わたしたちの果てなき切望 (3)
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Casablanca (1942)
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映画『カサブランカ』は、製作のなかで政府と協力したのだろうか。
1942年1月。真珠湾攻撃から1ヶ月。
ハル・ウォリスは『Everybody Comes to Rick’s』の映画化脚本の作業に入っていた。映画『カサブランカ』の製作、特に脚本成立の過程については、当事者たちの(しばしば曖昧な)記憶による述懐によって伝説化している部分がある。詳細は、実際の脚本を分析したHarlan Leboの“Casablanca: Behind the Scenes [1]”、Aljean Harmetzの“Rounding Up The Usual Suspects [2]”に譲るが、ここでは脚本執筆の時期と当時の政治状況について確認しておきたい。
『カサブランカ』の脚本執筆はアメリカの参戦後、1942年1月から始まり、撮影中の7月中旬までのあいだに行われた。ラストシーンが最後まで決まらなかったといわれているが、《犠牲》のエンディング───ラズロとイルザが飛行機に乗ってカサブランカを飛び立ち、リックが残る───は、最初から決まっていた。プロダクション・コードがそれ以外の結末を許さないからだ。決まらなかったのは、その《犠牲》のエンディングをいかに説得力のあるものにするか、という点だった。
撮影も終盤に入った7月上旬になっても、空港でリック(ハンフリー・ボガート)が、イルザ(イングリッド・バーグマン)に別れを告げる大演説の台本ができていなかった。いくら書き直してもしっくりこないのだ。原作では、リックはイルザとラズロを飛行機に乗せて逃亡させた後、ルノーとストラッサーに降伏して逮捕されて終わる。しかし、これではハッピーエンドにならないし、アメリカ人がファシストの牢獄に連れていかれるというのはあまりに敗北主義的だ。結局、7月16日になって、ようやく最終版の台本が出来上がる。そこでリックはイルザに「やることがある I’ve got a job to do」─── ファシストと戦うという宣言 ─── と告げる。この最終版の台本「Chenges for New Ending」は、誰が書いたのか確かなことは分からない。エプスタイン兄弟、ハワード・コッホ、ケイシー・ロビンソン、プロデューサーのハル・ウォリス、そしてワーナーのスクリプト・ドクターたちの共同作業だと考えられる。もちろん、最終的な決定をしたのはウォリスである。
その数日後に撮影された、最後のリックとルノー(クロード・レインズ)のやり取りは、もっと興味深い。この会話は、重要な政治的波及力を含んでいるからだ。
RENAULT: It might be a good idea for you to disappear from Casablanca for a while. There’s a Free French garrison over at Brazzaville. I could be induced to arrange a passage.
RICK: My letter of transit? I could use a trip. But it doesn’t make any difference about our bet. You still owe me ten thousand francs.
RENAULT: And that ten thousand francs should pay our expenses.
RICK: Our expenses?
RENAULT: Uh huh.
RICK: Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship.
ルノー: 君はしばらくカサブランカから姿を消した方がいいだろうな。ブラザヴィルに自由フランスの部隊がいるんだが、そこまで行くのを手伝ってやってもいいぞ。
リック: 通行証を作ってくれるのか?確かにいいかもな。だからと言って賭けがチャラになったわけじゃないぞ。一万フランの貸しはまだあるんだぜ。
ルノー: 一万フランあれば、俺たちの旅費には十分だろ。
リック: 俺たちの?
ルノー: うん。.
リック: ルイ、これは俺たちの美しい友情の始まりってやつだな
Casablanca
『カサブランカ』の脚本が執筆されたのは、アメリカが第二次世界大戦に参戦した後だ。だから、リックが「政治を俺の酒場に持ち込むな(世界大戦に首をつっこみたくない)」から一転して「俺にはやるべきことがある(ファシズムをぶっ潰す)」と宗旨替えするのは、参戦したアメリカにとっては、もはや既成事実の確認に過ぎない。だが、このラストで示唆されているのは、当時の連合国が敏感になっていた外交問題への意見表明だ。「自由フランス」との連帯と、ヴィシー政権との訣別である。興味深いのは、ルノーの訣別宣言「一万フランあれば、俺たちの旅費には十分(And that ten thousand francs should pay our expenses)」というセリフは脚本にはないのだという。撮影現場で、誰かによって追加されたのだが、記録が残っていない[2 p.237]。
『カサブランカ』の製作において、政府が直接介入したという記述は、Charles Franciscoの著作 [3] にも、Frank Millerの著作 [4] にも見られない。Aljean Harmetzの“Rounding Up The Usual Suspects”にも、戦時情報局映画部のハリウッド開設は「『カサブランカ』の脚本を見るには三週間遅れ」であって、戦時情報局の役人たちは「ヴィシー政権のネガティブな描写」に不安に示していたくらいであった、と記されている [2 p.114]。『カサブランカ』は、映画部が提案した「7つの質問」に極めて忠実に沿っているという指摘もあるが、「7つの質問」を映画部が作成したのは、『カサブランカ』の撮影が終わった後である。
脚本作業や撮影の記録から読み取れるのは、『カサブランカ』は結局、ワーナー・ブラザーズという一企業によって製作された娯楽作品だったということである。確かに《戦争》についてのメッセージは含まれている。それらのメッセージは、ワーナー・ブラザーズという企業の内部で醸成されたものであり、しかも成り行きの産物だったのである。
References
[1]^ H. Lebo, "Casablanca: Behind the Scenes." Simon and Schuster, 1992.
[2]^ A. Harmetz, "Round up the Usual Suspects: The Making of Casablanca: Bogart, Bergman, and World War Ii." New York : Hyperion, 1992.
[3]^ C. Francisco, "You Must Remember This: The Filming of Casablanca." Englewood Cliffs, N.J. : Prentice-Hall, 1980.
[4]^ F. Miller, "Casablanca: As Time Goes by: 50th Anniversary Commemorative." Atlanta : Turner Pub. ; [Kansas City, Mo.] : [Distributed by Andrews and McMeel], 1992.
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