かつてアメリカで《ビューティフル・ミュージック》と呼ばれていた音楽。そしてその時代の《記憶》についての話。
『アメリカン・ルック(American Look, 1958)』
ジェネラル・モーターズの一部門、シボレー Chevrolet製作のプロポーション・フィルム [via National Film Preservation Foundation]

美しい音楽

村上春樹が「女のいない男たち」のなかで《エレベーター音楽》と呼んでいる音楽は、かつてアメリカでは《ビューティフル・ミュージック Beautiful Music》と呼ばれていた。

ビューティフル・ミュージック・ラジオは1960年代中盤から後半にかけて始まった企画で、ソフトで耳障りのよいインストゥルメンタル音楽を、コマーシャルをなるべくはさまないで、極めて規則正しいスケジュールで流す放送のことである。

Joseph Lanza [1]

それでも、人々が「ビューティフル・ミュージック・ラジオ」というとき、スーパーや病院の待合室や仕事に行くときのエレベーターでかかっている音楽を流すラジオ局、というイメージで話していることが多い。こういったラジオ局が、ロサンジェルスだけでなく、全米各地のラジオ放送局業界で成功しているにもかかわらず、「ビューティフル・ミュージック・ラジオ」はこういった烙印を払拭できないでいる。

「エレベーター・ミュージックとか、BGMとか、そういった言葉は私たちにとって呪いみたいものですよ」と、LAの「ビューティフル・ミュージック」ラジオ局、KBIGのプログラム・ディレクターのロブ・エドワーズは言う。

“Quiet Revolution in KBIG’s Format” [2]

《ビューティフル・ミュージック》とは実に奇妙な呼び名だが、1960年代~70年代にこのジャンルへの認識が登場してきた背景には、ロック・ミュージックの興隆があるのは間違いない。ラジオの電波は若年層の好む音楽が占拠し始めていた。最初はブギウギ、そしてロックンロール、そしてロックといった具合に、あの小さな痩せた音しか出ない箱のダイナミックレンジを破る勢いの音楽ばかりが流されるようになった。しかし、幅広い年齢層が利用する公共の空間 ── 店舗やスーパーマーケット、ショッピングモール、レストラン、待合室、そしてエレベーター ── で流す音楽としては、《美しくない》ロックはまだ市民権を得ておらず、この《ビューティフル・ミュージック》が唯一その役割を担えたのである。もともとビューティフル・ミュージック・ラジオが店舗向けに商業化された環境音楽専門ラジオとして発達したものだというのも頷けるだろう。畢竟、この音楽をマーケティングする際に、ターゲットとなるのは当時の中年以上(ロックを聞いていたベビーブーマーの親の世代以上)になる。アンドレ・コステラネツ、デヴィッド・ローズ、フェリックス・スラトキン、ネルソン・リドル、そしてパーシー・フェイスといった音楽に慣れ親しんできた世代だ。その後のマントヴァーニやポール・モーリア、ビリー・ヴォーンなどは、映画音楽などの題材をコンテンポラリーにアレンジしながら、支持層を維持していったのである。《ビューティフル・ミュージック》という呼び名は「今の若者が聞いている美しくない音楽と較べて美しい音楽ですよ」というマーケティングから生まれてきたのだろう。

《ビューティフル・ミュージック》の番組プロモーションCM
ワシントンDCのクラシック音楽専門のFMラジオ局のWASHが1960年に開始した番組「セレナード Serenade」のプロモーション・スポット(Internet Archive

この《ビューティフル・ミュージック》が「無害」とか「罪のない」などと形容されるのは、そういった受容の歴史が背景にあるのは間違いない。ベビーブーマーやその下の世代からみれば、この時代はこのように見えているはずだ。

『シェイプ・オブ・ウォーター(The Shape of Water, 2017)』

テレビ番組はとても道徳的だった。結婚した夫婦でも一緒のベッドにいるところを映さない。あの頃最もセクシーだったのは“Rowan & Martin’s Laugh-In”で、ゴールディー・ホーンとジュディ・クレーンが体に落書きをしてゴーゴーを踊っているくらいだった。…

1963年、ダラスでのジョン・F・ケネディ大統領暗殺で、世界は崩れてしまった。私たちはTVで殺人のテープが繰り返し放映されるのをみてショックを受けた。このあと、ミスが続いて、結局あの悲惨な事件で何が起きたのかわからなくなってしまった。

BAY AREA NEWS GROUP

振り返ってみると、60年代初めの政治的、文化的雰囲気は、純朴イノセントな時代であり、また中西部の蒸し暑い、静かな夏の日のようでもあった。ベトナムの凶暴な嵐に襲われる前の、落ち着かない静けさ。ベトナムでの戦いはまだアメリカの戦争ではなかった。

Tom Brokaw [3]

(ケネディが暗殺された週末から)私たちの国の歴史の中でも最も暴力に満ちた時代のひとつが始まった ──暗殺、ベトナム、ウォーターゲートへの道── かつて当たり前だと思っていたものすべてを疑う時代になった。

かつてもそうだったように、この国はその暗黒の時代から立ち直ったが、もう元には戻らなかった。その週末にアメリカは純朴イノセンスを失ったのだ。

Bob Schieffer [4]

(パーシーフェイスの「夏の日の恋」)を聞くと、もう古臭さくてたまらない、という感じになる。ああ、1950年代。ポリエステルの時代。ミュザックを作曲している奴はまだいるかい?

しかし、この曲を1960年代に聞いて育った人間としては、これは失われた純真の時代の音なのだ。ビーチハウスで過ごした夜の思い出、それは、ディーリー・プラザ、ベトナム、そしてアメリカンドリームをぶち壊したその他すべてがやってくる前の時代だ。

Steven C. Smith [5]

特にベビーブーマーたちは、1950年代を、「政治が牙をむく前の《純粋》の時代」と見ている。ケネディが暗殺される前、ベトナム戦争が泥沼化する前、キング牧師が暗殺される前、あの1968年の前、ウォーターゲート事件が起きる前 ─── 「私たち・・・がいずれ乗り越えることになる様々な困難が訪れる前の《純朴イノセンス》の時代」だ。大人の悩みと言えば、ディナーに何を着ていくかとか、モールの駐車場のどこに停めるかとか、シナモンをクッキーに入れすぎたとか、そんなことくらいだ、と思っている。これはアメリカに限ったことではない。日本でも、1968年を経験した世代には、新左翼であろうとなかろうと、それまでとはどこかで決定的に乖離しているという言説が支配的だ。それは思想から深く潜って、ことば・・・の作りにもあらわれてくる。パーシー・フェイスの音楽に《無害》ということば・・・が、ふっとあてられ、それを読んでも引っ掛かりを覚えない。

『アイ・ラブ・ルーシー』シーズン2 第1話 (1952) より

もちろん、ある時代が《純朴イノセント》とか、ある種の音楽が《無害》とか、そういったことはありえない。ベビーブーマーたちが1950年代に対して抱いているイメージは、その時代が本来持っていた痛みや憎しみがすっかり抜け落ちた記憶にすぎない。彼らが幼い子供だった頃の文化的消費財エフェメラの記憶、『アイ・ラブ・ルーシー』のように、無邪気さを荒唐無稽な比率で拡大したような遺物の記憶、それらに囲まれていたというノスタルジー、それが彼らのやや傲慢な視点につながっているのだろう。

なぜなら、《純朴イノセント》と呼ばれた時代には、その時代なりの《毒》があるからだ。その《毒》について続けてみていきたい。

REFERENCES

[1]^ J. Lanza, "Elevator Music: A Surreal History of Muzak, Easy-Listening, and Other Moodsong; Revised and Expanded Edition." University of Michigan Press, 2004. Available: https://books.google.com?id=co2HAgAAQBAJ

[2]^ J. Brown, "Quiet Revolution in KBIG’s Format," Los Angeles Times, p. 87, Aug. 16, 1981.

[3]^ T. Brokaw, "Boom!: Voices of the Sixties : Personal Reflections on the ’60s and Today." Random House Large Print, 2007. Available: https://books.google.com?id=RZlt0i6VftMC

[4]^ B. Schieffer, "The JFK assassination: When America lost its innocence," CBS News, ’Face the Nation’, Nov. 11, 2013.

[5]^ S. C. Smith, "Music by Max Steiner: The Epic Life of Hollywood’s Most Influential Composer," Illustrated edition. New York City: Oxford University Press, 2020.