来る11月11日(土)開催の文学フリマ東京37に、いつもお世話になっているレーベル「ククラス」さんが参加されます。そして今回、ククラスさんの同人誌『ビンダー 』の最新号「vol.8 特集|宮崎駿」が頒布されます。ククラスさんのブースは「たー14」です。

私、 Murderous Inkも、今回2本寄稿し、掲載していただきました。

紅の豚 ─ ファシズムを凍らせる想像力

『ビンダー』の最新号は宮﨑駿特集です。今年は宮﨑氏の新作『君たちはどう生きるか』が公開されましたが、『ビンダー』の特集でもこの新作についての論考が多く寄せられています。

私は、宮﨑氏の旧作のひとつ、『紅の豚(1992)』についての文章を寄稿しました。『紅の豚』は1929年ごろのイタリアーアドリア海が舞台の、どちらかといえば、のどかな飛行艇乗り達の物語です。しかし、ファシズムが勢力を拡大し、不穏な時代に突入していく時代でもあります。一方で、この作品が製作された1990年初頭は、東西米ソ冷戦が終結を迎え、核戦争の危機が去ったように思えたのもつかの間、湾岸戦争やボスニア・ヘルツェゴビナ戦争が勃発し、世界に別の紛争の溝が刻まれていく時代です。この「戦間期」と「冷戦後」に焦点を当てて、『紅の豚』がどのように私たちの時間に働きかけているかを、宮﨑氏の飛行機への憧れを軸に考えてみました。

残響とエコー

もう1本は、『ビンダー』に長年にわたって連載させていただいている《可視光》シリーズの第三回です。この《可視光》シリーズは、私たち人間がかなりバイアスのかかった「視覚」を持っていることを、映像メディアの歴史を俯瞰しながら考えていくシリーズです。

この連載では、私たちヒトが視覚を通して認識する世界、そしてその世界認識のあり方に基づいて視覚的に構築される映像メディアが、いかに私たちの生体的(バイオロジカル)、社会的(ソーシャル)、技術的(テクノロジカル)、歴史的(ヒストリカル)バイアスによって影響をうけているかを考えている。

「残響とエコー」より

連載第一回の「フィルムはレイシストである」(『ビンダー』6号 所収)では、映画フィルムの特性と肌の色について、第二回「馬が走る 猫が落ちる」(『ビンダー』7号 所収)では、映画のスローモーションの技術と私たちの認識の関係について考察しました。ちなみに「フィルムはレイシストである」というのは、ジャン=リュック・ゴダールが言ったと言われています。

今回は《可視光》というシリーズにもかかわらず、ちょっと趣を変えて、可視光を利用しないで空間を経験すること、すなわち音の反響(残響とエコー)について、考えてみました。私たちの空間認識は、少なくない部分を音、特に残響やエコーにたよっています。しかし、このような音の現象と人間のかかわりは一筋縄ではないのではないか、というのが私の関心です。特にラジオ、録音などの音響メディア、映画を含む映像メディアの領域では、残響を使って「空間を感じてもらう」「空間を演出する」「空間を偽装する」といったことは、音響工学の進歩と並行して進んできたのです。今回は音響の制御が、このような変遷が、どのように私たちの様々な認識の変化と連動しているかを考察してみました。

ちなみに、この残響のあり方について色々考え始めたきっかけは、マーク・Z・ダニレフスキーの「葉の家(House of Leaves)」です。

こちらに、ククラスさんの(かつてTwitterとよばれていた)Xの投稿を引用します。目次が掲載されていますので、ぜひご参考に。すごい執筆陣ですよね。表紙、挿画、絵画の装丁も期待しています。

2023.11.5 追記

『ビンダー』の表紙です。郷治竜之介さんによる水彩ドローイングだそうです。かっこいいです。

郷治さんのInstagramでも紹介されています。