ジョセフ・H・ルイス監督の『拳銃魔(Gun Crazy, 1950)』について調べているときに、ハリウッドと銃の関係について、つい調べ始めてしまった。Hollywood Reporterにこんな動画があったのを見つけた。
ハリウッド、特に俳優や監督、プロデューサーはどちらかと言うと政治的にはリベラルなスタンスをとる人が多い。銃による暴力行為がニュースになると、銃規制に声を上げる映画関係者もいる。だが、セレブリティによるそういった活動にシニカルになる人達も少なくない。なぜなら、多くの映画でバイオレンスが重要な役割を果たしているし、ヒーロー達が数え切れない数の銃器を握って、困難を撃ち抜けるストーリーが語られているからだ。
この動画には「Independent Studio Services(ISS)」という映画の小道具、特に武器類を専門とする会社が紹介されている。この会社では16,000丁以上の銃器を保有し、映画撮影用の銃器のレンタルだけでなく、注文に合わせた銃器の製作、製作、撮影現場での教育、コンサルタントなども行なっている。さらには、アメリカ軍の戦闘員のトレーニングも行なっている。映画なんかでは、主人公が敵の武器を拾い上げてすぐに撃ちまくって窮地を脱するシーンなど散々製作されてきたが、実際の海兵隊員はAK-47だって触ったことがない場合がある。ISSで実際にトレーニングを受けた海兵隊員の二人が、2003年のイラク戦争の戦闘中に敵のAK-47を使って作戦を完遂した例があるという。現実はフィクションの想像力を必要としているのだ。
NRAの博物館の人が「映画で使われたもっとも有名な銃」として、『ダーティー・ハリー(Dirty Harry, 1971)』のキャラハン刑事が使用しているスミス&ウェッソンM29("44マグナム")を挙げている。私自身は「銃といえば44マグナム」みたいな安易な発想に少々うんざりしている。
今から30年ほど前、私はアメリカの西部のある都市で学生として住んでいた。私のアパートは大学の近くでそんな物騒なところではない。夜中の2時に80歳のおばあさんが3,000ドルの現金が入ったポーチを抱えてチワワを散歩させていても、ひったくりにさえ会わない。そんな平穏な場所だったが、ある夜の7時頃、アパートに帰ってくると、普段は誰もいない隣のアパートの駐車場に50人ほどの人が集まり、その人だかりの真ん中にパトカーが2台停まっていた。さっきまでピザを食べながら「ロザンヌ」を見ていましたという感じのスェット姿の女性に話しかけて何が起きたのと聞いてみた。このアパートに住んでいる若い女性がボーイフレンドと電話中に口論になり、激昂したボーイフレンドが、これから44マグナムを持ってお前のところに行く、と言ったらしい。若い女性はすぐに警察に連絡した。
「で、そのボーイフレンドは?」
「ほんとに来たんだよ、マグナム持って」
「え、マグナム持ってたの?」
「そ、持ってたの」
私達のそばにいた数人がほぼ同時に「Stupid」と言った。横にいた背のひょろっとした若い男がニヤニヤしながら、指で銃を作り「ゴーアヘッド、メイク・マイ・デイ!プシュー!」と撃つ真似をした。この国の男は全員馬鹿なんじゃないかと思った。だいたい、あのセリフのあとで、クリント・イーストウッドは銃を撃たない。
パトカーの後部座席に座っていたのは、ジョン・ボン・ジョヴィから全ての魅力を取り除いて、汚れたビールをぶっかけたような容姿の男だった。あの体つきでS&W M29なんか撃った日には、リコイルでひっくりこけて、上の階の人がとばっちりで怪我するという不幸な事態しか招かないだろう。
「世界で最もパワフルなハンドガンだ」みたいなスローガンは、こういう人物を引き寄せてしまう。そういう人間は、自分がその銃に選ばれていないのに、どこかでそれを手に入れてしまうのだ。フィクションの約束事を、現実の自分に委ねてしまう。
ジョン・バダムがTV映画を担当していた時代に監督した『ザ・ガン 運命の銃弾(The Gun, 1974)』という作品がある。38口径のリボルバーが<誕生>してから、様々な持ち主の手に渡ってゆく。その持ち主たちの銃との関わりを、持ち主たちに肩入れすることなく描いてゆく映画だ。ジュリアン・デュヴィヴィエの監督作品に『運命の饗宴(Tales of Manhattan, 1942)』という、これは燕尾服が様々な人の手に渡ってゆくさまを描く映画があるが、趣向は似ているけれど、こちらのほうは銃という、いつ悲劇を生むかわからないオブジェが主体なだけに、遥かに緊張感にみなぎっている。銃、特にハンティング用ではないハンドガンやライフルは、それが<殺傷する>という目的を果たすとき、悲劇しか生まない。その端的な事実を、大げさな演出や演技を介さずに、効果的に描き出している。この物語でも、銃に選ばれていない人間が、その銃を手に入れてしまう。あるいは、銃は死をもたらすもの、この世に属していないのだから、この世には選ぶ相手などいないのかもしれない。脚本はリチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンク、撮影はスティーヴン・ラーナー。
この作品については、めとろんさんが詳しく論じられているので、ぜひそちらを参考にしていただきたい。
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