『男の敵(The Informer, 1935)』
監督:ジョン・フォード
音楽:マックス・スタイナー
映像と音楽の同期
この作品は当初、音楽をつけない予定だった

まずは「マックス・スタイナーって誰?」という基本的な質問に答えておこう。20世紀のハリウッドを代表する映画音楽作曲家であり、『キング・コング(King Kong, 1933)』『風と共に去りぬ(Gone with the Wind, 1939)』の音楽を作曲したことで有名。アカデミー賞は26回ノミネートされ、3回受賞。ハリウッドを代表する存命中の映画音楽作曲家と言えば、ジョン・ウィリアムズになるだろうが、その前はマックス・スタイナー(1888-1971)だったと言っても過言ではない。

『風と共に去りぬ』のテーマ。30秒ほどすると、あの有名なテーマが登場する。

『風と共に去りぬ』のメイン・テーマ(マックス・スタイナー作曲)

波形を使った最初の作曲家

マックス・スタイナーは、1929年にRKOと契約した。トーキー映画がハリウッドに革命を起こしていた、まさにその変換点で彼は映画界に入ったのである。

この「RKO」というのが、この話の重要なポイントになる。

スタイナーが、RKOの製作責任者ウィリアム・ルバロン(William LeBaron)の目に(あるいは耳に)とまったのが、1929年12月のことだった。ブロードウェイのミュージカル・コメディ「サンズ・オ・ガンズ(Sons O’ Guns)」の音楽を聞いたルバロンが、そのオーケストレーションに度肝を抜かれて、作曲者兼音楽監督兼指揮者だったマックス・スタイナーとすぐに契約した[1, Chap5]。スタイナーは1936年の前半まで6年間にわたりRKOで96本の映画音楽を担当(作曲・監督)した。

後の自伝や伝記においても、トーキーが生まれたばかりの1930年代前半に、スタイナーが多くのテクニックを開発したことは詳しく書かれている。だが、その中でも彼が1937年に寄稿した“Scoring the Film”というエッセイは、RKOでの多岐にわたる手法開発を記述していて興味深い[2]

トーキーが導入された当初、サウンドトラックは、すべて今でいう「一発録り」で、撮影の時にカメラの視野ヴューの外で楽団が演奏している音楽が、セリフや舞台上の効果音とともに録音されていた。もちろん、最終的に編集の段階でフィルムが切られたり、つなぎ合わされたりするのだが、その際にサウンドトラック上の音楽の連続性は犠牲とされることが多かった。スタイナーによれば、プロデューサー達は映画の中の音楽について、奇妙なルールを適用したという。登場する音楽は「絵として(pictorially)」見せなければならないと感じていたというのである。すなわち、音楽がサウンドトラックで使用される際には、その音源を見せるべきだと主張したのだ。現代の映画批評の言葉を使えば、すべての音楽は《ダイエジェティック》である必要があった、ということになる。

音楽を入れるために、変な手法が数多く採用された。例えば、森の中でのラブ・シーンがあるとしよう。ここで流れる音楽を正当化するために、意味もなく森の中をうろうろしているバイオリン弾きが登場することになる。あるいは、羊を連れた羊飼いが笛を吹きながら登場する。ただ、そのフルートの音楽には、50人のオーケストラの伴奏がついているのだ。

Max Steiner [2]

スタイナーによれば、1931年頃からリレコーディングの技術が格段に向上し、映画音楽の様相が変わり始めたという。リレコーディングとは、映画のサウンドトラックだけを独立に編集してマスタートラックを作成する工程を指している。また、この頃から映画製作の現場では、音楽が流れる動機を映像で見せる必要性を感じなくなってきていた。恋人たちが森の中で囁く場面でロマンチックな音楽を流すために、得体の知れないバイオリン弾きを登場させなくてもよくなったのである。プロデューサーも監督も《ノン・ダイエジェティック》な音楽の効果を強く志向し始め、そればかりか、映画全体を通して・・・・・・・・スコアをつけるように作曲家たちに求め始めた。サイレント映画時代に、劇場で演奏されていた劇伴音楽の役割が戻ってきたと言ってもよいかもしれない。スタイナーが担当した『六百万交響楽(Symphony of Six Million, 1931)』『南海の劫火(Bird of Paradise, 1931)』では、それぞれ全体の40%、100%にスコアがつけられた。

『六百万交響楽』のメイン・テーマ(マックス・スタイナー作曲)

この『六百万交響楽』の音源を聞くとわかるが、(たとえ“Remaster”されたのだとしても)かなり音質が悪い。一部音が「割れて」いるところもある。当時は録音時のダイナミックレンジが狭く、そのうえ、マイクロフォンの周波数応答特性も悪かった。トーキーが始まった頃のコンデンサー・マイクロフォンは、5kHzまでしか応答域がなく、これではオーケストラの音を満足に再現することはできなかった。

1930年代前半のハリウッド映画の録音に使用された、代表的なコンデンサー・マイクロフォン(General Electric 394 Type)の周波数応答特性 [3]

UCLAのシリーズ“A Century of Sound II”のRobert Gittによれば、RCAのコンデンサー・マイクは、プリアンプを収納したケースの形状から「トマト缶(tomato can)」とあだ名されていたという[4]。RKO時代のマックス・スタイナーの代表作『キング・コング(King Kong, 1933)』の録音風景のスチル写真を見ると、この「トマト缶」と思われるマイクが複数使用されている。少なくとも6台(オーバーヘッドに2台、木管セクション前に1台、ホルン前に1台、ハープの前に1台、チェレスタの前に1台)が確認できるが、それ以上(おそらく8台)使用していた可能性が高い。当時のハリウッドでは、オーケストラの録音のためにすでにマルチチャンネル録音が行われていたのである。

『キング・コング』サウンドトラック録音風景。作曲を担当したマックス・スタイナーは、オーケストラの指揮もしている。赤い丸で囲んだところに、マイク(「トマト缶」)が設置されている。(L. Tom Perry Special Collections, Harold B. Lee Library, Brigham Young University)

最初に「RKOというのが重要になる」と述べたが、RKOは他のハリウッドスタジオと録音形式が違っており、それがマックス・スタイナーの作曲手法に大きな影響を与えることになる。

トーキー導入当初は、ワーナーのサウンド・オン・ディスク方式(Vitaphone)が優勢だったものの、そのうちサウンド・オン・フィルム方式の、2つの録音再生システムが主流となる。一つは可変密度方式(Variable Density Recording)と呼ばれるもので、ウェスタン・エレクトリック(とその権利を専門に扱うERPI)が技術を提供した。音声トラックはフィルムに光学的に記録されるが、その光学的濃度(大きな音は黒く、音量が小さくなるにつれてうすい灰色に、無音状態は白)をスケールとする手法だった。ハリウッドのスタジオの大部分(MGM、パラマウント、フォックス、ユニヴァーサル、コロンビア)が、このシステムを採用した。

もう一つのシステムは、可変面積方式(Variable Area Recording)と呼ばれる方式である。同じく、音声トラックはフィルムに光学的に記録されるが、その記録幅(大きな音は全幅、音量が小さくなるにつれて幅が狭く)をスケールとする手法だった。これはRCAによって開発されたものだが、ハリウッドでこの方式を採用したのは、RCAの子会社であるRKOだけだった。

教育映画 “Sound Recording and Reproduction (1943)” 可変密度方式と可変面積方式の仕組みと違いについて解説する短編映画。[Prelinger Archives]
左:可変密度方式(Variable Density Recording)と、中、右:可変面積方式(Variable Area Recording)の光学トラック。可変面積方式には両側から波形を記録するもの(中:Bilateral Variable Area)と片方だけ波形を記録するもの(右:Unilateral Variable Area)とがある。[短編教育映画“Sound Recording and Reproduction (1943)”より]

実際の映画会社のロゴをサウンドトラックと一緒に見てみると、その仕組みと機能がわかると思う。

まずはMGMのロゴより。左に映っているのが、映画上映においては見ることのない、光学サウンドトラックである。レオが吠えるたびに、濃淡の違う帯が現れるのがわかるだろう。

MGMのオープニングロゴ(左側に光学サウンドトラック[可変密度方式])[4]

RKOのオープニングロゴは、モールス信号で「A RKO Picture」と発信しているサウンドトラックだが、左側に見える光学サウンドトラックは、その波形を示しているのがわかる。 

RKOのオープニングロゴ(左側に光学サウンドトラック[可変面積方式])[4]

つまり、1930年代のハリウッドで、サウンドトラックの波形(waveform; 当時は“modulation”と呼ばれていた)を視覚的に見ることが出来たのはRKOだけだったということである。

先に引用した文章の中で、スタイナーはこう述べている。

私は、同期マークではなく、フィルム上に見えている波形を使ってサウンドトラックを同期させる(合わせる)よう、音楽編集担当に常に言ってきた。

Max Steiner

これは、あらかじめ録音してあるオーケストラの音楽を合わせるときの注意点として書かれているが、スタイナーは常に「波形」に同期させることを意識していたはずだ。『キング・コング』のこのシーンなど、フレームの編集と音楽のインパクトが完全に一致している。

『キング・コング』より

実はよく解析すると、シンバルや太鼓などの打楽器が打たれるタイミング(波形上のピーク)は編集のカットよりほんの少しだけ(1フレーム分、あるいはそれ以下)早い。RKOのエンジニアとマックス・スタイナーは、音のピークと映像の切り替わりを完全に同期させると、音が遅れて聞えるという性質を熟知していたのだ。

前述のように、このような波形(waveform)を視覚的に使ったサウンドトラックの編集は、当時、RKOにしかできなかった。可変密度方式では、波形のピークを視覚的に認識することが極めて難しい。マックス・スタイナーがRKOに雇われたのは、偶然とはいえ、この技術的基盤が彼の音楽の効果を絶大にしたのは間違いない。

さらに、マックス・スタイナーはクリックトラックも使用していた。

非常に重要な必須項目として、クリックトラック、あるいはテンポトラックと呼ばれるものがある。一般的にはクリックトラックと呼ばれるが、ミッキー・マウス、シリー・シンフォニー、ルーニー・チューンズなどのカートゥーンに使われている。クリックトラックは、ありとあらゆるメトロノームテンポが録音されている。指揮者、オーケストラ、歌手はみんなヘッドホンを片耳だけに着けて、もう一方の耳で音程を確かめて演奏する。このテンポトラックのおかげで、カートゥーンの動きと完全に一致したタイミングで演奏できるようになる。使われる音楽の小節にきっちりと合わせて、アニメーションはフレームに描かれていく。私は(実写映画でも)このクリックトラックを使って、テンポがほとんど変化しない、例えば嵐、列車、競馬、あるいは戦闘シーンなどの長いシーンを録音している。カートゥーンの製作者たちと同じで、私の場合、まずテンポを決め、望ましい効果が発生するフレームを計算で割り出し、それに従って作曲をする。

Max Stenier

つまり、マックス・スタイナーとRKOのサウンドトラック・エンジニアたちは、現代の私たちが映像制作に使用するメソッド、すなわち波形(waveform)を基にした視覚的な編集や、クリックトラックを使った音楽の録音などを、今から90年も前にすでに行っていたということである。

『キング・コング』のメインテーマ
マックス・スタイナーは、ハリウッドでも最もリヒャルト・ワグナー、リヒャルト・シュトラウスの影響下にあると言われたが(彼は、グスタフ・マーラーに師事していた時期もある)、本人はそれほどワグナーを好んでいなかったという。ただし、このメインテーマ、3音の半音階の下降テーマとその展開は、明らかに「トリスタンとイゾルデ」のモチーフを借用してきている。

References

[1]^ S. C. Smith, "Music by Max Steiner: The Epic Life of Hollywood’s Most Influential Composer," Illustrated edition. New York City: Oxford University Press, 2020.

[2]^ M. Steiner, "Scoring the Film," in We Make the Movies, N. Naumburg, Ed. W.W. Norton, Incorporated, 1937.

[3]^ W. C. Jones, "Codenser and Carbon Microphones - Their Construction and Use," Journal of the Society of Motion Picture Engineers, vol. XVI, no. 1, p. 3, Jan. 1931.

[4]^ "A Century of Sound, The History of Sound in Motion Pictures: The Sound of Movies 1933-1975" Written, Produced and Directed by Robert Gitt, UCLA (2015).