マクニール・レーラー・ニュースアワー ウィリアム・ジョン・ベネット(左)、ドナルド・ケネディ(中)、ジム・レーラー(右)1988年4月19日 [NewsHour Productions

《保守派》と《リベラル》のあいだの溝が、SNSによって近年さらに広く、深くなっているという指摘は多い。私は、本当にそうなんだろうか、という疑問を抱いている。文化をめぐる政治が二極化したのは、Facebookや旧Twitterのせいなのだろうか。むしろ、もともとの議論がそのように設計されていたのではないだろうか。ポリティカル・コレクトネスの議論が湧き上がってくる最も初期の1980年代後半から90年代のニュース映像を見ていて、その設計について考えるようになった。

どうしてニコニコしなきゃいけないんだ。お前の横に座ってるのに。

Frank Zappa

デヴィッド・クローネンバーグ監督の『スキャナーズ(Scanners, 1981)』といえば、冒頭、公開実験でのスキャナー同士の対決で頭が爆発するシーンが有名だ。軍事コンサルタント会社コンセックの研究所でトレーニングされた《スキャナー》と呼ばれる超能力者が、オーディエンスの中から選んだ被験者に対して頭脳をスキャンするデモンストレーションをおこなう。しかし、実は被験者に選ばれた男も隠れた強力なスキャナーであり、コンセックのスキャナーとスキャンの対決になってしまうのである。

『スキャナーズ(デヴィッド・クローネンバーグ, 1981)』政治討論番組のアレゴリーとしての公開実験。[Filmplan International/Criterion

『スキャナーズ』に登場する企業、コンセックがいわゆる《軍産複合体 Military-Industrial Complex》であり、超保守派の側であるのに対して、地下組織のレボックはいわゆるヒッピーなどのカウンターカルチャー、左派を象徴しているといってもいい。このシーンの構図は、当時北米のテレビで毎日、毎週繰り返されていた政治討論番組 ───「Meet the Press」「Face the Nation」「Firing Line」「Point/Counterpoint (“60 Minutes”)」など─── を想起させる。政府の生活保護政策、都市部における貧困と人種の問題、イランのイスラム原理主義とペルシア湾の安全保障、様々なテーマについてコメンテーターを呼び、オーディエンスの前で議論させる。スキャナーの対決の耐え難い緊張は、こういったテレビ番組の討論が過熱して、今にも罵り合いや殴り合いになってしまうのではないかという嫌な緊張感と通ずるものがある。このタイプの論争的ディベートのTV番組はどこにルーツがあるのだろうか。

アメリカの政治討論番組はTVの黎明期から存在したが、当初は専門のジャーナリストによる事実の説明と穏当な解釈が主体の(比較的)お行儀のよい番組がほとんどだった。ニュース番組もアンカーマンが事実のみを伝え、自分の意見を表明するのはまれだった。アンカーマンは白人男性のみに与えられた職であり、メディアは彼らを《国民が信頼できる人物》というイメージとして作り上げていった。アンカーマンがごく稀に自分の意見を表明したことがあったが、普段の彼らの沈黙がゆえに、そのような時は強烈な影響力を及ぼした。アメリカで最も信頼できる男、ウォルター・クロンカイトが「アメリカはベトナム戦争で勝てない」と発言したとき、リンドン・B・ジョンソン大統領は二期目出馬をあきらめざるを得なくなったのである。

ジョンソン大統領が再選を望まないと決めた時、共和党と民主党の党大会は当然注目を集めた。視聴率が伸び悩んでいたTVネットワーク、ABCは、保守派のウィリアム・F・バックリー・ジュニアと進歩派のゴア・ヴィダルという、当時最も注目を集めていた《インテリ》の二人を党大会の会場に呼び、特別ブースで論戦させた。このディベートのテレビ中継(ABC, 1968年)は、まさしく『スキャナーズ』の公開実験そのものになってしまった。ヴィダルの挑発に乗って、それまで東海岸の超インテリを気取っていたバックリーの頭が「爆発」し、自制を失って差別発言をしたのである。

(1968年の)8月28日水曜日、9時30分、1000万人が見ている中で、ウィリアム・F・バックリーの額の小さなドアが突然開いたと思ったら、なんとも野蛮なカッコーが飛び出してきた。私はそのカッコーがそこにいるのはずっと知っていたが、みんなに、そう、何百万人もの人々に見てもらいたくてうずうずしていたのだ。

Gore Vidal (1969) [1]

1968年8月28日といえば、シカゴの民主党大会で警官隊とデモ隊が衝突して、左派がマジョリティの支持を失い、自滅した日でもある。民主党大会のテレビ特番の一環として行われたバックリー/ヴィダルの討論では、保守派の代表であるバックリーが自滅した。相手を《論破》することが《討論に勝つ》ことだと思っている向きには到底理解できないかもしれないが、《討論で勝つ》ということが仮にあるとすれば、それは論争相手の理性の殻をかぶった頭が爆発して、中に詰まっていた《おぞましい野蛮》が飛び出してきてしまうときである。いくら教養のあるふりをしても、知識をひけらかしても、レトリックを操っても、その下に偏見、差別、暴力、無知、貪欲、が巣くっているような人間は、討論の相手として値しない。それを、ヴィダルはほぼ計画的にやってのけたのだった。

アメリカABCテレビの討論特番でのウィリアム・F・バックリー・ジュニア(左)とゴア・ヴィダル(右)[1968年8月28日]。ヴィダルがさりげなくバックリーを「隠れナチ(CryptoNazi)」と呼ぶと、バックリーは自制を失い「このホモ野郎(queer)、俺のことを隠れナチとか呼ぶな、さもなきゃその顔をぶっ叩いてのしてやる」と言ってしまう。ヴィダルは始終ニヤニヤ笑って余裕を見せていたが、バックリーは感情をコントロールできなかったことを一生後悔することになる。[Magnolia Pictures

バックリーとヴィダルの討論番組はアメリカのメディアでは前代未聞の事態となり、これがきっかけとなって、ABC、CBS、NBCの3大ネットワーク、それにPBSも含めて政治討論番組を次から次へと投入していく。これらの番組に共通しているのは、視聴者を感情的にエンゲージさせることが目的だという点だ。話題を呼ぶのは、今でいう《炎上》だった。ゴア・ヴィダルはウィリアム・バックリーが「討論するに値しない人物」であると暴露したのだが、むしろ「討論するに値しない人物」のほうが話題になり、翌日の新聞で取り上げられ、繰り返し番組に呼ばれるようになった。スポンサーも当初は悪評を気にしていたが、それも徐々に薄れてゆき、討論番組はエスカレートしていった。人々の想像力を刺激したり、それまで無かった視点を提供したり、あるいは議論をコンストラクティブに行うということは、まったく視野に入っていない。どんなテーマでも《賛成》と《反対》の二つの陣営を 作り出し (・・・・) 対決 (・・) させる。論点をシフトして議論を紛糾させ、文脈が異なる過去の発言を引用し、自分の声をかぶせて相手の発言を遮り、“whataboutism”で相手の議論の腰を折り、相手の質問に答えずに別の質問を投げ、答えを聞く前に勝手に答えを言い、事実をその場で捏造してやり過ごし、すべての事柄を還元的に言い直し、最初の議論に戻ってそれまでの議論をご破算にし、相手が感情的になったら応戦してエスカレートさせ、罵り、あざけり、笑い、さらに罵る。これは討論ではない。見世物であり、エンターテインメントである。前述の決定的な討論の後、ヴィダルはバックリーの耳元でささやいた。「これで、テレビ局も(私たちに)払ったギャラの元は取っただろう。」バックリーに欠けていたのはこの認識だった。これはディベートでもなければ、共和党と民主党の政策論議でさえもなかった。エンターテインメントだったのだ。

CNNの「Crossfire」は“incendiary(放火、扇動的)”という表現がふさわしい番組だった。ロバート・ノヴァック(左)とパット・ブキャナン(右)がKKKのグランド・ウィザードをスタジオに呼んで、彼らの主張を聞き出し、批判した。しかし、この10年後、パット・ブキャナンは、KKKがこの番組で披露した論法を援用してポリティカル・コレクトネスを批判した。[CNN
CNNの「Crossfire」で最も有名な回のひとつに、音楽CDに警告ラベルを貼るというPMRCの政策についての討論がある。CNNは警告ラベルの貼付に反対していたフランク・ザッパを呼び、 ワシントン・タイムズ (・・・・・ ・・・・) 紙のジョン・ロフトンと対決させた。「ニコニコしろよ」などというロフトンの幼稚な挑発にも、ザッパは独特の皮肉を飛ばし、冷静に論争を続けようとしていた。[CNN

討論番組には、様々なフォーマットが存在するが、大別すると、討論者たちをスタジオに呼んで、物理的に/身体的に《同じ場所》で討論させるものと、討論者たちを衛星回線やネット回線でスタジオとつなぎ、《画面上》で討論させるものがある。1980年代には討論者が一堂に会するフォーマットが主流だったが、このフォーマットだと、物理的に同じ場所にいながら、相手をやり込めようとする気まずさ、居心地の悪さ、落ち着かなさ、嫌な感情の交換、といったものが浮き彫りになってくる場合がある。感情的な言葉のやり取りをしていなくても、ポリティカル・コレクトネスの議論のように、相手の指摘や反論をわざと聞き入れずに、論点ずらしと同じ主張の反復を行うタイプの 戦術 (タクティクス) を延々と見せつけられると、視聴者もストレスを感じるようになる。論争に参加できず、ただ傍から見ているだけの視聴者は、徐々に議論の焦点を見失い、一方の論者の全面勝利によってしか問題解決に至らないのではないかという錯覚をいだくようになる。そこで番組のモデレーターが重要な役割を果たすのだ。モデレーターは、方向を見失った視聴者の不安を見事に吸い上げて落ち着かせ、まるで議論が進んでいるかのように錯覚させる。実際にモデレーターが何を言ったかは重要ではない。モデレーターがの容貌、声、話し方、雰囲気が視聴者に安心感を与えればそれでよいのだ。80~90年代は、その役割はやはり白人男性が担っていた。PBSのジム・レーラー、CBSのテッド・コッペルなどは、その代表例だろう。

この番組が討論番組だなんて、プロレスが運動競技だって言ってるようなもんだよ。

Jon Stewart, responding to Paul Begala on Crossfire (2004)

前回論じた、1990年代のポリティカル・コレクトネスにまつわる議論は、まさしくこの格闘技アリーナを舞台として展開される。前述のウィリアム・F・バックリー・ジュニアは自らホストをつとめる政治討論TV番組「Firing Line」で、すぐにこれを取り上げた。1991年8月のことである。「Firing Line」を放映していたPBSは政治的にはリベラルなメディアと勘違いされやすいが、少なくともニュース番組や政治討論番組は保守的なものが多い。「Firing Line」も1990年代には、ジョン・M・オリン財団が制作資金援助をしていた。「Firing Line」は古式ゆかしいディベートの形式に則ったペダンティック極まりない番組で、人気は到底なかったが、それでもポリティカル・コレクトネスのような高等教育と「教授がレイシストと罵られた」といったタブロイド・ジャーナリズムが合体したテーマを論争するには最適な場だった。

しかし、「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が人口に膾炙するまえに、すでにキャンパスのリベラリズムに対する保守派の攻撃がすでに始まっていたのは、前回みたとおりである。その代表的な事件が、スタンフォード大学における「西洋文化」の授業を「文化、思想、価値」という名称に変更したときに起きた保守派による総攻撃である。1988年、スタンフォード大学では教授会の圧倒的多数が「文化、思想、価値」プログラムを支持した。従来の「西洋文化」の授業では極めて狭義の西洋思想のみが論じられていたのに対し、「文化、思想、価値」ではいくつかのマイノリティのテクストが 追加 (・・) された。「文化、思想、価値」のコースのひとつ、「歴史I」の授業では以下の書籍が取り上げられた。

アリストテレス「政治学」
旧約聖書、新約聖書
ウェルギリウス「アエネーイス」
フラウィウス・ヨセフス「ユダヤ戦記」
アウグスティヌス「告白」「神の国」
コーラン、ハディース
トマス・アクィナス「神学大全」
モーシェ・ベン=マイモーン「迷える人々のための導き」
ガザーリ「迷いから救うもの」
ダンテ「神曲」
マリー・ド・フランス「レー」
ボッカチオ「デカメロン」
チョーサー「カンタベリー物語」
クリスティーヌ・ド・ピザン「女の都」
カスティリオーネ「宮廷人」
ベルナル・ディアス・デル・カスティリョ「メキシコ征服記」
メキシコ征服に関するアズテック側の記録
ニッコロ・マキャヴェッリ「君主論」
トマス・モア「ユートピア」

このコースのことを、ディネシュ・ドゥスーザは「第三世界の思想に偽装した雑な西洋政治スローガン」と呼んだ。何を言いたいのかさっぱりわからないが、このコースの必読書を見る限り、学生に西洋文明との接触を制限して西洋の転覆を狙っているとはとても思えない。

スタンフォード大学のカリキュラムに関する論争は、レーガン政権が《リベラリズム》を攻撃する極めて格好の戦場となった。そして、当時教育大臣を務めていたウィリアム・ジョン・ベネットがスタンフォード大学のキャンパスに乗り込んで講演会を開き、大学の教授会の決定を批判して事態をさらにエスカレートさせた。そして、PBSの「マクニール・レーラー・ニュースアワー」が、ウィリアム・ジョン・ベネットとスタンフォード大学学長のドナルド・ケネディをスタジオに呼んで討論 (ディベート) させた。1988年4月19日のことだ。

この《討論》の不毛さは、意図的に仕組まれた《議論の平面のズレ》に起因している。番組の導入部、スタンフォード大学のカリキュラムが妥当かどうかという議論から、保守派のベネットは「カリキュラムに反対した者をレイシストと呼んで脅迫した」と論点をずらす。そして具体的な必読書リストの話題になると「ダンテとトマス・モアがリストから外された」の一点突破を続ける。カリキュラムの実態を無視し、むしろ実体のはっきりしない「左派」を非難することに終始する。さらには「上質の文献を読ませるのではなく、著者が女性だから、黒人だから、という理由だけで本を読ませようとしている」という、クリスティーヌ・ド・ピザンの著作を誹謗する、差別的な主張を平気で述べる。一方で、学長のケネディは、明らかに無防備だ。確かにケネディの態度はいかにも学者的で、お行儀がよく、どこまでも事実に基づいて見解を述べようとしている。だが、もはや論点はそんなところにはない、ということがわかっていない。ベネットが「左派によって、学術の議論ではなく、政治の議論にされてしまった」と発言したときに気付くべきだ。最初に政治の議論にしたのは右派である。ところがベネットは、テーブルをいきなり回して「お前たちがやった」と言い始めているのである。これは自意識過剰な右派の男たちが溜飲を下げるために始められたエンターテインメントなのだ。

この討論の要は、議論されていることの是非を視聴者は誰も判断できない、という点だ。スタンフォード大学のカリキュラムについて詳細な説明があるわけではない。正直なところ、上にあげた必読書のリストが「大学1年生が読む書籍のリストとして間違っているか」を考察できる視聴者がどれだけいるだろうか。私はできなかったし、今でもできない。リストとして検討するためには、少なくともこの数十倍の数の歴史的に意義のある書籍について吟味する必要がある。だが、テレビの討論が視聴者に求めているのはそんなことではない。テレビでこの討論を見ているとリストの成立過程について何かわかったような気になって、公共の議論に参加できるかのような錯覚を持ってもらえればよいのである。錯覚を生成させるためのメカニズムが《議論の平面のズレ》である。大学のカリキュラム形成のプロセスと結果の是非を問う議論に「レイシスト呼ばわりされた」という《野蛮》を持ち込んだのである。そのように議論が仕組まれている。政治を消費財に変貌させたのだ。

ベネットとケネディの討論を見ているときの居心地の悪さは、彼らの肉体が物理的に同じ空間に存在しているにも関わらず、険悪なボディ・ランゲージを発しているというところから発生している。ベネットは、ケネディと視線を交わさないようにして、表情を終始こわばらせて、場の緊張を意図的に高めている。ケネディは時にはベネットに向けて微笑みかけたりして、昔ながらの「議論で食い違っていても視線を交わし、握手をするという最低限のマナー」で臨んでいるが、そんなものはとうの昔に踏みにじられている。視聴者は居心地の悪さを体験(エクスペリエンス) するが、それは、リンダ・ウィリアムズが「身体のジャンル Body Genre」と呼んだもの[2]、すなわちホラー映画やポルノ映画を見るときのような身体的な反応をともなう情動(アフェクト) としての体験になっているのではないだろうか。ひどく険悪な雰囲気の論争の場にいて、かみ合わない論争を黙って聞いていなければならない視聴者の不快感のエンターテインメント化がこういった《討論番組》の闘争的側面をエスカレートさせていったのではないだろうか。

だが、不快感のエンターテインメント化は保守派が始めたわけではない。先に見たように、ウィリアム・F・バックリー・ジュニアを「隠れナチ」と呼んで挑発し、「おぞましい野蛮」を引きずり出したのは、《左翼》のゴア・ヴィダルだった。現在、不特定多数の情動(アフェクト) を利用して様々なアジェンダを拡散しようとしているのは、保守派もリベラルも関係ない。ただ、情動(アフェクト) を利用するときには、対立する二陣営という構図にするほうが、アフェクトの即効性が高く、中毒性も長く維持できるようだ。

ソーシャル・メディアが変えたのは、その範囲と強度であろう。どんな話題であっても、かみ合わない論争が生まれ、それにみずから参加して、参加者全員で「おぞましい野蛮」を引きずり出し、不快感と快感を交互に味わうエンターテインメントを経験できる、それがソーシャル・メディアである。フィルターバブルとか、エコーチャンバーとかいったものは、程度の差こそあれ、今までも《マスメディアによる選択的報道》といったかたちで存在していた。日本のマスメディアは、海外の紛争のことなどほとんど報道してこなかったし、国内についても、労働問題や貧困の問題、差別の問題よりも、デパ地下グルメに割く時間のほうが長かった。海外のマスメディアでも、それは大して違わないだろう。マスメディアは、まさしく《大衆》がターゲットだったが、もっと細分化されたターゲットに対して仕掛けられたのがソーシャル・メディアの《政治の消費財化》だと言えるかもしれない。

『スキャナーズ(1981)』

REFERENCES

[1]^ G. Vidal, "A Distasteful Encounter with William F. Buckley, Jr," Esquire, vol. 72, p. 142, 1969.

[2]^ L. Williams, "Film Bodies: Gender, Genre, and Excess," in Film Genre Reader IV, University of Texas Press, 2012, pp. 159–177.