敷香の町並み(Wikipedia
敷香はシクカ、もしくはシスカと發音する。日本最北端の國境にちかい街で、例の岡田嘉子越境事件で有名な處です。

<中略>

こゝに映畫館が二つ、尤も樺太へ來ると、どの町も、どの街も映畫館は大抵二軒づつよりありません。六社聯盟(1)、米突制限とか云ったものも、こゝまでくると完全にペシヤンコで、「愛染かつら(2)」と「忠臣藏(3)」ともう一本これは例え話にすぎますが、「忠臣藏」と「愛染かつら」は同時にやる譯はないにして、「王政復古(4)」と「チヨコレートと兵隊(5)」「アルプス槍騎隊(6)」の三本立をやつている處はざらにあり、防共國策時局映畫週間とぐらひの銘打つて、支廳長の奥さんは愛國婦人會の會長、銘酒屋で料理屋の女将が副會長といふ膳立で、そこへうまく話を持ちこむと、一寸飲みにいつては藝妓から前賣券を無理矢理に、カフヱでは女給さんにチツプがはり五六枚といつた有様で、藝妓にしたつて、こんな土地では常設館の切符でも賣らなけりや自分たちの温習會もなにもあつたもんでないので、こゝをせんどと五○銭の切符を四十五銭で賣つてゐる。

だから「皇道日本(7)」なんかという有難い映畫はこの敷香で、敷香ばかりでない樺太全島でご光がさすほど珍重がられ、こんな寫眞ほど婦人會を動かし易いし、またうごいてもくれるので、それに小學校は動員、誠に壮観極まりなきものがあつて、お向ふの館に淡屋のり子嬢が雨のブルースをうたつてゐよふが、高い入場料で大入満員といつた風景であります。

そのかはり、冬の最中になれば、列車がエンコして馬橇も通はねば、いつまで經つても同じ寫眞をうつしてみせる、後のかはりの寫眞なんか、あてにしてゐられないといふ悲惨?なこともあります。また、ひどいのは日本物のトーキーはどうもよく判らん、西洋物のほうがよく判るといふんで、どうして西洋物のほうがよく判るんだと聞くと、それやちやんと西洋物には畫面に字が書いてある!といふ話もこゝの話です。

「北海道雑記」 瀧井孝二
キネマ旬報 昭和一四年八月一日号


敷香には、樺太の豊富な木材資源を求めて日本人絹パルプ(王子製紙)が工場を建設していた。上の写真奥に見えるのが、その工場。


(1)六社聯盟
新しく市場に参入してきた東宝を排斥するために、既存の映画会社六社(松竹、日活、新興、大都、全勝、極東)が組んだ連盟。

(2)愛染かつら 
1938年(昭和13年)公開 松竹大船 川口松太郎 原作、野田高悟 脚本、野村浩将 監督、田中絹代、上原謙 出演

川口松太郎の同名の原作(「婦人倶楽部」連載)を映画化し、大ヒットした。主人公の看護婦(田中絹代)と医師(上原謙)の恋愛がすれ違い続けるメロドラマ。前編、後編に分かれていたが、その後「続愛染かつら(1939)」「愛染かつら 完結篇(1939)」まで製作され、いずれも空前の興行収入を上げた。しかし、時局にそぐわない、低俗で愚劣である、など、批評家や知識人から痛烈な批判を浴びた。 

(3)忠臣蔵
この時期(1939年前半)に上映されていた可能性がある「忠臣蔵」は、

忠臣蔵 天の巻・地の巻 1938年(昭和13年)公開 日活京都 阪東妻三郎 主演
忠臣蔵 前篇・後篇 1939年(昭和14年)公開 東宝 大河内傳次郎 主演

「六社聯盟・・・も、こゝまでくると完全にペシヤンコで」とあることから、ここでは東宝の作品をさしていると思われる。

(4)王政復古 担龍篇 双虎篇
1939年(昭和14年)公開 日活京都 滝田紅葉 原作・脚色、池田富保 監督、片岡千恵蔵 主演

(5)チヨコレートと兵隊
1938年(昭和13年)公開 東宝 小林勝 原作、鈴木紀子 脚色、佐藤武 演出、藤原釜足 主演
戦時中に日本の戦意高揚映画を研究していたフランク・キャプラが「これじゃ、反戦映画じゃないか。こんな映画、我々には絶対出来ないな」と述べたとされる作品。

(6)アルプス槍騎隊
1937年(昭和12年)製作、原題:Condottieri 独トービス社、伊ENIC社合作、ルイス・トレンカー 監督・主演
中世を舞台とした、人気俳優ルイス・トレンカーの作品。ただし、ヒトラーとゲッベルスからは不評だった。

(7)皇道日本
東宝、池永浩久 総指揮、青木泰介 構成、三浦耕作 原文、円谷英二 撮影
日本映画データベースでは、1940年(昭和15年)公開となっているが、ここに記載されているように前年の1939年の春には完成していた模様。1938年のキネマ旬報(秋季特別号)には、2ページの広告が掲載されている。