『ホット・スカル(2022)』 (Netflix Teaser)
ABUKLAMA(ペチャクチャ病)

1.

Netflixの『ホット・スカル(Sıcak Kafa, 2022)』は、シーズン2の計画がキャンセルになったという。実は、私はすこしほっとしている。このタイプのシリーズにありがちな、話が進むほどクリフハンガーとアクションの応酬、謎解きとどんでん返し、キャラクターの平板化とご都合主義に支配されていく展開には飽き飽きしているからだ。だったら、わけがわからないまま終わってもらったほうがよほど良い。特に『ホット・スカル』のように、現実の私達の世界にたいするアレゴリーに満ちている作品の場合は、クロージャーをつけられるよりも、アレゴリーについて思いをめぐらせる空白があるほうが楽しい。

『ホット・スカル』は、トルコで制作されたSFシリーズである。原因不明の伝染病ARDS(Acquired Reasoning Deficiency Syndrome)が蔓延している世界が舞台である。この伝染病は、会話を介して感染するのが特徴で、感染した者は意味をなさない文章を喋り続ける「ペチャクチャ病(アブクラマ)」という言語障害の症状を呈する。感染者の「ペチャクチャ」を聞くとARDSに感染してしまうため、非感染者は普段からヘッドホンを着用している。感染病の機序はわからず、感染者は回復しない。ワクチンもなければ、治療法も存在しない。通信は遮断され、経済は崩壊し、AEIという政府機関がこの混乱に乗じて行政を支配している。主人公のムラートは言語学者だが、ある秘密をもっている。彼は世界中でただ一人、このARDSに対して《免疫》がある人間であり、感染者の「ペチャクチャ」を聞いても感染しないのだ。

制作されたは2022年だが、アフシン・クム(Afşin Kum)の原作小説は2016年に発表されている。コロナウィルスの流行(Covid-19)で一変してしまった私達の世界と、そこでの経験を考えると、私達にとって、このドラマシリーズで描かれているディストピアはもうひとつの《そうなったかもしれない地球》として響いてくる。私達が経験したウィルスとはまったく違う《意味的ウィルス semantic virus》という発想は多くの人にとって新鮮だろう。この設定だけを聞くと、ソーシャル・メディアでデマ disinformation が拡散するメカニズムを想起するかもしれない。だが『ホット・スカル』で描かれるのは、私達と言語の関係でも、もう少し違う位相の切断面だ。私達がいま経験しているコミュニケーションの失調の諸相を少し違う角度から見渡す、といったほうがよいかもしれない。

このシリーズの感想を見てみると「設定は面白いが、話が進まない」「夢の場面がくだらない」「主人公役の男優がかっこよくない」というのが多い。早くて驚きが連続の展開とか、不思議な主人公とか、アヴァンギャルドな映像体験とかを求めている人には、退屈だと思う。いわゆるディストピアを舞台にした物語だが、残酷さやおぞましさもなく、比較的おだやかだ。そういうものを求めている人には向かない作品だろう。

2.

『ホット・スカル(2022)』 (Netflix Teaser)
感染者の「ぺちゃくちゃ」を表現するために、予告編の英語字幕は崩されている

感染者はどのように発見され、そしてどうなるか。シリーズ冒頭のエピソード1で、その様子がわかりやすく描かれる。ムラートは雑貨店で石鹸を買うためにレジにならんでいる。店は比較的混んでいて、子供もいる。ムラートの前にならんでいた女性が彼の方に振り返り、あなたはエンジニアか、と尋ねてくる。彼女の声を聞こうとムラートがヘッドホンを持ち上げると、女性はこんなことを言う。

シリンダーが憎くても摩擦への意欲(friction drive)を犠牲にしてはいけない

İnşallah sürtünme dürtüsünü silindir nefretine kurban etmezsin.

この言葉を聞いたレジの店員が「感染者だ!」と叫び、非常ボタンを押す。彼女は感染していたのだ。店はパニックに陥るが、隔離壁が降りてきて、感染者を隔離する仕組みになっている。感染者はなおも話し続けている。「鮭が青銅なら私はノブの輝き、電車の風はカゴのフィルター、ねじれた凍土帯につかったら裂ける」原語で表現されている「間違い具合」を、日本語字幕の訳がはたしてどこまで伝えきれているかわからない。少し調べてみると、翻訳字幕でもペチャクチャ病の言語障害の特徴は維持しているようだ。構文的(統語論的 Syntax)には誤っていないが、意味論的 semantic に誤っている(意味をなさない)文章である。

これがノーム・チョムスキーが挙げた有名な文例を下敷きにしているのはあきらかだ。

① Colorless green ideas sleep furiously. 色無き緑の考えが猛烈に眠る。

② Furiously sleep ideas green colorless. 猛烈に眠る考え緑の色無き。

Noam Chomsky

①は統語論的には誤っていないが、意味論的にナンセンスな文、②は統語論的に誤っていて、意味をなさない文の例である。『ホット・スカル』では、この①の文章”Colorless green ideas sleep furiously”そのものも登場するし、さらにはウェルニッケ失語症についても言及される。

非常に興味深いのは、この出来事の直前である。ムラートはレジの列に並んでいる時に、ある女性から受け取った手紙をうれしそうに読んでいる。それにはこう書かれている。

バスは走ってない だから待ってるの ー 来ないバスを待つ女より

Buradan otobüs geçmediğini biliyorum!.. O yüzden bekliyorum. - Hiç otobüs geçmeyen durakfa bekleyen kiz

これだけを読んでも、その矛盾とトートロジーが際立っていて、意味が分からないはずだ。これはペチャクチャ病と何が違うのか?単語単位での破綻と文章単位での破綻の差だろうか?それ以上に、どういう環境で発話されたかがカギなのである。実は、見ている私達も、ムラートも、この手紙の《コンテクスト》と、そもそもなぜ手紙が書かれて届けられたかという《パフォーマンス》の部分を知っている。だから、これがナンセンスだとは思わない。この手紙の《意味》 ──文章の(言語としての)意味ではなく、コミュニケーションとしての《意味》── に疑いをもつことはない。

ちなみに、レジの列でムラートの前にならんでいた感染者は、その後AEIの部隊によって護送車に乗せられ搬送されてゆく。そのあいだも彼女はひたすら喋り続けている。感染者の挙動や表情から判断すると、自分に起きたことが理解できていないようにも見える。本当にそうなのかはわからない。理路整然とした(coherent)コミュニケーションが成立しないから、健常者からみて、彼ら彼女らに何が起きているのかはわからないのだ。

3.

『ホット・スカル(2022)』 (Netflix Teaser)

このシリーズでは、さまざまな場面で、感染者の「ペチャクチャ」と非感染者の発話のあいだに違いがあるのか、という問いが浮かび上がってくる。その境界が言葉の列だけでは判断しにくい様子が描かれ、そのあやふやさも色々である。AEIの捜査から逃れたムラートが友人の家を訪れるシーンがある。ムラートは一連の出来事を興奮して話している。その話はとりとめがない。聞き手はムラートの感染を疑ってヘッドホンを装着し非常ボタンに手を伸ばす。私達にだってある。興奮する出来事があって、家族や友人、知人に思いつくままに話すのだが、相手は無表情にこちらを見ている。話しているほうは高揚して次から次へと言葉が出てくるが、彼らにとっては支離滅裂で、話の内容についていけないのだ。

詩が朗読される。比喩に満ちた詩の一節は、それが詩とわからなければ「ぺちゃくちゃ」と変わらない。ヒップホップの歌詞もそうだ。「マルマライ 臨場感 アクサライ 時は過ぎる その声は聞こえない」《意味》がわかるだろうか。あるいは、「愛(Aşk)」と「つた(sarmaşık)」の関係。「コリチェリを忘れるな」というスローガンは、なぜ《意味》を持ちうるのか。言葉に私達は毎日接しているが、その機能のメカニズムは極めて複雑だと思い知らされる。

特に秀逸なのは「合言葉」が使われるシーンである。ムラートが居酒屋を訪れるシーン。入り口での合言葉は日本語訳で「私は雄弁なオウムだ ムダには話さない」、英語訳では”I’m a parrot of eloquence. What I say is not in vain.”となっている。統語論的には正しいが、意味論的には怪しい文章だ。人間である私はオウムではないし、「雄弁であること」と「ムダには話さないこと」を同時に強調するのは、にわかに理解しにくい。だが、合言葉というのは、その言葉の文字通りの意味が重要なのではない。その言葉の存在確率が重要なのだ。合言葉を必要とする場面で発せられる確率が極めて低い言葉(例えば「入れてください」とか「3人で来ました」とかではない)、容易に思いつくフレーズではないものが選ばれるだろう。チョムスキーは「Colorless green ideas sleep furiously(色無き緑の考えが猛烈に眠る)」を、「英語で過去に使われたことがない文章」の例として挙げた。その点において「私は雄弁なオウムだ ムダには話さない」も日本語の歴史のなかで頻繁に発話されたものではない。感染者の「ペチャクチャ」もそれぞれを見れば発生する確率は極めて低い文章だ。発生確率が低い文章のなかでも、ある一つの特定の文章が選ばれ、合意されている。合言葉とはそのようにして機能する。

ところが、原語のトルコ語では、この合言葉はまったく違う作用をしている。発生確率の低い言葉ではない。これは16~17世紀のオスマン・トルコの詩人、ネフィ(Nef’i, 1572 - 1635)の詩の一節なのだ。

Tûti-i mu’cize-gûyem ne desem lâf değil.

私は奇跡の言葉を話すオウムだ。私がしゃべるのは普通のことばではない。

Nef’i

オスマン・トルコの詩では、オウムは人間の言語を習得する能力をもつ美しい鳥として特別な位置を占める。この言葉は《人間の言語を習得する能力》──『ホット・スカル』が描く世界では多くの人間が言語を失う一方だ──に言及し、言葉の特殊性、尊さを強調している。確率の議論ではなく、まとわりつく歴史を覚醒させる言葉なのだ。

もう一つ合言葉を使うシーンがある。ムラートがAEIの本部に潜入する際にゲートを通過する場面だ。AEIの入り口にはガラス張りのブースがあり、入場者はブース内に設置されたカメラに向かってひたすら喋り続けるように指示される。感染者を見分けるためだ。つまり、自分が感染者ではないと証明するために、ひたすら「意味をなす(coherent)」文章をしゃべり続けなければいけない。だが、ムラートはAEIに潜入するために、このブースのなかで(カメラの向こうにいるはずの)内部協力者に向かって合言葉を言わなければならないのだ。

Bülbüller yüksek uçar.

ナイチンゲールは高く飛ぶ

ムラートはAEIの中に潜入している協力者にこの合言葉を伝えようとする。だが、セキュリティカメラのむこうは誰なのか、本当に協力者が見ているのか分からない。もし協力者が見ていなかったら、この合言葉をこの場面で使うのは感染者と間違われないか。

まず、合言葉のことを考える前に、このブースが作り出す状況、「なんでもいいから筋の通ったことを言え、さもなければお前を感染者とみなして隔離する」について考えてみたい。この状況下で話される言葉は「構文的に正しく、そして意味も通る文章」とか、「それまでにその言語圏で存在していて有名な言葉」とかではないと思う。実は「『なんでもいいから筋の通ったことを言え、言えなければお前を隔離する』という圧力がかかっている状況下で、常識的な人間が言いそうなこと」を期待されているのではないか。監視カメラのむこうにいる誰だかわからない人間が、何をもって「筋が通っている」「言語能力が維持されている」と判断するかわからないのだから、その選択肢は非常に限られる。このブースの中で「巻かれては浮上 拠点は転々移動 昼夜異常 花束に降りそそぐsnow」と言った場合、カメラのむこうの相手が舐達磨を知っていれば大丈夫だが、知らなかったらほぼ間違いなく隔離される。確率的要素を持ち込むようなことを常識人ならばしない。誰が聞いていたとしても理解してもらえる言葉、誰が聞いても「筋の通った話だ」と思うもの、それを求められている。

これはソーシャル・メディアにおけるコンテクスト崩壊 context collapse を想起させる。SNSでは自分の書いたものや写真を誰が見るか分からない。一歩間違えれば《炎上》にだってつながるかもしれない。そのような危険を避けるために、発信者はオーディエンスを《等質的な一つのグループ》として平板化して考える。そして《最大公約数的な》内容と語彙の情報を発信する。このブースはSNSの比喩だとも言える。

ソーシャルメディア・テクノロジーは、複数のオーディエンスを単一のコンテクストに潰して(collapse)しまう。そのため、そのような複数のオーディエンスに対し、直に会って話をするときに使うようなテクニックをオンラインでは使うことが困難になる。

Jessica Vitak[1]

さて、このブースのなかで「合言葉/暗号」を使うとしたら、どんな言葉ならば大丈夫なのだろうか。構文的にも、意味的にも正しく、さらに《最大公約数的にみて》筋が通っている話、その上で《暗号》として機能としないといけない。そんな都合の良いものがあるのだろうか。

これを私達の社会に当てはめて考えてみるとどうだろう。不特定多数のオーディエンスに対してメッセージを発するときに、最大公約数的には《一般的な意味》を持つが、あるグループの人にだけには《違う意味》のメッセージになるように仕組む。

そんなことが可能だろうか。

4.

Foghorn (Wikimedia Commons)

過去20年ほどで言葉をめぐる状況は大きく変化した。

その変化のうち、私がうまく咀嚼できていない言葉のあり方として「犬笛 dogwhistle」がある。もともと犬笛は、高周波の音を出す笛で、その音は人間には聞こえないが、犬には聞こえるというものだ。それが転じて、ある種の政治的言説のことを指すようになった。このBBCのビデオ(日本語字幕付き)が丁寧に説明しているが、犬笛とは「本当の意味が隠された映像や言葉のことで、本当の意味は特定の層にしか伝わらないようになっている」ものをさす。犬笛はほとんどの場合、人種差別などのマイノリティ差別に関わるものが多い。しかし、直接的に差別発言をするのではなく、「文字通りの意味では問題がないが、そこには差別が浮き彫りになるような意味合いがある」というものだ。有名な例として挙げられるのが、H・W・ブッシュ候補(当時)の大統領選挙キャンペーンの「ウィリー・ホートン」TVコマーシャルである。ドナルド・トランプ前大統領の場合、犬笛が非常に多かったと言われている。例えば、2016年のアメリカ大統領戦のときにドナルド・トランプ候補(当時)がヒラリー・クリントン候補(当時)をこのように批判した時に「犬笛」が仕込まれていたという。

ヒラリー・クリントンが、グローバルな金融業界、彼女と利益を共有する者たち、そして彼女に寄付をしている者たちを儲けさせようと、国際的な銀行と秘密裏に会合をもって、アメリカの主権を破壊しようと企んでいる、とウィキリークスの文書に記述されているのを実際に見たでしょう。

Donald Trump (New York Times, 2016.10.13)

ここで、「国際的な銀行(international banks)」というのは、多くの人はウォール街を牛耳る巨大金融企業(J・P・モルガン、バンク・オブ・アメリカ、シティグループ等)を指しているのだろうと思うだろう。しかし、ニューヨーク・タイムズなどのメディアによれば、これは暗にユダヤ人を指しており、ユダヤ人による国際支配という陰謀論シナリオを信じている人々に向けたメッセージなのだという。

このような語彙は、英語、特にアメリカ政治における語彙の中には多く存在すると言われる。「Law and order」「inner city」「states’ rights」などは古典的な犬笛の例らしい。日本語圏のTwitterでも「犬笛」という用語はみられるようになった。

この「犬笛」が、『ホット・スカル』に登場する「ブース内で使う暗号」と状況的には類似しているようにみえる。どちらも「最大公約数的なオーディエンスが受け取る、一般的な意味」と「特定のオーディエンスが受け取る、隠された意味」を持つ。その性質上、特定のオーディエンス以外が察知しないように、暗号であるということがわからない(covertly-coded)暗号である。この点が、他の暗号と違う点だ。多くの合言葉/暗号は、向けられた相手以外は「暗号の内容」はわからないかもしれないが、「暗号である」ということはわかる(overtly-coded)。例えば、スパイの暗号やピッグ・ラテン、そして前述の居酒屋に入る際の「合言葉」が「overtly-coded」にあたる[2]

だが、犬笛は、本当にそんなメカニズムで作用しているのだろうか。実際、ドナルド・トランプが発言した瞬間に、彼の支持者ではない層から「それは犬笛だ!」と批判的に指摘されているところをみると、「特定のグループの人にだけ本当の意味がわかる」という表現をよく考えないといけない。「それは犬笛だ!」と批判する人たちも、犬笛の意味するところを理解しており、だからこそ批判しているのではないか。実際に起きているのは、批判派(リベラル)が「それは犬笛だ!」と批判的に指摘し、その隠された差別的な意図を詳らかに説明すると、それまで隠された意図を知らなかった人々もその意図を理解するようになる、という現象だ。批判派は、隠された意図を明らかにすれば、人々は自分たちの側につくだろうと思っていたが、決してそうはならなかった。多くの人々のなかにある差別的感情が「law and order」「inner city」といったごく普通の語彙を獲得してしまい、むしろそこから抜け出せなくなってしまったのではないだろうか。

This guy has a dog whistle about as big as a foghorn.

Joe Biden (2020.11.20)

たしかに、ドナルド・トランプ前大統領の場合、FoxニュースやBreitbartなどのメディアを常に追いかけていないと何を言っているのか分からないことが多かった。しかし、国会議事堂襲撃に至るまでの経緯を見る限り、彼自身の言葉が《犬笛》として機能していたというよりは、彼の言葉をより暴力的な方向へ解釈するコミュニティが存在していたと考えるのが妥当だろう。

5.

信奉する偉大な人物が発する宣託を、コアな追従者たちが解釈してより広い信者に広めるという光景は人類史上よくある話だ。特にその言葉が神秘的で謎めいていると、その解釈行為はよりエキサイティングなものになる。

#2/S/P 302 mod?
Fusion GPS.
The Brits - raw intel / dossier / 5 eyes.
GOOG
DNC rigging super delegates / funding/ voter rolls / agreement BS
Election/voter fraud

Q (2018.04.27. 18:39:07 EST)

Qがソーシャルメディアに投下したメッセージ(Q drop)は4000以上あるが、それらのメッセージはすぐに分かるものではない。意味不明のものが多い。Qをずっと追い続けているファンでも、おそらくカギを探してネット上を長い時間探し回り、それでもわからないところへ、新しいQ dropが投下される、そういったことが続いていたのではないだろうか。

58204802B92838x-ZjA378402-12

Q (2018.05.17. 16:57:40 EST)

すべてのQAnon信者がQの発したメッセージを自ら解読していたわけではない。Qのメッセージがあからさまに暴力を呼びかけたりしていたわけでもない。分析によれば、8chanや8kunの掲示板にはコアなグループがいて、Qのメッセージをラジカルな方向へ解読し、暴力的なコンテクストにはめ込んで拡散させていたのだという[3]。そのこと自体はさほど驚くべきことでもないのかもしれない。私がふと思うのは、QAnonの信者たちは、まったく意味のない文字列でも、自分たちのアジェンダに投影することができただろうか、ということである。

例えば、仮にQが「シリンダーが憎くても摩擦への意欲を犠牲にしてはいけない」というメッセージを投下していたとしても、信者たちはこれを不法移民やディープ・ステート、イルミナティなどの人種差別や陰謀論のコンテクストで解釈していたのではないかと思う。実際に、多くの人が「色無き緑の考えが猛烈に眠る」に、コンテクストを補完したり、過去の文献を漁ったりして、意味を見出そうとしている。興奮して話すとりとめのない話も、デモのスローガンも、ヒップホップの歌詞も、17世紀のオスマン・トルコの詩も、そのテキストに動機があれば、意味が見つけられるのだ。(実際には、Qのメッセージは誘導的な部分が多く、決して意味論的に完全に破綻していたわけではない。)

言語的なゲーム、メディアを操作する能力においては、リベラルな主張をする者たちよりも、反動的な言説を操る人々のほうがかなり巧みだというのは、おそらく多くの人が感じているのではないだろうか。これは今に始まった話ではなく、少なくともサッチャーやレーガンの新自由主義が台頭し始めた頃にまで遡ることができる。「《犬笛》を暴いて『それは犬笛だ』と主張し続けることが大事です」というアプローチでは、おそらく有害な言論を解毒できないし、「QAnon信者は陰謀論に満ちている」と蔑むだけでは、これからもフリンジの議論に振り回され続けることになるのではないか。

『ホット・スカル』の後半でこんなシーンがある。前述のAEI入り口のブース、「なんでもいいから筋の通ったことを言え、さもなければお前を感染者とみなして隔離する」ブースで、ある男は、ひたすら自分の同僚の悪口を言うのだ。この男はまったく問題なく通過できる。悪口はどんな場合でも、どんなオーディエンスでも、「意味がわかる(coherent)」のか。コンテクスト崩壊したソーシャル・メディアでも、「意味がわかる」のは、悪口と宣伝だけなのだろうか。もちろんそんなことはないはずなのだが、どこかで隘路に行き当たってしまい、後戻りをすることを放棄してしまっているときがあるように思う。

『ホット・スカル(2022)』 (Netflix Official Trailer)
AEI入り口のブース
ホット・スカル(Sıcak Kafa)

制作:Tim’s Productions
監督:Mert Baykal, Umur Turagay
脚本:Mert Baykal, Zafer Külünk
原作:Afsin Kum
撮影:Yon Thomas
音楽:Cem Öget, Sertac Özgümüs
配給:Netflix
2022

References

[1]^ J. Vitak, "The Impact of Context Collapse and Privacy on Social Network Site Disclosures," Journal of Broadcasting & Electronic Media, vol. 56, pp. 451–470, Oct. 2012, doi: 10.1080/08838151.2012.732140.

[2]^ A. Quaranto, "Dog Whistles, Covertly Coded Speech, and the Practices That Enable Them," Synthese, vol. 200, no. 4, p. 330, 2022.

[3]^ A. Papasavva et al., "The Gospel According to Q: Understanding the QAnon Conspiracy from the Perspective of Canonical Information," Apr. 29, 2022. https://arxiv.org/abs/arXiv:2101.08750