|
『晩菊(1954)』 何かの錠剤を飲むきん(杉村春子) |
『晩菊』
『晩菊』は成瀬巳喜男が1954年(昭和29年)に監督した東宝映画である。
この映画は、三人の中年女性を中心に、戦後の日本で女性が一人で生きていく姿を描いている。きん(杉村春子)は、かつては美人の芸妓として絵葉書にもなったが、今は、本郷あたりで不動産を運用しながら堅実な財産を築いている。聾者の静子(鏑木ハルナ)が手伝いとして一緒に住んでいる。板谷(加東大介)が不動産運用の仲介にしょっちゅう訪れてくるが、ビジネスパートナーでしかなく、彼女のまわりには男っ気はない。そんな彼女のところに、過去の男が訪れてくる。一人目は関(見明凡太郎)という男。きんは、かつてこの男に大陸で無理心中をさせられそうになった。そしてもう一人は、田部(上原謙)。きんは、かつてこの男に夢中だったが、男は軍隊にとられてしまった。
二人めの女は、たまえ(細川ちか子)という。すこしグウタラな息子の清(小泉博)と二人暮らしで、旅館の清掃の仕事をしている。清は大人になっても、たまえのことを「ママ」と呼ぶようなところがあるが、その清が最近、どこかの囲われ女とつきあっていて、たまえは面白くない。
そして、とみ(望月優子)。どこかの会社の雑用の仕事をしているが、不真面目で、パチンコや競輪にうつつを抜かしている。パチンコで勝つと景気がいいが、とはいっても景品のタバコを会社の連中に売るくらい。娘の幸子(有馬稲子)は割としっかり者で、雀荘で働いている。とみとたまえは同じ借家に住んでいて、仲がいい。
原作は林芙美子の三本の短編だ。「晩菊」がきんの話、「水仙」がたまえの話、そして「白鷺」がとみの話、といった具合だが、脚本の田中澄江と井手俊郎は、それぞれの話を少しづつ配合して、のぶ(沢村貞子)を上手く絡ませて、三人の女性のストーリーが地続きになって進んでいく。
映画のクライマックスは、きんのところへ田部がたずねてくるところと、とみとたまえが酔っぱらってしみじみと話をするところだろう。映画は、この二つのシーンをカットバックでつないでいく。
錠剤
たとえば、杉村春子によって演じられている『晩菊』の引退した芸者は、昔なじみの男が留守中に訪れていたことを知り、再会の喜びを男に向かって表現する以前に台所へと急ぎ、大きな氷の塊を冷蔵庫からとり出し、こかまく砕いてタオルに包むと、それを頬にあてがって鏡台に向かう。この一連の動作は、たしかに多くの意味で日本的だといえる。
(中略)
だが、今日のほとんどの日本人にとっても、その振舞いの意味は完全には理解できないだろう。われわれは、それが、芸者が客たちの前に出るときに見せる化粧の下準備ではなかろうかと想像するが、芸者という風俗的な存在と縁遠くなった現代の日本の観客は、ヒロインの過去の社会的な地位と習慣とを示しているものだろうこの動作の意味を、類推によって推測することしかできない。
(中略)
つまり、異なる文化圏の映画を見るときに理解のさまたげになるものは、一つの振舞いが現実生活に於て示すコノテーションそのものではなく、多くの物語的な細部が、その振舞いの作品の中での意味を、全篇の文脈から類推させうるように映画はできているのである。
蓮實重彦 [1]
物語的な細部が、全篇の文脈を決定的に左右してしまうこともある。
成瀬の作品は、一シーンに一回は金の話が出てくるのではないかというくらい、金の話が多い。この映画も、きんを中心に金のやり取りの話が実に多い。そんななか、永らく会っていなかった田部が会いに来る、という知らせは、きんの心に、懐かしい恋人との再会という甘い希望を抱かせる。だが、その田部も結局、金の無心に来たのだった。
「四十万ほど都合をつけられないか」「二十万でもいいから、なんとかならないか」と無様に無心する田部に、すっかり酔いも醒めたきんは、ぴしゃりと断って、もう遅いからさっさと帰れと言い始める。酔っぱらっている田部は、昔話などして、だらしなく食い下がる。結局、田部は泥酔して帰れなくなり、泊っていく。深く失望したきんは、悔しさと寂しさと怒りとが入り混じった感情で、布団に入っても闇を見つめている。私は、そんなエピソードのように思っていた。
途中、きんが長火鉢のほうへ行ったかと思うと、おもむろに錠剤を口に放り込むところがある。
私は、この錠剤のシーンを何ということはなく見ていたのだが、原作を読んで少しばかり驚いた。
一瞬、凄まじい怒りが眉のあたりに這ふ。謎のやうに誘惑される一つの影に向つて、田部は火箸を固く握つた。雷光のやうなとゞろきが動悸を打つ。その動悸に刺激される。きんは何とない不安な眼で田部の手元をみつめた。いつか、こんな場面が自分の周囲にあつたやうな二重写しを見るやうな気がした。「貴方、酔つてるのね、泊つて行くといゝわ……」田部は泊つて行くといゝと云はれて、ふつと火箸を持つた手を離した。ひどく酩酊したかつかうで、田部はよろめきながら厠へ立つて行つた。きんは田部の後姿に予感を受け取り、心のうちでふふんと軽蔑してやる。この戦争ですべての人間の心の環境ががらりと変つたのだ。きんは、茶棚からヒロポンの粒を出して素早く飲んだ。ウイスキーはまだ三分の一は残つてゐる。これをみんな飲ませて、泥のやうに眠らせて、明日は追ひ返してやる。自分だけは眠つてゐられないのだ。
小説 晩菊
林芙美子
別に驚くようなことではなかったのかもしれない。原作は戦争直後の昭和24年頃を舞台にしている。普通の薬局でヒロポン錠やセドリン錠を売っていた時代だ。金のやりくりに切羽詰まった田部が、自分と静子を襲って金を盗みかねない、という警戒心から、きんはほろ酔いを覚醒剤で吹き飛ばしたのである。
映画のほうはどうだろう。公開は1954年、ヒロポンが規制されてからまだ数年、当時の観客は、たとえ林芙美子の原作を読んでいなくても、あの特徴的な小瓶を見れば「ヒロポンでカッと目を覚ましたんだな」と判ったのだろう。すれば、そのあとはちょっとしたサスペンスだ。きんは二階の布団の中でまんじりともせず、暗闇をカッと眼を見開いて見つめている。果たして男は下階で箪笥や押入れを荒らし始めるのだろうか。それともこの部屋に摺り足で忍び込んでくるのか。きんの首を絞めようとするのか。声の出ない静子は、悲鳴も上げられずに、その一部始終を見ているのか。あの静かなショットはそんなことを思わせるものになっていたのだろう。
もちろん、成瀬の映画でそんな手荒なことは滅多に起きないが、起きてもおかしくないよ、と思わせるものだったのである。この映画の公開数年後だったら『警視庁物語』シリーズのなかの一作で舞台になっていたかもしれない。多々良純と滝謙太郎が、沢村貞子の飲み屋で「金持ちの独り女」の話を耳にして、夜中に襲いに行く。次の朝、訪ねてきた加東大介が、冷たくなった杉村春子の絞殺死体を見つけて腰をぬかす。目撃者は聾者の鏑木ハルナ。神田隆と堀雄二は鏑木の証言からモンタージュを作成し、刑事たちが聞き込みを始める。そんなストーリーの60分ものができていてもおかしくないような、そんな家だ。
映画『晩菊』では、きんの内的独白(interior monologue)が挿入されている。若干、唐突な印象も否めないが、それでも、きんの心の動きはそれではっきりとわかるようになる。原作では、きんの内的独白と、田部の内的独白が並行して記されている。田部は酔って濁った頭で奸計をめぐらしている。
田部は、きんを殺してしまふ事も空想した。だが、こんな女でも殺したとなると罪になるのだと思ふと妙な気がした。誰からも注意されない女を一人や二人殺したところで、それが何だらうと思ひながらも、それが罪人になつてしまふ結果の事を考へると馬鹿々々しくなつて来るのだ。たかが虫けら同然の老女ではないかと思ひながらも、この女は何事にも動じないでこゝに生きてゐるのだ。二つの箪笥の中には、五十年かけてつくつた着物がぎつしりと這入つてゐるに違ひない。昔、ミッシェルとか言つた仏蘭西人に贈られた腕環を見せられた事があつたけれども、あゝした宝石類も持つてゐるに違ひない。この家も彼女のものであるにきまつてゐる。唖の女中を置いてゐる女の一人位を殺したところで大した事はあるまいと空想を逞しくしながらも、田部は、此女に思ひつめて、戦争最中あひゞきを続けてゐた学生時代の、この思ひ出が息苦しく生鮮を放つて来る。
小説 晩菊
林芙美子
気味が悪いのは、田部が訪れてくる前に、関という男がきんのところにやってきて、やはり金の無心をしているところだ。かつて、きんと無理心中をしようと、彼女の喉に刃物を刺した男である。どことなく弱気な物腰の男だが、そんな恐ろしい一面もある。きんがきっぱりと断ると、うらめしそうに、おとなしく帰っていく。どうやらそのあとどこかで事件を起こしたらしい。このエピソードは小説「晩菊」にはない1) 。成瀬/田中/井手は、この「関」のエピソードを入れ込んで、きんの「これから」に暗い翳を落とす。いつまた、関のような人間が彼女の前に現れるかわからない。ラストのシーンで、板谷の案内で、不動産を見に行くきん。ふと、板谷ときんが一緒になればよいのに、と感じてしまう人もいるかもしれない。もちろん、そんなことはなんの解決にもならないのだけれども。
女性だけでは生きていくことが難しい。経済的にも、身の安全という意味でも。
所詮は旅出する身の上
たまえ(細川のぶ子)と、とみ(望月優子)が火鉢をはさんで飲んでいい気持ちになっている。たまえは、こんな詩を詠唱する。
よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀をつくしたとて、
所詮は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。
さらに続けて
この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。
この詩は、林芙美子の原作「白鷺」にも登場する。
原作の「白鷺」は、これから小田原に行って好きな人と所帯を持つという幸子に、とみが自分の男性遍歴を聞かせるという話である。いわば、人生のレッスンとして、男がいかに信用ならないか、それをとくと聞かせようというのである。原作のとみは、若い頃美人で有名だったが、男運が悪く、高級料亭の女中から芸者、東京から満州へと流浪の旅を続けていた。映画とはかなり違う話に仕上がっている。
この原作小説で、件の詩が出てくるのは、とみがまだ十六の時の話である。とみは赤坂の三楽亭という料亭で女中をしていた。昭和の初年頃、満州事変の前である。そこで、パリ帰りのピアニストの斎藤寧という男に贔屓にされた。とみは純粋な気持ちで斎藤に恋心を抱く。彼女が斎藤の自宅を訪れたとき、こんな会話がある。
斎藤は軈て、小さい本を取り出して讀み始めた。
よい人と一生安らかにゐたとて、
一生この世の栄耀をつくしたとて、
所詮は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。この永遠の旅路を人はたゞ歩み去るばかり、
歸つて来て謎をあかしてくれる人はない。
氣をつけてこのはたごやに忘れものをするな。
出て行つたが最後二度と再び歸つては来ない。「どうだい、いいだろう?浮世とはこんなもンさと云つた文句なンだ」
「門松は冥途へ行く一里塚だつて歌みたいですね。西洋人だつて考へる事は日本人と同じところもあるンでございますね」
小説 白鷺
林芙美子
この詩の一節は、11世紀の詩人、オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」からの引用である。問題は、この翻訳が昭和23年に岩波書店から出版された、小川亮作のものだという点だ。前述したように、とみが、この詩を斎藤から聞くのが昭和初年頃のことである。小川の翻訳はまだ登場していない2) 。普通に考えると、林芙美子が前年に岩波文庫から出版された小川訳の「ルバイヤート」から、出版年を考えずにそのまま引用してしまった、ということになるだろうか。
だが、ひょっとすると、とみが、焼け跡のみすぼらしい書店の軒先で「ルバイヤート」の新刊を見かけて、20年前の恋人の手にあった「小さい本」を思い出したのかもしれない3)。仄暗い部屋で、酒をあきらめて買ってきた、その文庫本の硬いページをめくりながら、彼の声を思い出していたのかもしれない。朧気ながら、彼が読んでくれた節を思い出し、新しい口語訳を口ずさんでいるうちに、それが彼の声の記憶になったのかもしれない 4) 。
映画『晩菊』では、この詩を詠ずるのはたまえである。彼女はどこでこの詩と巡り合ったのだろう。それは説明されない。唐突に口ずさまれるこの詩は、彼女の最愛の息子が旅立っていくという憂いの反響となる。ひょっとすると、息子の数少ない蔵書の中にあったのだろうか。それとも、彼女が本屋で見つけて買ってきて、寂しい夜にそっと読んでいたのだろうか。あるいは、原作のように、過去にこの詩を教えてくれた男がいたのだろうか。
きっとたまえは若い頃に恋した男の思い出のために「ルバイヤート」を買い求めたのだ。その男はもう二度と彼女の前に現われることはないのだろう。だからこそ「出て行つたが最後二度と再び歸つては来ない」とつぶやく。きんのように、過去を呼び戻そうなどど期待してはならないのだ。そんな期待は泡のようにはじける。硝子戸の向こうに立つ男の影におびえて暮らすようになる。
浮世とはこんなもンさ、と言えるのはまだ幸せなのかもしれない。
Notes
1)^ 小説「白鷺」に「関」という男がでてきて、主人公のとみに金の無心をするくだりがあるが、映画のストーリーとはかなり違う。
2)^ 小川亮作は戦時中に回教圏研究所の機関誌「回教圏」にアラビア語原典からの文語訳を寄稿している。佐藤春夫が小川に文語訳から口語訳への変更を勧めたという。その結果、口語訳で編まれた岩波文庫版「ルバイヤート」が戦後すぐの昭和23年(1948年)に発行されることになる[2]。
3)^ 「ルバイヤート」の翻訳の歴史は極めて複雑だ。そもそも「ルバイヤート」そのものの出典についても不明な点が多い。そして、「ルバイヤート」を世に知らしめたエドワード・フィッツジェラルド(Edward FitzGerald, 1809-1883)の英訳が、翻訳者の解釈を反映した《意訳》を多く含むものだったことも、後々この作品群の受容に大きな影を落とす。日本では、明治、大正、そして昭和戦前・戦中期を通して、「ルバイヤート」の日本語訳が試みられるが、大半はフィッツジェラルドの英訳から日本語訳を起こしたものだった。その点で、小川亮作のペルシア語原文(サーデク・ヘダーヤト版)からの日本語への直訳は画期的だったのである。斎藤の手にあった「小さい本」は、戦前のものであるから、フィッツジェラルド版からの翻訳だろう[2][3][4][5][6][7]。
4)^ 林芙美子の原作小説「白鷺」、そして映画『晩菊』内で引用されている「よい人と」で始まる四行詩は、小川以前の「ルバイヤート」日本語翻訳には含まれていない。すなわち、原作で登場する斎藤は、この詩を知りえたはずがなく、とみによる回想は、彼女の捏造された記憶であることはほぼ間違いない。ちなみに、「斎藤寧」は、1932年に芸者と心中したピアニスト、近藤柏次郎がモデルではないだろうか。
References
[1]^ 蓮實重彦, "香港国際映画祭の成瀬巳喜男," リュミエール, vol. 11, pp. 37–41, Mar. 20, 1988.
[2]^ 杉田英明, "戦後日本の『ルバイヤート』," 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻, 2021. Accessed: Aug. 29, 2024. [Online]. Available: https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/2000479
[3]^ 杉田英明, "明治日本の『ルバイヤート』," 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻, 2016. Accessed: Aug. 29, 2024. [Online]. Available: https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/39077
[4]^ 杉田英明, "大正日本の『ルバイヤート』," 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻, 2017. Accessed: Aug. 29, 2024. [Online]. Available: https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/39063
[5]^ 杉田英明, "大正日本の『ルバイヤート』(続)," 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻, 2018. Accessed: Aug. 29, 2024. [Online]. Available: https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/2003695
[6]^ 杉田英明, "昭和日本の『ルバイヤート』," 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻, 2019. Accessed: Aug. 29, 2024. [Online]. Available: https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/51982
[7]^ 杉田英明, "昭和日本の『ルバイヤート』(続)," 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻, 2020. Accessed: Aug. 29, 2024. [Online]. Available: https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/54335
0 Comments
コメントを投稿