2024年4月第2週の「硝子瓶」です。
今回は、1929年のサイレント映画『パンドラの箱』の修復版のミスについて、1958年の日本映画『風立ちぬ』について、です。

パンドラの箱

ジョー・ダンテがシェアしていたリンクが回覧されていたようで、ルイーズ・ブルックスのドキュメンタリーを見ました。BBCの番組「Arena」シリーズの「Louise Brooks(1986)」です。

Louise Brroks Documentary

彼女が出演した映画の中で最も有名なものと言えば、『パンドラの箱(Die Büchse der Pandora, 1929)』です。ただし、この映画はオリジナルのネガも、プリントも現存していません。アンリ・ラングロワがなんとかして復活させようとしましたが、1960年代当時は難しかったようです。

昨年、イギリスのEureka/Masters of Cinemaが『パンドラの箱』のブルーレイをリリースしました。これは、2009年に製作された2K復刻版の初めてのディスク化で、133分のバージョンです。この復刻版の元になったのは、1950〜70年代の3つのデュープ(シネマテーク・フランセーズのデュープ・ネガ[1952]、チェコの国立フィルムアーカイブのプリント[1964]、ロシアのゴスフィルモフォンドのコピー[1970])ですが、どれも状態が悪く、特にピントずれが問題となっていました。ジョージ・イーストマン・ハウスがスポンサー、シネマテーク・フランセーズ、チネテカ・ディ・ボローニャ、チェコ国立フィルムアーカイブ、ゴスフィルモフォンドの協力で、Haghefilm Conservationが修復を行いました。修復の資金は、雑誌「プレイボーイ」の創始者で、ルイーズ・ブルックスのファン、サイレント映画修復の最大の援助者の一人、ヒュー・ヘフナーが提供しています。昨年、渋谷のシネマヴェーラで上映されたのは「ドイツで修復された130分版」とあるので、おそらくこの修復版ではないかと思います(ご存じの方いますか?)。

ところが、どうもこの2K修復版にミスがあるらしいという話がでています。サイレント映画の掲示板「Nitratevilla Forum」で、Eureka/Masters of Cinemaのブルーレイを入手したファンが、次のような指摘をしています。映画がはじまってすぐ、ルルの部屋に、集金人がガス代の集金に来るシーンです。

(ルイーズ・ブルックス演じる)ルルが集金人の手にお金を渡すとき、集金人は(ルルに)気をとられてしまって、絨毯の上にコインを2枚落としてしまうが、それに気づかずにいる。デジタル修復ソフトが、この2枚のコインをフィルムの汚れ・欠陥と判断して消去してしまっている。結果、この映像では集金人の手からは何も落ちないことになってしまっている。

lhl12 (NitrateVille)

このLHL12氏は、そのミスを見た時点でディスクを取り出してケースに戻し「もう見る気もしない」と言っています。Eureka/Masters of Cinemaは修復版をディスク化しただけなので、おそらく問題は2009年の2K修復版そのものにあるのだと思われます。ちなみに2006年のCriterion版(Criterion Collectionのストリーミング版)を確認すると、これには集金人の手から落ちるコインが2枚はっきりと映っています。そして、その落ちたコインをルルが見るというところまでが一連の演出になっています。コインが消されてしまうと、ルルが床をみてにっこりする意味が伝わらなくなってしまいます。

Criterion Collection版の『パンドラの箱(1929)』から
集金人(左)の手から滑り落ちたコインが見える

Nitratevilleの同じ掲示板に、パラマウントでレビュー・セッションに参加したという人物のコメントがありますが「こういったソフトウェアに騙されないようにするのはかなり難しい」と述べています。実は多くの場合、修復作業はアウトソーシングしていることが多く、作品に詳しくない技術者がフレームごとの修正を行っていることも多いと言われています。

これは以前書いたことですが、映像技術がより多用途化し、多能化してくるにしたがって、「自分が今見ている映像はどのようにして作られたのか」という問いに意識的になってくる必要があると思います。上記の『パンドラの箱』は古い映画の修復の例ですが、こんな《映画史上の名作》でさえ、ミスを起こしてしまう。いったいどんな処理が施されているのか、それはどんなプロセスだったのか、どんなデータをもとにしたのか、そして、それは自分が見たいと思うことにかなっているのか、といったことをないがしろにせず、愚直に問わないといけない時代になっています。

映画『風立ちぬ』1954年版

もちろん、宮﨑駿のアニメーションではありません。

島耕二監督、桂一郎、村山俊郎脚本の東宝の映画です。出演は久我美子、石濱朗、山村聰、山根寿子、青山京子、特別出演で上原謙、池部良、笠智衆、佐野周二らキャストは豪華です。

映画の最初の字幕がはっきりとお断りしています。

この映画は堀辰雄の「風立ちぬ」より任意に潤色せるものである

映画『風立ちぬ』冒頭字幕

軽井沢でロケ、しかも撮影は三村明なので、美しい白黒の映像です。

ただ、ストーリーは原形をとどめてはいません。山村聰と山根寿子のサブプロットにいたっては、いつもの山村君と山根さんになっていて、なんだか妙に明るいメロドラマになってしまっています。

この映画に対して、当時、作家の藤井重夫が痛烈な批判をしています。

冒頭シーンから、この映画はウソを描いている。すなわち、結核病者が日光浴を日課にした、最も不可欠の療養第一課にしたのは、この病気が“不治の業病”と頭から恐れられた医学上で未開な時代の習慣・・である。映画「風立ちぬ」を撮るまえにこの映画の監督島耕二や、共同脚色者の何某や何某は、いちどでもこの病気について智識を得る努力をし、サナトリウムの一つも訪ねて病者の日常生活をつぶさに見学をすることをしたのだろうか?東洋一の療養センターと言われる東京都下の清瀬の街をいちどでもこの映画の作者たち(脚色・作家)が歩いてみれば、そこで一つの特異な風景を目撃したはずである。きれいな着物をきた娘さんが、陽に灼けて赤茶けた古い麦藁帽子を冠って、松の多い樹間の路や、バスの走る街並みを散歩している姿を。頭から上は、まるで土工か山男の風態である。 ・・・(中略)・・・テーベに、直射日光はいちばんいけないとされている。日光を頭から受けないために、ここでは男も女も病室の外に出るときは麦藁帽子あるいは手ぬぐい、タオルを頭にいただく。

「映画、それはときに“社会的凶器”となる」
藤井重夫
映画評論 12(2)

藤井重夫も指摘していますが、この映画『風立ちぬ』が公開された1954年5月の2か月後の7月には、結核患者(主に生活保護を受けていた患者たち)が「死の座り込み」を起こしています。当時、結核患者137万人が入院を希望していたのに対して、病床は17万しかなかったのです。

結核患者が減少せず、病床が不足していた頃、厚生省は26万床計画という目標を掲げたことがある。しかし、目標の実現は遠かった。軽快した生保患者が長く病床をふさいでいる状況を崩せば、不足気昧の病床の利用効率が上るはずであるという発想で、生保適用の結核患者の入退所基準という社会局長通牒が、昭和29年5月、全国の都道府県民生部に通知された。

国立療養所史(結核編)

当時の結核患者の多くは、長期の療養を余儀なくされており、当然働きたくても実質上無理という状態でした。それゆえ生活保護を受けながら療養に専念していた患者が多かったようです。そこへ厚生省が「軽快した生保患者」にターゲットを定めて追い出しを図ったのです。当然、生活保護を受けていた結核患者たちは反発しました。大阪、岡山を皮切りに全国の結核患者が基準撤回を要求して自治体に押しかけています。

東京都でも、7月末、都患が1,000名を越える患者を動員して都庁に3日間座りこんだ。炎暑の候であった。座り込みの中で、国立村山療養所の女性患者米津敏代が死亡した。ジャーナリズムが騒ぎ立てた。死亡事件の翌日、患者達は引揚げたが、この座り込み事件の後始末は,国立療養所に軽快病陳制度ができ、退所の基準も、府県によっては「退院しても再発のおそれがないもの」というような弾力条項が挿入されることで焦点がぼかされることになった。しかし、実際には、そのころ、化学療法の偉力が発揮されて(その年の6月から、結核予防法で1次抗結核薬3者併用が無期限に使用できることになっていた)入院患者数が減少し始め、病床にゆとりが生じてきたので、入退所基準は、その後再び緊迫した舞台にのぼることはなかった。さらにその後昭和36年から,結核予防法による命令入所制度が強化されて,同法第35条による医療費負担が生保に優先するようになって現在に及んでいる。

国立療養所史(結核編)

当時の結核患者たちの生活や、東京での座り込みの様子のフィルムが残されています。多くの文学作品や映像作品で描かれる「高原のサナトリウムでの療養生活」とはまったくかけ離れた風景です。

昭和29年(1954年) 結核患者 座り込みで陳情[NHKアーカイブス

「フィクション」であるのと、「現実の世界に興味がない」のは全く違います。この『風立ちぬ』という映画だけを見ると、当時の難病との闘いの実相がすっかり抜け落ちてしまっています。藤井は「人を救けることができない者はせめて人を殺す兇器はすッこめるべきである」と結んでいます。

Listening

Chasing Goldberg by Fred Lerdahl

この曲は2004年のIrving S. Gilmore International Keyboard Festivalで、13人の作曲家にコミッションされた「J・S・バッハのゴールドベルグ変奏曲のアリアをもとにした変奏曲」のうちのひとつです。繰り返しはカノン。

この曲を作曲した後に、Lerdahlがさらにダイアトニックの可能性を追求してさらに2曲作曲しています。それらはここで聞けます。