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戦前ハリウッドにおける<反響音>

ラジオ放送や映画製作で、エコーチェンバーの利用が拡大していく経緯を追っていると、リバーブがほしいときには空室に音を響かせてミックスしていた、という単純なシナリオのように見えてしまうかもしれない。だが、実際には極めて科学的な議論のもとに開発が進められていた。特にハリウッドにおける映画製作の場合、リバーブの問題は多くの要素が複雑に絡み合っていた。

トーキーが導入された直後に、ジェネラル・エレクトリックのエドワード・W・ケロッグが発表したリバーブに関する考察が、1930年代初頭のハリウッドが直面していた音響技術の問題をよくあらわしている[1]。ケロッグが問題にしたのは、撮影・録音がおこなわれる部屋の反響特性が、全体的な再生音量や言葉の聞き取りやすさに与える影響だった。

セリフの場合の好ましい反響音とは、音の増幅効果と音の重なり合いのあいだでどこに妥協点を見出すかという問題である。

エドワード・W・ケロッグ

ケロッグはセリフの録音においては、十分な音量をドライ(直接音)で確保して、ウェット(反響音)はできるだけ抑制するべきだと提案している。なぜなら、反響音はセリフの聞き取りにとって悪影響しか及ぼさないからだ。当時は撮影時に録音したセリフがそのまま完成フィルムのサウンドトラックに使用されていた。撮影セットは音響面において最適化されていないし、マイクはカメラに映り込まないように離して設置する必要がある。ラジオのように基本的にデッド(反響音に乏しい)なスタジオでマイクのそばで発話するのとは、状況が大きく異なるのだ。当時のマイクは指向性に乏しく、周囲のアンビエント音をピックアップしてしまう。セリフを聞き取りにくくする反響音が問題視されたのはそういう背景があった。

だが、ほぼ同時期に反響音の不在は不自然だという意見もあった。

トーキー映画の録音では、マイクロフォンを話している人物の数フィート以内に設置すると最も聞き取りやすいというのが一般的な意見だ。だが、このようにして得られた音声の質は、中程度からロングのショットで使われた時に何かが欠けているように思われている。この不自然さはセットの壁から反射された音が存在しないために起こるもので、話し手の声そのものにこの反射音を加えると、通常の聴衆条件下、普通の部屋で音質を模倣することができる。

フランクリン・L・ハント[2]

注目したいのは、シーンが話者とどのような距離関係にあるか(クローズアップ/ミドルショット/ロングショット)と反響音の程度に関連性を見出している点だ。ロングショットで反響音がないと<不自然>だと指摘している。

だが、<聞き取りやすさ>とか<不自然>という概念は曖昧としている。それを技術で解決するためには、少なくとも明確な、測定可能なものをお互いに共有する必要がある。当時、他国の映画産業と比べて、ハリウッドが特異だった点の一つに、技術の標準化に極めて熱心だったということが挙げられる。スタジオ間の競争は非常に熾烈だったにもかかわらず、エンジニアたちが同じ言語を話し、同じものさしを持てるようにアカデミーや学会が積極的に活動した。音響の分野も例外ではない。米国商務省規格基準局の研究者たちによる反響音の標準測定法の提案[3]、マジソン・スクエア・ガーデンの反響音の周波数特性の測定結果の報告[4]、材料の音吸収特性を測定するためのチェンバーの開発[5]、小型反響音測定装置[6]と1930年代から40年代を通じて技術開発の重心が<測定>や<標準化>におかれているのがよく分かる。

音吸収特性測定用チェンバー[5]

また、実践をとおして理論の検証が継続的におこなわれているのも特徴的だ。例えば、1938年に建設されたリパブリック・ピクチャーズのダビング/スコアリング・スタジオは、当時もっとも音響的に優れたスタジオとして有名になったが、この設計は当時の音響理論を積極的に取り入れ、検証しつつおこなわれている[7]。当時、すでにウォレス・セイビンの理論式が不十分であることが指摘されており、この設計検証には数年前にドイツで発表されたストラットの理論も応用されている。もともと、ウォレス・セイビンの理論が、原始的ではあったものの極めて入念で精微な実験を通して立てられたものであるだけに[8]、音響エンジニアリングの分野では理論と実験の両立が常に求められていたのかもしれない。

もう一点忘れてはいけないのが、映画館の音響特性である。サイレントからトーキーに移行した際、それまでの映画館が<無声映画上映時の音楽演奏>に照準を合わせて設計されていたことが、トーキーでの音設計をさらに複雑にした。すなわち、残響が意外に長い劇場が多いのである。だからこそ、もともとの録音に残響が含まれていると、より聞き取りにくくなる、と懸念された。また、スピーカーを設置する位置や、スピーカーそのものの特性、音量設定の標準化(録音フォーマットの混在、スタジオ間の録音レベルの差などに合わせて劇場側が音量を調節する必要があった)についても試行錯誤がくりかえされていく。

このような環境が、ハリウッド映画の音響の可能性をひろげるのに非常に貢献したのは間違いない。1930年には、話し言葉とオーケストラで反響音の扱いは違うべきか否かという論争を繰り広げていたのだが、わずか9年で30Hzから7KHzまでの広帯域にわたって残響をほぼフラットに抑制するスタジオを設計・建設し、それを測定して業界に共有するところまで進歩したのである。

しかし、これらの研究は学術的関心によるものではないし、進歩は人類の知の地平を広げるために推し進められたわけではない。ハリウッドの映画産業でのテクノロジーの存在理由は「物語を語る」ためにある。

その存在理由を非常によくあらわしているエピソードがある。<Part I>で紹介した『市民ケーン』のなかのマジソン・スクエア・ガーデンでの演説のシーンのリレコーディングのときの話だ。サウンド・エンジニアのジェームズ・G・スチュワートは、オーソン・ウェルズとの仕事の<自由さ>に感化され、このシーンでの残響音の設計に夢中になってしまった[9]。空間の大きさを強調しすぎてしまったのだ。このテストを聞いたオーソン・ウェルズはスチュワートの方を振り向いてこう冗談を言った。

君は僕より大根役者だね!

オーソン・ウェルズ

これは、音の設計が<演技>をしているという意味だ。スチュワートは「音は演技の邪魔をするものであってはならない、よりよくするものであるべきだ」と語っている。

『市民ケーン』で、リバーブが重要な役割を果たしているシーンをもうひとつ挙げよう。ケーンの二人目の妻、スーザンが主役をつとめるオペラのオープニングだ。このシーンはリーランドの回想とスーザン本人による回想で2回登場する。リーランドの回想のほうは『市民ケーン』の批評で必ずとりあげられる有名な移動ショットである。上昇するカメラがとらえる舞台の上の空間は、実は美術と特殊プロセスのアマルガムによって見事に作り出されたものなのだ。音響設計においても、リレコーディングによって生み出された空間の錯覚が効果的である。スーザンが歌い始める瞬間にはほぼダイレクトなドライ音であるが、カメラが上昇するにつれてリバーブ音の比率が大きくなり、最後はほぼウェットなリバーブ音だけになっていく。あたかもカメラの位置で音を聞いているかのような錯覚が生み出される。スーザンの回想のほうもカメラの位置と音が深く関係している。幕が上がるとき、映像はスーザンをステージ後方からとらえているが、彼女の歌声はほぼウェットなリバーブ音だけだ。PAを使用しないステージに立った方はおわかりになると思うが、舞台から客席に向けて発せられた音(直接音)は舞台後方には届かない。カメラの位置では反響音だけが聞こえるだろう。作曲のバーナード・ハーマンは、このオペラのオープニングが、物語上非常に重要だったと強調している。ポーリーン・ケールの「オペラ『タイス』の使用料を払えなかった」という記述を一蹴しながら、このオペラは「ウェルズが求めたんじゃない、『ケーン』が求めたんだ」と述べている。スーザンのオペラ歌手としての決定的な実力不足をわずか1分足らずで見せなければならない。

このオペラのシークエンスはつぶさに見てほしい。なぜならこれは音楽が映画のために作曲されなければならなかったケースだからだ。私はこれ以外の方法でこの問題を解決できたとは思えない。例えば「サロメ」のラストをもってきても似たような効果が得られたかもしれないが、それではスーザンがオペラを歌い始める・・・・・)様子を描けない(「サロメ」のオープニングは誰でも歌える)。問題は「スーザンは出だしを切り抜けられるか?」だ。それが映画が私に仕掛けてきた問いだった。

バーナード・ハーマン[10]

この「スーザンの決定的な歌唱力不足」は、物語の流れにそって段階的に明らかになっていく1)。最初のリーランドの回想では、映画を見ている私達がスーザンの歌をじっくりと聞くことができる前にリバーブ音になってしまう。だが、上昇していったカメラがとらえるのは舞台の裏方が鼻をつまむ様子だ。次のスーザンの回想では、最初はやはりリバーブ音から始まるのだが、明らかに退屈したリーランドの様子や観客の嘲笑的な私語によって、スーザンの力のない歌声がかき消されていく。そしてフィナーレではカメラが正面からスーザンをとらえ、ダイレクトな音響によって、スーザンの細く共鳴の少ない声質がやはり・・・)<不適>だったことが露骨に晒される。リバーブがずっと答えを隠していたのだ。

『市民ケーン』より オペラの開幕シーン(リーランドの回想)
『市民ケーン』より オペラの開幕シーン(スーザンの回想)

このように反響音が物語を操作し、起伏を作ることに積極的に関わるように仕向けたのはオーソン・ウェルズであるのは間違いないだろう。ウォルター・マーチが「反響の要素を繊細に使いこなして、物語を語る」と述べたのはこういうことだったのである。

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Notes

1)^ このオペラ「Salaambo」で実際の歌声を提供したのは、カリフォルニア出身のジーン・フォーワードである。バーナード・ハーマンは「スーザンが苦労するのは、彼女が歌えないからではない・・)んだ、役が要求する力量があまりに大きすぎて、とても彼女の手に負えないからだ」といい、どういう効果を求めているかをフォワードに説明して歌ってもらったという。のちにこのアリアは、コンサート・ピースとしてソプラノ歌手に取り上げられるようになり、ハーマンは<非常に優れた>歌唱の例としてアイリーン・ファレルを挙げている。ファレルの録音はここで聞ける。その他にはキリテ・カナワヴェネラ・ギマディエヴァロザモンド・イリングなども取り上げている。

References

[1]^ E. W. Kellogg, "Some New Aspects of Reverberation," Journal of the Society of Motion Picture Engineers, vol. 14, no. 1, p. 96, Jan. 1930.

[2]^ F. L. Hunt, "Sound Pictures: Fundamental Principles and Some Factors Which Affect Their Quality," The Journal of the Acoustical Society of America, vol. 2, no. 4, pp. 476–484, 1931.

[3]^ V. L. Chrisler and W. F. Snyder, "Measurements with a Reverberation Meter," Journal of the Society of Motion Picture Engineers, vol. 18, no. 4, pp. 479–487, 1932.

[4]^ S. K. Wolf, "The Acoustics of Large Auditoriums," Journal of the Society of Motion Picture Engineers, vol. 18, no. 4, pp. 517–525, 1932.

[5]^ V. O. Knudsen, "Recent Progress in Acoustics," Journal of the Society of Motion Picture Engineers, vol. XXIX, no. 3, p. 233, Sep. 1937.

[6]^ E. S. Seeley, "A Compact Direct-Reading Reverberation Meter," Journal of the Society of Motion Picture Engineers, vol. 37, no. 12, pp. 557–568, 1941.

[7]^ C. L. Lootens, D. J. Bloomberg, and M. Rettinger, "A Motion Picture Dubbing and Scoring Stage," Journal of the Society of Motion Picture Engineers, vol. 32, no. 4, pp. 357–380, Apr. 1939, doi: 10.5594/J16557.

[8]^ W. C. Sabine, Collected Papers on Acoustics. Cambridge: Harvard University Press, 1922.

[9]^ J. G. Stewart, "The Evolution of Cinematic Sound: A Personal Report," in Sound and the Cinema: The Coming of Sound to American Film, E. W. Cameron, Ed. Pleasantville, N.Y. : Redgrave Pub. Co., 1980.

[10]^ B. Herrmann, "Bernard Herrmann, Composer," in Sound and the Cinema: The Coming of Sound to American Film, E. W. Cameron, Ed. Pleasantville, N.Y. : Redgrave Pub. Co., 1980.