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演説の時代

『市民ケーン』のマジソン・スクエア・ガーデンのシーンとオペラのシーンにはある共通項がある。いずれも、広い空間で、マイク/アンプ/PAを使わずに声を発するという演技をしている点だ。

この映画では、ケーンが州知事に立候補したのは1916年の設定になっている。PAシステムが普及する前のことである。マジソン・スクエア・ガーデンの選挙演説のシーンでは、チャールズ・フォスター・ケーン(オーソン・ウェルズ)はマイクを使わずに自らの<肉声>を大ホールに響かせている。1916年といえば、スタンフォード・ホワイトが設計した第2期(1890 - 1924)のマジソン・スクエア・ガーデンにあたる。舞台となったアンフィシアターは床面積6000平方メートルを超える巨大なホールだった。

PAシステムを使わずに演説をするというのは、どんな感じだったのだろうか?

米国第26代大統領セオドア・ルーズベルトは、20世紀初頭、演説家として名を馳せていた政治家の一人だ。彼の演説シーンはサイレントのニュース映像として残されている。多くの場合、戸外で、おそらく多いときには数百人から千人以上の聴衆を相手に声を張り上げている。特に米国国会図書館所蔵のこのフィルムクリップの1:08~1:20の演説の様子をみていただきたい。手前で演説をしているのがルーズベルトだが、その奥、壇上で聴衆に向かって指示をしているように見える男性がいる。何が起きているのだろうか。

セオドア・ルーズベルトのフィルムクリップ(米国国会図書館

セオドア・ルーズベルトの選挙活動を報じる新聞記事を読むと、当時の演説がいかに混沌としていたかがわかる。支持者たちはいつまでたっても拍手をやめないし、中には壇上に上がって煽り始める者もいる。聴衆はすぐに声を合わせてスローガンを繰り返す。ようやくおさまって演説が始まっても常に野次が飛ぶ。おそらくフィルムクリップの男性は、騒がしく声を上げたり演説を妨害している者に注意しているのだろう。当時の新聞記事はルーズベルトの演説内容とともに、それに返された野次も記録している。

セオドア・ルーズベルトの演説の様子を伝える記事[1]。緑下線は聴衆からの発言。

つまり、PAシステムが導入される以前は、いくら演説者の声が大きくても聴衆の野次と大して変わるわけではなく、<やりとり>が必然的に存在する仕組みだったのだ。これは、アメリカの二大政党、民主党と共和党の全国大会(National Convention)についての報道を読むとそれがより鮮明に表れている。1904年、PAシステムが登場するはるか以前の共和党全国大会はシカゴ・コロシアムで開催されているが、始まる前から議長がギャベルで叩き続けても一向に静かにならない、各州から選挙人が登場する度に大騒ぎになる、意見が一致せずに割れると収集がつかない、といった具合である[2]

また、上記のフィルムクリップで2:00~2:08あたりの映像を見てほしい。これは屋外での演説だが、ルーズベルトの声がいくら大きく通る声でも、後ろのほうの聴衆まで聞こえたとは考えにくい。演説者の直ぐそばで野次を飛ばす人たちもいれば、遠くの方から演説の内容はともあれ<イベントに参加した>という人もいたのだろう。当時は翌日の新聞に演説の全文が掲載されることも多く、多くのひとは演説の内容を遅れて知ったのではないか。

だが、PAシステムとラジオの登場によって、その様相が少しずつ変わっていく。

アメリカの政治家でPAシステムを最も有効に使用した最初の人物は、第29代大統領ウォレン・ハーディングである。彼は1921年の大統領宣誓式、第一次世界大戦終戦記念日の演説をPAシステムとラジオを駆使しておこない、好評を博している[3], [4], [5]。これらはどちらも屋外で行われる式典で、PAシステムの効果は絶大だったに違いない。

屋内で開催される大規模な政治集会といえば、前述の共和党、民主党の全国大会である。1920年代の両党の全国大会はベルシステムズが新技術を披露する格好の場所となっていた。まず、前述のハーディングの大統領宣誓式の前年1920年に、共和党全国大会でベル・テレフォン・システムズが大規模政治集会としては初めてPAシステムを設置した[6]。1924年にはやはりベルシステムズが全国大会のラジオ中継の技術を提供、アメリカ全土で両党の全国大会の進行を生放送で聞くことができるようになった。これは今で言う「パブリック・ビューイング」のように、大型の施設を開放、PAシステムを設置してラジオ放送を流すという仕組みだった。

1930年代に入ると、<拡声>技術と政治はより深く結びついていく。トーキー映画の登場はそのひとつだ。また政党がラジオ放送のスポンサーとなり、自分たちの政策や主張をラジオ番組として流すようになったことも挙げられる。1932年のアメリカ大統領選では、ハーバート・フーヴァーとフランクリン・D・ルーズベルトが、PA装置、トーキーのニュース映画、ラジオといったさまざまな<声の拡大装置>を用いて戦った。民主党全国大会のラジオ放送は、NBC、CBSそれぞれがのべ50時間を超える放送を行ない、政情変化をリアルタイムでつたえる一大イベントとなった。

民主党全国大会(1932年6月)

このフィルムクリップに写っているNBCのロゴの入ったパラボラは新型のマイクである。また、パラボラの横に天井から吊り下げられたコードがうっすらと見えるが、これはCBSが準備した<ラペルマイク>のケーブルだと思われる。どちらも<フロアにいる人々の声をとらえる>ために準備された。

NBCのパラボラマイク(左)とCBSのラペルマイク(右)。ラペルマイクは右から二人目のベルボーイの襟の下についている円盤状のもの。このマイクのケーブルは会場の天井に架けられていて、ベルボーイはフロアをマイクをつけたまま自由に移動できる。各州の選挙人代表などがこのラペルマイクに向かって話し、その声がコンソールからラジオ放送に送出される[7]

この<会場の声をひろう>マイクは、PAシステムの強力な増幅能力と対になっている。パラボラマイクはフロア(にいる聴衆)の<ノイズ>をとらえるために設置され[8]、ラペルマイクはフロアにいる<重要人物の意見>を集めるために準備された。セオドア・ルーズベルトの時代には、無名の聴衆からあがる<声>は大統領候補の演説とともに記録されるものだったが、PAシステムは、壇上の人物の声を圧倒的に増幅し、フロアにいる人々の声をかき消して<ノイズ>にしてしまったのだ。また、1920年代には演説に使用される技術開発はベルシステムズが担っていたが、1930年代になって、NBC、CBSといったメディアが担うようになっている点も示唆的だ。メディア企業は広告料によって経営がなりたっている。お金を払っている人の声が最大限に増幅され、それを享受している側の声はノイズとして処理されるようになった。

マイクの前に立つ者の声を何万倍にも増幅し、聴衆の発言をかき消す。このような特質を持つPAシステムとファシズムの台頭が軌を一にしているのは偶然ではないのかもしれない1)。ヒトラーの、演説を静かに始め、だんだんと声を張り上げていくという演出が効果を奏したのも、PAシステムのおかげである。

戦前ハリウッド映画に見る演説

フランクリン・D・ルーズベルトが大統領に就任した1933年、MGMは『獨裁大統領(Gabriel over the White House, 1933)』を公開した。このなかで、架空のハモンド大統領がPAを使わずに演説するシーンが登場する。

『獨裁大統領』よりハモンド大統領(ウォルター・ヒューストン)の演説

この演説のシーンは2つの点で興味深い。まず、ミディアム・ショットからロング・ショットに切り替わると、声の音響特性が変化する点だ。ミディアム・ショットでは声はダイレクトで反響音が少ないが、ロング・ショットでは声が<遠く>なり、反響音が言葉を聞き取りにくくしている。これはPart Iで紹介した『アギー・アップルビー』の例と同じく、撮影のセットアップ(ミディアム/ロング)に合わせてマイクのセットアップが変わったからだろう。このシーンは、Part IIIで引用したフランクリン・L・ハントの「ショットによっては反響音を加えたほうが自然に聞こえる」という見解を実証的に見ることができる例だ。確かに、各々のショットだけを取り出すと、カメラの位置と音響の性質が合致していて、あたかもそれぞれの場で聞いているかのような錯覚を生み出す。ところが、このショットが編集によって繋げられると、その唐突な変化が目立ってしまう。

もう一つの興味深い点は、前述のPAシステムを使わなかった時代の演説の例のとおり、聴衆が言葉で反応する点だ。聴衆の音は<ノイズ>ではなく、<声>であり、演説の一部なのである。

『獨裁大統領』の公開の2年後、エドワード・スモールが製作、ユナイテッド・アーチスツが配給した『近代脱線娘(Red Salute, 1935)』にも同様にPAシステムを使わない演説のシーンが登場する。ここでもミディアム・ショットとロング・ショットが繋げられているのだが、『獨裁大統領』のような顕著な音響の変化は起きていない。これはリレコーディングのおかげだ。音響の質が撮影のセットアップに制限されず、編集によってなめらかにつながるようになった。

『近代脱線娘』より演説のシーン

日常的な政治の場に、PAシステムとラジオが平行に介在するようになると、当然それは映画にも登場するようになる。

<拡声の力>を表す2本の映画が1940年と1941年に公開された。

チャールズ・チャップリンの『独裁者(The Great Dictator, 1940)』に登場するヒンケルの演説のシーンは、音響が実に緻密に設計されている。当初、ヒンケルの演説を聞いている私達は、この音声が何の(・・)音声なのか判然としないまま聞かされている。PAシステムのスピーカーからの音なのか、あるいは演壇上のマイクからの入力なのか、音響からは判断する材料がないまま、演説はすすんでいく。ただ、ヒンケルがわめくデタラメ語はきわめて聞き取りやすく、屋外のPAシステム独特のこだまのような反響音で濁るようなことがない。そして、しばらく経ってから英語による同時通訳の声が入ってくる。だが、なぜ同時通訳の声が入ってくるのかは説明されない。演説が終わったあと、はじめて私達はこれがラジオの音声だったと知らされる。ヒンケルの演説はステージ上で得られるであろう反響音が聞こえているのに対し(つまり、壇上のマイクからの入力である)、ラジオの同時通訳の声には全く反響音がない(デッドな音響のスタジオのマイクの入力である)。「独裁者お抱えの同時通訳者が演説内容を都合よく取捨選択して聴衆に伝えている」というマスメディアの特性に対する揶揄を、一度に見せてしまうのではなく、反響音の微妙な差を使いながら少しずつ種明かししている。

『独裁者』よりヒンケルの演説(YouTube

フランク・キャプラ監督の『群衆(Meet John Doe, 1941)』の雨の中の政治集会のシーンは、まさしくPAシステムによる<拡声の力>をコントロールする者が政治的な力を持ちうるということを強烈に表現している。ノートン(エドワード・アーノルド)がジョン・ドー(ゲーリー・クーパー)の<嘘>をあばき、聴衆の信頼をあっという間に奪ってしまう。PAの音は集会の会場にこだまし、ノートンの大声の非難が響きわたる。ノートンはジョンを失墜させると同時に、PAシステムのケーブルを切断させる。ジョンは自らの弁明を<拡声>する術を失い、セオドア・ルーズベルトの時代に戻されてしまう。彼は聴衆からの野次や怒号に音量で押し黙らされてしまう。ジョンの戸惑う声の音量は、映画のシーンの音量として決して小さいわけではない。映画を見ている(・・・・・・・)観客はジョンの声を普通に聞くことができる。だが、それは映画のなかの(・・・・・・)群衆には聞こえない。このPAと肉声の音量差は、反響音の有無で表現されているのだ。『群衆』の製作にワーナー・ブラザーズの設備やスタッフが関わっているが(『群衆』の音響エンジニアはワーナー・ブラザーズのC・A・リッグス)[9 p.430]、もちろん、ワーナーでもエコーチェンバーは使用されていた[10]。このエコー/リバーブ音の制御は、リレコーディングのプロセスでの音響編集が可能になったからこそできた。

『群衆』より 拡声機能を失うジョン・ドー

ここまで見てきた演説とPAの歴史をふまえると、『市民ケーン』の選挙演説のシーンは果たして1916年の状況を現実的(リアリスティック)に反映しているのだろうかという疑問も湧き上がってくる。PA登場以前の演説に見られたような、聴衆との<やりとり>は存在せず、ケーンは一方的に自分の声をはり上げている。マジソン・スクエア・ガーデンの音響が果たして、PAを使用しない演説であそこまでのリバーブ/エコーが生じたかは疑わしい2)。むしろこの場面でのオーソン・ウェルズの演説手法がPAシステムを使うことを前提にしているようにさえ見える。ここで追求されているのは歴史的事実や客観的観測に基づいた<実証性(デモンストレーション)>ではなく、PA装置による政治という声の不均衡の時代に生きる人々の現実(リアル)なのではないだろうか。ロング・ショットになったり、聴衆を映すと、リバーブの比率が高くなり、ウェルズを近景で映すとダイレクトな音声になる。だが、これは『獨裁大統領』のようなカメラとマイクのセットアップが呼応しているから起きている現象ではない。音を操作して、カメラの視点と観客の視点があたかも同期しているかのような没入感を作り出しているのだ。ファシズムとマスメディアの時代に生きていた当時の人たちにとって、<やりとり>が存在した演説はすでに風化して失われてしまい、反響音が響き渡るホールで一方的に主張を聞かされるのが政治の現実だったのだ。

『市民ケーン』の音響設計の<革新性>は、エコーを使って空間を表現したことではない。エコーチェンバーを使ってさまざまな空間の音響を表現するテクニックはすでに1930年代から存在し、各スタジオもエコーチェンバーを音響部門に設置してさまざまな場面で使用していた。映像に合わせてリバーブの度合いを変えるというアイディアも、トーキー導入当初から議論の争点だった。『市民ケーン』の音響設計が当時の状況から見て突出している点は、空間の特性についての映像と音響の表現が、単なる場所の描写にとどまらず、観る者をストーリーに引き込むための仕掛けとして機能していることだろう。奇術(マジック)で観客の注意を操るように、映像と音響にさらされた観客をストーリーに没入させ、その種に気づかせないような、そういったテクニックに事欠かない作品が『市民ケーン』だといえるだろう。

Notes

1)^ ヒトラーやゲッベルスは自分たちの声の圧倒的な支配力を誇示したが、ムッソリーニは必ずしも聴衆を一方的に威圧できていたわけではなかったように見える。いつまでたっても静まらない聴衆に手を焼いていたり(リンク)、聴衆からの言葉に思わず反応して笑ってしまったり(リンク)する様子が記録されている。

2)^ 第三期のマジソン・スクエア・ガーデンの音響、特に反響音特性を調査した研究には、もともとスポーツアリーナとして設計された大ホールがいかに音響的に劣っていたかが記されている[11]。話者の肉声ではほとんど聞き取ることができず、それを補うためにPAシステムを導入したが失敗、再度別のPAシステムを導入するものの、それでも結果は決して満足ゆくものでなかったという。『市民ケーン』が想定しているのは第二期のマジソン・スクエア・ガーデンだが、状況は似たようなものだったのではないだろうか。

References

[1]^ "Col Roosevelt Speaking From a Baggage Truck at the Railroad Station in Brockton," The Boston Globe, Boston, p. 9, Apr. 28, 1912.

[2]^ "Roosevelt, Fairbanks, and a Long Whoop," The Baltimore Sun, Baltimore, Maryland, p. 1, Jun. 24, 1904.

[3]^ "Inaugural to be Broadcast to All Parts of the Country," The New York Times, New York, p. 186, Mar. 01, 1925.

[4]^ "Harding Used Loud Speaker," New Castle Herald.

[5]^ "Big Amplifier Armistice Day," Chehalis Bee Nugget, Chehalis, Washington, Nov. 11, 1921.

[6]^ "At the National Conventions," The Manmouth Inquirer, Freehold, New Jersey, p. 4, Aug. 12, 1920.

[7]^ M. Codel, "Radio ‘Scoops’ World at Chicago Stadium," Broadcasting, vol. 3, no. 2, p. 7, Jul. 1932.

[8]^ M. Codel, "Political Campaigns to Boom Broadcasting," Broadcasting, vol. 2, no. 12, p. 13, Jun. 1932.

[9]^ J. McBride, Frank Capra: The Catastrophe of Success, Illustrated edition. Jackson: Univ Pr of Mississippi, 2011.

[10]^ L. T. Goldsmith, "Re-recording Sound Motion Pictures," Journal of the Society of Motion Picture Engineers, vol. 39, no. 11, pp. 277–283, 1942.

[11]^ S. K. Wolf, "The Acoustics of Large Auditoriums," Journal of the Society of Motion Picture Engineers, vol. 18, no. 4, pp. 517–525, 1932.