2013年9月16日月曜日

西部戦線一九一八



また、G. W. パブストの映画について書こうと思います。

1930年には、第一次世界大戦のドイツ軍の悲惨な戦いを描いた映画が2本公開されました。有名なのは、ユニヴァーサルが製作した、ルイス・マイルストン監督の"All Quiet on the Western Front"[邦題:西部戦線異状なし]ですね。この作品は、アカデミー賞を受賞したことも手伝って、今でも「古くならない反戦映画」という評価もちらほら見ることがありますし、廉価版のDVDでどこに行っても売っています。しかし、もうひとつの映画、G. W. パブストの"Westfront 1918"[邦題:西部戦線一九一八]は公開当時こそ反響が大きかったのですが、今はあまり見る機会がありません。IMDBでも、ルイス・マイルストンの「西部戦線異常なし」は36000人以上が点数をつけているのに、パブストのほうは500人くらいしかつけていません。たいした映画ではなかったのかというと、そうではありません。公開後、この映画をナチス政権が否定したことで、ドイツ国内で忘れ去られてしまったことや、映画そのものの救いのなさが手伝って、いわゆる名作としては思い出されなかったのではないかと推測します。

ルイス・マイルストンの作品は「メインとなるプロットはほとんどないといってよく、ただ塹壕の中で戦うエピソードが次から次へと描かれるだけだ」とも言われますが、それでも主人公のポールの視点からみた戦争の世界という一貫性があります。パブストの映画はもう「視点の一貫性」さえもあやふやで、最初から最後まで継続した「物語」というものは放棄しています。前半は「学生」と呼ばれる青年兵と戦地の村の娘との恋に若干焦点が当たっているのですが、「学生」は戦死してしまい、後半は同じ部隊のカールに関心が移ります。「西部戦線異状なし」のような、ポールとそれを取り巻く戦友、というドラマやエピソードは、「一九一八」にはないのです。唯一ドラマらしくなりそうなポイントといえば、休暇をもらったカールが家に戻ってみると、妻が別の男と寝ているというエピソード。しかし、パブストはそれさえもドラマチックに描くことをせず、むしろ恐ろしいまでの無気力で画面を覆います。カールは怒りもしないし、悩みもしない、だからと言って許しもしない、もう、自分の妻が食料欲しさに誰と寝たということさえも、どうでもいい。また戦場に向かうカールと彼の妻が、階段で別れるシーンは、唖然とするくらい、見る者を拒むのです。これを見たときは、私は自分自身がいかにメロドラマ的な展開を期待してしまっているか、思い知らされました。

これは、戦闘シーンにも言えることです。マイルストンの「西部戦線異状なし」には、有名な機銃掃射のトラッキングショットがあります。突撃してくる敵兵がばたばたと斃れる様子を、機関銃の音と共に見せるのです。カメラが機関銃のように人を撃ち殺していく、そういう錯覚に襲われます。しかし、パブストの戦闘シーンは、固定されたカメラによる長まわしで、そのような編集技術を駆使したものにはなっていません。敵が攻めてくるのを塹壕からライフルでなんとか撃っている、そういう兵士の視点なのでしょうか。ここでも、ドラマチックな「闘い」の描写を徹底的に避け、なにか不気味に突き放した映像になっています。

「西部戦線異状なし」の戦闘シーン

「西部戦線1918」の戦闘シーン

パブストの「西部戦線一九一八」が衝撃的なもうひとつの要因は、映画のはじめとおわりに出てくる戦闘で、いずれも自軍の攻撃によって兵士が斃れていく様子を描いていることだと思います。映画のはじめのほうでは、味方の後方からの砲撃が距離が短く、最前線の塹壕に落ちてきて苦しめられる様子が描かれます。トンネルが崩れ、トンネルの下敷きになりそうな戦友たちのうえに、味方の砲弾が容赦なく着弾します。映画がはじまっていきなり全くやるせない話なのです。そして映画の終わりのほうのクライマックスでは、味方によって自分たちの塹壕に毒ガスが撒かれるのです。敵は戦車を従えて容赦なくカールたちの塹壕を襲ってきます。カールの部隊の多くは負傷し、敵が累々と積み重なる戦友の死体を踏みつけて前進していきます。このときに、塹壕の中で味方によって毒ガスが撒かれ、防毒マスクを装着したドイツ軍兵士たちが後方から現れて、敵を押し戻していくのです。

この映画は「国を防衛するとか皇帝のためにとかではなく、ただ目の前にいる愛する人を守る」という考えも、甘ったるいメロドラマだと静かに言い切っているのです。「家族を守る」「愛する人を守る」と言っても、家族は貧困にあえぎ、出征した夫のことなど忘れてしまっている。「友を守る」なんて言っても、上官は戦果をあげるためなら、自分の部隊の塹壕に毒ガスを撒くこともいとわない。「自分が誰かを守る」なんてすべてまやかしで、戦争に巻き込まれてしまえば、自分はただの肉片に過ぎず、なんの力も持ち合わせていないということを、淡々と描ききっているのです。この映画では、そういうことを誰一人演説をぶつわけではありません。ただ惨めな状況に黙って死んでいくだけです。

でも、本当に黙っているか言うと、そうではない。

「西部戦線一九一八」は、パブストの初めてのトーキーです。この映画の音で最も心に刻まれる「音」は、正気を失った大尉の絶叫でしょう。全編を通してこの大尉は非常に冷静な人物として描かれていますが、後半の戦闘の場面で、上官から毒ガスを自陣に撒くように命令され、その命令を遂行したものの、彼自身は正気を失うのです。聞く者の鼓膜を切り裂くような意味不明の叫びに続いて、野戦病院にこだまする数々の悲鳴が聞こえてきます。そのすべてが、自分の何かを失ったことへの叫びです。目を失った者、両足を失った者の、「あるべきものがない」ことへの慟哭です。その悲鳴とうめきの中で、カールがボソッと言うのは「仕方なかった、自分のせいではない、とみんな言ってきた。でも、これはみんなのせいなんだ。」こういうメッセージを、それまで淡々と撮っていたカメラが捉えるのは違和感を覚えるのですが、それ以上に、この映画の後にナチスが政権を掌握して戦争と虐殺を繰り返すことを考えると、このメッセージが、何かを予見していたようにも思われます。

2013年9月7日土曜日

G.W.パブストの”Abwege(1928)”:「気づかない」ということ

前回前々回に引き続き、G.W.パブストの”Abwege (1928)”について考えていきます。


無声映画を見間違える


以下のシーンは、トーマスとアイリーンのやりとりです。アイリーンは、夫のトーマスに愛想を尽かし、画家の男と駆け落ちしようと、駅で待ち合わせていたのですが、画家は現れません。代わりにトーマスが現れ、アイリーンを家に連れて帰ります。トーマスはすでに画家に会いに行き、アイリーンと分かれるように迫って、その旨の手紙を書かせていたのです。このシーンは、トーマスがアイリーンを家に連れて帰って、その画家の手紙をわたすところです。


夫を呼びにきた男性と、アイリーンが夜のベルリンにくりだしていくところで、この動画は終わります。夫は「クラブに行かなければならないことは、君も知っているだろう」とアイリーンに言ったものの、いざとなって妻との関係を悩んで、行くのを止めて、2階の自分の部屋に戻るのです。さて、アイリーンは、夫が外出しなかったことを知っていて、くりだしたのでしょうか?

実は、私は、はじめてみたときはそう見ていました。そう思った人も多いのではないでしょうか?アイリーンは、グジグジしている夫を家に残して、当てこすりのように遊びに行ったのだと。しかし、よく見てみると実はそうではないのかもしれないのです。下の動画は、上の動画を編集して、画面左に夫が映っているシーン、右に妻が映っているシーン、真ん中に両方が映っているシーンに分けたものです。


夫と妻の間には仕切りがあり、お互いの行動を直接見ることはできません。ですから、お互いの物音がカギになります。夫が玄関のドアに手をかけるところまでは、アイリーンがその物音を聞いていることを、彼女の目の動きと表情から読み取ることができます。しかし、夫が戻って階段を上がっていく場面では、どうでしょうか。彼女のショットは、夫が階段を上がりきるまで出てきません。そしてその前後で彼女の表情は変わっていないのです。夫がクラブに行くのを止めたことは、彼女に届いていないのです。

ここで、つじつまの合わないことが起きていますね。夫が扉のところに行くまでは、アイリーンには物音が聞こえているのに、彼が引き返して仕切りの前を通り、階段を上がっていく足音は聞こえていないことになります。この差異は、アイリーンが目で追ったかどうかと言うところに集約します。無声映画の場合、画面に映っている人物が、周囲で起きていることを「音で聞いた」という場合には、視覚的に表すことが不可欠です。もし視覚的に表していない場合には、それは「聞こえていなかった」ということです。


敵の蒸気機関車なのに誰も気がつかない

 

バスター・キートンの"The General (1926)"[邦題:キートン将軍]では、このルールが効果的に使われています。舞台はアメリカ南北戦争、キートンは南軍の機関車を走らせて、北軍のスパイの機関車を追跡します。この追跡の最中に南軍は退却してしまって。キートンの機関車が爆走する周囲を北軍の部隊が進んでいきます。けれども、キートンは機関車の燃料の薪割りに忙しく気づかない。あれだけの部隊が周囲で移動しているのですから、その騒音や行進に気づかないわけがないのですが、サイレント映画だと、キートンにとっては無音の状態が維持できるのです。彼がようやく気づくのは、彼の視線が北軍の進む様子をとらえるときです。あくまで、視線の確認が画面で表現されて、はじめて存在が確認されるのです。


面白いのは、伴奏音楽はたいていの場合、キートンが気づいていない間も、北軍の行進曲のメロディを挿入するのです。観客は、北軍の進軍に気づいている。そして、キートンがそれに気づいていないことをおかしく思う。もっと興味深いのは、北軍が機関車の進行に全く反応していない、という点ですね。これは実際にはありえないことですが(進軍している方角から、機関車が来れば、部隊としてはそれを停止させますよね)、その疑問が観客に浮かばないように、視点が選ばれているんです。キートンのことを客観的に見ながらも、キートンに寄り添って、没頭している視点を、フィルムをつなげるだけで作っているんです。


窓に映った本当のこと


クラレンス・ブラウン監督の"Smoldering Fires (1925)"[邦題:燻ゆる情炎]のクライマックスのシーンは、さらに複雑な視線のやり取りで「気づく」ことがカギになります。ヒロインのジェーンは成功したビジネス・ウーマンで、年の離れた若い部下のボビーと結婚しています。ボビーは、ジェーンとどこか住む世界が違うことを感じ、ジェーンの妹のドロシーに魅かれ、ドロシーもボビーに魅かれていきます。これは、ディナーが終わった後の場面です。ボビーは庭でタバコを吸いながら物思いにふけっている。ドロシーは、ひとりベッドルームで泣いている。廊下を歩いているジェーンが、それを聞きつけるところから展開します。



非常に見にくい動画ですが、もともと16mmの状態の悪いプリントから起こした素材です(コマの揺れはあまりにひどいので補正処理し、字幕も入れなおしました)ので、ちゃんとした修復が望まれる映画です。ジェーンが「ボビー」と、庭にいる夫に呼びかけたときに、ガバッと起きるドロシー。窓に映ったドロシーで気づくジェーン。ひとりひとりの「声」への反応が、しっかりと演技され、撮影され、編集されています。サウンドトラックの効果音も、呼吸の音もない世界です。無声映画にとって、編集のリズムがいかに重要か、よくわかる例です。


「気づかない」という表現


「気づく」というのは、反応を見せることで表現できるのですが、「気づかない」というのは「反応しない」という動作で表現するしかないのです。”Abwege"のアイリーンの例が厄介なのは、アイリーンが「画面の外で起きていること」に「気づかない」という、かなり表現しにくい状況だからです。キートンの場合は、「画面の中で起きていること」に「別のことをやっていて」「気づかない」という構造にしていますから、後景と前景でアクションを並行させて、表現しています。ジェーンとドロシーの場合は、ジェーンは「気づいた」が、ドロシーはジェーンが気づいたことに「気づいていない」、そしてさらに、ジェーンは、ジェーンが気づいたことにドロシーが気づいていないことに「気づいて」、ごまかし始める、という瞬間を、窓に映った像を介して表現するという、離れ業をやってのけていると思います。

アイリーンとトーマスの場合は、なるべく二人を同じフレームに入れないことが前提です。二人が一緒にフレームに入っているのはごく数ショットです。完全に二人は別の空間にいて、別の空気を吸っているのです。ハリウッドの監督だったら、もう少しショットを短くして、「気づかない」ための仕掛けを用意するでしょうね(手紙をもう一度読ませたり、電話をかけさせたり・・・)。そういう「動作」を使わず、ジリジリと押し切った。余韻というか、重い気体に包まれた空間を感じます。トーマスは、アイリーンが気づかなかったことに気づいていたのでしょうか?それは実は読み取るキューが画面には出ていないと思いますが、どうでしょう。

2013年9月5日木曜日

G.W.パブストの”Abwege(1928)”:ベルリンの空気

前回に引き続き、G.W.パブストの”Abwege (1928)”について考えていきます。

 

 

1920年代のベルリンとはどんなところか?


1920年代のベルリンは近代文明の頽廃を象徴する街でした。第一次世界大戦に敗戦する直前に、皇帝の逃亡という形でドイツ帝国は崩壊し、紆余曲折を経てワイマール共和国が成立します。社会民主路線をとるこの共和国は、戦争賠償金の膨大な借款を抱えて経済的に破綻していました。世界史上でも稀に見るハイパーインフレーションにさいなまれ、国民の大半は貧困のどん底にあえいでいたのです。一方で戦争で巨大化したビジネスや工業界のリーダーたちは、私腹を肥やし、いわば貧しい階級を搾取して共和国制に君臨していました。象徴的な出来事はバルマット事件でしょう。ベルリンはその二つの階層が交わる場所であり、そして安い通貨を当てにした外国人たちが集まった場所だったのです。デモや政治的暴動は頻繁に起こり、汚職や政権の破綻があるたびに緊張した雰囲気が街路に漂いました。また非常にリベラルなワイマール憲法の下で、表現の自由、個人の自由が保障され、特に性の解放(あるいは性の売買)が類を見ないほど広がりました。ベルリンの町は様々なキャバレー、ダンスホール、劇場が乱立し、ありとあらゆる形の売春、性的交渉、嗜好がやり取りされ、それは大して取り締まりもされずに街全体に蔓延していきます。一方で、戦争の傷跡は残ったままで、傷痍軍人が乞食同然に街中をうろついていました。暴力とセックスが同衾していた街だったのです。


オットー・ディックス、思わず目をそむけたくなるイメージ


それをもっとも直接的に表現したのは、画家のオットー・ディックスでしょう。彼はダダイズムから新即物主義に分類されている芸術家ですが、一貫して醜い人間の内面を描いていました。ディックスは第一次世界大戦に従軍し、塹壕での戦闘を何年も経験しています。戦後、今で言うPTSDに悩まされ、戦場での生々しい肉体の破壊を題材とした作品を数多く発表しました。また一方で、ベルリンの頽廃を痛烈に描く作品を数多く制作し、1925年の「ノイエ・ザッハリヒカイト」展覧会に出品します。

Otto Dix, Sturmtruppe geht unter Gas vor (1924) (ottodix.org)
これは彼の”Sturmtruppe geht unter Gas vor (1924)”[毒ガスを使って前進する突撃隊]という作品です。まさしく非人間的な戦闘の瞬間をとらえ、突きつけてくる作品です。
Otto Dix, Three Prostitues on the Street (1925) (ottodix.org)
「3人の娼婦」
Otto Dix, Portrait of the Dancer Anita Berber (1925) (ottodix.org)


「踊り子アニタ・バーバーの肖像」。アニタ・バーバーこそ1920年代の夜のベルリンを代表する女性です。ステージでは、ほとんど裸で踊り、ありとあらゆるセックス、ドラッグ、アルコールに溺れ、スキャンダルにスキャンダルを重ねて(1)、短い人生を疾走しました。フリッツ・ラングの”Mabuse (1922)”にも出演しています。
Otto Dix, Portrait of the Journalist Sylvia von Harden (1926) (ottodix.org)
ワイマール・ベルリンの鼓動そのものの作品。「シルビア・フォン・ハーデンの肖像」。

Otto Dix, Lustmord (1922)
オットー・ディックスの1920年代前半の作品の中に”Lustmord”と名づけられた一連の作品群があります(たとえば、このサイトにいくつか紹介されています)。どれも娼婦の殺人死体を描いたものです。このあまりに陰惨な絵画群は、実際におきた事件にインスパイアされているのですが、まさしく第一世界大戦の塹壕と頽廃のベルリンが重なったものなのです。ジョージ・グロスなどにも、同様の題材の作品(2)があります。この、娼婦が無残に殺される、というイメージは、G.W.パブストの"Die Busche der Pandora (1929)"[邦題:パンドラの箱]に直結します。パブストの映画だけだと、ルイーズ・ブルックス演じる娼婦のルルがなぜ殺されるのか、ちょっと脈絡がない感じがするのですが、実はワイマール・ベルリンの性的倒錯への執着の10年そのものをあらわしているのです。


芸術家とパトロン

 

”Abwege”では、ヒロインのアイリーンは、画家の男と駆け落ちしようとします。画家にとって、彼女はインスピレーションであり、何枚もスケッチしています。この関係は、実在の画家、マックス・ベックマンとリリー・フォン・シュニッツラーとの関係を思い出さずにいられません。マックス・ベックマンは、多くの女性と関係を持ち、それを隠してもいませんでしたが、リリー・フォン・シュニッツラーとの関係は特に重要なものでした。リリーはすでに人妻であり、ベルリン社交界の花形でもありました。彼らの関係がどういうものだったのかはあまりはっきりしないようですが、ベックマンはリリーの肖像を数多く残していますし、またリリーは彼の作品の熱心なコレクターであり、コレクションをコロンの美術館に寄贈もしています。リリーの夫のゲオルグ・フォン・シュニッツラーは、あの悪名高きI.G.ファーベンの役員であり、第二次大戦後にはナチ戦犯として服役しました。

リリー・フォン・シュニッツラーの肖像 (max-beckmann-archive.org)
権力と腐敗と頽廃と芸術が、すべて同じ鍋の中でグツグツ煮立っているような、そんな時代です。


べルリンの空気を吸って


アイリーンの夫、トーマス・ベックは「ドクトル」の称号で呼ばれ、仕事熱心な弁護士です。「ドクトル」の称号で呼ばれると言うことは、当時のドイツ社会において非常に名誉なことであり、特権階級であることの証明でした(3)。しかし、トーマスは、社会的には成功しているものの、明らかにアイリーンを満足させていません。彼は仕事熱心なのか、女性に興味がないのか、性的不能なのか、そのすべてなのか、アイリーンに対して異常に薄情な態度をとる一方で、ひとりになると彼女との関係に苦悩しているのです。アイリーンは、そんな夫の薄情さに失望してナイトクラブにくりだすのです。そこでは、男も女も毒気を含んだ空気(4)を吸い、媚薬のようなシャンペンを飲み干し、札束を見れば群がり、若い女性を見れば群がっているのです。このナイトクラブで、アイリーンはコカインを吸い、若い男とダンスし続けます。アイリーンにコカインを教えるのは、目のうつろな麻薬中毒の女。「あの女は誰なの?」とアイリーンが聞くと、連れが答えます。「元は銀行家の未亡人よ。彼女があんなだから自殺してしまったのよ。」ダンスフロアの混沌とアルコールのにおいを、ハンドヘルドのカメラがとらえ、いまでも見る者をベルリンの空気で堕落させるような、そんな力がこのナイトクラブのシーンにはあります。そこで、前回のボクサーとのやり取りになるのです。

肉体を売り物にしているボクサーと、「ドクトル」の妻であるアイリーンは同じ社会階級に属していません。アイリーンは、ナイトクラブでは(すくなくとも表面上は)このボクサーに拒否反応を示しています。面白いのは、彼女はボクサーの人形には親近感を示して直視するのですが、その人形を贈ってきたのが当のボクサーと知って、愕然とし、強烈な嫌悪を示すのです。ここでは視線がかろうじて交差します。アイリーンは、ドクトルの妻という社会的地位と面子を保つことと、自らの満たされない性的欲求、この2面性にさいなまれているのです。

このサム・テイラーというボクサーは、アメリカ人ではないかと思います(ドイツ人だったらシュナイダーになると思います)。すると、彼はきっと英語で騒いでいて、(アメリカ人に典型的な)野卑な行動をとっていたのでしょう。アイリーンは、特に後先も考えずに貧乏な画家と駆け落ちしようとするほど、浅はかで、かつ追い詰められているのですが、この時点では、「野卑な外国人の肉体」に嫌悪感を抱くほどの「ドイツ人女性としての分別」が残っていた、ととらえることもできます。

この夜を境に、アイリーンの夫との関係はさらに冷えていきます。そして、彼女はついにボクサーのジムを訪ね、視線をボクサーと交えるだけでなく、誘惑するようになるのです。

(つづく)





<補足>
(1) アニタ・バーバーはいつもサルをペットとして連れていました。この時代にベルリンにいたビリー・ワイルダーは、後に”Sunset Boulevard (1950)”[邦題:サンセット大通り]で、ヒロインのノーマ・デズモンドにサルのペットを与えます。

(2) ジョージ・グロスがナイフを持って娼婦(実際には彼の妻)を襲うおふざけをしている写真は、アルフレッド・ヒッチコックの”Murder! (1930)”[邦題:殺人!]を思い出させます。

(3) 彼の名前に貴族階級の出身であることを示す「フォン」がついていないことは気になります。これは帝国時代には、ベック家は労働者あるいは農民階級だったこと、そしておそらくトーマス自身の努力によって、今の地位を築いたとも考えられます。あくまで推測ですが。

(4)「ベルリンの空気(Berliner Luft)は、ベルリンに住む人間を変える」という歌は、ベルリンの非公式ソングです。ベルリンフィルハーモニーの「ワルトビューネ音楽祭」では必ず最後に演奏されます。


2013年9月4日水曜日

G.W.パブストの”Abwege(1928)”:交わらない視線

G.W.パブスト(Georg Wilhelm Pabst)は無声映画からトーキー初期の時代に数多くの画期的な作品を発表した、ドイツ・オーストリアの映画監督です。彼は当時のドイツの映画界が表現主義一色だったのに対して、新即物主義(Neue Sachlichkeit)と呼ばれるスタイルで”Die freudlose Gasse (1925)” [邦題:喜びなき街]、”Die Liebe der Jeanne Ney (1927)”[邦題:懐かしのパリ]などを監督しました。新即物主義とは、ドイツ表現主義や後期ロマン主義の極めて主観的な世界観を批判し、現実の世界に対峙し、告発する姿勢を持たねばならないとした芸術運動です。ある意味で、ワイマール文化の政情不安、社会的な頽廃を象徴した運動でした。画家のジョージ・グロスオットー・ディックスラウル・ハウスマン、戯曲家のブレヒト、作曲家のシェーンベルグなどが挙げられますが、ダダイストや表現主義から派生した部分もあり、必ずしも明確な定義があるわけではありません。絵画や演劇では新即物主義は大きな流れとなっていましたが、UFA社を中心とするドイツ映画界では、むしろ表現主義に属する潮流が主流を占めていました。G.W.パブストは、当時のドイツ映画界の中で、ヨーロッパの頽廃をリアリズムに基づいて描いた稀有な存在でした。

パープストの作品はまだ見ていないものも多いのですが、サイレント最後期の作品、”Abwege (1928)"[邦題:邪道]を最近見て非常に不思議に思うことがいくつかありました。それについて考えてみようと思います。

まず、このシーンを見てください。


これは、この映画のヒロインであるアイリーンが頽廃きわまるベルリンのダンスホールに行ったときの様子です。見知らぬ男(その後のシーンでこの男の職業がボクサーと分かります)とその連れが、彼女をからかって紙テープを投げつけるのですが、この2人の座っている位置関係がどうなっているかわかりますか?
(アイリーンは、そうです、フリッツ・ラングの“Metropolis (1927)”のマリアを演じたブリジット・ヘルムが演じています。)

私は最初に見たときには、実はよくわかりませんでした。この動画で2つ目のショット(ヒロインを斜め後ろから撮ったショット)を、男のPOVショットと勘違いしたのです。つまり、男は手前にいてそこから彼女の背中に向かって紙テープを投げている、と思ったのです。ところが、紙テープが飛んでくる向きやダンスをしている人たちの位置関係から、男は右手奥に位置しているのが分かるのです。

なぜ、そんな勘違いをしたかといえば、いわゆるハリウッド古典映画の文法からすると、2つ目のショットはPOVショット、あるいは最初のショットに対するリバースショットとして配置されることが一般的だからです。ショット/リバースショットとは、映っている人物同士の視線が交わることで位置関係を表す方法です。人物を結ぶ軸(axis、日本ではイマジナリーラインと呼ばれています)を超えないで、常に同じ側から撮影することで、場面のコンティニュイティを維持する方法です。

たとえば、”Watch on the Rhine (1943)”[邦題:ラインの監視]のこのシーンを見てください。まず、2人をフレームに収めて全体の関係を撮ります。その後、右手の男性を左からアップで撮ったショット、そして左手の男性を右手からアップで撮ったリバースショットとつないでいきます。このときそれぞれの相手の後ろ肩をフレームに入れることで、より空間のゆとりと方向性を、自然に表現します。



「ラインの監視(1943)」より

この編集方法はすでにサイレント映画の時代に確立され、非常に複雑な空間関係もコンティニュイティを保ちながら表現されています。パブストの”Abwege”と同じ年に公開されたハリウッド映画、"Romance of the Underworld (1928)”[邦題:暗黒街のロマーンス]でも、ナイトクラブのテーブル間でのやり取りがありますが、視線の交わりを処理するだけでなく、指差しや、首をひねって人物を追っかけるなどして、空間の位置関係を明らかにしています。


この文法に従うと、”Abwege”の紙テープのくだりでは、2つめのショットは、右手を見ているヒロインをやや左正面から捉えるのが正当な方法なのです。これを上から見た配置図にしたのが下の図です。実際の作品に使用されているカメラアングル・位置が左ですが、右の図のようにハリウッドの文法に沿って撮影することで、位置関係を明確に伝えることができるはずです。ではなぜ、パープストはこのような変則的なカメラ配置にしたのでしょうか?

(左)"Abwege"のカメラ配置   (右)古典的なハリウッドのカメラ配置

いろんな解釈が成り立つとは思います。
・ 混沌としたダンスホールのなかで、ヒロインが感じている方向感覚の喪失を表現している。
・ ヒロイン(裕福な階級)は、労働者階級の男と視線を合わせることを拒んでいる。

パブストは、何を狙ったのでしょうか。

[つづく]
 
 
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