盗賊(Il Bandito, 1946) |
第二次世界大戦後のアメリカ、ハリウッドが描く《復員兵》について見ているが、イタリアの戦後の映画に描かれている復員兵1) の状況も興味深い。ここでは、日本であまり取り上げられることのない、2本の映画を見てみたい。
ヤケッパチの荒野
ジュゼッペ・デ・サンティス(Giuseppe De Santis, 1917-1997)は、イタリア・ネオリアリスモの代表作のひとつ、『にがい米(Riso amoro, 1949)』の監督として有名だ。共産主義者である彼の作品は常にその《政治的メッセージ》が批判され、特に1960年代以降は本国イタリアでも活動が困難になっていった。その彼のデビュー作が『荒野の抱擁(Caccia tragica, 1947)』である。
イタリア南部の共同農場を舞台にした『荒野の抱擁』、ヴェルチェリの米作に従事する女性たちを描いた『にがい米』、チョチャリア地方の羊飼いの物語の『オリーブの下に平和はない(Non c’è pace tra gli ulivi, 1950)』の3作品は、ジュセッペ・デ・サンティスとイタリア・ネオリアリズムにとって、重要な位置づけの作品だ。『荒野の抱擁』という邦題がついているが、原題は「悲劇的な狩り」、チェーホフの「悲劇の狩場」によっている。ただし、ストーリーはまるで関係ない。
舞台は、戦後のポー河下流域、エミリア・ロマーニャ2) で結成された集団農場である。この農民たちの組合は土地や家畜を地主から譲り受けるためになんとか資金を調達したのだが、その資金を積んだトラックが強盗団に襲われてしまう。物語は、強盗団の女性首謀者ダニエラ、彼女の恋人アルベルト、そして強盗団に人質にとられたジョヴァンナ、それを助け出そうとする夫のミケーレを中心に展開する。彼らの人生は、戦争、特にナチスによって滅茶苦茶にされてしまっていた。アルベルトとミケーレはともにドイツの強制収容所で苦難を乗り越えてきた仲間だった。ダニエラはナチスの協力者として社会的制裁を受けていた。農民たちは自分たちで強盗団の追跡に乗り出し、まだ地雷が埋まっている広大な土地で《狩り》が始まる。
この物語には、戦争が人々にもたらしたさまざまな悲劇が映し出されるが、そのなかでも最も印象的なのが、復員兵たちを乗せた列車が農地を突っ切って走っていくシークエンスだろう。このシークエンスは、自身も復員兵だった、あの小川徹も言及している[1]。
デ・サンティスは、ぼくにとっては気がかりな作家だった。戦後のネオ・リアリズム時代に『戦火のかなた』よりも、『自転車泥棒』よりも『無防備都市』よりも何よりも、ぼくには『荒野の抱擁』が忘れられなかった。ぼくもそうだったから、復員兵が敗戦の故郷にもどってきて「ぼくらに自由を!職を!」と列車の上からヤケッパチに叫ぶシーンだけが、気に入ったのかもしれない。
小川徹
シーンは、走る列車の貨車の上、アコーディオンで演奏される「イン・ザ・ムード」で踊る男女から始まる。カメラは走る列車の上に据え付けられていて、揺れている。スクリーンの中ではありとあらゆることが起きている。手前では取引をする男たち、踊る男女、酒をあおる男、アコーディオンを弾く男、向こうの車両の上にも人、いくつもの平面でアクションが混在している。そして、なんとカメラはそのまま上昇し、列車が突っ走る広野と、列車に向かって走ってくる人々の広いパノラマをとらえる。これは当時チネチッタに1台しかなかったクレーンを使って撮影されたという[2]。ソビエト映画と見紛うようなショットが続き、列車を占拠している復員兵たちのアジテーション演説に続いていく。貨車にスピーカーを据え付けて、復員兵のひとりが叫ぶ3)。「俺たち復員兵は腹が減ってる、職もない!」「200万人の復員兵は見捨てられている!」「耕すべき土地がいっぱいあるじゃないか、俺達には手があるぞ!」この《カオスと政治の共存》のシークエンスは、ネオリアリスモの映像のなかでも特別なものだと言っていい。
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Caccia tragica (1947) |
この復員兵たちの、生存をかけた《政治》の描写をみると、ロバート・ワーショウが『我等の生涯の最良の年(Best Years of Our Lives, 1946)』を批判する際に用いた「政治の現実」という言葉が形をともなって現れてくる。
『荒野の抱擁』は、戦時中のレジスタンスが作った連盟、ANPIが製作した映画だった。この作品が前面に押し出してくる共産主義的なスタンスが、当時イタリアで政治的に対立していた人民戦線とキリスト教民主党の選挙戦に絡まってしまい、公開が大幅に遅れたといわれている(イタリアでの公開は1948年4月18日)[3]。
ア・ティスケット・
ア・タスケット
復員兵をあつかったイタリア映画はたくさんあるが、もう一作紹介したい。『盗賊(Il Bandito, 1946)』4) はアルベルト・ラットゥアーダ(Alberto Lattuada, 1914- 2005)が監督、アンナ・マニャーニ、アメデオ・ナザーリが出演した、戦争直後の混乱期の作品である。ネオリアリスモの渓流のなかに位置づけられることは少なく、むしろネオリアリスモを期待したシネフィルたちが「退屈なギャング映画」と残念そうに批判しているのをよく目にする。ラットゥアーダはフェリーニと共同製作・監督した『寄席の脚光(Luci del Varietà, 1950)』などが頻繁に話題になるが、初期の監督作品は取り上げられることがあまりない。
この作品は、復員兵が社会復帰への道を踏み外し、ギャングの首謀となっていくさまを描いている。エルネスト(ナザーリ)は、戦友のカルロとドイツの強制収容所で苦しい年月を過ごしたが、戦争の終結とともに解放され、故郷に帰ってくる。映画はこの故郷に戻ってくる列車の中から始まる。エルネストの故郷トリノは爆撃を受け、彼の家も瓦礫の山、そして母と妹は行方知れずになっていた。まともな生活が保障されないなか、彼は売春婦になっていた妹と再会するが、その後は奈落の底に落ちていくだけだった。
アンドレ・バザンが、この『盗賊』のあるシーンをとり上げている。引用してみよう[4]。
『盗賊』には、ドイツに拘留されていた男がイタリアに戻り、自分の家が破壊されているのを目の当たりにする場面がある。かつて家々が建っていたところには、今や崩れた塀に囲まれた石の山があるばかりだ。カメラはまず男の表情を映し出し、それから、彼の目の動きを追いながら、遠景の360度のパン撮影となり、周囲の様子を明らかにする。このパン撮影は二重に独創的である。第一に、私たちは最初、カメラという媒介を通じて男を眺めており、役者の外側にいる。だが、パン撮影をとおして、私たちはごく自然に彼と一体化してしまうので、その結果、カメラが一周して、愕然とした男の表情が映し出されたとき、思わずたじろいでしまうほどである。第二に、このパン撮影による主観ショットは、途中でその移動スピードを変化させている。ロングショットの「スウィッシュ・パン」で始まったのち、カメラはほぼ動きを止める。そして、まるで男の気持ちによって直接動かされているかのように、彼の視線の動きに合わせて、焼き崩された壁をゆっくりと眺めるのである。
Andre Bazin
だが、バザンはこのシーンの、もうひとつの大事な要素に言及していない。サウンドトラックにエラ・フィッツジェラルド/チック・ウェブ・オーケストラの「ア・ティスケット・ア・タスケット」が使用されていることだ。
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Il Bandito (1946) |
このシーンは全部で3つのショットから成り立っている。最初のショットは、エルネストが商店の立ち並ぶ夜の舗道を歩いて自分の家に向かっているところである。角を曲がったところで次のショットになり、ほぼ暗闇の、雨に濡れた舗道を歩くエルネストがとらえられている。3つ目のショットは、通りに立ち止まったエルネストを門をとおしてシルエットのように映し、家に入ってきた彼がカメラに近づき、そのままバザンの描写した360度のパンになる。このあいだ、サウンドトラックはエラ・フィッツジェラルドの陽気で無邪気な歌で埋め尽くされている。
主人公のエルネストにとって、最も衝撃的で悲劇的な瞬間に、暢気な歌(もとは子供がハンカチ落としでうたう歌)が流れ続けている。このように「正反対の《雰囲気/ムード》をもつ音と映像を重ねること」「映像に、それとはまったく異なる性格のサウンドトラックを付けること」を研究者たちは《soundtrack dissonance》[5][6]とか《incongruent film music》[7]、あるいは《ironic soundtrack》、《コントラプンクト》などと呼んでいる。特に有名な例として、クエンティン・タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス(Reservoir Dogs, 1992)』の拷問シーンで流れるスティーラーズ・ホイールの「スタック・イン・ザ・ミドル」がよく取り上げられる[8]。スタンリー・キューブリックはこの手法に特にこだわっていて、『博士の異常な愛情(Dr. Strangelove, 1964)』で水爆が爆発する映像に「また会いましょう」を重ねてみたり、『時計じかけのオレンジ(Clockwork Orange, 1971)』のレイプのシーンで「雨に唄えば」を使用したりしている。黒澤明は、この《不協サウンドトラック》の手法のパイオニアと言ってもよいかもしれない。『酔いどれ天使(1948)』の病魔に蝕まれる三船敏郎と「かっこうワルツ」、『野良犬(1949)』の殺人犯と刑事の格闘とピアノの「ソナチネ」、といった具合に、1940年代にこの手法をみずからのものとした感がある。
ラットゥアーダの『盗賊』のこのシーンが特異なのは、その《音量》だ。他の環境音は極力小さくされ、「ア・ティスケット・ア・タスケット」だけがサウンドトラックを占有している。この扱いは、まるでノン・ダイエジェティック5) であるかのような印象を受ける。音源が映されていないうえ(オフ・スクリーン)、ショットが変わっても、音量に変化がないからだ。ところが、このあと4つ目のショットで、この曲がダイエジェティックであることが明かされる。ドアの開閉で音量が変わる。ラットゥアーダが物語の重要な動機となるシーンで、《そぐわない》サウンドトラックを使って、観客に《ズレ》を感じさせようとしたのは間違いない。そして、物語の中の音なのか、音源はどこなのか、といったことをすべて曖昧にして、最大限に効果を引き出そうとした。乱暴かもしれないが、面白いアプローチだ。
だが、このサウンドトラック、「ア・ティスケット・ア・タスケット」には、もっと強烈な《意味》があったのではないかと思う。あるいは、そのように読み取れる。
カンヌでは、あるシーンをみて、ソ連の参加者が大いに喜んだ。復員兵がイタリアに戻ってきて、自分の家が破壊されているのを目の当たりにするシーンだ。私は焼け跡の映像に「ア・ティスケット・ア・タスケット」の音楽を付けたのだった。連合軍がイタリアを爆撃で破壊し、この惨状の中を、哀れなこの男はひとりでさまよっている。そのシーンだ。
アルベルト・ラットゥアーダ [9 p.31]
第1回のカンヌ国際映画祭に『盗賊』は出品されたが、そこでソ連からの参加者(おそらく審査員のセルゲイ・ゲラシモフだろう)が、この「ア・ティスケット・ア・タスケット」を喜んだのだという。なぜ喜んだのか。ラットゥアーダも詳しくは述べていないので、推測しかできないが、「連合軍が爆撃した自分の家の焼け跡を復員兵が目の当たりにする」ということを考えてみるべきなのだろう。
ドイツの収容所で強制労働に従事させられた彼らが故郷に戻ってきて、目にしたのは破壊された故郷だった。『盗賊』の舞台、トリノは、連合国軍によって40回以上も空爆されている。しかも、1943年のイタリア降伏後もアメリカ軍はトリノにあるフィアットの工場がナチスによって操業されていることを理由に爆撃し続けた。イタリアの都市部を空爆したのは、主にイギリスとアメリカである[10]。
もう一度、上の『盗賊』のシーンを見て(聞いて)ほしい。エルネストが家の前まで来たとき、エラ・フィッツジェラルドは「On the way I dropped it, I dropped it, I dropped it, Yes, on the way I dropped it」と歌う。もちろん原義では「かご/手紙を落とした」という意味6) だが、もはや「爆弾を落とした」としか聞こえなくなってしまう。自分たちの街に、自分の家に、爆弾を落とした国の陽気な歌が、その廃墟に流れる。「落とした、落とした」と。このやりきれなさは、尋常ではない。
1946年は、東西冷戦が現実のものになり始めた年である。チャーチルが「鉄の壁」を提唱し、アメリカとソ連のあいだで戦後覇権についてのイデオロギーのやり取りがおこなわれた。カンヌ映画祭の時には、もはやソ連はアメリカやイギリスと距離をおき始めていた。実際にはどういうことだったかわからないのだが、もしソ連の参加者が「喜んだ」ことの向こうに、この政治的な悪意がひそんでいるのなら、それを見たラットゥアーダもきっとやりきれない気持ちになったのではないだろうか。
Caccia tragica(荒野の抱擁、The Tragic Hunt, 1947)
Directed by Giuseppe De Santis
Written by: Giuseppe De Santis, Corrado Alvaro, Michelangelo Antonioni, Umberto Barbaro, Carlo Lizzani, Gianni Puccini, Cesare Zavattini
Produced by: Giorgio Agliani, Marcello Caccialupi
Cinematography by: Otello Martelli
Edited by: Mario Serandrei
Music by: Giuseppe Rosati
Starring: Vivi Gioi, Massimo Girotti, Carla Del Poggio, Andrea Checchi
Production companies: Dante Film, ANPI
Distributed by: Libertas Film
Il Bandito(盗賊, The Bandit, 1946)
Directed by Alberto Lattuada
Written by: Oreste Biancoli, Mino Caudana, Alberto Lattuada, Ettore Margadonna, Tullio Pinelli, Piero Tellini
Produced by: Dino De Laurentiis
Cinematography by: Aldo Tonti
Edited by: Mario Bonotti
Music by: Felice Lattuada
Starring: Anna Magnani, Amedeo Nazzari, Carla del Poggio, Carlo Campanini, Mino Doro
Production companies: Lux Film
Distributed by: Lux Film
Notes
1)^ イタリアの復員兵、特にドイツで強制収容所に拘束されていて、戦後に解放された復員兵は、極めて複雑な事情のもとに戦後を迎えた人々である。『荒野の抱擁』に登場するのはドイツの強制収容所にいた復員兵たち、『盗賊』のエルネストはかぶっている帽子から判断すると東部戦線に送られていたアルピーニだろう。彼らはイタリア軍兵士として従軍していたものの、1943年9月のイタリア降伏の際に、ドイツ軍に「ドイツとともに戦うか」と問われて、従わなかった者たちである。9割のイタリア兵が、ドイツやその傀儡のイタリア社会共和国の兵士になることを拒否したという。ドイツは彼らを収容所に送り、強制労働に就かせ、さらには、この元イタリア兵たちが赤十字の救済対象にならないように「捕虜」という地位さえはく奪した。戦争が終結しても、連合軍でさえ、彼ら元イタリア兵を《枢軸国の兵士》とみなしてすぐには解放しなかった[11]。
2)^ いわゆる「赤のベルト」を流れるポー河は、当時のイタリアのレジスタンス、特に左翼、人民戦線にとって象徴的な意味があったとVittiは指摘している[3 p.29]。
イタリアの左翼はポー平原のこの地域に特別な意味をもたせていた。この土地から、連帯、平等、民主主義を再生する「北風」がイタリア全土に吹きんでくる、という考えをもっていた。
Antonio Vitti
「北風 Il vento del nord」は第二次世界大戦直後のイタリア共産党において重要なキーワードだった[12]。保守的で前ファシスト時代回帰を目指すイタリア南部の政治状況(そして、その体制はアメリカ、イギリスの占領軍によって支援されていた)と対抗して、労働者と農民の支持を勝ち取ろうとした共産党だったが、1948年の総選挙ではキリスト民主党に及ばなかった。
3)^ このマイクを握って窮状を訴えている復員兵を演じているのは、脚本家、映画監督のカルロ・リッツァーニ(Carlo Lizzani, 1922-2013)である。彼は『にがい米』『オリーブの木の下に平和はない』などの脚本で知られ、のちに映画監督にもなった。彼は91歳になって投身自殺で自ら命を絶ったという。
4)^ 日本未公開作品のため、定訳がないようだ。ほかには『悪漢』『山賊』などの邦題がみられる。ここではアンドレ・バザン著、野崎歓、大原宜久、谷本道昭訳「映画とは何か」の邦題訳にしたがった。
5)^ 「ダイエジェティック」「ノンダイエジェティック」などの用語については松永伸司氏のサイトの説明が非常に明快でわかりやすいので、ぜひ参考にしてほしい。
6)^ 元になった童謡の歌詞と、フィッツジェラルド版の歌詞については英語版のWikipediaに掲載されている。
References
[1]^ 小川徹, "デ・サンティスの抵抗ー「女の部屋」の浮気論" 映画評論, vol. 19, no. 3, p. 20, 1962.
[2]^ A. Farassino, "Giuseppe De Santis." Moizzi, 1978.
[3]^ A. Vitti, "Giuseppe De Santis and Postwar Italian Cinema." University of Toronto Press, 1996.
[4]^ アンドレ・バザン(翻訳:野崎歓, 大原宜久, 谷本道昭), "映画とは何か." 岩波書店.
[5]^ S. Doyle, "Danse Macabre," Film Comment, vol. 52, no. 3, p. 18, 2016.
[6]^ K. Um, "A Study on Dissonance Functions of Scenes and Background Music in Movies," International journal of advanced smart convergence, vol. 9, no. 4, pp. 96–100, 2020.
[7]^ D. Ireland, "Identifying and Interpreting Incongruent Film Music." Springer, 2018.
[8]^ K. Kalinak, "Film Music: A Very Short Introduction." Oxford University Press, 2010.
[9]^ C. Cosulich, "I film di Alberto Lattuada." Gremese Editore, 1985.
[10]^ A. Di Corato, "Air War on Italy and Air War on Turin 1940 - 1945" Lancaster University, 2020.
[11]^ S. Frontera, "The Italian Military Internees in Germany during World War II: Repatriation, Memory, Denial," Témoigner. Entre histoire et mémoire. Revue pluridisciplinaire de la Fondation Auschwitz, no. 123, pp. 156–167, 2016.
[12]^ A. U. Marchini, "The Italian Communist Party 1921-1964: A profile." University of Windsor, 1966.
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