以前紹介したアーヴィング・ピシェル監督『ハッピー・ランド(Happy Land, 1943)』は、1943年7月にサンタ・ローザ近辺でロケーション撮影されたが、1943年の後半にロサンゼルスでロケーション撮影された作品がある。ビリ-・ワイルダー監督の『深夜の告白(Double Indemnity, 1944)』である。
今回は『深夜の告白』のオープニングの3つのショットだけを取りあげたい。
『深夜の告白』のオープニング
筆者が「50本のフィルム・ノワールを取り上げるプロジェクト」として取り組んだ「ランダム・ノワール」のほうでも『深夜の告白』は取りあげた。ここでは、この作品のオープニングについて、もう少し見ていきたい。
私はこのオープニングの映像がいつも気になっていた。1940年代のロサンゼルスの夜のダウンタウンを撮影した写真とくらべて、どこか陰鬱で、独特な闇に包まれている印象がある。
1940年代後半のハリウッド通りとヴァイン通りの交差点 (Huntington Library Digital Collection) |
『深夜の告白』の最初のショット 場所は 5th ストリート と オリーヴ・ストリートの交差点 |
はたして、なにが起きていたのだろうか。
『深夜の告白』の撮影は、1943年の9月27日から11月24日までのほぼ2ヶ月にわたっておこなわれた[1]。消灯令と灯火管制の記事の最後でも述べたが、灯火管制は1943年11月1日に解除され、その後は夜間の戸外でも照明に制限がなくなっている。つまり、『深夜の告白』の撮影期間のうち、9月27日から10月31日までは、ロケーション撮影は様々な制限を受けるが、管制が解除された11月1日からは、以前の通りの日常の夜の風景を、カーボン・アーク灯を何十台も使用して撮影できたはずだ。
だが、『深夜の告白』の最初のショットは、灯火管制下で撮影されたように見える。左に見えるビルはビルトモア・ホテル、その向かいのコカ・コーラの看板が見える店はヴィクトリー・スクエア・ドラッグストア、いずれも地上階の窓に照明があっておかしくないはずだが、暗い闇に沈んでいる。街燈はすべて点灯しているが、これは、灯火管制下でも許可されていた。『深夜の告白』の撮影ロケーションをまとめたジーン・ロートンによれば、この撮影は1943年8月に行われているという[2]。
まず、最初のショットには、「Los Angeles Railway Corp. Maintainance Dept.」という標識を掲げた工事の業者が手前に写っている。
全米映画俳優組合は、パラマウント・ピクチャーズ Inc.が、ロサンゼルス市内の5thストリートとオリーヴ・ストリートにあるロサンゼルス・レールウェイ社の鉄道用地において、同社の溶接工とその助手が作業している様子を撮影することについて、(組合との協定事項の遵守する義務を)免除する。ビリー・ワイルダー監督、『深夜の告白』の製作において、1943年8月14日の1日限りである。
全米映画俳優組合からのメモ
この2人が演技、役、スタント、会話などをせず、また、これが免除の前例とならない、ということを両者のあいだで合意している。
Screen Actors Guild, August 14, 1943
すなわち、このショットは8月14日に撮影されたということになる。ここで、「ロサンゼルス・レールウェイの鉄道用地」というのは、具体的には3号線(Line 3)のことである(Wikipedia)。これは、戦時下のロケーション撮影で常に問題になった、エキストラの雇用規定について例外を認める、という全米映画俳優組合の覚書だ。この最初のショットは、ロサンゼルス市内での撮影であり、<300マイル・ルール>が適用される。このルールが適用される場合は、エキストラは全米映画俳優組合の組合員(クラスB)でなければならない。だが、ビリ-・ワイルダーは、実際に溶接工が作業している様子を撮影することにした。それを俳優組合に申し込んだのであろう。
さらに次の2つのショットは、次の製作レポートが鍵となる。
ロサンゼルス、6thストリートとオリーヴ・ストリートの交差点
Paramount Production Memo, 1943/8/4
集合 3:30 AM、カメラ 3AM
リハーサル 4AM- 5:40AM
最初のテイク 5:40 AM - 終了 6 AM
エキストラ8名、車とエキストラ8名
マクマレーのダブルはアラン・ポメロイ
トラック運転手はゴードン・カーヴァス
もしうまくいけば、この早朝の撮影が、完成時には夜のシーンとして使われる
ナイト・フィルター撮影
このメモが少なくとも3つ目のショットを表しているのは、このショットにトラックが登場することから明らかである。どのテイクが使用されたかは分からないが、早朝5時40分から6時のあいだに撮影されていることが分かる。撮影には「ナイト・フィルター」、すなわち赤いフィルターが使用されている。
『深夜の告白』の3番目のショット 場所は 6th Street と Olive Street の交差点 |
この前日の8月3日のロサンゼルス・タイムズによると、灯火管制は3日の日没時刻(午後7時52分)から翌4日の日の出時刻(午前6時6分)までだ。
ロサンゼルス・タイムズ 1943年8月3日 |
この撮影は、朝の午前5時40分から6時のあいだまでに行われているから、灯火管制下での撮影である。だが、この時間帯は日の出の6:06直前の<マジック・アワー>と推測される。ワイルダーとサイツは、この時間 ─── 日の出直前で、かつ灯火管制中 ─── は街燈はまだ灯っているが、空は明るくなっていて、照明を利用しなくても「夜のシーンとして」撮影できるともくろんだのではないか。最初のショットとこのショットをよく見ると、背景のビルと空の境界に不自然な輪郭が現れているのが分かる。これはオプティカル・プロセスを施したあとだろう。このオープニングは前述のように日をわたって撮影されているため、空の明暗がショットごとにばらついていた可能性がある。それをオプティカル・プロセスで統一したのではないだろうか。
最初のショットで、フレーム内に配置された多様な光源が作り出す早朝の街の風景は、新鮮なドキュメンタリー性に満ちていて、この後、ハリウッド映画に起きる変化を予言しているようだ。奥行きのある配置の街燈、こちらに向かってくる車のヘッドライト、それを反射する鉄道のレール、手前の溶接作業の光、道に無造作に置かれた迂回路用のオイルランプの炎、どれもが映画のために準備されたものではなく、その風景に最初から存在していたかのようだ。
この最初のショットの街燈に注目したい。
『深夜の告白』のオープニング・シーンに登場する街燈 |
街燈の上半分が円錐のような形状をしているのが分かるだろうか。1930~1940年代のビルトモア・ホテルの近くの写真を見てみると、これが灯火管制下、街灯の光が上向きに逃げないように施された遮蔽であることが分かる。
ビルトモア・ホテル 1930~40年頃 (University of Southern California Libraries Digital Collection) |
これが1930~1940年代のビルトモア・ホテルの写真である。写真右奥の坂の上からウォルター・ネフが運転する車が暴走してくる。この電車通りは5thストリートである。
街燈(上の写真の拡大 1930~1940年) (University of Southern California Libraries Digital Collection) |
これが、ビルトモア・ホテル付近の街燈の元の姿である。
次に1943年、灯火規制下のビルトモア・ホテル付近を見てみる。
ビルトモア・ホテル 1943年 (University of Southern California Libraries Digital Collection) |
画面左奥から右に向かって伸びているのが、オリーヴ・ストリート、右から左の道は5thストリートである。この街燈には黒い布のようなものが被せられているのが分かる。
街燈(上の写真の拡大 1943年) (University of Southern California Libraries Digital Collection) |
この黒い布のようなものは、翌年になってもまだ被せられたままだった。これは5th ストリートを坂の上から見下ろした写真である(ウォルター・ネフはこの道を奥に向かって暴走した)が、ここでも街燈に黒いものが被せられているのが分かる。
5thストリートをグラント通りからオリーヴ通りに向かって (Los Angeles Public Library Digital Collections) |
街燈(上の写真の拡大 1944年) (Los Angeles Public Library Digital Collections) |
これが、戦争の終わる1945年になると、元の姿に戻る。下の写真は、画面奥から手前にオリーヴ・ストリート、左右に6th ストリートが交差する交差点である。『深夜の告白』の3ショットめで、ウォルターの車とトラックが事故を起こしそうになるのはこの交差点だ。
6th ストリートとオリーヴ・ストリート (Los Angeles Public Library Digital Collections) |
上の空間に光が届かない戦時下独特の街燈、闇に沈むビルの窓、ストリートは車のヘッドライトだけが見える ─── 『深夜の告白』のオープニングの独特の<暗さ>は、ワイルダーとサイツが、灯火管制が作り出した都市部の闇を、照明を使わずにいかに撮影するかと苦心した末に生み出したものである。この<暗さ>は、戦争が民衆に植え付けた、恐怖、愛国心、パラノイア、非日常の興奮、憎悪の念といった闇の成分が凝集したものだと言ってもよいのではないか。そして、それは灯火管制が解除されてしまうと、二度と都市部に現れることはなかった。フィルム・ノワールの作品が数多くあるとは言え、この<暗さ>をとらえた映像は、この作品のこのオープニングだけではないだろうか。
References
[1]^ E. Robson, “Double Indemnity,” in Film Noir: A Critical Guide To 1940s & 1950s Hollywood Noir, Dutch Tilt Publishing, 2016.
[2]^ J. Laughton, “Double Indemnity: Self-Guided Movie Location Tour.” Los Angeles Conservancy. link
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