2024年11月第5週の「硝子瓶」です。

《白い壁の部屋》の著作権

ミネソタ州ミネアポリス在住のアマゾン・インフルエンサーが、テキサス州オースティンに住む別のアマゾン・インフルエンサーを相手どって、著作権侵害で訴えています

アマゾンの商品の中から注目の商品を見つけ出してSNSで紹介する「アマゾン・インフルエンサー Amazon Influencer」。人気のインフルエンサーのなかには数百万のフォロワーを持っている人もいます。インフルエンサーとして活動しているLaura Giffordは、同じインフルエンサーのAlyssa SheilがSNS上で展開しているアマゾン商品紹介の活動が「著作権侵害、ビジネスの不法な妨害、 外見の類似性の不正利用」であるとして、訴訟を起こしました。つまり、別の人間が私の真似をして私のインプレッションを奪ったという主張です。確かに二人のTikTok(Laura Gifford [Sydney Slone]Alyssa Sheil)、Instagramを見ると、インテリアのデザイン/配色、紹介方法、ファッション、髪型、話し方、映像の撮影/編集、そして腕のタトゥーまで、どこか似ていると言われれば似ています。

Laura Gifford(上)と Alyssa Sheil(下)のTikTokのスクリーンショット

この二人を訪ねて取材したMia Satoが衝撃を受けたのは、その家だったようです。どちらの家もベージュとナチュラルカラーに埋め尽くされた空間。特に何もない白い壁は極めて重要な構成要素です。

Alyssa Sheil TikTok

もちろん《白い壁》に著作権があるわけではなく、争点は他の要素も含めた全体の構成として侵害があったかという話になるのだと思います。たとえそういう争点だとしても、インフルエンサーのTikTokのスタイルがユニークなプロパティなのかと言われると…。どうなんでしょうね。

以前、私は「七里ヶ浜からカブールまで」という論考でインターネットに頻繁に登場する《白い壁の部屋》について書きました(「ビンダー」Vol. 4 所収)。これは、プログラマー/ライターのPaul Fordが書いた「The American Room」という記事にインスパイアされたものです。YouTubeなどの動画投稿サイトが興隆し始めた2000年代、「アマチュアのYouTuberたち」が自分の部屋で撮影した動画を投稿していました。その動画の大部分が、何もない白い壁を背景にしていたのです。

大半は自分のベッドルームなのだが、その背景の奇妙な無表情さとは裏腹に、「YouTuber」たちがそこで愚行奇行を繰り広げる。あり得ないような音のゲップをする、着ぐるみを着て跳ねまわる、ティーンエージャーがオムツをして指をくわえている、小太りの男がユーロビートに合わせて口パクをする、とヴァイラル・メディアの潮に乗るために世界中のアマチュア動画投稿者が知恵を絞ってカメラの前に立っている。強烈な自己承認欲求があるにもかかわらず、自分の部屋は全く何も示さない空虚な白い壁という不思議。

七里ヶ浜からカブールまで
2000年代の「White Room」:Numa Numa Video(上)lonelygirl15(下)

白い壁の没個性性とインターネットの没場所性が奇妙に交差した場所として、こういった動画が存在し(そしてlonelygirl15のように、それが映像文法として完全に確立したからこそ生まれた動画シリーズもありました)、映像はコンテクストを放棄する代わりに共感を探し求める、そういう時代についての考察でした。しかし、その後登場してきたYouTuberたちを見ていると、この《白い壁》はすっかり、なりをひそめたように感じていました。

YouTube Podcaster “Rotten Mango(上)”, “Hank Green (vlogbrothers)(下)”

しかし《白い壁》の美学エステティックは、やはり生きのびていて、マーケティング/ブランディングの強力な武器となっているのです。むしろ以前よりも壁の白/ベージュのナッシングネスは極端になったかもしれない。それは当然、アマゾンの経済圏に棲息する以上、アマゾンの商品の存在を際立たせるキャンヴァスとして機能しないといけないからなのですが。

(前掲の記事でPaul Fordは壁の色を「white」と総称していましたが、このMia Satoの記事では「beige」と呼んでいるところも示唆的です。2000年代のウェブカメラの映像と2020年代のスマートフォンカメラの映像の色階調の表現力の差があらわれています。)

Alyssa Sheil TikTok

Mia Satoの記事で特に印象的だったのはこの部分。

この時点で、私は記事の取材のためにアマゾン製品紹介動画をかなり見ていて、そのせいで私の「あなたにおすすめ」ページはかなりベージュ色になってきていた。私は、Sheilが自身のアマゾンホームページについて言っていたことを思い出した。ニュートラルカラーの商品を買えば買うほど、アマゾンはクリーム色の商品ばかりを表示するようになる。

Mia Sato
私はTikTokのアカウントを持っていないのですが、それでもこの二人のアマゾンインフルエンサーの動画をいくつか見ているだけで、「You May Like」がベージュ色になりました。

The Verge, "Bad Influence", Mia Sato, November 26, 2024

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Black Narcissus (1947)

先日、パウエル&プレスバーガーの『黒水仙(Black Narcissus, 1947)』をCriterion Channelで観ていたのですが、「あれ?」と思うことがありました。微妙に色が揺れるシーンがあるのです。そこを繰り返し見ましたが、やはり色が、ほんの少し青味からフラットに、とか、フラットから赤味に、とか、本当によく見ないとわからないレベルで変化します。シーンとしては、光源が揺れる必然がないシーンです。しかもいくつもそういうシーンがあって、これは原版のポジフィルムの問題か、カラー・トランスファーの時の問題か、どっちかだろうと思いました(クライテリオンは過去にも色の問題を起こしているので、疑惑はどうしてもかかります)。調べてみると、同じように「color shiftに気づいた人はいないか?」と言っている人がいて、やはりこの色の揺れは存在するんだなと確信しました。クライテリオンのBluRayのレビューのなかには「Color separationがわかる箇所がある」という指摘もありますが、これがColor separationなのかどうなのかは判然としません。ただし、1940年代のテクニカラーのフィルムですから、なんらかの劣化を起こしている可能性はありますね。

試しにと思って、日本のストリーミングサービスの『黒水仙』も見てみたのですが…。吹替版しかないという、かなり深刻な問題を見逃したとしても、あまりに映像の質が物寂しくて、これではこの映画のファンになる人なんかとても出てこないだろうと、痛感しました。一昔前の退色したプリントをもとにしたブロックノイズが目立つ標準画質のデジタル動画です。撮影のジャック・カーディフ、美術のアルフレート・ユンゲ、衣装のハイン・ヘックロスの驚異的な仕事の欠片も感じることが出来ません。でも、いま日本語字幕付きで《昔の映画》を見ようとすると、まず見れないか、あってもだいたいこのレベルのものしかないのが現状です。もちろん視聴者層のサイズと流通のコスト(版権等)の関係からそうなっているのだという議論はあります。結果的に「昔の映画は古臭くて見る価値もない」といった偏見を多くの人が持つことになります。『黒水仙』は、かつて(おそらくクライテリオン版をもとにした)ブルーレイが日本でも発売されていたのですが、もう入手不可能にちかいですし、たまに中古市場やオークションで出てきても、あんな値段ではまあ誰も買いたいなんて思いません。

私は以前、映像作品をどのような形で見ても(スクリーンで見ても、ブルーレイで見ても、スマートフォンで見ても)構わないけど、その「視聴の前提」がどういうものかはちゃんと知らないといけないのではないか、と書きました。「視聴の前提」の選択肢の多様さを知るためにも、やはりある程度の幅広い経験は必要です。アクセスできなければ、その経験は得られません。いま、この国ではその経験を得られる機会は相当貧弱なような気がします。

『黒水仙(Black Narcissus, 1947)』(Criterion Collection)