わたしたちの果てなき切望 (1)

群衆は眠れる人だと言ってもよいだろう。理性は一時のあいだ宙づりになり、心の中に強烈なイメージの現出するままに任せる。しかし、このイメージは、内省 reflection という行為によって、あっという間に霧消してしまうものだ。

Gustave Le Bon [1 p.35]

Casablanca (1942)

1.

観客がプロパガンダだと気づいてしまうと、その効果は薄れてしまう。だが、プロパガンダが後景に退いて、人間を通して表出するとき、極めて効果的に作用する ─── ヨゼフ・ゲッベルスの日記にはそんな記述があるという。だから娯楽映画も特別な政治的な価値があると述べている [2 p.38]。直接的であからさまな『意志の勝利(Triumph des Willens, 1935)』なんかよりも、『大いなる愛(Die große Liebe, 1942)』のような女性メロドラマにしたてる方が、観客は影響を受けやすい。ナチスの政治機構は大衆文化のなかに大衆の欲望を集団の意志へ変性させる力を見出そうとしていた。

プロパガンダ映画というと、ナチス・ドイツ政権下でレニ・リーフェンシュタールが監督した『意志の勝利』や、第二次世界大戦期にアメリカのフランク・キャプラが戦争省(Department of War)のもとで監修した『我々はなぜ戦うのか(Why We Fight, 1942-1945)』を思い浮かべる方も多いだろう。また日本の戦時中の映画『ハワイ・マレー沖海戦(1942)』のように、勝利した戦闘を勇ましく描いたものこそ、プロパガンダ映画だと思う方もいるはずだ。プロパガンダ映画といえば、一般的には、自国の政治イデオロギーの称揚や敵国の危険性の告発などを目的として、観客に向かって一方的に発信する形態のものを指すもの、というイメージがある。政治的なテーマを帯びた娯楽映画をプロパガンダ映画と呼ぶかどうかは意見の分かれるところかもしれない。例えば、『カサブランカ(Casablanca, 1942)』はプロパガンダ映画なのか、ただの娯楽映画なのかという議論はかなり前からある。

2.

ネットで検索すると、『カサブランカ』はプロパガンダ映画だ、という記事やポストに非常に高い確率で遭遇する。私の体感的な感想でいうと、英語圏よりも、日本語圏のほうが多いように思う。「連合国側のプロパガンダとしてつくられた」「ドイツを悪者にしているプロパガンダ」、そして何よりも「『カサブランカ』だって・・・プロパガンダだし」というフレーズが多い。

少し、日本語圏での議論を拾ってみよう。

おそらく、『カサブランカ』が「第二次世界大戦へのアメリカ参戦は正当なものだというメッセージを含んでいる」という見方を広めたのは四方田犬彦だろう[3 pp.150-154]。四方田は《プロパガンダ》という言葉は使っていないが、自由のために「崇高な自己犠牲を払わなければならない」というのが『カサブランカ』のメッセージだと断言する。歴史学者の佐藤卓己は、メディア論の一環として、ハリウッドが現実逃避的な作品を数多く製作した点を指摘しつつ、「アカデミー賞を受賞したメロドラマ《カサブランカ》(マイケル・カーティス監督,1943)が典型的なように、現実逃避と戦意高揚に厳密な境界は存在しない」と戦意高揚の側面があることを指摘している [4 p.179]。政治心理学者でコミュニケーション理論、メディア論を専門とする川上和久は「アメリカ映画は、娯楽映画の形をとりながらも、巧みに政策的な意図をその中に滑り込ませ、その意図を達成することに成功した」と述べ、その例として『カサブランカ』を挙げている[5 p.88]。歴史学者でプロパガンダ研究で有名な山本武利は、第二次大戦中の戦時情報局の活動に言及するなかで「戦時情報局は、“真実の情報の発表が勝利を生む”との原則に立ち、アメリカ人の生活や意見をVOA放送や『カサブランカ』などの映画によって、敵味方関係なく世界中のオーディエンスに伝達し、またアメリカ社会のニュースや戦争の情報を比較的正確に発表した」と述べているが、ここで『カサブランカ』が、山本の言う《ホワイト・プロパガンダ》なのかは明言していない [6 p.23]

ここで強調しておきたいのは、これらの議論は『カサブランカ』は戦意高揚的なメッセージを含むものだと指摘しているだけで、プロパガンダ映画だとは明示的に断言していない点である。

プロパガンダ映画だと断言しているのは映画批評家の加藤幹郎である。彼は「欧州から米国への亡命経路を説明するプロパガンダ─メロドラマ」と『カサブランカ』を位置付け、《プロパガンダ》と呼んでいる [7 p.251]。さらに、川上[5]、巽[8]、宇波[9]、瀬川[10]らは、いずれも映画の内容を分析したうえで、『カサブランカ』をプロパガンダ映画としている。陰謀論に傾倒している者たちは、独特の文体で理論を展開している[11]

私は、この映画(『カサブランカ』)を娯楽映画だと思って観ていたわけですが、いまから数年前にハリウッド映画の研究書を読んでいたら、じつは「カサブランカ」はプロパガンダ映画だったという研究があった。いくつか論文を読んでみましたが、非常に納得させられるものがあったのです。

宇波彰[9]

製作したのは、一九三六にハリー・ワーナーがドイツに敵対する姿勢を打ち出し、早い時期から反ナチ映画の製作にとりわけ熱心だったワーナー・ブラザーズである。同作が反枢軸国のプロパガンダ映画のひとつとして製作されたのは明らかだ。

瀬川裕司[10]「おわりに」

NHK制作の「映像の世紀バタフライエフェクト:映像プロパガンダ戦 嘘と嘘の激突」は一般の視聴者に対して、かなりインパクトがあったのではないだろうか。この人気TV番組は、その冒頭で「実は、『カサブランカ』はアメリカの諜報機関とハリウッドが共同して作ったプロパガンダ映画だった」と宣言している[12]

一方、蓮實重彦は、山田宏一との対談で『カサブランカ』を含めて「対独プロパガンダ映画と言われているものの大半は間違い」と真っ向から反対する。『カサブランカ』はアメリカが第二次世界大戦に参戦する前の北アフリカの話を1942年に撮ったもので「アメリカの反干渉主義でヨーロッパに参戦しないという議会の勢力と抵触」しないよう工夫されているとして、「大ざっぱに対独プロパガンダ映画といっても、政府の意向を背負ってつくったものじゃなくて、ハリウッドにいたプロデューサーの中の先進的な部分がやった」と主張している[13]。蓮實は「闘争のエチカ」の頃から四方田犬彦を名指しして批判を繰り返し、勢い余って『カサブランカ』を「反米プロパガンダ」とまで言っている[14 p.147]

四方田は「反独プロパガンダだ」とは言っていないし、むしろ「戦争への積極的なコミットメントを促すメッセージを含んでいる」という点において蓮實と四方田のあいだで見解は一致している。「『カサブランカ』は反米プロパガンダ」などという、まるで男子中学生が休憩時間に言いだしそうな、返す返すも残念な言葉を見ると、蓮實重彦の側に、四方田と絶対に仲良くしたくない理由が何かあるのだろうと思わざるを得ない。

海外の批評でも、日本ほど広範ではないが、『カサブランカ』をプロパガンダと呼んでいるものがある。しかし、詳細に分析すると、事実誤認がみられたり、内容の確認だけに終わっているケースが多い。『カサブランカ』は戦時情報局の指針に沿っているというもの[15] [16]、あるいは製作時の政府や軍とのやり取りに言及せず、監督のマイケル・カーチスの作品の傾向や内容分析からプロパガンダと呼んでいるもの[17]などが代表的だろう。

3.

果たして『カサブランカ』はプロパガンダ映画なのだろうか。

いや、連合国側のアメリカが作った映画だし、ドイツを悪者にして描いているし、「ラインの守り」に対抗して「ラ・マルセイエーズ」を歌うシーンなんてあからさまな国威発揚じゃないか、と思われるかもしれない。ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンのラブストーリーの後ろに隠された・・・・政治的メッセージが見えませんか、というわけだ。

確かに内容から判断すると戦意高揚的で、反独的姿勢をはっきりと打ち出している。しかし、内容から判断しただけで《プロパガンダ映画》と呼んでよいのだろうか。《プロパガンダ》という語には、政府がなんらかの形で関与していたというニュアンスはないだろうか。

NHKの番組は「アメリカの諜報機関とハリウッドが共同して作った」と言っていた。つまり、『カサブランカ』は、ハリウッドとアメリカ政府が共同で戦意高揚のメッセージを、ラブストーリーの網の目のなかに、埋め込んだ映画という話になる。

私には、どうもこの話が胡散臭く感じられて仕方がない。

このあたりのことを、もう少し深く考えていこうと思う。

Casablanca (1942)
屑籠に捨てられたヴィシー・ウォーター
監督:マイケル・カーティス

References

[1]^ G. L. Bon, "The Crowd: A Study of the Popular Mind." Cosimo, Inc., 2006.

[2]^ D. Welch, "Propaganda and the German Cinema, 1933-1945," Revised edition. London ; New York : New York: I.B. Tauris, 2001.

[3]^ 四方田犬彦, "映画はもうすぐ百歳になる." 筑摩書房, 1986.

[4]^ 佐藤卓己, "現代メディア史 新版," 新版. 東京: 岩波書店, 2018.

[5]^ 川上和久, "情報操作のトリック その歴史と方法." 講談社, 1994.

[6]^ 山本武利, "ブラック・プロパガンダ: 謀略のラジオ." 岩波書店, 2002.

[7]^ 加藤幹郎, "映画の領分: 映像と音響のポイエーシス." 東京: フィルムアート社, 2002.

[8]^ 巽健一, "戦意高揚プロパガンダ映画としての「カサブランカ」–戦争を知らない世代の反応," 広告科学, no. 33, pp. 129–133, Sep. 1996, Available: https://dl.ndl.go.jp/pid/2885481/1/71

[9]^ 宇波彰, "メディア・カルチャーに抗して," in 「帝国」を考える, 的場昭弘, Ed. 双風舎, 2004.

[10]^ 瀬川裕司, "『カサブランカ』 偶然が生んだ名画." 平凡社, 2024.

[11]^ 西森マリー and 副島隆彦, "カバールの民衆「洗脳」装置としてのハリウッド映画の正体." 秀和システム, 2022.

[12]^ "「映像プロパガンダ戦 嘘(うそ)と嘘(うそ)の激突」 - 映像の世紀バタフライエフェクト," (Sep. 05, 2022). Available: https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/2QL42M7P38/

[13]^ 山田宏一 and 蓮實重彦, "もう一つのハリウッド:ウォルター・ウェンジャーの映画史," リュミエール, no. 11, pp. 165–175, Spring 1998.

[14]^ 蓮實重彦 and 柄谷行人, "闘争のエチカ." 河出書房新社, 1988.

[15]^ T. E. Tunc, "Casablanca: The Romance of Propaganda," Feb. 02, 2007. https://brightlightsfilm.com/casablanca-romance-propaganda/

[16]^ R. W. Roberts, "Casablanca as Propaganda, You Must Remember This: The Case of Hal Wallis’ Casablanca," in Hollywood’s America: Twentieth-Century America Through Film, John Wiley & Sons, 2010.

[17]^ D. A. Punch, "Casablanca: Artistic American Propaganda," Jul. 04, 2019. https://thetwingeeks.com/2019/07/04/casablanca-artistic-american-propaganda/