12月第5週の「硝子瓶」です。
今回は、ノーム・チョムスキー、ノーマ・バルツマン、について記録します。

ノーム・チョムスキーと軍事研究

ノーム・チョムスキーは、アメリカの外交政策、特に武力行使や諜報活動による他国への干渉を帝国主義と呼んで、長年批判し続けてきた論者の一人です。一方で、彼のMITでの言語学研究がペンタゴンからの研究資金グラントによって支えられてきたという批判も長年ありました。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのクリス・ナイトが2016年に「Decoding Chomsky」という本を出版してから、この論争はさらに注目を集めています。そのナイトが自著への批判や疑問を総括する意図でAeonに長い記事を投稿しました。

もともと、自然科学、社会科学の分野のいずれにおいても、MITはペンタゴンとのつながりが深かったと言います。ハーバードで職を得られなかったチョムスキーが、MITのジェローム・ワイズナーのもとへ相談に行ったのが、米ソ冷戦がエスカレートしていく1955年です。チョムスキーは軍事研究に直接かかわることは避けたものの、ペンタゴンは彼の言語学研究、特に普遍文法理論が、コンピューター言語と自然言語のインターフェースの開発に使えるのではないかと考えていたのです。エドモンド・ゲインズ大佐は「英語によるクエリを直接理解できる司令制御システムをどうやったら作れるかを考えていたが、そのために言語学研究に資金提供をした」と発言しています。空軍がスポンサーとなって起業した企業、MITREはそのような技術を作り出すことが目的だったのですが、チョムスキーのもとで学んだ学生が10人も就職したと言います。チョムスキー自身もMITREの研究にコンサルタントとして参加しています。

クリス・ナイトは、チョムスキーの倫理的ジレンマ(軍事を盾にしたアメリカ帝国主義の批判と自身の言語学研究の軍事への接近のジレンマ)を、彼の発言をもとにつぶさに追っていきます。一方で、言語学のような学問でさえ軍事研究の一環として多くの資金が投下されていく歴史も分析しています。この部分はなかなか興味深いです。

ただ、彼の議論の多くについては、私は判断を保留せざるを得ないかな、と思いました。特にチョムスキーが研究結果を軍事に利用されることを恐れて、言語研究を《基礎的ベーシック》で《純粋ピュア》なものに留めていた、という分析はちょっと理解しかねます。

aeon, "The Two Chomskys", , Chris Knight, December 8, 2023

ノーマ・バルツマン逝去

脚本家、作家のノーマ・バルツマンが103歳で亡くなりました。

The Hollywood Reporter が「ハリウッド・ブラックリストの最後の生き残りの一人」と書いていますが、その通りでしょう。1947年にハリウッドで赤狩りが始まり、共産党と関係があったとみなされた映画関係者はブラックリストにのせられて仕事を得られなくなりました。ノーマ・バルツマンと夫のベン・バルツマンはともに、共産党に入党していましたが、HUACの公聴会に召喚されることを回避するためにヨーロッパに渡りました。実質的な亡命です。渡欧前、ノーマは『危険な女(The Locket, 1946)』、ベンは『バターンを奪還せよ(Back to Bataan, 1945)』などの作品で軌道に乗り始めていたところでした。

赤狩りが始まると、バルツマン夫妻の家はFBIの監視下に置かれていたと言います。夫妻は気づいていなかったのですが、ある日、前庭で日光浴をしていると、前を通りかかった女性が教えてくれたのだそうです。

「この通りに入るところで、男が見張っているのよ。『誰の家に行くんだ』って聞いてくるの。あなた方の家を見張ってるみたい。気を付けてね。」とそのブロンドの若い女性が親切にも教えてくれたのです。「ありがとう。あなた何て名前?」「ノーマよ」「あら、私と一緒ね」と言って別れました。数年後、亡命先のパリで見た新聞にその女性の写真が載っていたのです。マリリン・モンローという名前でした。

Norma Barzman

1999年、アカデミーがエリア・カザンに「名誉賞(Academy Honorary Award)」を授与したとき、HUACで「仲間を売った」カザンに背を向けた映画人もかなりいました。そのときのことをバルツマンは自伝に書いています。

1999年3月22日、月曜日。アカデミー賞の次の日。電話が鳴った。ソフィアでした。ソフィアって、あの人しかいないでしょ?
「ノーマ、テレビで見たわよ。あなた綺麗だったわ。」とソフィア。
「ソフィア、テレビで見たわよ。あなた綺麗だったわ。」と私。
ソフィア・ローレンとは、1960年にマドリッドで知り合いました。私と私の夫、ベン・バルツマンは「エル・シド」のオリジナル脚本を書いていた最中でした。
音楽のような笑い声。ソフィアは続けてこう言いました。「電話したのはね、あなたの仕事が素晴らしいって言いたかったの。カザンの時は3分の1くらいしか拍手がなかったわ。」
このあと、5週間も経たないうちに、私たちブラックリストされた脚本家たちのなかでまだ生きていた者たちは、アカデミーに対して抗議行動を起こしました。情報提供者エリア・カザンに栄誉賞を与えたことに抗議して。
冷戦下のマッカーシズムの狂気の中で、ニューヨークの著名な舞台演出家、カザンが映画界で仕事を続けるために下院非米活動委員会(HUAC)で証言し、自分の親友を共産主義者として名指ししました。だから抗議活動を私たちは起こしたのです。我々ブラックリストされた脚本家にとって、彼の「生涯功労」とは、彼の映画だけではありません。彼はすでに『紳士協定』と『波止場』で 二回アカデミー賞を受賞しています。彼の「生涯功労」のなかには、人の人生をめちゃくちゃにしたということも含まれているのです。
ソフィアは続けて言いました。「あの老人は哀れね。でも私は黙って座って、拍手しなかったわ。私の隣はロベルト・ベニーニ。前にはスティーブン・スピルバーグ。それにトム・ハンクス。デヴィッド・ゲフィン。シェリー・ランシング。みんな座ったままよ。振り返ってみたら、やはりみんな座ったまま。家に帰って、ビデオを見てみたの。チャールトン・ヘストンがね、何人かに指図してて、まるで会場全員が立ち上がって大喝采を送ってるみたいになってた。私そこにいたのよ。テレビに映ってたのは、私が見て聞いたことと全然違う。ほとんどの人が座ったままよ。拍手なんてちょっとだけ。ねえ、ノーマ、私は政治的ではないけれど、でもこれは違うわ。アカデミーはどうしてこんなことしたの?わからない。」

Norma Barzman
The Hollywood Reporter, "Norma Barzman, Screenwriter Who Was Among the Last Survivors of the Hollywood Blacklist, Dies at 103", Scott Feinberg, December 19, 2023
Norma Barzman, "The Red and the Blacklist: The Intimate Memoir of a Hollywood Expatriate", PublicAffiars, 2004

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Pacifiction (2022)
Directed by: Albert Serra
Written by: Albert Serra
Produced by: Pierre-Olivier Bardet, Albert Serra, Montse Triola, Dirk Decker, Andrea Schütte, Joaquim Sapinho, Marta Alves, Laurent Jacquemin
Cinematography: Artur Tort
Edited by : Albert Serra, Artur Tort, Ariadna Ribas
Music by: Marc Verdaguer, Joe Robinson
Production companies: Idéale Audience Group (France), Andergraun Films (Spain), Tamtam Film (Germany), Rosa Filmes (Portugal)
Distributed by: Les films du losange (France), Elastica (Spain)
Starring: Benoît Magimel, Pahoa Mahagafanau, Marc Susini

2022年のカンヌ映画祭に出品。パルム・ドールは逃しました。

165分。

『Pacifiction』よりも長い映画はたくさんありますが、なぜかこの映画は長く感じます。批評家のあいだでは好意的な評価が多いのですが、それでも2時間45分について多くの批評家が言及します。ポール・シュレーダーにいたっては「これ、いつ終わるの?と思うが、終わるとみて良かったと思う映画」という奇妙な褒め方をしています。

ポリネシアの島の弁務官が、島民のあいだでひろがる噂を耳にします。フランス政府が核実験を再開するというのです。当初、単なる噂として取り合っていなかった彼ですが、奇妙な人物が島にあらわれたり、核実験反対派の活動に妙な言動がみられたり、沖に停泊している潜水艦を目撃したりして、次第に事態に巻き込まれていく ─── そういったストーリーです。

監督のアルベール・セラによれば、複数台のデジタルカメラで同時に撮影し、最終的には撮影したフッテージは500時間分にものぼったといいます。確かにシネマトグラフィは印象的なのですが、大部分の時間がマジックアワーの映像に割かれていて、しばらくすると食傷気味になります。ポリネシアが舞台ですから、彩度が強調されたカラーパレットになっていますが、だからといって自動的に美しいとなるわけではありません。ストーリーは非常に曖昧で、曖昧であることに物語的な意味はなく、曖昧であることそのものが売りなんだろうと思います。批評家は絶賛、それ以外の映画ファンは「時間の無駄」という酷評。典型的なシネフィル向けの怠惰極まりない映画です。サイモン・エイブラムスが「視る者はナッジングが止むまで反応し続ける」と冷ややかに突き放していましたが、まあそんなところですね。

価値がないとは言いません。おそらく、100年か150年後には、2020年代ヨーロッパの骨董品として価値が出るんじゃないでしょうか。

"Pacifiction"

Listening

Jon Nakamatsuは、1997年にクライバーン国際ピアノコンクールで優勝したピアニストです。当時彼はカリフォルニアの高校でドイツ語教師をしていました。いわゆるクラシック音楽界とのコネなど全くと言っていいほどない人物で、突然現れたのです。このファイナルの録音はなぜか知られておらず、このYouTubeは「テキサスで発見されたテープ」から起こしたものだそうです。Nakamatsuは日本ではほとんど知られておらず、おそらく日本のクラシックファンの好みのスタイルでもないのかもしれませんが、極めて確かなテクニックに裏打ちされたまじめで情熱的な演奏です。

Jon Nakamatsu: Rachmaninoff Piano Concerto No.3| Van Cliburn Piano Competition Finals (1997)