している[8]。だが、マッケンジーの質問とセットで考えたとき、私には「ホームレスではない」という否定の響きのほうが耳に残ってしまった2)。あるいは現代のロードムービーとして、『イージーライダー』などと比較する論考も眼にした。だが私には、ファーンやその他の人物たちの世界がなぜ<アマゾン>と共存できるのかが、納得できなかったである。いろいろ調べているなかで、ある映画が『ノマドランド』の世界にある種の遠近法のきっかけを与えてくれた。マコーレー・カルキン主演の『リッチー・リッチ(Ri¢hie Ri¢h, 1994)』だ。

突飛なことを言っていると思われるかもしれないが、決してそうではない。ファーンが夫と長年暮らしたのは、ネバダ州のエンパイア、USジプサム社(United States Gypsum)の町だった。『リッチー・リッチ』でリッチ産業のビルのロビー、リッチーと彼の友達たちがローラースケートで走り抜ける場所は、USジプサム社の持株会社USGの本部、USGビルで撮影されている。このUSGビルは1992年に建てられたもので、『リッチー・リッチ』撮影時にはまだ新築に近い状態だった。つまり、荒唐無稽な富を描く映画の背景として、USGは選ばれていたのである。

『リッチー・リッチ(1994)』に登場するUSGビルのロビー(Warner Bros. Entertainment Inc.)

『リッチー・リッチ』のストーリーの軸になっているのが<合理化>である。リッチ家はまるで慈善事業のように会社を運営していて「誰もクビにしない」がモットーである。そこに唯一<正気の>資本主義者ヴァン・ドーが立ちはだかろうとする。ヴァン・ドーがリッチ家に提案する計画は、合理化(工場閉鎖、人員削減)して利益を追求しようというものにすぎない。ゴードン・ゲッコーなら鼻で笑うだろう。むしろ、リッチ夫妻の提案する「工場を労働者にタダで手渡そう」というアイディアのほうが共産主義の亡霊のようで薄気味悪くさえある3)。ヴァン・ドーは会社乗っ取りを画策し、様々な暴力沙汰を起こして、みごと悪役として昇華する。

ヴァン・ドーがおとぎ話のUSGビルで会社の乗っ取りを画策していたとき、実際のUSGの重役たちは敵対的買収から立ち直ろうとしていた[9]。そのために従業員を解雇するなど<合理化>を進め、この映画の数年後には、イリノイ、アラバマなど各地に主力商品である石膏ボードの工場を建設して市場の拡大をはかっている[10]。この合理化は成功し、さらに住宅バブルの追い風を受けて、会社は好調だった。USGのCEO、ウィリアム・C・フットは2006年に1660万ドルの報酬を受け取っている[11]。これこそ、おとぎ話のヴァン・ドーがやりたかったことに違いない。

石膏ボードは、現代の住宅には欠かせない建材だ。だからこそ、2000年代にUSGは急激な成長、そして没落を経験する。2000年にドットコム・バブルが弾けたあと、前述の住宅都市開発省がフレディー・マックとファニー・メイに低所得者層への住宅資金融資の比率を上げるように要請する。これがサブプライムローン問題の始まりである。2000年代前半、住宅開発はバブル状態になっていく。それにともなって石膏ボードの生産量も2005年に史上最高を記録した。だが、2007年にサブプライムローンの貸付会社が次々と倒産し始め、連鎖的に金融危機が引き起こされてしまった。日本では<リーマン・ショック>と呼ばれているが、リーマン・ブラザーズの崩壊は結果でしかない。

ネバダ州のエンパイアにはUSジプサム社の採掘場と工場があったわけだが、2000年代前半は住宅バブルのおかげで実に好調で、エンパイアの住人の悩み事といえば、近くで毎年行われるバーニング・マンくらいだった。それがサブプライムローンの夢が弾けたあと、急激に業績が落ち込み、2011年には事業所・工場の閉鎖にともなって、住民は町から出ていかなければならなくなっていた。ファーンもそのうちの一人という設定だ。

アメリカの石膏ボードの生産量推移[12]

ファーンは姉の家を訪問したときに、不動産業を営む姉の友人たちに言い放つ。「人々になけなしの貯金をはたかせ、借金をさせ、買えるわけのない家を買わすなんて変だと思う。」もちろん、これはサブプライムローンのことを指している。だが、彼女と彼女の夫のボーの生活を支えてきたのは、まさしくこの「買えるわけのない家」がアメリカじゅうで建設されて、石膏ボードが飛ぶように売れたからではなかったか。景気の良いときには当然のように享受し、悪くなると途端に批判の矛先を探し始める。私達の多くはみなこの無自覚のサイクルを繰り返しているのだろう。むしろこの無自覚が、資本主義社会に生きる人間らしい振る舞いだとも言えるかもしれない。

『ノマドランド』の遠景には、ベビーブーマーが生きてきた時代の舞台装置の残骸がならんでいる。この映画では近景しか映っていないが、その向こうに霞んでいる景色を目を凝らして見ていくと、その近景も違う色を帯びてくる。『リッチー・リッチ』に登場するUSG本部の豪奢なロビーはこの舞台装置の残骸のひとつだ。

路上の労働

(ベビーブーマーは)アメリカ人のなかでも最もよく働く、責任感の強い世代です。だからああいった季節労働者として、雇う方からしても人気があるんです。若い世代、ミレニアルは平気で次の日来なかったりするけれど、スワンキー、リンダ・メイ、ボブ・ウェルズやファーンはすごく責任感が強いんです。

クロエ・ジャオ[13]

ベビーブーマーがハードワークをもろともしない、強い労働倫理をもっているのは、「努力は成功につながる」時代を生きたからであって、その後のジェネレーションXやミレニアルのように違う時代環境で育った者たちは異なった労働観念をもっていると言われる[14]。もちろん、ジェネレーション間の相違をことさらに強調する視点は、ものごとをあまりにも一般化しすぎるきらいがあるが、ファーンの「私は仕事が好きだ」という発言はこの世代の特徴をストレートに表していると言ってよい。この映画では、若者たちはラスタファリアンのような労働からかけ離れた存在として描かれているのも特異だ。

『ノマドランド』に描かれているようなベビーブーマーたちが、サブプライムローン危機を迎える直前、どのように老後を考えていたか(あるいは、考えていると言われていたか)を知ることのできるドキュメンタリーがある。『オープン・ロード(The Open Road: America Looks At Aging, 2005)』は、アメリカ各地に住む<老後>を目の前に控えたベビーブーマーたちの様子を追っている[15]。ここで登場するのは「引退してゴルフ三昧なんて冗談じゃない、働き続けたい」という意志を見せる人たちだ。あるいは、年金があまりに少なくてとても暮らしていけないから、身体が動く限りは働き続ける、という人たちもいる。なかでもコロラド州オーロラのホームセンターで働いているジュディ・ネフは、ファーンを彷彿とさせる発言をしている。

私は引退する気はありません。私は働きたいのです。色んな人と一緒にいて、生産的であり続けたいのです。

ジュディ・ネフ(コロラド州オーロラ在住)
『オープン・ロード(2005)』

この態度は、多くのベビーブーマーに共通していると言われている。オーストラリアでの調査ではあるが、ベビーブーマーたちは「自分の資金で引退している人と比較して、年金暮らしをしている人は社会から二級市民とみなされる」と考えているという調査結果もある[16]。つまり、もともと退職の年齢を過ぎても働きたいと考えていただけでなく、年金はあてにならないし、あてにするような人間はろくでもないとさえ思っていた世代なのである。レーガンの<生活保護の女王(Welfare Queen)>4)に端を発し、1992年の大統領選とニュート・ギングリッチの「アメリカとの契約」を経由してクリントン政権の「個人責任および就労機会調整法」に結晶化していく<個人責任(自己責任)>の概念は、1960年代の公民権運動がもたらした<構造的差別>や<構造的貧困>の議論を根こそぎ無効にした。ベビーブーマーというと1960~70年代の公民権運動や平和運動の原動力と思われがちだが、実際にそれらを政治的な俎上に載せて実現していったのは前の世代である。ベビーブーマーの大統領といえば、ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ、そしてドナルド・トランプだ。低所得者が政府の福祉に頼る状況から就労へ向かわせようという時代の流れの底辺には、<福祉=依存・無責任><労働=独立・個人責任>という図式の倫理観が流れている。

アマゾンがキャンパーフォース(Camperforce)プログラムを始めたのは2008年である[17]。サブプライムローンの金融危機で老後の蓄えを失い、キャンピングカー暮らしになった高齢者の高い労働意欲と雇用税額控除の制度(高齢者などを雇うと雇用主が税額控除を受けられる制度)を活用したシステムである。この雇用税額控除の制度もビル・クリントン政権時代に<福祉から就労へ>の理念のもとに登場したものだ。つまり、アメリカのベビーブーマー世代の多くが長年にわたって支持してきた<個人責任>の思想が広く浸透し、大企業が利益を生む構造として結実したのがキャンパーフォースである。ここで働くノマドワーカーたちはもちろんそのことに気づいている。「アマゾンが(高齢者のような)鈍くて非効率な労働力を雇うのは、税金が節約できるから[18]」からだとわかっている。

だが、前述の『オープン・ロード』に登場するジュディ・ネフは、もう一つの残骸の風景を思い起こさせてくれる。彼女はあるチェーン店の店員募集の面接で落ちてしまう。採用されたのは若い男性で、時給も2ドルも彼のほうが高かった。高齢者、女性だからと就労機会に偏りがあったり、賃金に差があったりする。2005年はそんな時代だった。少なくともアマゾンのキャンパーフォースはその点において全員平等である。

『オープン・ロード』では、ベビーブーマーよりも前の世代に人気の引退生活として、キャンピング・カーで全米を旅する人たちを紹介している。キャンピング・カー(RV)でアメリカの各地を訪れ、大自然を楽しむというライフスタイルは多くのベビーブーマーにとっても夢であった。ただ、前の世代の高齢者たちは、自宅をもちつつもキャンピング・カーで繰り出し、また自宅に舞い戻って次の旅を計画する、というサイクルを楽しんでいた。『ノマドランド』に登場するベビーブーマーたちは、その<自宅>がないのである。前の世代の高齢者たちは、みずから進んで(by choice)キャンピング・カーでの長い旅に出た。ファーンはどうだろう。確かにエンパイアの家から追い出されて(エンパイアではUSジプサムの社員とその家族は会社の借り上げ住宅に住んでいた)路上に出たが、一方で彼女に「うちに住まないか」という姉や友人の提案も断っている。状況によって仕方なく路上に出た側面と、家族や友人との煩わしい関係よりも自立の精神を選んだ(by choice)側面とあるだろう。

この「キャンピング・カーでアメリカ中を旅する」というアイディアはどこから来たのだろうか。ファーンの姉の言うように<馬車に乗って大陸を開拓したアメリカ人たちの記憶>まで遡ることも可能だが、ベビーブーマーにもっと直接的に影響を与えたTV番組がある。チャールズ・クラルトの「オン・ザ・ロード(On the Road with Charles Kuralt)」だ。1967年に始まり20年近く続いたこの番組では、CBSの顔だったチャールズ・クラルトが、キャンピング・カーに乗って全米の<裏道>を走り回り、小さな町や村で出会う<普通だがちょっと変わった人々>を取材した。いまでも日本のTVを占領している<旅先で出会う人々>の番組の先駆けのような番組である。クラルトは、ベトナム戦争の取材で疲弊しきっているニュースとその視聴者を、アメリカのなかにある小さな幸福に向けさせるという仕事をした。イリノイ州の養豚農家ビル・パッチが自分のクルマを改造してトウモロコシの芯を燃料にして走るようにした話、ノースカロライナ州ベルモントの自転車店のジェスロ・マンが自転車を買えない子どもたちのために古くなった自転車を改造してレンタルしている話、モンタナ州バイアナで53年間小学校の教師を勤めたアイラ・パーキンスが退職する日などを取材して、親しみやすい声のナレーションで紹介していく。<ロードムービー>と言うと、『俺たちに明日はない(Bonnie and Clyde, 1967)』や『イージー・ライダー(Easy Rider, 1969)』に端緒をみるカウンター・カルチャーの表象として思い起こされることが多いかもしれないが、それよりも早い時期に、よりシンプルに、そしてより幅広い層に受け入れられるようにパッケージ化されて登場した映像がチャールズ・クラルトの番組だった。ジャック・ケルアックの「路上(On the Road, 1957)」を意識した番組タイトルは、カウンター・カルチャーから<路上>を取り戻そうとする意志の表れだったのかもしれない。

『オン・ザ・ロード・ウィズ・チャールズ・クラルト』

アメリカの<路上>で出会う人は、素朴で良い人たちだ、この人達がアメリカの偉大さの基盤なのだ、という神話は、こういった番組で視聴者の記憶の中に幾重にも強化されていった。クラルトの番組を見てみると、その構成力の巧みさに驚かされる5)。1971年9月7日に放映された回はセント・ルイスで出会ったモリー・ガイスラーの歌から番組は始まる[19]。そして、一つ一つのエピソードのブリッジに彼女の歌が使われ、その歌詞とまるで合わせたかのような風景が映し出されていく。クラルトの柔らかく温かい声は、この旅は工業化や商業化で失われたアメリカの原風景を探す旅だと語る。かつて牧草に覆われ、いちごを摘んだ野に、今はハンバーガー店が立ち並んでいる。この原風景を探す旅は、多くのアメリカ人にとって魅力のあるものなのだろう。そしてキャンピング・カーで探しに行けば、<汚れなき土地>と<良い人々>に会えるという幻想をもう一度刷り直したのが『ノマドランド』だ。ただ、<良い人々>は裏街道の小さな町に何十年も住んだウィリアムやシャーロットではない。<良い人々>も<路上>をキャンピング・カーでさまよっている。

そして『ノマドランド』では、<汚れなき土地>を映し出す美しい映像が注目され、称賛が集まった。

マジックアワーの美学

マジックアワーの光は神が与えてくれた最高の光だ。この時にすべての精霊が出現する。この時に人々の顔は本来の相貌になり、あなたの真のすがたを見ることができる。

ジョシュア・ジェームズ・リチャーズ[20]

『ノマドランド』のアメリカ西部の広闊な原野をとらえた映像、特に<マジックアワー>と呼ばれる時間帯に立ち現れる自然光の魔術をとらえた瞬間は多くの批評で高く称賛された。

この映像の議論に入る前に、マジックアワーについて整理しておきたい。ジョン・デヴィッド・ヴィエラによれば、マジックアワーには定義が2つあるという[21]。狭義のマジックアワーは、日没から始まり、空が明るさを失うまでのあいだ、およそ20~30分の時間をさす(もちろん、緯度と季節によってその長さは変わる)。空に明るさが残るなか、一方で太陽は地平線の向こうに沈んで、直射の日光がなくなる。地上の人物の影は空からの光で埋められて、神秘的な光景が生まれる[22]。一般的には夕暮れの時間を指すことが多いが、日が昇る時間にも同じくマジックアワーは存在する。もう一方の定義は、午後遅くのあたたかい日光の時間帯から、暗闇になるまでのあいだをさす。『天国の日々(Days of Heaven, 1979)』は、この広義のマジックアワーにあてはまるという。

一部では<マジックアワー>のことを<ゴールデンアワー>と呼ぶ習慣があるようだが、これについては後述する。

さて、マジックアワーはあくまで時間帯として定義されているのだが、一般的には、地平線に近い方角から届く、オレンジ色の柔らかくあたたかい太陽光にすべてが浸かったような情景のことを指すと思われている。どんな写真でも、コントラストと露出を少し下げ、ハイライトとサチュレーションをかなり上げればマジックアワーで撮影したように見える、といったチュートリアルもあちこちで見られる。ブログやインスタグラムの今の時代には、そういった写真が氾濫している。

家を離れて、キャンピング・カー、RV、ヴァンで路上に出て暮らすライフスタイルはヴァン・ライフ(Van Life)などと呼ばれ、日本でも注目を浴びつつあるが、アメリカでは多くの人が自ら選んで(by choice)、あるいは必要に迫られて、ヴァン・ライフを始めている。このヴァン・ライフを紹介したり、あるいはヴァン・ライフを選んだ人たちに向けてビジネスをしているウェブサイトでは、このライフスタイルを魅力的に見せる写真が数多く掲載されている。それらを見ていると、かなりの数が広大な荒野、自然をマジックアワーに撮影したものだということに気づく。これは映画『ノマドランド』の影響ではなく、それ以前からそうだった。むしろ『ノマドランド』はその美学を受け継いでいると考えたほうがよいかもしれない。

たとえば、<go-van.com>の2019年の記事では『ノマドランド』でも登場したラバー・トランプ・ランデブーが紹介されているが、掲載されている写真の大部分がマジックアワーに撮影されているものだ。人気のアプリ<vanlife app>のサイトでも、たとえば2019年、2020年の記事の大部分で、マジックアワーに撮影されたか、あるいは不自然なまでにハイライトとサチュレーションをあげてそれっぽく見せている写真がいくつも掲載されている。

"#vanlife"の無料画像素材(pexels.com

この「アメリカの原野を写すときはマジックアワーに」というトレンドはどこから来たのだろうか。いわゆる<アウトドア>で過ごす余暇を紹介する雑誌などを追いかけてゆくと、1990年代にはこのトレンドが登場しているように見える。それがクルマの広告において特に顕著なのだ。例えば、トヨタの広告は1970年代はどちらかといえばテキスト中心で商品としての特徴をなんとか伝えようという意図が見える。それが(激しい日本車バッシングにさらされた1980年代は鳴りを潜め)1990年代にマジックアワーのグランド・キャニオンの写真に不自然にRV車の写真を埋め込んで、消費者の想像力に訴えかけようとしている。その傾向は2002年のプリウスの広告でも同じだ。1980年代のフォードのトラックの広告もテキスト中心で、クルマがよくわかるように撮影された写真が掲載されているが、1990年代のホンダシボレーの広告ではオレンジ色の空を背景にクルマが映し出されている。

トヨタの広告(Backpacker誌 1994年8月号
トヨタの広告(Backpacker誌 2002年8月号

その他にも、アリゾナなどの西部砂漠地帯の旅行ガイドブックなどで、表紙にマジックアワーの写真が使われるようになったのは1980年代から90年代くらいからである。『ノマドランド』の主演であり、プロデューサーでもあるフランシス・マクドーマンドの夫、ジョエル・コーエンが監督した『赤ちゃん泥棒(Raising Arizona, 1987)』には、ニコラス・ケージとホリー・ハンターがアリゾナの荒野に沈む夕日を二人で眺めるシーンがある。それとよく似たシーンが『ノマドランド』に登場していることに気づいた人も多いだろう。

アメリカの消費社会全体を見渡すと、1980年代から、ありとあらゆる映像にマジックアワー(あるいはマジックアワーに似せたもの)が染み込み始めていた。

1980年代、ミュージックビデオでもマジックアワーは多用されていたが(例えば、これこれこれ)、極めつけはカーリー・サイモンの「Live From "Martha's Vineyard"(1987)」だろう。1時間ほどの戸外ライブは、マジックアワーに撮影されている。

カーリー・サイモン「ライブ・フロム・マーサズ・ヴァインヤード(1987)」(from YouTube Carly Simon Channel

同じころ、アメリカのTVコマーシャルでは、<マジックアワー効果>を狙った映像が氾濫し始めている。例えば、1989年頃のホールマーク(Hallmark)のコマーシャルではひたすら金色の光に包まれたホールマークの店内で、ひたすらニコニコと人生の喜びを噛みしめる人たちが、ひたすらホールマークの商品を買いまくる映像が繰り広げられる。マクドナルドのコマーシャルでは、金色の光に包まれて仕事をする人たちのために、金色の光に包まれたエッグマフィンが作られていく。これは明らかにレーガン政権の登場と同期している。ケロッグのシリアルのコマーシャルが良い例だ。1970年代のケロッグのコマーシャルは、ケロッグの商品がいかにビタミンやエネルギーが豊富かということをひたすら言葉で説明するものが多い。しかし、1980年代になると、朝の金色の光に包まれて、ニコニコとケロッグを食べて、ニコニコと労働に向かう人たちを映し出し始める。コーヒーのフォルジャーズも同じだ。1970年代のフォルジャーズはひたすら長所を喋りまくるか、他社製品との比較実験を町中で撮影するか、といったオールドスクールの広告だが、1980年代には、キャッチーなメロディとともに金色の朝の目覚めがフォルジャーズによって支配されていくさまを描いている。あまりに濫用されてしまい、マジックアワーの魅力を『天国の日々』で世界に知らしめた撮影監督ネストール・アルメンドロスが、マジックアワーを嫌いになってしまうほどだった。

ここ数年、あの金色の太陽光、だらだらとマジックアワーを引き伸ばして、いいように使っている映画が多すぎて、いまではTVコマーシャルの世界にまで浸透してしまうほどの流行になっている。だから嫌いになったんだ。

ネストール・アルメンドロス、1987年[23]
ホールマークのCM(ca. 1989)
マクドナルドのCM「レンド・ア・ハンド」(1986)

『ノマドランド』はもちろん、あからさまな黄金色を使うといったことはしない。大部分の撮影を自然光のみで行い、刻々と変わる恵みの光をとらえたその画面をアメリカン・シネマトグラファー誌が「ニュー・ナチュラリズム」と呼んだ[24]。ラバー・トランプ・ランデブーの集まりで、マジックアワーのなか、ファーンが一人で散歩するシーンがある。人物たちはゆるやかにコリオグラフされ、曠野の匂いが香るような透き通った散乱光のなか、カメラが浮遊しながらファーンの歩みをとらえている。

だが、これが新しいナチュラリズムだと宣言されると、さすがに少し首をかしげざるを得ない。汚れた服と雑草だらけの無印良品の広告というのは言いすぎかもしれないが、あちらこちらに<広大な世界とそれに対峙する私>の使い古されたコードが埋め込まれている。友人の家をそっと抜け出したあと、風雨吹きすさぶ海岸で両手両足を大きく広げて<解放されている私>を表現するシーン、アメリカ西部特有の風景にマクドーマンドを一人立たせて広角で撮る構図、深い森のなかで巨木を抱く(tree hugging)という動作、そういったクリシェの映像表現があまりにも無造作に使われている。大自然のなかでひとりたたずむ人間、あるいはマジックアワーに友人たちと大自然を満喫している、そういったイメージは、2000年以降、広告やウェブ媒体、特にアウトドア商品(例:エディ・バウアー、ティンバーランド、ノース・フェイスetc.)のマーケティングに溢れかえっている。おかれている境遇の近景があるためにそう見えにくいが、(監督やプロデューサーたちの意図はどうあれ)『ノマドランド』でファーンをとらえる映像は「消費社会に染まりきった現代人が旅先で自己満足に浸るさま」の変奏の一種だ。まさしく、インスタグラムなどで<自然の中に解放された私>を演出している多くのユーザーとパラレルの関係にあるといえる。だから、<ニュー・ナチュラリズム>というよりも<オルタナティブ・コンシューマリズム>と呼ぶほうがふさわしいのではないか。

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魔術的な時間が訪れて、世界を覆う光にひたすら浸る私、という構図が1980年代から90年代の消費活動とどこかでつながっており、それが今のヴァンライフとネット文化という、新たな消費活動の交点に姿を現している。『ノマドランド』は結局、ベビーブーマー ───<ミー・ジェネレーション(Me Generation)>─── の時代に新たな消費形態として現れた<大自然と私>、特にマジックアワーの映像がもたらす快楽を踏襲し、さらに増幅している。格差社会を描いているようでいて、実は消費活動の側にすっぽり収まってしまっている映像なのだ。

マジックアワーと労働

マジックアワーとアメリカの風景の関係をたどっていくと、必然的にテレンス・マリック監督の『天国の日々』に行き着く。この映画では、マジックアワーに撮影された麦の刈入れどきの労働のシーンが極めて印象深く、後の多くの映像作家にも大きな影響を与えている。クロエ・ジャオと撮影監督のジョシュア・ジェームズ・リチャーズもテレンス・マリック、そして『天国の日々』から受けた影響を語っている。

『天国の日々』では、労働の様子がマジックアワーを中心に描かれる。すなわち、一日の労働が終わる時間、もう少しで日が沈んでしまう時間が延々と続くのだ。ここまで繰り返しマジックアワーに働く人達を見せつけられると、いつまでたっても終わらない仕事を見ているようでもある。

マジックアワーは労働と休息の境界を象徴しているとも言えるだろう。労働の一日が始まるときの朝の陽射し、労働が終わって夜の休息を告げる陽光、そのそれぞれが時間に特別な意味を与えている。マジックアワーの描写には、それを描く者の労働観を露わにする側面もある。

マジックアワーを劇映画用に撮影するという行為そのものが、映画製作におけるスタッフや演者の労働のあり方と密接に関係している。

『ランボー(First Blood, 1982)』で撮影監督をつとめたアンドリュー・ラズロは、マジックアワーの撮影について興味深い発言をしている[25]。まず、<マジックアワー>を<ゴールデンアワー>と呼ぶ向きもあるが、映画撮影では呼ばない。なぜなら、アメリカの映画業界では<ゴールデンアワー>は別の意味をもつからだ。IATSEなどの労働組合と映画スタジオのあいだの取り決めのなかで、時間外労働が一定の条件を超えると通常の時間外労働手当にさらに上乗せして支払われる、という仕組みがある。この上乗せして支払われる時間をゴールデンアワーと呼ぶ。ラズロによれば、『天国の日々』のようにマジックアワーに特化して撮影をするのは、商業的な映画では無理だという。撮影現場での労働時間の超過が著しくなり、それこそスタッフにゴールデンアワーが適用されて製作費用がかさむからだ。

実際、他の撮影監督たちも、マジックアワーでの撮影については、極めて慎重に考えているようだ。撮影可能時間が短いうえ、光の状態が日によって違うので、テレンス・マリック達のように映像にこだわるにも限界があるのだ。多くの撮影監督は、マジックアワーが始まるまでに用意周到に準備、リハーサルを重ね、マジックアワーでは広角レンズで引いたショットをできるだけカバーし、クローズアップなどのショットは日が暮れたあとに撮るという[26]。その際にマジックアワーに撮影できたショットとクローズアップのショットがズレないように照明は最新の注意を払って選ばないといけない。長くても30分というマジックアワーには複数台のカメラで撮影する撮影監督たちも多い。マイケル・D・マーガーリーズ(『ポリス・アカデミー(Police Academy, 1984)』の撮影監督)は、マジックアワーの最後の方では光量が足りないので、FPSを落とし、俳優たちにもゆっくり演技するように指導するとインタビューで語っている[27]。そこまでしてでも撮りたい時間帯ではあるが、熟練の撮影監督たちでも、できることが限られている。

撮影監督のドナルド・マカルパイン(『ロミオ+ジュリエット(Romeo+Juliet, 1996)』、『ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge!, 2001)』)は、マジックアワーに関わるスタッフたちの実際的な問題について述べている。朝の夜明けと夕方の日暮れ時では、マジックアワーの撮影は、夕暮れのほうがやりやすい。朝に比べて、夕方のほうが「これからマジックアワーになる」という心理的な準備に向いているうえ、スタッフの集合や機材の準備を考えたら朝よりは夕方のほうが簡単だからだ[28]。劇映画において、夕方のマジックアワーの映像のほうが圧倒的に多いのはおそらくこの理由によるのだろう。

つまり、映画を撮る人たちも労働者であり、撮影されている人々や景色とともに同じ時間を生きているのだ。まったく当たり前のことだが、夜に撮影された場面は、スタッフも夜に働いている。しかもスクリーンに映し出された時間よりもはるかに長い時間を働いている。マジックアワーはその時間が短く、かつ日によって見せる色相が違うために、準備やリハーサルを含めて、スタッフには多大のストレスがかかる撮影となる。

では、『ノマドランド』における撮影はどうだったのか。

『ノマドランド』の監督のジャオ、主演のマクドーマンドをはじめ、36人ほどの撮影スタッフは、実際のノマドワーカーのようにキャンプ生活をしながらこの作品を撮影したという。撮影はネブラスカ、ネバダ、カリフォルニア、アリゾナを訪れながら、6ヶ月に及んでいる[29]。マジックアワーに撮影された部分が映画の少なくない部分を占めることも、そういった撮影環境が可能にしている。

映画と労働

少人数のスタッフによるロードムービーでは、こういった製作形態になるのはやむを得ないことかもしれない。前述のチャールズ・クラルトのTV番組でも、4人ほどのスタッフがモーテルを渡り歩きながらロケーション撮影を続け、週末だけ編集のためにニューヨークに戻るというスケジュールを何年にもわたって続けていた。

私が気になったのは、このような映画撮影、長期にわたって映画撮影が実際の生活そのものになるような製作スタイルを称揚するような言説が目立ったことである[29], [30]。<映画をチームワークで作る喜び>とか、<自分の時間をすべて映画に捧げる真摯さ>、<長い時間を費やして美しい映像を撮る>といったことに対しては、一定の距離をおいて考える必要があるのではないだろうか。

監督や主演俳優は自分の名前が映画とともに残る。すべての時間を映画製作につぎ込んでも<自分のやりたいこと>、<自分のスキル>、<自分の人生の目標>という点において、とても満足のいくことができるのかもしれない。そこには自分の生活を犠牲にしたという感覚はないかもしれない。だが、メディアに紹介されることのないスタッフや出演者の多くについて考えてみたときに、はたして同じことが言えるかどうかはやはり考えて見る必要があるだろう。『ノマドランド』がそうだったというわけではなく(どうだったのかは知り得ないだろう)、製作姿勢そのものが、関わった多くの人の<やりがい>や<生活の時間>を自動的に要求するような、そういった手法を<新しい映画製作のスタイル>として称賛してしまってよいのだろうかと感じてしまうのだ。

もう一歩踏み込んでみると、この<仕事>と<人生の目標>を同一視するような労働観が一般人にもひろく広がったのが、ベビーブーマーの時代だということとも関わってくると思う。1980年代に成年から壮年に達したベビーブーマーたちは、世の中に役に立ちたい、生産的でありたいという姿勢で社会に臨んでいる。また<ジョブ(Job)>ではなく、<キャリア(Career)>として職業を捉えるようになり、仕事は自己実現であるという考え方が浸透した時期でもある。ベビーブーマーたちが就職に直面した1970年代以降、就職指南書として長年ベストセラーだった「あなたのパラシュートは何色?(What Color Is Your Parachute?)」には<人生の目標>と<自分のスキル>を考えて職探しに臨むべきだと書かれている[31]。仕事は自分の人生の目標の一部となったのだ。これはベビーブーマーの親の世代と比較してみるとその変化がわかりやすい。ベビーブーマーの親の世代が就職した時代、1940年代の就職の心得を説いた本では「いかに職場に溶け込むか」が最優先の教えだった[32]。親の世代は「食卓に食べ物をもってくる」ために仕事をしていたのだが、ベビーブーマーたちはやりがいや目標達成のために仕事をするようになった。

つまり、『ノマドランド』という作品は、ベビーブーマーの労働と経済を遠景に映した物語だというだけでなく、その製作のスタイルもベビーブーマー以降の労働観が結晶化したものだといえるかもしれない。特に映画界にベビーブーマーが登場してからは、巨大な予算のブロックバスターが映画館を賑わす一方で、作家主義の延長としてインディペンデント映画が隆盛し、低予算でもそれこそ命をかけて映画を愛する映画作家たちがつくる映画にファンの支持が集まるようになった。「監督が売血して製作費を捻出した」とか、「出演料はマリファナ1本だった」といった話が、映画愛をはかるバロメーターのように語られ、そうやって作られた作品だからこそ才能が輝いていると書き立てられてきた。それは1960年を前に崩壊したハリウッドのスタジオシステムが、契約を前提とし、よりよい条件をもとめた労働者たちの組合と経営者のあいだの交渉によって曲がりなりにも成り立っていたものだったことと対比できるかもしれない(もちろん、当時のハリウッドの労働組合については手放しに評価できるものではないが)。

同様に『ノマドランド』が、プロの俳優ではなく、素人を起用したという点[8], [33], [34]についても、<演技とリアリティ>といった論点だけで語っていていいのだろうかと感じる。「素人の演技者たちの顔と物語が『ノマドランド』を高みに引き上げた」という賛辞をみると、ヴィットリオ・デ・シーカが、工場労働者のランベルト・マジョラーニの顔がいいからと『自転車泥棒(Ladri di biciclette, 1948)』に起用したことを思い起こさざるを得ない。マジョラーニは『自転車泥棒』のせいで工場をクビになったが、イタリア映画界は、マジョラーニの<顔>が使えるのは『自転車泥棒』だけで、それ以外の作品には使えないと彼を見放した[35]。素人の出演者は、SAGのような組合に守られておらず、映画製作の場では不利な立場に立たされやすい。

映画スタジオと素人の個人では交渉能力において圧倒的な差がある。場合によっては製作者側がその差を利用する場合もある。低予算のインディペンデント映画の場合、「ノン・ユニオン=シュート(non-union shoot)」と呼ばれる、俳優やスタッフに非組合員を使ったものが非常に多い。これらの映画では、労働時間管理や賃金の問題が起きやすい。実はハリウッドのメジャースタジオの大規模な予算の作品でも、この傾向は指摘されている。今年に入って「マーベルがCGIに依存するのは、組合員が関わる実写部分を減らして、非組合員のVFXアーティストたちにやらせたほうが安くできるからだ」という議論が散見されている。スパイダーマンのコスチュームを組合員が作成したり準備したりするよりも、あとから非組合員がCGでなんとかしたほうが安上がりだ、といった説である[36]。マーベルの場合は真偽は不明だが、少なくともポストプロダクションの視覚効果、コンピューター・グラフィックスのエンジニアやアーティストの大部分が非組合員で、ときには極めて劣悪な労働環境にさらされていることは間違いない[37]。ロンドンのILMは、作業を外注するときに残業代を払わないことを契約条件に入れているという[38]。『DUNE/デューン 砂の惑星(Dune, 2021)』のVFXを担当したDNEGが残業代を払うようにしたことがニュースになる[39]ことじたい、業界の感覚がいかにおかしいかが分かるだろう。

それでも、好きでやっているのだから、自分が選んだ職業なのだから、自己責任なのだから、と製作者は言うのだろうか。残業代を払うようにしたら、映画のチケット代やストリーミングの料金に転嫁せざるを得ませんと言われたら、私達消費者は嫌がるのだろうか。

繰り返すが、『ノマドランド』の撮影現場が問題だったというわけではない。あの製作形態を維持するために、プロデューサーたちは、労働時間管理や健康管理、安全管理といった側面をきめ細かく実施したのだろう。だが、いま現在、多くの映画製作の環境が問題含みのなかで、<映画が好きだからやっている><素人の方がリアリティがある>といった姿勢を手放しに評価することに疑問をいだいているのだ。

映画は生まれたときから、そういった曖昧な労働観をはらんでいた。「映画史上初めてスクリーンに投影された映画」として語り継がれてきたリュミエール兄弟の『工場の出口(La Sortie de l'usine Lumière à Lyon, 1895)』は、工場の労働から解放された労働者たちを活写していると言われてきた。実は『工場の出口』には、1895年に撮影された分だけでも少なくとも3バージョンあり、最初のバージョン以外は日曜日の昼過ぎに撮影されていると考えられている。この工場はリュミエール兄弟のもので、フィルムに写っている労働者はリュミエール兄弟が工場で雇っている人たちだ。兄弟は、従業員に日曜日のミサが終わったあとに工場に立ち寄るように言い、そこで<昼休みに工場から解放される様子>を演じさせた。女性たちの服装が華やかなのも、ミサの帰りだからだという6)[40], [41]。アマチュアを使ってカメラの前で演技をさせているのだが、フィルムに写っているのは本当に労働から解放された人達だと観客に思わせる。それから1世紀以上を経過した今でも映像にはそのような胡乱な側面がある。

この『工場の出口』が撮影されたときには、フランスには労働時間を制限する法律はなく、この10年前まで労働組合は違法だった。日曜日が休日として認められていたのは宗教的な理由からであり、それも雇用主が追加労働時間として日曜にも労働するように要求することは頻繁に行われていた[42]。リュミエールの工場の人々が『工場の出口』への出演のギャラを払ってもらったかどうかは定かではない。

『ノマドランド』に登場する高齢者たち、過酷な状況下に置かれつつも自分たちの力で生き抜く人たち、そしてその人たちを覆う自然の豊かさの映像を高く評価する批評が多い。その風景の力強さに対峙するファーンに尊厳を感じたと宣言するものも多い。だが、その感傷は、この40年ほどの自由市場経済が培ってきた<個人の責任と選択>の思想にもとづく労働観と、それに絡みつくように育ってきた消費のモードに支配されているのではないか。そこには「ひょっとしたら私もハウスレスではなくて、ホームレスになってしまうかもしれない」という想像力はない。ファーンのクルマが故障しても、お金を貸してくれる姉がいる。病気になっても病院にいくことができる。都合のよいセーフティネットが存在しないかもしれない、教会の施しを受けなければいけなくなるかもしれない、という想像力がないのだ。この想像力の欠如は、レーガンの時代から綿々と続く、社会の喪失と個人の幻想が生んだものだ。そして、その想像力の欠如を、映画が生まれたときからはらむ曖昧なロマンチシズムが支えているのだとしたら、それは手放しに称賛してはいけないたぐいのものではないだろうか。

しかし、『ノマドランド』の監督・脚本のクロエ・ジャオはベビーブーマーではないじゃないかと思われるかもしれない。彼女は世代的にはミレニアルに属するではないか、と。そのとおりだ。むしろ、ジャオが若い世代の映画作家にも関わらず、年老いたベビーブーマーたちを描くと、何十年も堆積した労働観や美学が自ずと浮き上がってくるということなのかもしれない。また、個人責任と自己追求の世界観が消費者社会と根深く結託しているために、若い世代もコミットメントの差はあれ、その世界観のなかに身を置かざるを得なくなっているのも事実だ。かくいう私もベビーブーマーとジェネレーションXの中間(カスプ)にあたる。ジェネレーションXのシニカルな部分もあるがゆえに、自分が育ってきたベビーブーマー的な時代の感覚を呪いつつも受け入れていかざるを得ない。問題は、そこに安住するわけにはいかないだろうということだ。

チャールズ・クラルトの「オン・ザ・ロード」がTVで大人気だった頃、アメリカの田舎の道をヴァンで走ったものの、立ち寄った家にいた人たちが<良い人々>ではなかった、という映画がある。『悪魔のいけにえ(The Texas Chain Saw Massacre, 1974)』はトビー・フーパーが作りたくて作った映画で、撮影が終わったときには怪我をしていない出演者はいなかったという劣悪な撮影現場の代表のような作品である。配給時の契約で足元を見られたために、当初は出演者やスタッフにろくなギャラもでなかった。オープニングのナレーションを担当したジョン・ラロケットはギャラが「マリファナ1本」だったと言われている7)[43]。ラロケットは売れない俳優で、おまけにドラッグ中毒で重度のアルコール中毒だった。彼はその後中毒を克服し、1980年代にNBCテレビのシトコム「ナイト・コート(Night Court, 1984 - 1992)」で、出世欲と性欲のかたまりの検事補ダン・フィールディングを演じる。「アメリカのベイジル・フォールティ」と呼ばれた見事なコメディアンとしての演技力から、彼はエミー賞を4年連続で受賞するという快挙を成し遂げる(5年目は選考段階で辞退した)。『リッチー・リッチ』のヴァン・ドーは、そういった彼の実績を見込んでの配役だが、コメディの脚本としては彼の良さを引き出せるものではなかったようだ。そのジョン・ラロケットはTV映画『ウォルターとヘンリー(Walter and Henry, 2001)』でニューヨークの<ホームレスのミュージシャン>を演じた。だが、彼の演じた<ホームレス>は動かないながらもトレーラーに住んでいたのである。2008年の経済危機の前はやはり住所がないことが<ホームレス>だったのだ。「ハウスはないがホームはある」というのは、今の時代の言い訳に過ぎない。それも、さらに下の階層とのあいだに線引きするたぐいの言い訳だ。それを「大自然がホームだ」というような最低賃金にも満たない安いロマンチシズムでくるんではいけない。

ロナルド・レーガンの陣営は、2期目の大統領選の際、「It's Morning Again in America」というビデオを製作した。これは、朝のマジックアワーの映像と<労働の喜び=労働人口の増加>と<インフレ率の低下=中間層の住宅購入>というテーマを一挙に貫いた映像だ。『ノマドランド』はこのキャンペーン・ビデオと対をなしていると言っても良いかもしれない。また、このキャンペーン・ビデオが登場した頃に、ケロッグやフォルジャースのコマーシャルが、朝のマジックアワーと労働の喜びを結びつけ、その結託を支える要素として自社製品を消費者に訴えかけていたのは、極めて示唆的だろう。

Notes

1)^ 奇妙なことにレーガン・ライブラリが公開しているビデオでは、この発言が編集でカットされているようだ(link)。一般のYouTubeユーザーによるアップロードでこの発言を確認できる(例えば、link)。

2)^ ジェシカ・ブルーダーの原作に登場するノマドワーカーたちのなかには、よりはっきりと<ハウスレス>と<ホームレス>の線引をして、ホームレスと呼ばれることを嫌がる者も登場している。また家族からホームレスとみなされて敬遠される場合や、ホームレスとなることを違法にする立法を検討している自治体のケースなど、社会がホームレスを排除しようとする流れがあり、ノマドワーカーたちがよりホームレスという定義に敏感になっている側面もある[44]

3)^ このアイディアは薄気味悪く思えたのだが、決して単なる戯言というわけでもない。『リッチー・リッチ』が公開される3年前に、政治/社会哲学者のマイケル・アルバートと経済学者のロビン・ハーネルが提案した<参与型経済>という概念がある。ここでは、労働者たちの共議会による意思決定をもとにした経営の可能性が論じられていた[45]。この提案に対する批判の大部分が、労働者たちの「やる気」を保証できないというものであるのは興味深い[46]

4)^ 1975年に数十の偽名を使い、複数の州にわたって生活保護を150,000ドル以上だまし取っていたリンダ・テイラーが逮捕されたとアメリカの新聞が報道した[47]。新聞各社はテイラーを「生活保護の女王(Welfare Queen)」と呼び、キャデラックのリムジンに乗って豪遊していたと書き立てた。レーガンはこの報道を選挙戦のキャンペーンで度々持ち出し、生活保護を受けている人間はこうやって詐欺を働いていると主張、主に地方の中流階級に「あなたの税金が盗まれている」と信じさせた。実際にはリンダ・テイラーは4つの偽名しか使っておらず、詐取した金額も8000ドルと言われている。また、レーガンはスラムの低所得者層用の公共住宅が豪華な部屋と巨大なバルコニーがついていると批判したが、それも嘘だった[48], [49]

5)^ 番組の台本はチャールズ・クラルトが書いていた。撮影クルーは、カメラマンのイザドア・ブレックマン、録音のラリー・ギアネッシ・ジュニアを含めて数人だった。イザドア・ブレックマンはジョン・F・ケネディ大統領暗殺の容疑者、リー・ハーヴィー・オズワルドがジャック・ルビーに射殺される瞬間を撮影したカメラマンである。

6)^ 『工場の出口』には3つのバージョンがあり、最初のバージョンは、1895年の3月19日火曜日に撮影されたと言われている。その後の2つのバージョンの撮影時期に関しては諸説あるようだが、従業員の服装と影の長さから日曜日のミサのあと、昼頃に撮影されたと考えられている。

7)^ ただし、この話の信憑性は不明である。ジョン・ラロケット自身は100ドルもらったと言っている[50]

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