2014年10月27日月曜日

1920年代の3D映画



3D映画は、ハリウッド映画史上において1950年代に最初にブームを迎えたとされていますが、実は1920年代に一度ブームを迎えているのです。この時期の3D映画は、今となってはその完成度や影響力を把握しにくいものになっています。というのも、そのほとんどが消失してしまっているからです。

1920年代に登場した3D映画は、基本的にアナグリフ型であるため、カラー映画の発達と並行していたともいえます。1922年に発表、公開されたウィリアム・ヴァン・ドーレン・ケリーの「プラスティコン(Plasticon)」は現存する最古の3D映画だと思われます。「未来の映画(The Movie of the Future)」というタイトルでニューヨークのリヴォリ・シアターで公開されました。この映画は90年後の2013年にWorld 3-D Film Expo IIIで特別上映もされています。

もともとウィリアム・ヴァン・ドーレン・ケリー(1876 - 1934)はカラー映画の開発を手がけていました。1916年にプリズマ I、1917年にパンクロモーション(Panchromotion)というプロセスを発表します。これは赤/オレンジ、青/緑、緑/紫(+黄色[パンクロモーション])のフィルターの円盤がフィルムとシンクロして回転することでカラーを形成するというものです。このプロセスを用いて、「Our Old Navy(1917)」という映画を発表しますが、技術的な問題を抱えていたため、ケリーは別の手法を模索します。(このプロセスでは、1秒あたりのフィルムコマ数を増やす必要があり、行き詰ってしまいます。)ケリーは、1919年にプリズマ IIというプロセスを発表します。これは二枚のフィルムを貼り合わせたもので、一方が赤/オレンジ、もう一方が緑/青に染色されています。これは撮影時に1コマおきに赤、青とフィルターしたものを重ねたもののようで、重ねると動いているものはぴったりと重ならない、という欠点がありました。そのため、風景を撮影したものが主体となり、このプリズマカラーで多くの観光映画が製作されています。「Bali : The Unknown (1921)」「The Glorious Adventure (1922)」は、ニューヨークのリヴォリ・シアター、あるいはロキシー・シアターで公開されています。このシアターチェーンのディレクターであるヒューゴ・リーゼンフェルドがこのような新規技術に理解を示しており、積極的にプログラムに組み込んで行ったようです。1923年にはロバート・フラハティーが「モアナ」の撮影のためにプリズマ IIのカメラをサモア諸島に持って行きますが、カメラの動作不良により、カラー撮影をあきらめたと言われています。

このケリーのプラズマ IIが基礎となって、2台のカメラでそれぞれ赤/オレンジ、緑/青を撮影することで3D映画のプロセスが生まれます。「未来の映画(The Movie of the Future)」はニューヨークで撮影され、ルナ・パーク(当時最も人気のあった遊園地)での動きのある映像が呼び物だったようです。



このほかにも、フレデリック・ユージン・アイヴスとヤコブ・リーヴェンタールが開発したステレオスコピクス(Streoscopiks)も1925年に同じくニューヨークで公開されます。「Lunacy」はやはりルナ・パークで撮影され、ローラーコースターや観覧車からみた映像が中心だったようです。異なる原理を利用した3D映画としては、1922年のテレヴュー(Teleview)があります。これは、観客席に双眼鏡のような装置がすえつけてあり、観客はスクリーンをこの装置を通して見ることになります。映画は1コマごとに右目用、左目用の像をスクリーン上に投射します。映画上映に同期して双眼鏡内のシャッターが左右のレンズを交互に開放する仕組みです。




ここで、私は「3D映画」と呼んでいますが、当時は「ステレオスコピック(Streoscopic)・ムービー」と呼び、3D効果のことも「レリーフ効果」と呼んでいました。



Plastigram Stereoscopic Film, 1921 と題されていますが、
これは1926年のStereoscopiksのものだと思われます。

これはGeorge Eastman Houseが保有するStereoscopiksのプリントのようです。左目が青、右目が赤のフィルターで見ると「レリーフ効果」が現れるはずなのですが、ちょっと難しいようですね。プロジェクターを使って大きく投影して見たりしたのですが、どうもしっくり来ません。これが当時の技術の限界だったのか、それともフィルムの保存に伴う問題なのか判別しません。こういう点が、この時代の技術の把握を難しくしている部分でもあるでしょう。しかし、これらの映画の技術的な発達が混迷してゆく様子を見ると、当時の観客にとっては望ましいものではなかった可能性が高いでしょう。

そのような背景からか、このあと、アナグリフ方式でスクリーンの2次元に新しい次元を加えるという試みは、まったく思わぬ方向に展開します。「プロット」の次元です。1927年に発表された「お気に召すまま(As You Like It)」は、ヤコブ・リーヴェンタールとウィリアム・クレスピネルが製作した短編映画です。普通の白黒映画として始まります。仕事場にいった夫の帰りが遅く、やきもきする妻。夫は木材処理場で働いているのですが、そこで悪人に襲われてしまいます。のこぎりのスイッチが入れられ、夫はいまにも真っ二つ。一方、心配のあまり妻は車で夫の仕事場へ。そこで画面に「メガネをかけてください」という字幕が出ます。ここで、
左目(青)だけで見ると
棺桶が仕事場から運び出され、カメラに向かってやってくる。そこで棺おけは真っ二つに割れて、夫の死を暗示して終わる。
右目(赤)だけで見ると
妻は直前に間に合って、のこぎりのスイッチを切り、夫婦は抱き合って終わる。
そう、見る眼によって、悲劇のエンディングか、ハッピーエンディングか選べるのです。

もちろん、現在ではゲームのストーリーテリングの基本的な手法として、複数のバージョンのエンディングというのはごく普通に存在します。しかし、映画では複数のエンディングが同時に公開されるというのは、数えるほどしかありません。「殺人ゲームへの招待(Clue, 1985)」と「ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ(Hide and Seek, 2005)」はどちらも違う劇場で別々のエンディングが見られると言うものです。マレーシア映画「ハリクリシュナン(Harikrishnans, 1998)」は登場する2人の俳優のそれぞれのファンのために、2つのバージョンのエンディングを用意しました。ファンは自分の好きな俳優のハッピーエンディングが用意されている劇場に行けばよかったのです。しかし、「お気に召すまま」のようにひとつのスクリーン上で二つの違うプロットが同時に進行すると言うのは、後にも先にもこれだけではないでしょうか。残念ながらこの映画のプリントは現存していないようです。

この頃に、ハリウッドのステレオスコピック映画熱はいったん冷めてしまいます。これらの映画が公開されたのは、都市部、ほとんどニューヨーク市内に限られていたようですが、本当はどのくらい上映されていたのでしょうか。一方で、カラー映画は、テクニカラーが3ストリップ式を10年ほどかけて完成させます。1930年ごろには、一時期だけワイドスクリーンもブームになります。しかし、この時期の最も重要な技術競争と言えば、映画のサウンド化(トーキー化)であり、数多くの方式が特許を抱えて競い合っていました。そのような技術の嵐の中、ステレオスコピック映画はあっという間に忘れ去られてしまいました。

2014年10月20日月曜日

疲労困憊の3D映画(3)



3D映画を観ると疲れる

Bernard Mendiburuの”3D Movie Making: Stereoscopic Digital Cinema from Script to Screen”(2009 Elsevier)には詳細に3D映画の原理とプロセスが書かれています。そこにも「両目の焦点(Focus)と輻輳(Convergence)の関係が、実際の3次元の空間を見る場合とは異なること」についても、もちろん言及されています(p.20)。


実空間での焦点/輻輳の関係(左)と3D映画での焦点/輻輳の関係(右)

Mendiburuは

この焦点/輻輳の非同期は、多くの人が難なくしていることであり、そうでなければ3D映画は存在しない。
This focus/convergence de-synchronization is something most of us do without trouble, or 3D cinema would just not exist.

と言っています。しかし、この根拠は示されていません。本当に「難なくしていること」なのでしょうか?

この本が出てから4年後に発表された、Angelo G. Soliminiの論文("Are There Side Effects to Watching 3D Movies? A Prospective Crossover Observational Study on Visually Induced Motion Sickness ", PLOS, Published: February 13, 2013, DOI: 10.1371/journal.pone.0056160)には、とても「多くの人が難なくしていること」とは思えない状況が述べられています。

ヴァーチャル・システムや操縦シミュレーター、3Dディスプレイを見ることで、視覚疲労(visual fatigue)や「乗り物」酔い(motion sickness)が起きることが報告されています。特に動画を見ることで起きる酔いはVIMS(visually induced motion sickness)と呼ばれています。

視覚疲労の症状としては、眼の不快感、疲れ、痛み、乾き目、涙目、頭痛、さらには、視界がかすんだりや二重に見えたり、焦点を合わせるのが困難になったりします。まさしく、焦点/輻輳の非同期が、この視覚疲労を引き起こしていると主張の研究もあります。一方でそれは原因ではなく、関連がみられるというだけではないか、という意見もあります。もともと潜在的に両眼視に問題を持っている人も多く(本人も気づいていない)、その場合は視覚疲労が発生する率はさらに高いと考えられます。

VIMSは、視覚で得られている動きの情報と、実際に身体が知覚する動きの情報が矛盾していることで発生すると考えられています。たとえば、ジェットコースター上で撮影された映像をじっと座って見ている場合、観客の視覚は高速で激しい動きの情報を送っているのに、体はまったく静止したままであるため、その矛盾を解決できずに「酔い」という症状になってあらわれるようです。このとき、「身体が知覚する動きの情報」というのは、実に複雑で、三半規管からの情報だけではなく、関節にかかる力、肌に触れる空気の流れ、などありとあらゆる情報を総合しているといわれています。動きの方向、速度、加速度だけでなく、環境からの刺激や、その変化なども、動きの情報として加わっているのです。
 
VIMSについて産業技術総合研究所の渡邊洋氏らが研究した結果は非常に興味深いものです。観客に2D、3D、そして「不適切な」3D映像を見せ、視覚疲労や自律神経系の反応を調査しました。ここで「不適切な」3D映像とは、左目と右目が見る像を上下にずらしたり、入れ替えたり、色味を変えたりして、通常の3D画像として認識できなくしたものをいいます。結果的には、「不適切な」3D映像を見た場合に疲労やVIMSを感じる観客は多いのですが、実は交感神経系の反応は3D映像をみるだけで上昇し、適切であるか不適切であるかは関係がないという結果になりました。

しかし、イギリスのローボロー大学のピーター・A・ホワースは、このような一連の実験から「3D映画の害悪」を安易に導き出すことは注意しなければいけないとも言っています(ちなみに上記の論文ではそのような結論を述べてはいません)。3D映画と2D映画を被験者に見せて効果を観察するという実験方法について、以下のように述べています。

このような(実験)アプローチの問題は、立体視(ステレオプシス)は他の要素 ーこの場合はVIMS刺激の強度だがー を仲介して、立体視3Dイメージとの関連はあるが、決して原因ではない条件に差ができてしまうかもしれない、という点である。
The problem with this approach is that the stereopsis could mediate other factors – in this case the strength of the VIMS stimulus – leading to differences between the conditions which are associated with the stereoscopic 3-D images, but not necessarily caused by them.

別の言い方をすれば、実験で3D映画を観ることによるVIMSが増加することが事実だとしても、それがどのような仕組みで起こるのかは簡単には明らかにならないだろう、ということです。

被験者に静止した球(上段)と3D映画(下段)をVRDで見せた場合の体の重心の動き
左は両足を閉じて、右は開いて。
(Stabiliogram-Diffusion Analysisを用いた解析)
Computer Technology and Application 3159-168 (2012)



では、1950年代に3D映画がアナグリフ方式ポラロイド方式で普及したときには、このような身体的な不快感や変化は報告されなかったのでしょうか?学術誌や業界紙にはあまり報告はないのですが、やはり頭痛を起こす人たちはいたようです。人気TV番組「アイ・ラブ・ルーシー」のプロデューサーで、TV番組制作のパイオニアでもある、ジェス・オッペンハイマー(1913 - 1988)は、1950年代の3D映画のブームの際にある発明をします。「3D映画を2Dでみるメガネ」だそうです。これは、彼が奥さんと3D映画を観にいったとき、観客の中に3Dメガネの上から片手で片方を隠している人たちがいて、不思議に思ったことが発端です。それが両目で(3Dで)観ると頭痛がするからだ、と知って、そのような人たちのためにメガネを作ったのです。このメガネが売り出されたのか、効果があったのかはわかりません。

ジェス・オッペンハイマーの3D→2Dメガネ
Popular Mechanics, January 1955

3D映画を鑑賞することで身体に不快感を感じている人は明らかにいます。しかし、それがどのようなメカニズムで発生しているのかは、まだ研究段階で、安易な結論は避けなければなりません。ここ数年でも、VIMS専門の学会が2回、専門誌による特集号も何回も発行されています。3D映画のどのような部分が、視覚疲労につながるのか、VIMSにつながるのか、また疲労が出やすい人とそうでない人には相違があるのか、など科学的に解明されなければ、明らかな因果関係があるとは言い切れないでしょう。

問題は、この3D映画の問題は、エンターテーメント業界が商業的に作り出してきたものだという点です。彼らが3D映画に商業的な価値が見出せない、となると研究し続けること自体に意味がなくなっていきます。それがヴァーチャル・リアリティにスライドしたとして、多くの部分は流用できるにせよ、もう一度問題の定義をしなおし、データを蓄積していく必要があるかもしれません。

「アバター」に端を発した3D映画への期待と投資は、明らかに岐路に差し掛かっています。ジェームズ・キャメロンがなかば強迫的に3D映画への転換を迫ったことで、配給と上映のデジタル化が進んだことは事実です。しかし、常に「新しい体験」という言葉を持ち出して、 次のものを売ろうとしても、前のものが「大したことなかった」と思われていれば、自然に投資が鈍るとも限りません。この「新しい体験」を十分な映画表現、エンターテーメントのツールとしての把握と制御ができるものにするまで、まだ時間がかかるように思われます。

(4)に続く

2014年10月18日土曜日

疲労困憊の3D映画(2)

via. wonderfulengineering
 
50年代とは違うシナリオ

2000年代後半から注目され始めたハリウッドの3D映画のビジネスモデル、あるいは普及のシナリオは1950年代とは違うのだとする意見もあります。Thomas Elsaesser の「The ”Return” of 3D」は、その相違として4点を論じています。

(1)長期的な3D映画の目標は、パーソナルな消費(DVD、ゲーム、スマートフォン etc.)である。
(2)3Dの視覚芸術は(ドルビー・サラウンドなどの)3Dの聴覚芸術を補完する性質のものである。
(3)3Dの視覚芸術は歴史的には2Dに先行していた技術でもあった。
(4)デジタルの3Dは、美学的な見地から「見えない」特殊効果を目指している。

実はこれらは、2000年以降、3D映画が議論される際によく目にする論点です。私はこれらの論点こそ、多くの人が指摘する「3D映画の失速」を物語っているのではないかと思っています。
パーソナルな消費、小さなスクリーンでの3D映画、エンターテーメントの可能性、というのは、実際の3Dディバイスに対する市場の冷ややかな反応を見ると、その可能性は著しく萎んでしまっているとしか言えません。「ニンテンドー3DSは『3Dであるにもかかわらず』売れた」とされ、3Dのスマートフォンはほとんど注目されませんでした。そのような現状は、ディバイス、およびそれに対応したソフトウェアの開発への投資を一挙に鈍らせます。私自身、家庭用の3Dディスプレイに必要な材料の研究開発の現場の状況をわずかながら知っていましたが、結局R&Dや商品戦略を考える上で、「量が出ない」というのは大きなネックとなり、「技術的な差異化」「次世代のディバイス」といった切り口は殆ど意味をもちません。特に3Dディスプレイの場合、仮に商品化したとしても、そこから先に伸びていくマーケットが見えにくいのです。そういう、業界全体の投資が減速し始めると、加速度的に縮小し、おそらく現在では「パーソナルな消費」はほぼ壊滅したといってもいいと思います。

(2)の議論は (1) と整合性がありません。パーソナルな消費が仮に存在したとしても、劇場でのサラウンドシステムを再現するわけではなく、ヘッドフォンを使用したステレオ音響にサラウンド的なエフェクトを施しただけです。また、劇場での鑑賞に絞ったとしても、ドルビーサラウンドが「3D」を構築しているとはとても思えません(著者はなぜかドルビー・ノイズ・リダクションが3Dをもたらしたと言っていますが)。ドルビーのATOMOSは、3D的な音像設計を目指していますが、この普及はこれからです。

1860年頃の3Dステレオグラム

ステレオグラムは、19世紀から絵や写真を立体的に鑑賞するものとして普及し人気がありました。しかし、「先行した」技術であることと、それが継続的なエンターテーメントとして機能するかは別問題です。むしろ、ステレオグラムやそれに類するノヴェルティは立ち消えることなく、ずっと映画やTV、ビデオやネット動画と並行して存在し続けていたことを考えると、なぜそのノヴェルティの位置から抜け出せないでいるかを考える必要があります。

Elsaesserは次のように言います。

3-D を、アトラクション映画ではなく、空間の奥のほうから物を投げたり驚かせたりするものではなく、デジタル画像の柔軟性やスケーラビリティや流動性、その曲面性を、音響と視覚の空間に導入し、物語の統合へむけた新しい映画の最先端と考えてみてはどうだろうか。水平線をなくし、消失点を宙に浮かせ、距離を淀みなく変化させ、カメラを解き放ち、観察者を恍惚とさせる - そうすれば、その美的可能性は、スーパーヒーローやおもちゃやSFファンタジーに飢えた子供たちくらいしか喜ばない馬鹿げた話以上のものを語れるようになるだろう。

著者の呆れ果てたスノビズムを度外視しても、本当に3D映画が物語り -Narrative- に新しい地平を開くのかどうか、考える必要があります。正確に言うと、3Dがもたらす新しい物語りが、3D によって失われる物語りよりもはるかに魅力的か、ということです。アナロジーで言うなら、サイレントからトーキーに移行したときに失われた物語りと得られた物語りで、トーキーによって得られたものが「美的可能性」の上においても十分魅力のあるものだったが、それと同じことが3Dにも言えるだろうか、という問いです。

私は、この問いに答えるためには、3D映画はまだ十分に可能性が探られていないと考えます。Elsaesserもあげている「Cave of Forgotten Dreams (2011)」などは、その可能性を探索する一歩だとは思いますが、多くの3D映画は、まだその文法を把握することで精一杯だといわざるを得ない。典型的な例が、マイケル・ベイの「Transformer: The Age of Extinction (2014)」でしょう。彼は非常に短いカットをつなぐことで、彼のファンが好むダイナミズムを生み出していたわけですが、3Dではあまりに短いカットでは観客がショットのパースペクティブに慣れることができない。そのため、この映画では彼は5秒以上のショットを重ねるように心がけていたわけです。すなわち、マイケル・ベイは2Dで「魅力的に」使いこなしていた物語りができなくなったのです。その代わりに得たものはどれくらいだったのでしょうか?


ここで、マイケル・ベイを美学的な観点で語るのはおかしいだろうという意見もあるかもしれません。しかし、Elsaesserのいうところの「スーパーヒーローやおもちゃやSFファンタジーに飢えた子供たちくらいしか喜ばない馬鹿げた話」でさえ、語り方を模索しているときに、それ以上の語りを模索することをもって3Dの優位性を位置づけるのは、議論として説得力がないと思うのです。

私が強く感じるのは、「どうしたら3D映画は離陸できるのか」ということの筋道が見える前に、経済のダイナミックスで3D映画が消える、あるいは限られた役割しか与えられなくなるのではないかということです。Immersion -没入ー の側面に強く依存していた3D映画の市場開発のシナリオが、次の一手を打つ前に息切れしてしまっていると見えるのです。

(3)に続く

2014年10月16日木曜日

疲労困憊の3D映画(1)


3D映画の伸び悩み

今年はじめからいくつかの記事で「3D映画が観客に飽きられ始めている」ということが言われています。モルガン・スタンリーの分析では、2011年のピークから3D映画の売上げは下がり続け、それにあわせて3Dの公開本数も減少しています。BFIの調査では、劇場で2Dよりも3Dを選ぶ観客の比率がこの数年で減少しており、3D映画への期待が薄れていることを示しています。



この夏はハリウッドにとって8年振りの低調な興行成績に終わってしまいましたが、その原因として、ワールドカップがあったことや、凡庸な結果に終わった話題作があったことなどの他に、3D映画の伸び悩みがあったことも指摘されています。「家族で映画を見に行って、ポップコーンとコーラを買ったら1日分の給料が飛んでいく」というコメントを読んだことがありますが、2時間ほどの体験として3D映画の特別料金を支払うだけの価値を見出せるか、というところに観客の関心が向き始めているようです。

数年前から3D映画は本当に「体験」「興奮」を提供するのだろうか、ということは疑問視されてきました。2011年のアメリカ心理学会の調査で、400人の学生を対象に「不思議の国のアリス」と「クラッシュ・オブ・タイタンズ」の2D版と3D版を見せてアンケートをとったところ、2Dと3Dに「興奮度」「心に残る体験」としての差はほとんど見られない、という結果がありました。

もともと、3D映画の仕組みが不自然であることは否めません。スクリーン上に映し出された像を、特殊なメガネで観賞することで3次元の幻影を見るのですが、両目の焦点(Focus)と輻輳(Convergence)の関係が、実際の3次元の空間を見る場合とは異なります[1]。この不自然さをもって、「3D映画は永遠に普及しない」とウォルター・マーチは豪語しました。この記事は2011年のRoger Ebertのサイトに掲載され、多くの反響を呼びました。コメント欄には、まだ3D映画に対して好意的なものが多く見受けられます。

David Bordwellはゴダールの新作についての評論の中で、近年の3D映画に共通して見られる問題として2つ挙げています。ひとつは「coulisse effect」と呼ばれる、(体積的な3次元ではなく)複数の平面が重なったように見える効果、もうひとつは映画が進むにつれ3D効果が薄れる「慣れ」の問題です。私もこの問題には覚えがありますし、多くの人が体験したことではないでしょうか?

3Dトイ・シアター(フリッツ・カニック


バロック・オペラの舞台装置の模型
"coulisse"という言葉はこの舞台装置から来ています

多くの観客が「頭痛」や「酔い」を起すことも指摘されています。これは全員におきるわけではなく、一部の人におきるように思われます。しかし、グループでの鑑賞の場合(たとえば家族で見に行く)、一人でも頭痛を起こしやすいとなれば、2Dを選択するようになるのは必至です。ネガティブな効果が繰り返し認められてしまうと、やはり「体験」よりも優先されてしまうのは仕方ないでしょう。

現在のハリウッドのビジネスモデルは、劇場でのチケット売上げよりも、フランチャイズやDVD、ブルーレイといった「副次的な」ビジネスでの利益確保が必須です。3D映画を家庭で観賞することを狙ったハードウェア(3DTV、プロジェクター)やソフトが一気に出ましたが、普及は減速しています。TV放送を3D化することで普及が可能かと思われましたが、BBCは3Dによる放送を棚上げし、ESPNは開発プログラム自体をキャンセルしました。ゲームの分野でも3Dへのシフトが期待されたものの、様々なところで開発が鈍化しているようです。



「アバター」が公開された当初は非常に期待された3D映画ですが、現状を見る限り、1950年代の3Dブームがたどった道を多くの人が思い出しているに違いありません。私は「Immersion(没頭、浸かること)」によって得られる「体験」に過度な期待をかけすぎたのではないか、と思います。ひとつには、そういう体験がどれくらい新鮮でありつづけることができるか、さらには、メガネをかけ続ける不自然さを正当化するだけの体験でありうるのか、ということを考えざるを得ません。もっと根本的な疑問として、2次元の次は3次元、そしてバーチャル・リアリティ、という当然のことのように考えられている「進化」が、技術としては進化しているのかもしれないけれど、エンターテーメントとして「進化」しているのか、ということをひたすら考えてしまいます。


(2)に続く





[1] これは、以下の図で見るとわかりやすいと思います。
(左)実空間で物体(緑色の星)を視るとき、眼のレンズを使って焦点を合わせ、両眼の交差(コンバージェンス/輻輳)で距離を合わせますが、その焦点距離と輻輳の距離は一致します。
(右)3D映画で、物体(緑色の星)が手前に飛び出しているとき、コンバージェンスは飛び出してきている位置に距離を合わせますが、焦点はスクリーン上で結びます(映画の像が写っているのはスクリーン上だから)。この焦点距離と輻輳の距離の不一致が3D映画を見るときの特徴です。

2014年10月6日月曜日

テープを巻き戻す


1970年代から90年代までのVHSテープ文化を取り上げたドキュメンタリー「VHSテープを巻き戻せ(Rewind This!, 2013)」が日本でも公開され、話題を呼んでいます。以前は必ずどこの家でも、あのテープがブラウン管テレビの上か、横に積み重ねられていたものです。それらはいつの間にか消え去り、今はハードディスクレコーダーか、でなければPCやスマートフォンで動画を見るのが主流になってきています。街角には必ずあったレンタルビデオ屋。DVDに鞍替えして生き残っている店舗もごくわずかとなってしまいました。消え去ったビデオはどこに行ったのか。雑誌「南海」で、ビデオ博物館なるものが日本にも存在することをはじめて知りました。中古VHSビデオを扱うKプラスの倉庫には10万巻ものテープが眠っているとか。消え去ったビデオのごくごく一部が貴重な財産となって残されています。

私がアメリカに留学していたころ(80年代後半から90年代)は、まさしくVHSテープ全盛期で、「VHSテープを巻き戻せ」に取り上げられている状況が目の前で進行していました。同時に Blockbuster Video (ビデオ・レンタル) や、Best Buy (家電量販店)といったチェーン店が、メインストリームのVHS文化、ひいては映像文化を形成していく時代でもありました。

私自身は、パブリック・ドメインのVHSをあさっていました。アメリカでは、パブリック・ドメインの映画が山のようにテレシネされ、VHSテープに起こされ、通販で売られていました。なかでも、ホラー、ミステリー、SF、ティーンエイジャー向けの古い「キャンプな」映画は Sinister Cinema をはじめとするB級PD映画専門の通販が毎月カタログを拡大し、よりレアな作品をリリースしていました。それらはパブリック・ドメインであるがゆえに、他の通販会社が堂々とコピーして自社のカタログに加えていき、中にはそうやって肥大化したカタログを廉価で投売りし始めるところも現れるようになったのです。Sinister Cinema は今でも営業していて Web サイトで通販していますが、1995年の「FILMFAX」誌に掲載された広告から「Big B Movie:HORROR」のカタログを見てみましょう。年代順に並べられ、小さな文字でぎっしりとページが埋められています。その文字の海の間に、白黒の映画ポスターがこれ見よがしにはめ込まれ、私のような高尚で博識で幼稚な映像愛好家の脳髄を刺激します。どんなタイトルが並んでいるか。

まずは「恐怖城(White Zombie, 1932)+ ルゴシ・インタビュー(Lost Lugosi Interview, 1956)」です。いきなり、ディープですね。「恐怖城」という作品は、ハルペリン兄弟という独立プロデューサーによる、ホラー映画の牙城ユニバーサルへの持ち込み企画映画です。当時、ドラキュラで絶大な人気を誇ったベラ・ルゴシが主演の映画です。いやあ、これ、名作です。しかもこのVHSテープの売りは、「35mmプリントから新しく起こした」ことなんです。「恐怖城」は「White Zombie」というタイトルもあいまって、ホラー映画ファンの必須アイテムとなり、国道を走るミニバンのごとく大量に出回っていたのですが、このVHSは違う。Sinister Cinema は世界初、35mmプリントから起こして「この古典的名作を、最高の映像品質で見よう!」と、やってくれた訳です。しかも、薬物中毒のリハビリから立ち直ったベラ・ルゴシのレア・インタビューもボーナス!

次はワーナー・オーランド主演「危険な太鼓(Drums of Jeopardy, 1931)」です。ワーナー・オーランドといえば、悪の権化「フーマンチュー博士」や天才探偵「チャーリー・チャン」など中国人(?)を演じつづけたスウェーデン系アメリカ人です。古典映画のファンの方ならジョセフ・フォン・スタンバーグ監督、マレーネ・ディートリッヒ主演「上海特急(Shanghai Express, 1932)」の中国人反乱軍将校の役をご存知でしょう。その彼が、Poverty Row の雄、ティファニー・ピクチャーズでマッド・サイエンティストの役で主演したホラー映画です。


次は「悪魔スヴェンガリ(Svengali, 1931)」、ジョン・バリモア主演、アーチー・メイヨ監督の幻想怪奇映画。非常に独創的なセットと、ジョン・バリモアの眼から夜の街へぶっ飛んでいくシーンが印象的です。



それからカール・セオドア・ドライヤーの「吸血鬼(Vampyr, 1932)」。ところが、映画の紹介文にドライヤーの名前が出てこないんです。そのあたりの映画批評や作家主義から遠く離れたところから、ひとこと「光、影そしてカメラ・アングルの使い方が稀に見る恐怖に変貌する、ホラーの傑作」とコンパクトに言い切るところが素晴らしい。

次にはなんとフリッツ・ラング監督の「怪人マブゼ博士(Das Testament des Dr. Mabuse, 1932)」のドイツ語版とフランス語版(「こっちのバージョンのほうが長い!」)を並べてリスト。

と、リストは延々と続きます。ベラ・ルゴシがモノグラム・ピクチャーズで量産していた楽しい限りのホラー映画から、イギリス、フランスの手堅い怪奇作品、ジョージ・ズッコ、ライオネル・アトウィル、ジョン・キャラダインが主演をはった物々しいB級作品が1940年代まで並び続けます。50年代、60年代に入ると、作品の数は一挙に増えるとともに、ヴィンセント・プライス、クリストファー・リー、バーバラ・スティール、ピーター・カッシングが主役に名を連ねています。とは言っても、彼らの名作の著作権は切れておらず、パブリック・ドメインに落ちていないので、出てきているのは全部香ばしい感じの作品ばかり。クリストファー・リー出演「おじさんは吸血鬼だった(Uncle Was A Vampire, 1959)」、ピーター・カッシング主演「死体解剖記(Mania, a.k.a. Flesh and Fiends, 1959)」とかですね。さらにエル・サント主演のメキシコ系怪奇映画からクラウス・キンスキー出演のドイツ製ホラー、小林正樹の「怪談(1963)」も堂々リスト入りです。1973年の「フランケンシュタイン畸形の城(Frankenstein's Castle of Freaks, 1973)」まで全180タイトル。全部1本19ドル95セント。通販では高めの値段ですが、5本買うごとに1本無料、という特典つきですから、カタログを眺めながらゆっくり選ぶわけです。


これで満足、と思いきや、「フランケンシュタイン畸形の城」の下に「『忘れられたホラー映画』シリーズも見逃すな!」と書いてあるのです。今までのタイトルがむしろ忘れられたものじゃなくて、「みなさんご存知の」だったことに驚いている余裕はありません。これから先は、著作権切れVHS大航海時代の「喜望峰ルート」とまで言われた、「出航したら最後、戻って来れない」ところです。1970年代に、著名な映画史研究家でアーキヴィストでもあったウィリアム・K・エバーソンが出版した2冊の本、「Classics of the Horror Film」と「More Classics of the Horror Film」がヴァスコ・ダ・ガマとなり、ターナー&プライスの「Forgotten Horrors」がマゼランとなって、1930年代の「忘れ去られたホラー映画」が発見されてきていました。PRC製作の「ナボンガ」が「市民ケーン」と思えるくらいの、壮絶な出来の作品も少なくありません。これらの作品に触れると、1980年代以降に爆発的に増えた低予算の「なんだよこれ」B級ホラー映画は、ひいおじいさんの時代から確実に受け継がれてきたハリウッドの伝統であることがわかります(残虐表現ははるかにマイルドですが)。ホラーの要素をふんだんに取り入れた西部劇や、黄色人種に対する差別満載の「Yellow Peril」ジャンルの作品などが、毎月リストに追加されていきました。なかでも「マニアック(Maniac, 1934)」は、ハリウッドの底辺の映画がいかに「自由」だったか、そしてひどかったかを教えてくれる作品です。


 VHSのおかげで、映画が解放されたことは間違いありません。それまで、多くの映画ファンは、映画館にかかった映画しか経験できなかったのです。映画評論家と呼ばれる人たちが、その映画を経験したという特権だけで、映画を「語る」ことができた時代があり、分析とか批評と評して、一般のファンにはかなわない経験を披露していたのです。ところが、TVがまずそれを変えた。そして、VHSは自分が見たい映画を探し出してきて、見るということを可能にしたんですね。それまで、「帝国ホテル(Hotel Imperial, 1927)」だの「トパーズ(Topaze, 1933 ヒッチコックの作品ではないです)」だのは、フィルム・アーカイブかなんかで何十年に一度、しかも平日の昼間にしか見られないような作品だったわけです。そんなものは映画評論家でもない限り見れなかった。それが送料込みで20ドルも出せば、何度でも見ることができる。これは「VHSテープを巻き戻せ」でも言われていますが、それで映画の見方を身につけていった部分は多分にあると思います。

私の場合には自分の周囲に私のような映画愛好家がいなかったせいもあり、そういった通販をやっている連中が「映画が好き」でやっていることが伝わってきたのが楽しかった。カタログに載っていないタイトルでも、「こういう映画はあるか?」と聞くと「$12.95」と返事がメールボックスに入っているのです。(ここでいうメールボックスはアパートの玄関に鍵付でならんでいるやつです。クリックするヤツではありません。時代が時代ですから。)サイレント映画なんてもう需要がないから、それこそそうやって限られた予算で最大限のVHSを取り寄せて見たのです。そうすると、VHSテープの残った部分に、いろんな番組を入れてくれていたりするんですね。リチャード・アッテンボローが主演したブリティッシュ・フィルム・ノワールの傑作「ブライトン・ロック(Brighton Rock, 1947)」の後ろに、スペンサー・トレイシーが出演した「ボトムズ・アップ(Bottoms Up, 1934)」の一部分が入っていたり、グロリア・スワンソンの「インディスクリート(Indiscreet, 1931)」の後にマック・セネットの喜劇が入っていたり。「得した」とかではなく、わざわざ選んでダビングしてくれた心意気がうれしいのです。


こういう「マニアが高じて」という店もあれば、シカゴの Facet's Multimedia みたいに正統派の通販もありました。カタログも立派で、セレクションもルミエール兄弟からレオス・カラックスまで、作家主義の監督にはそれぞれ数ページを割いて、VHSでリリースされている全作品を取り揃えている、といった具合です。

ところで、「VHSテープを巻き戻せ」でも出てきましたが、「どこの家に行ってもあるビデオ」というのがあります。「タイタニック」の2巻組、それからディズニーの「美女と野獣」や「ライオン・キング」、日本だとジブリの「となりのトトロ」などは、かなり高い確率でどこの家に行ってもあったと思います。これだけの数のVHSテープに録画して出荷する、特にクリスマス商戦前などは大量に出荷準備量を確保しなければなりませんでした。だから、もちろん上記のような「マニアが高じた」店のようにデッキを使ったダビングで生産するわけではありません。これは「熱転写」と呼ばれる方法を用いた生産方式だったのです。

昔のオーディオ・カセットを使ったことがある人ならば経験があるとおもいます。曲が始まる前の無音部分のところで、曲のイントロがうっすら聞こえる現象。たとえば、ビートルズの「ヘルプ!」が始まる前に、亡霊たちがフライングで「Help!」と歌い始めているとか、レッド・ツェッペリンの「グッドタイムス・バッドタイムス」のイントロのギターが、エコーのように聞こえてくるとか。これがまた、たいていA面の最初とか、B面の最初とか、頭が切れないようにわざとちょっとだけブランクにしたところで聞こえてくるんですね。これは「プリントスルー」といわれる現象です。テープは巻かれているので、録音されている部分とその前の無音部分が重なるんですが、テープは磁気で記録されるものですから、無音部分に録音の磁気パターンが転写されるんです。下敷きの上に砂鉄をばら撒いて、下敷きの下に磁石をおくと、磁石の形が砂鉄に出てきますよね。まあ、あんな感じです。これは長い時間無音部分と録音部分が接触しているとゆっくりと起こります。

この現象を利用したのが「熱転写」といわれる方法です。「タイタニック」が記録されたマスターテープと、商品になるブランクテープを、それぞれすごいスピードで走行させ、その走行中に一瞬だけ接触させます。それだけでビデオ信号の転写はできませんから、そこにレーザーを当てて温度を上げるのです。マスターテープは熱に対して強い磁石の素材で、ブランクテープは弱い磁石の素材でできています。レーザーで温度が上昇すると、一瞬だけブランクテープの磁石が「書き込まれやすく」なり、そこに強いマスターテープのパターンが転写されるのです。

この工場を見学しに行った人から聞いた話ですが、クリーンルームの中に(ホコリとかテープにつきやすいですからね)この転写装置がずらりと並んでいるんだそうです。壁に検査用のモニターがずらりと並んでいて、そこに製品に録画された映像が超高速で再生されているわけです。映像の最大の需要といえば、アダルトビデオ。明るく清潔なクリーンルームの空間にずらりと並んだモニターで、多種多様な繰り返し運動がものすごいスピードで繰り広げられている。なんともシュールな光景です。

VHSとベータの戦いは、数ある「フォーマット戦争」の中でも最も有名なもので、ビジネスやマーケティングの教科書なんかにも出てくることもあります。VHSが勝利した理由に「映像の品質よりも録画時間」を消費者が求めたことがあげられます。VHSの勝利を決定的にしたといわれるのが、LPモード(長時間録画)で、これでVHSは4時間録画できるようになりました。アメリカ市場ではこれは非常に重要で、アメリカンフットボールの試合が録画できるようになった、と言われています。これは、当時開発に直接かかわっていた開発技術者の方からも、そう聞いたことがあります。ただ、「アメフトの試合が録画できると聞いたら、RCAとかマグナヴォックスの連中が、『それだ!』と言って食いついてきただけで、本当にアメリカの消費者がアメフト録画したかどうかは疑問だね。」「アメ車と一緒で、連中はなんでもデカいのがいいと思ってるから、VHSのほうがデカくて気に入ったんじゃないの。」とも言っていました。真偽のほどは不明です。


家庭用の録画媒体が、VHSテープからDVDやあるいはHDDに移行する段階になったとき、「テープ派」の主張のひとつに「テープでは、前回録画あるいは再生を停止したところが物理的に記憶されている」というのがありました。言い換えると、「ブレードランナー」の「私、目を作るだけ」のシーンを見ているときに、TVで録画したい番組が始まるので、テープをいったん止めて取り出し別のテープと差し替えても、次に見るときには「私、目を作るだけ」のシーンから始まるのです。テープは取り出しても、見ている位置から再度はじめられるが、DVDやHDDは一度そのディスクを取り出したり、プログラムを停止したら、次見るときはまた最初から始まるぞ、というものでした。これは、あっさりと解決されたわけですが、これが、テープやDVD、HDD、そしてストリーミングの間にある技術のジャンプを表しているかもしれません。テープはとてもメカニカルな装置なのです。媒体のメカニカルな特徴がそのまま体験となって刻まれるものなのです。実は、ごく初期の失敗した家庭用ビデオのフォーマットに1リールタイプのものがありました。これは、昔のオープンリールのオーディオテープのように、リールがひとつで、テープを引き出して、録画再生装置側のリールに巻き取らせる仕組みのものです。これでは、扱いも煩雑になりますし、いちいち巻き戻さないとテープを取り出せない。2つのリールをケースに仕込んで、そのケースごとテープを扱うという「カートリッジ式」は、オーディオカセットテープなどから普及しましたが、扱いが楽で、かつ本を読むときのしおりのような機能もあった。これはしかし「アナログ」と「デジタル」の差ではありません。なぜなら、デジタルのテープ(DVDigital8)もあったわけで、それらはこのテープのメカニカル性を持ち合わせていたのです。

よく、「ポスト=メディウム」の議論で、デジタルになってからのメディアの議論がされますが、私はいつも「デジタル」という言葉はよほど注意して使わないといけないと思っています。今、データセンターの多くで使用されている、アーカイブ用の記録媒体はテープです。これはデジタルで記録され再生されています。しかし、これはランダムアクセス性は皆無でレイテンシーは恐ろしく低い。クリックしたらファイルが出てくるシステムではありません。このシステムは「巻き戻す」という行為を必要とするんです。でもデジタルなんです。今は、クリックしたらすぐに映画が始まるのが普通ですが、それはデジタルやアナログの差というよりも、メカニカルな構造にどれだけ依存しているか、ということですね。テープが「自分が最後に見たところを『形』として覚えておいてくれている」という個人的な媒体だったのに対して、今のネットでのストリーミングは、誰のところにも満遍なく同じように届く。テープは自分の手から離れて人のところへ行くときには、自分の痕跡を消さないといけない。だから「VHSテープを巻き戻せ」ということなんですね。


【お勧めするけど責任はとらない超レア・パブリック・ドメイン作品】
※のリンク先の商品は日本語字幕はありません。

1. Supernatural (1933) (※Finders Keepers DVD)


上記ハルペリン兄弟の持ち込み企画第2弾。この時代には珍しく「霊」を扱ったホラー。殺人を犯し、死刑になった女の霊が復讐を誓い・・・。 雰囲気のあるセットが魅力。キャロル・ロンバートがホラーに出ていると聞けば、興味がわかないわけはないでしょう。

2.Transatlantic (1931)



ウィリアム・K・ハワード監督の隠れた名作。大西洋の豪華客船内で起きる事件を追ったプログラム・ピクチャーですが、ジェームズ・ウォン・ハウのカメラワークと、アール・デコ満載のセットが素晴らしいです。

3. High Treason (1929)

  

トーキー初期のイギリス製SF映画。EUのアイディアを髣髴とさせるような世界設定と「メトロポリス(1927)」を思い出さずにはいられないビジュアル。

4. The Case of Lucky Legs (1935) (※Amazon.com :Region 1 DVD)



ワーナー・ブラザーズのペリー・メイスン・シリーズの中の1作。有名なレイモンド・バーのペリー・メイスンとは全然違って、ウォレン・ウィリアムの名弁護士は、おふざけ満載でアル中ぎみです。

5. Laughter (1930)



非常にシニカルなロマンチック・コメディ。ハリー・ダバディー・ダラー監督は、今では忘れ去られた監督ですが、非常に風変わりでシニカルな作品を残しています。上記「トパーズ」は彼の最後の名作です。この映画はぜひともリストアしてほしい。


 
 
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