2024年1月第4週の「硝子瓶」です。
今回は、AIと名誉棄損、そして音楽批評のゆくえについて記録します。

AIは名誉棄損で訴えられるか

米国ジョージア州のラジオ・パーソナリティ、マーク・ウォルターズがOpenAIを名誉棄損で訴えた件で、グイネット郡上級裁判所はOpenAIの棄却申し立てを退けたということです。

マーク・ウォルターズは、憲法修正第2条の維持を主張する銃規制反対派のラジオ・パーソナリティで、「銃所有の権利を守る、最もデカい声」と名乗っています。彼の担当する番組名は「武装アメリカラジオ(Armed America Radio)」というかなり煽情的なものです。

ジャーナリストのフレッド・リールが、ChatGPTにマーク・ウォルターズについて尋ねたところ、ChatGPTは、全く架空の判例をでっちあげて、ウォルターズが「憲法修正第2条基金」から資金を横領して訴えられていると答えてきたのだそうです。ウォルターズは、OpenAIを名誉棄損で訴えたのですが、OpenAIはその訴えを棄却するよう、裁判所に申し立てていたのです。OpenAIの主張によれば、ChatGPTの出力は「出版物」にあたらないこと(これは著作権に関する裁判でも使っている主張です)、ChatGPT/OpenAIは「悪意」をもっていないこと、それに「ChatGPTの出力には間違いもある」ことを免責事項で明言していることなどから、これは名誉棄損なんかに当たらない、と言っていたのです。今回の上級裁判所の判断は、これらの主張を無効にしたわけではなく、訴えを棄却しない、ということにすぎません。

ただ、このOpenAIの主張にはいくつか目を引くものがあります。OpenAIの主張によれば、ChatGPTの出力は「社内メモ intra-corporate communications」のようなものであって、ユーザーにのみ示されるものだから「出版物 publication」ではない、ChatGPTの出力をネットなどで公開する行為が「出版」であるということです。

That Policy specified that “it is a human who must take ultimate responsibility for the content being published” and instructed him to inform readers that he “takes ultimate responsibility for the content of this publication.” The Terms define “Your Content” to include Inputs and Outputs and permitted Riehl to use it for “purposes such as sale or publication, if you comply with these Terms,” with Riehl“ responsible for the Content, including ensuring that it does not violate any applicable law or these Terms.”

[訳] ポリシーには「出版される内容の最終的な責任はその人間にある」と明記してあり、「この出版物に関しては自分が最終的な責任をとる」ことを読者に知らせるよう指示している。免責事項において「あなたのコンテンツ Your Contents」とは入力と出力を含んでおり、(ジャーナリストの)リールは「もしこれらの事項に従っていれば、コンテンツを商用あるいは出版の目的で使用してもよい」ことになっている。その際、リールが「いかなる法にも免責事項の項目にも抵触しないようにすることも含めて、コンテンツの責任を負う」ことになっている。

Motion to dismiss, Open AI (archive.org)

つまり、AIの出力をネットにあげたりSNSに流したりする際、その内容に関する責任はAIにはなく、その人にある、という主張です。おそらく、ChatGPTやBingを使用している大部分の人は、自分がそれらのサービスと「契約社員」のような状態にあって、そこで交わしているやり取りは「社内メモ」のようなものだ、などと認識はしていないでしょう。しかし、OpenAIはここでそのような主張をしているのです。「おかしな主張だなあ」と思われるかもしれませんが、一方で、もしAIの出力は「出版物」だと認められてしまうと、著作権侵害についての訴訟にも影響が出てきてしまいます。OpenAIとしては、なんとしてでも「ChatGPTの出力はユーザーの責任」であると言い続けるでしょう。

Ars Technica "OpenAI must defend ChatGPT fabrications after failing to defeat libel suit", Ashley Belanger, January 18, 2024

音楽批評の終焉

コンデナスト・パブリケーションズが、傘下のオンライン・ジャーナル「ピッチフォーク」を「GQ」に統合していくという報道がありました。それにともない、大幅な人員削減も行われるようです。

音楽業界で批評にたずさわる人びとのあいだでは、ピッチフォークの《合理化》はかなりの衝撃を与えています。例えば、韓国出身の音楽ライター、万能初歩氏は、「音楽批評は不必要なものなのか」という記事で、各メディアの反応をとり上げながら、「音楽批評が独立したジャーナリズム分野として成り立つことの難しさを象徴する出来事」と述べています。

もともと、ピッチフォークのアルバム採点基準に対しては批判も多いのですが、それが世代的なもの(ピッチフォークが90年代後半からのインディーシーンの興隆を背景に登場してきたメディアだった)として認識されることが多かったように思います。ただ、世代的なものというのであれば、次の世代が新しいメディアを立ち上げて古い価値観に対抗していく、という流れがありそうなものですが、それが起きにくくなってきています。

「GQに吸収されるって?何かの残酷なジョークか?」と問いつつも、これからはさらに厳しい時代が来ると警告しているのはTed Gioiaです。Gioiaはもう少し視野を広げて、いま音楽業界で起きていることを総括しています。

まず、ピッチフォーク以外の場所でも、大量の解雇と合理化が進んでいます。

音楽ジャーナリズムが危機に立たされているというよりは、音楽業界がかなり大きな転換期に来ているというのが実態ではないでしょうか。Gioiaは、《音楽の危機》の要因として以下を挙げています。

  • 大手の音楽業界企業は、古い音楽と受動的なリスナーで十分やっていけると決めた。新しいアーティストを売り出すのは難しい。古い曲を何度も何度もかけているほうがいいに決まっている。
  • メジャー・レーベル(そして投資家グループ)は、過去の古い音楽のライブラリの購入に多額の投資を始めた。
  • 一方で、ストリーミングのプラットフォームは、受動的なリスニングを推進している。人々は、いったいなんという曲で、だれの曲なのか、知りもしない。
  • (大手にとって)理想的な状況は、リスナーに提供する音楽を、AI生成音楽に切り替えていくことだ。このAI生成音楽はストリーミング・プラットフォームが所有するもので、ミュージシャンに著作権料を払う必要がない。
  • この戦略は功を奏している。ストリーミングのファンは、新しい音楽に格別興味など抱いていない。
Ted Gioia

実際に、Spotify はAIが生成した曲を推してくるようになってきていると言います。これらのAIが生成したトラックは、生身のアーティストが制作したように見せかけてありますが、このアーティストは実在しません。探していくと実質的に大差のない曲が大量にあり、それらはすべて別々の架空のアーティスト名を与えられているのです。果たしてこれらのトラックをSpotifyが意図的にプラットフォーム上にあげているのか、それとも誰か別のエージェントによるものなのか、わかりません。

リスナーが受動的になった(曲名やアーティスト名を知ろうともしない)から、ピッチフォークのような批評媒体が衰退していくのだ、という議論はたしかに説得力があるようにも思われます。しかし、受動的だったのは今に始まった話ではないじゃないか、という意見もあります。昔だって、ラジオから流れる曲を聴いているだけで、特に自分で選んでレコードやCDを買いに行く、といった行動をとらない人が大部分だったではないか、という指摘です。おそらく、焦点になるのは、もともと大部分のリスナーは受動的だったが、音楽メディア企業はその割合をさらに増やそうと考えている、ということでしょう。ごく一部の「尖った人たち」のために新人を探してくるより、すでにある膨大なライブラリからトラックをタグ付けして「おすすめ」のプールを大きくしていくほうがビジネスとしては確実です。たしかに、Shoegazeとか言ってもほとんどがUKかUSのバンドしか思い浮かびませんが、イタリアにもアルメニアにもそれっぽいミュージシャンはいるし、ライブラリを大きくすれば、どんなジャンルであろうと、ひとりひとりのリスナーが好みの音楽のリストを今まで以上に広げられる。そこにAIが吐き出したトラックをも入れていくことが、本当に功を奏するのかどうかわかりません。ただ、音楽業界が「リスナーは自分で時間をかけて音楽を探そうとはしていない」と思っているのは確実です。

 KAI-YOU, "音楽批評は不必要なものなのか──音楽メディア「Pitchfork」GQ併合と人員削減に寄せて ", 万能初歩, January 27, 2024
The Honest Broker, "Why Is Music Journalism Collapsing?", Ted Gioia, January 19, 2024

Just Viewed

MISTER ORGAN(2022)
Directed by: David Farrier
Produced by: David Farrier, Alex Reed, Emma Slade
Cinematography by: Dominic Fryer
Edited by: Dan Kircher
Music by: Lachlan Anderson
Production companies: Firefly Films, Bloom Pictures
Distributed by: Madman Entertainment

はたして、このドキュメンタリー映画が、どういう妥当性レリヴァンシーがあるのか、ちょっとわかりません。

ニュージーランドのオークランドが舞台です。オーガン氏が最初に注目を浴びたのは、この町にあるアンティーク・ショップの前に(違法)駐車した車に車輪止めをして、それを外す際に法外な金銭を要求するという行動をしたからでした。この「事件」をジャーナリストのデヴィッド・ファリアーが記事にしたのです。それからオーガン氏はファリアーを標的にしはじめました。

数年にわたって、オーガン氏を取材するうち、オーガン氏の異様な心理攻撃によって、ファリアーはだんだんとダメージを受けていきます。このドキュメンタリーは、そのダメージを受けていく過程の記録です。

おそらく、少し心が疲れている人は、この映画を見ないほうがいいでしょう。このオーガン氏の心理攻撃は、画面を通して見ていても、かなり嫌なものです。「ひたすらしゃべり続けるが、中身が何もない」「存在がブラックホール」─── 興味をひかれる人物像ですが、近寄っては絶対にいけない。

自らを題材にするドキュメンタリーは、嫌というほど世の中にありますが、「ソシオパスのドキュメンタリーを撮っていることで、病気になりそうになった」というのは珍しいかもしれません。