コロンビアレコードの30番街スタジオについての話。そして小さなスピーカーの特徴について。
General Electric社の低価格ラジオの広告(1957年)

ラジオに最適な音楽

…(スタジオで録音した曲を)再生するときに、小さなラジオのスピーカーを使って聞いていたのは、僕たちが最初じゃないかな。みんなクルマのなかで運転しながら音楽聞いていたからね。それはとても大事なことだった。(録音ブースで小さなラジオのスピーカーを使って聞けば)そんな状況でどんなふうに聞こえるかがわかったんだ。つまり、その小さなスピーカーで聞いてもいい音で聞こえていたら、録音が上手くいったということだったんだ。

Mitch Miller
About the 30th Street Studio [1]

コロンビア・レコードがニューヨークのマンハッタン東30番街にあった廃教会を録音スタジオとして使用するようになったのは、1948年ごろのことである。これが、アメリカの音楽録音の歴史のなかで極めて重要な位置を占める「30番街スタジオ(30th Street Studio)」となった。当時コロンビアのA&R(Artists and Repertoire)のトップだったミッチ・ミラー Mitch Miller、プロデューサーのテオ・マセロ Theo Macero、アーネスト・アルトシュラー Ernest Altschuler、エンジニアのフランク・ライコ Frank Laico、フレッド・プラウト Fred Plaut、ハロルド・チャップマン Harold Chapman、ロバート・ウォラー Robert Wallerといった人々がポピュラー音楽からジャズ、ミュージカル、クラシック音楽までありとあらゆる音楽を録音し、マスターし、世に送り出していった。

このスタジオで録音された「名作」「名盤」は挙げればきりがないが、下にそのほんの一部をリストしてみた。マイルス・デイヴィスやセロニアス・モンクの録音は、このスタジオでひっきりなしに行われていたし、レナード・バーンスタインとニューヨーク・フィルの録音もかなりの数がここで行われている。

Artist Album/Track Year
Glenn Gould The Goldberg Variations 1955
Tony Bennett Ca C'est L'Amour 1957
Original Broadway Cast West Side Story 1957
Billie Holiday Lady in Satin 1958
Miles Davis Sextet So What 1959
The Dave Brubeck Quartet Take Five 1959
Percy Faith and His Orchestra Theme from 'A Summer Place' 1959
Duke Ellington Blues In Orbit 1960
Igor Stravinsky Stravinsky Conducts Stravinsky 1962
Miles Davis Seven Steps to Heaven 1963
Bob Dylan The Times The Are A-Changin' 1964
John Cage Music For Keyboard 1935 - 1948 1970
Chicago Chicago V 1972
Pink Floyd The Wall 1979
コロンビア・レコードの30番街スタジオで録音されたアルバム・曲(一部)

このスタジオの音響は、他社のプロデューサーや録音エンジニアたちの垂涎の的だったとよく言われる。音響エンジニアのあいだに伝わる伝説1) では、この廃教会を1948年にコロンビアが購入した時、初めて中に入ったミッチ・ミラーがその音響の良さに驚いて「何一つ手を入れるな、改造するな、壁を塗ったり、床も張り替えたりするな」と言ったといい、それを忠実に守ったために最高のスタジオが出来たのだと言われている。確かに当時のスタジオの写真を見ると、壁はボロボロで、教会のあちらこちらに大きな汚れたドレープがかけたままにしてある2)

そんな《伝説》のスタジオで、コロンビアの録音エンジニアたちが録音の際のモニターに、本当に小さな市販のラジオスピーカーを用いていたのかは定かではない。このスタジオでの録音風景の写真や記録を見ると、当時最も応答特性に優れていると言われたAltecのA7-800 が常設されているのがわかる。また、コントロールルームではAmpexやKLHのスピーカーも使われていた3)。しかし、ミッチ・ミラーが後年のインタビューで述べているように、実際、AMラジオで聞いた時の周波数応答特性を念頭に置いて、小型の応答特性が悪いスピーカーであっても魅力的に聞こえているかを確認していたであろうことは想像に難くない。

「イタリア協奏曲」録音セッション中のグレン・グールド
モニタースピーカーはAltecのA7-800、マイクはNeumannのM49と思われる。(CBC Documentary “On the Record”より)

小型ラジオのスピーカーで音楽を聞くという体験はどんなものだったのか。まず、AMラジオそのものの音域は40Hz~5kHzしかなく、例えば30番街スタジオで使用されていたAltec A7-800の応答領域(50Hzから20kHz)に比べてはるかに狭い。廉価のAMラジオのスピーカーの応答音域はさらに狭く、一般的には200Hz~4kHz程度の音域しか応答しないと言われていた。下の図は、1954年の「Radio & Television News」誌に掲載された実際の卓上ラジオのスピーカーの特性データである。低域側は700Hz側以下で既に4~5dB落ちて始めており、200Hz以下は全く応答しなくなっている。

1950年代の卓上ラジオ4インチスピーカーの周波数応答特性
低域側は700Hz付近からすでに応答が悪くなり、200Hz以下は全く応答しないのがわかる。高域は4kHz付近まで応答しているが、それ以上はほぼ応答しない。[2]

楽器の音域と照らし合わせてみると、多くの楽器がこのようなスピーカーではほとんど忠実に再生できないのが明らかになる。例えば弦楽ではチェロ、コントラバス(Bass Viol)の低域は200Hz以下で、ほとんど聞こえなくなってしまうだろう。ピアノも半分近くの音域を失ってしまう。ビートルズを小型ラジオで聞いていた子供たちのなかには、ポール・マッカートニーのベースの存在を知らずに過ごした者も多いというが、これを見ればその話も頷ける。現在のように低域の応答特性が良いヘッドフォンで聞く音楽体験と大きく違うのだ。

楽器の周波数帯域
グレーで覆われた部分は小型スピーカーではカバーできない音域 [3]

当時の卓上ラジオがどんな音だったかを再現するために、上図の4インチスピーカーの応答特性をもとにフィルターを作成してみた(ほとんど「LoFi filter」と同じと思ってもらっていいだろう)。これで当時のAMラジオでの音の感触がつかめてくる。

例えば、そのビートルズ。オリジナルの録音と較べてみてもらうとわかるが、上のスピーカーのフィルターをかけると、ベースはほとんど聞こえなくなる。

ビートルズの「All My Loving」にAMラジオスピーカーのフィルターをかけたサンプル
オリジナル(と言っても2023年のリマスターだが)と比較すると、ベースがほとんど聞こえないのがわかる。

近年の音楽は、低域にパワーを集めているので、このAMラジオフィルターをかけると本当に痩せてしまう。

ビヨンセの「Alien Superstar」にAMラジオスピーカーのフィルターをかけたサンプル
オリジナル。低音が聞こえないと全く意味のない音楽。

パーシー・フェイスが、オーケストラのアレンジの際に高い音域ハイ・レジスターのユニゾンのストリングスにこだわった最大の理由は、複数の弦楽器から生じる艶のあるモジュレーション/コーラスエフェクトを最大限に発揮できるからである。そして、この音域は当時の市販AMラジオの応答特性と極めて相性が良かった。彼のアレンジは、バイオリンのE弦(最も細い第1絃)の高音域に集中する。この絃の開放弦が659Hzであり、彼が表現するメロディは、500Hz~2kHzの帯域にほぼ入る。つまり、自宅に高価なステレオセットなど持っていない人たち、音楽を聞くのはラジオか、せいぜいポータブルレコードプレイヤーという人たちが大衆の大部分を占める時代に、彼ら彼女らが安価な装置で聞いてもインパクトがある ─── それがパーシー・フェイスを筆頭とする当時のポピュラー音楽だった。「夏の日の恋」はこのAMラジオのフィルタをかけると、エレクトリック・ベースの音は完全に抜け落ちてしまうのだが、《売り》のユニゾンのストリングスは1kHz付近を中心とした倍音で形成されているため、その狭い帯域に見事に入っているのである。

パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」にAMラジオスピーカーのフィルターをかけたサンプル
ベースは失われているが、それ以外はほぼ再現されている。(オリジナル
パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋(Theme from A Summer Place)」の周波数スペクトラム
ユニゾンのバイオリンが1kHz付近にピークを持っており、その倍音が2、3、4 kHz付近に現われている。これらの音は上の《卓上ラジオ4インチスピーカーの応答特性》で最も応答の良い周波数帯域にあたる。

試行錯誤を経て、ラジオ専門のミュージシャンやエンジニアたちはあることに気が付いた。初期のラジオ放送で問題となっていたバチバチというノイズやハム音に対して、オーバーラップするストリングスはかなり強いということだ。それが高い音程だとなおよい。

Joseph Lanza [4]p. 33

ラジオが家庭に広く普及し始めた1930年代から40年代にかけて、絶大な人気を誇ったのがアンドレ・コステラネツ Andre Kostelanetz のオーケストラだった。彼のオーケストラは、高い音域のストリングスと女性歌手やコーラスを主軸において《軽い音楽》を提供した最初の音楽家であろう。そう、ラジオという、雑音だらけで痩せた音しか出ない箱に適した音楽だ。その後、1940年代に登場したモートン・グールド Morton Gould やパーシー・フェイスもストリングスを主体にした《軽い音楽》を追及していた。

マックス・スタイナーの映画音楽は、こういった《軽音楽 Light Music》に比べるとはるかに重厚なオーケストレーションを採用していたが、彼自身は当時流行のイディオムを完全に理解していた。だからこそ、『避暑地の出来事』で若い二人の恋のテーマが必要になったとき、アンドレ・コステラネツやパーシー・フェイスの「高音域のストリングス」というイディオムとファッツ・ドミノのピアノのスタイルを重ねるという離れ業をやってのけることができたのだ。そして、次作の『スーザンの恋』では、そのヒット曲がいかにして消費されているか、「聞く」「踊る」のではなく、ラジオという《痩せた音響装置》によって「後ろで流す」という《消費》のされ方をしているのを、極めて意識的に示して見せた。

スタイナーは、大量消費のテクノロジーによって、音楽と聴衆のあいだの関係が変わりつつあるのを敏感に感じていたのだろう。

Notes

1)^ フランク・ライコによれば「ミッチ・ミラーが引退した後、コロンビアのお偉いさんたちがすぐにこのスタジオを改装した。そうしたら、もう音が変わってしまってひどいスタジオになってしまった」ということらしい。しかし、これはライコのような伝説のエンジニアが、騙されやすい音響マニアにそっと語る伝説で、ちょっとした改装や修繕、バッファやパネルの設置はひっきりなしに行われていたようである。

2)^ グレン・グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」録音時のスタジオ内の様子をLIFE誌が取材している。その写真はここで見ることができる。壁が剥がれたままだったり、無造作に様々なものが置かれているのがわかるだろう。カメラマンはあのゴードン・パークス。

3)^ 使用されていた機材の分析については、Steve Hoffman のサイトのフォーラムが詳しい。ジノ・フランチェスカッティとロベール・カサドゥシュのフォーレ作品集のジャケットにも、Altecの「Voice of the Theater」スピーカーが写っている(A7-800フェイク・フロントをつけたもの)。

References

[1]^ D. Simons, "Studio Stories: How the Great New York Records Were Made: From Miles to Madonna, Sinatra to the Ramones." San Francisco : Backbeat, 2004.

[2]^ L. Fleming, "Acoustic Measurements for the Audiophile," Radio & Television News, vol. 52, no. 3, p. 38, Sep. 1954.

[3]^ H. F. Olson, "Music, Physics and Engineering," Second. New York: Dover Publications, Inc., 1952. Accessed: Dec. 08, 2024. [Online]. Available: http://archive.org/details/musicphysicsengi0000unse

[4]^ J. Lanza, "Elevator Music: A Surreal History of Muzak, Easy-Listening, and Other Moodsong; Revised and Expanded Edition." University of Michigan Press, 2004. Available: https://books.google.com?id=co2HAgAAQBAJ