ニュー・オーダー ビザール・ラヴ・トライアングル (1986)
Bizarre Love Triangle

[注意] 以下の文章で引用されている動画、埋め込まれている動画には、激しい映像・光の点滅が含まれています。ご注意ください。

「ビザール・ラヴ・トライアングル(Bizarre Love Triangle, 以下『BLT』と略す)」は、イギリスのニューウェーヴ/エレクトロポップグループ、ニュー・オーダーが、1986年にリリースしたアルバム「ブラザーフッド Brotherhood」からシングルカットされた曲である。ニュー・オーダーのMVは、「トゥルー・フェイス(True Faith)」や「ブルー・マンデー(Blue Monday)」など、非常に奇抜で印象的なものが多い。これらの多くは、ニューヨーク在住で、ファクトリー・レコード・USのトップだったマイケル・H・シャムバーグ(Michael H. Shamberg, 1952 - 2014)がプロデュースしている。『BLT』のMVnote 1も彼がプロデューサーとなり、監督としてニューヨーク在住のアーティスト、ロバート・ロンゴ(Robert Longo, 1953 - )を起用している[1]note 2。ロバート・ロンゴといえば、身体を捻じ曲げたビジネス・スーツ姿の男女を題材にとった「メン・イン・ザ・シティーズ(Men in the Cities)」シリーズが有名だが、このMVにもそのモチーフは登場している。ロンゴは1980年代にいくつかのMVを監督、1995年にはハリウッドで劇場公開作『JM』を監督している。

Bizarre Love Triangle
d. Robert Longo
ed. Gretchen Bender
オフィシャルYouTubeのリンク

全体の構成

ロンゴは、MVを15のセグメントから構成した。これらのセグメントはそれぞれAメロ(verse)やサビ(chorus)といった曲の構成におおよそ対応しているものの、映像と音楽のあいだに自明な繋留点はない。サビの部分では繰り返し、ビジネス・スーツの男女が宙を浮いているイメージがあらわれる。全編にわたったストーリーはなく、極端に短いフッテージをつなぎ合わせたり、分割されたスクリーンの映像が、まるで無造作に放り込まれているようにさえ感じられる。終盤に、突然、輪廻転生について議論を交わす男女の白黒の画像が挿入される。最後のセクションでは、それまでの映像が早送りされ、スーツ姿の男が宙に浮いているフリーズフレームで終わる。

Bizarre Love Triangle Timeline

トランポリンで宙に浮いているビジネス・スーツの男女は、もちろんロバート・ロンゴの「メン・イン・ザ・シティーズ」の変奏だ。シャンバーグによればトランポリンを見つけるのが大変だったが、スタッテン・アイランドで天気の良い日に撮影することが出来たという。

使用されている映像の多くは、カメラマンのリチャード・ダレット(Richard Dallet)がニューヨークで撮影した16mmフィルムのフッテージである。また、このMVの製作当時、ファクトリー・レコード・USのオフィスのすぐそばのWhite Columns Galleryでデザイナーのピーター・サヴィル(Peter Saville, 1955 -)が個展を開いていた。サヴィルはジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダーを含むファクトリー・レーベルの多くのアーティストのディスク・ジャケットのデザインを担当していたが、MVには彼の個展で展示されていた作品も登場するという。

ファクトリー・レーベルのトニー・ウィルソン(Tony Wilson, 1950 - 2007)は、グラナダTVのカメラマンをイタリアに派遣し、ツアー中のニュー・オーダーを撮影させた。バンドの演奏シーン(4-verse)や時折挿入される風景のフッテージは、これがもとになっている。

途中に挿入される白黒のシーン(12. B&W)は、ロンゴのアイディアで、議論をしている男性は脚本家のE・マックス・フライ(E. Max Frye, 1956 -)、相手の女性は女優のジョディ・ロング(Jodi Long, 1954 -)である。残念なことに、シャンバーグはもう一人の女性の名前を思い出せなかった。

グレッチェン・ベンダー

『BLT』のMVの最も衝撃的な点は、その編集手法だ。この編集を担当したのはグレッチェン・ベンダー(Gretchen Bender, 1951 - 2004)である[1]。ベンダーは、「トータル・リコール(Total Recall, 1987)」などの作品で知られる1980年代ニューヨークを代表するヴィジュアル・アーティストだ。彼女は、このMVで、1秒以下の非常に短いフッテージをつなぎ合わせたモンタージュを随所に挿入している。一般的には《ファスト・カッティング(fast cutting)》あるいは《ラピッド・カッティング(rapid cutting)》と呼ばれる手法だが、彼女の作品では極端に短い映像(ここではカットと呼ぶ)を畳み掛けるようにつなぎ合わせていくのが特徴的だ。

例えば、最初のラピッド・カッティングのシーケンス(12秒16~31秒08、上図の「Intro 2」)を見てみよう。この20秒足らずのあいだになんと81ものカットがつなぎ合わされている。平均の長さは約230ミリ秒、1秒を超える長さのカットはない。これだけ短いと見落としているカットがほとんどだ。コマ送りにして一つ一つのカットを見ていくと、確かに映っているものは確認できるようになる。とはいえ、どこで何を撮影したものなのかは判然としない。「トンネル」、「花火」、「幼児」、「工場」と具体的な事物が映っているカットもあれば、ピクセルが視認できるまで拡大されたデジタル画面もある。

Bizarre Love Triangle Rapid Cuts (12’16 - 31’08)

これらの映像のあいだに直ちに明確な関連性は認められない。前述のニューヨークやイタリアで撮影されたフッテージや、ベンダーがニューヨーク工科大学のCG研究室で作成したCG映像が集められている。提示されている複数の映像の間に明確に見て取れる関連性がないこと、それぞれの映像が撮影/製作されたコンテクストが分からないということ、そして映像が私たちの可認知域をはるかに超えた驚異的なスピードで眼前を過ぎていくこと、これらのことを1980年代にすでに提示していたというのは注目に値する。

ベンダーは他にもいくつかのMV製作に関わっている。Golden Palominosの『Boy (Go)』(1986)Megadethの『Peace Sells』(1986)R.E.M.の『The One I Love』(1987)では編集を担当し(いずれも監督はロバート・ロンゴ)[2]Babes in Toylandの『Bruise Violet』(1992)では監督もつとめている[3]。MegadethとBabes in ToylandのMVでも、短いカットをつなぎ合わせる手法がとられているが、いずれも同じカットか、連続するカットを繰り返して使用しているため、何が映っているかを比較的認識しやすい。さらにいずれの場合も、どうしてここにその映像が挿入されるのか、という動機が曲と結びついている。R.E.M.のMVでは、ラピッド・カッティングは使われず、多重露出が全編にわたって使用されている。『BLT』の「ほとんど何が映っているのか分からない」ラピッド・カッティングは特異点なのかもしれないが、それゆえに驚異的な印象を残す。

現在の私達は、この映像をビデオ/動画のマッシュアップとしてとらえてしまいがちだが、当時のベンダーの関心はTVだった。彼女は1980年代初期からTVを扱った数々の作品を発表している。その中でも代表的な作品は、「トータル・リコール(Total Recall, 1987)」であろう。私は残念ながらこの作品を直接見たことがないのだが、近年のレトロスペクティブ(The Kitchen[New York, 2013]Projects Arts Center[Dublin, 2015]Red Bull Arts[New York, 2019])での展示の様子を確認することができる。この作品では24台のTVモニターと3面のプロジェクションを使用して、ジェネラル・エレクトリックのロゴやニューヨークの風景などが次々と現れて容赦なく見る者を襲う。一部の映像は『BLT』で使用されているものとほぼ同時期に撮影されたものだと思われる。ベンダーは「企業はすでに数多のスクリーンを使って、靴とかいろんなものを消費者に売りつけようとしている」のだから、この新しい言語を理解する必要があるのだと主張する。その実践として、映像のとめどない氾濫のなかに没入する、というテーマが追及されているのだ。

TVの速度を模倣しているというのが、重要なんです。私達はTVを見ながら、もっと速く、そしてもっと批判的に考えるようにならないといけないのです。

Gretchen Bender[4]

「トータル・リコール」や「ダンピング・コア(Dumping Core, 1984)note 3」などの展示用作品では、多数の映像が際限なく現れるが、複数のディスプレイ間で映像の同期やパターン化もみられるようだ。だが、『BLT』の編集には、規則性や同期といった統一的な意図というものが見られない。この映像は野蛮の氾濫であり、暴力的な覚醒である。曲のビートとも同期せず、カットとカットの間には被写体も長さも色も相関性らしきものはない。音楽に寄り添う映像の心地よさを徹底的に拒否している。

カット No.48

ベンダーが親友のアンバー・デンカー(Amber Denker)の助けを借りて「終業後に潜り込んでいた[5]」ニューヨーク工科大学のCG研究所は、1970年代から80年代にかけてコンピューター・グラフィックス、特にアニメーションの分野において最も先駆的な研究を行っていた場所である[6, p.11]。TWEEN、PAINTなど、当時最先端のソフトウェアを開発し、後にルーカスフィルムに移って「スター・ウォーズ」シリーズなどでCGを担当したEdwin CatmullやAlvy Ray Smithらも在籍していた[7, p.34-36] 。『BLT』のラピッド・カッティングのなかで、ベンダーはこのテクノロジーを駆使して、従来のフィルムやビデオの実写映像のなかにデジタル・イメージを混入させ、ピクセルが見えるところまで拡大し、将来押し寄せるであろうデジタル映像の氾濫を予見した。ちなみにアンバー・デンカーは、『BLT』のMVと同じ年の1986年に、クラフトワークの『ミュージック・ノン・ストップ(Musique Non-Stop, 1986)』のコンピューター・アニメーションを担当している。

カット No.70

1980年代は、コンピューター・グラフィックスがハリウッドのスタジオや企業、大学の研究室に属していた頃だ。そのなかで、なぜベンダーは積極的に関わろうとしたのか。彼女は、TVというメディアが極めて魅力的であるように、いずれCGも人々を魅了するだろうと考えていた。高価なコンピューター・グラフィックスにアクセスできるのが一部の大企業に限られている状況は、やがて「その大企業が見せたいものしか製作されない」という事態を招く。新しい映像言語が世界に溢れるようになったときに、その言語は誰のものになっているのか。

私は、「AT&Tが第4次元をお送りします」なんて嫌です。

Gretchen Bender[4]

ベンダーは、その後もメディアというテーマにさらに深く沈んでいく。“People in Pain (1989)”, “TV, Text, and Image (1990)”, “Hell Raiser (1991)”などの作品はさらに過激になり、メディアによる絶え間ない映像の流れストリームが観る者の感覚を鈍化させている事態に対して警鐘を打ち鳴らそうとしていた。一方で、コレオグラファーのBill T. Jonesとの共同で”Still/Here (1994)“のヴィジュアル・コンセプトを担当するなど活動の領域を広げていった。

だが、時代はベンダーに味方しなかったとブリアンナ・レティッグは言う。

彼女の仲間たちが商業的に成功していくなかで、ベンダーは最先端のテクノロジーに魅了され続け、結局それが彼女を孤立させることになった。彼女の作品は、より野心的になり、扱いにくく、面倒くさく、そして商業的には買い手の付かないものになってゆき、1990年代初頭には、ギャラリー展示の機会も失われてしまった。

Brianna Rettig[5]

2004年、グレッチェン・ベンダーは癌で亡くなった。53歳だった。

2010年代にアーティストのPhilip Vanderhydenが、ベンダーの散逸してしまった作品を《修復》し、その多くをよみがえらせた。2019年にRed Bullが本格的なレトロスペクティヴを催し、彼女の先験的でかつ刺激的な作品が再評価されている。

日本でも、彼女の作品に接することができる場所がある。溜池山王駅の改札外にグレッチェン・ベンダーと福田美蘭の制作した「あみだくじ(1997)」という作品があるはずだ。

ラピッド・カッティングの歴史

もちろん、グレッチェン・ベンダーが初めてラピッド・カッティングを使ったわけではない。多くの映像作家たちが、様々な動機で、多様な効果を求めて、このテクニックを使ってきた長い歴史がある。

ラピッド・カッティングは、ほぼ映画の誕生と同時に登場している。ジョルジュ・メリエス(Georges Méliès, 1861 - 1938)は、『さまよえるユダヤ人(Le Juif Errant, 1904)』で地上に落ちる雷をコマごとにマット・プロセスで埋め込んでいる。これは、特殊効果の一種として機能したといえるだろう。[下の動画では2:27~でその特殊効果が見られる。]

La Roue (1922)

ラピッド・カッティングを物語を語る要素として劇映画のなかに持ち込んだのは、アベル・ガンス(Abel Gance, 1889 - 1981)だ。『鉄路の白薔薇(La Roue, 1922)』、『ナポレオン(Napoléon, 1927)』では、個々のフレームのレベルで編集を行い、場面の緊張感を作り出している。[下の動画では、0:31~と3:10~にラピッド・カッティングの例が挙げられている。]

La Roue (1922)

アベル・ガンスの影響を強く受けたソ連の映画監督たちもラピッド・エディティングに挑戦した。ジガ・ヴェルトフ(Дзига Вертов, 1896 - 1954)もその一人だ。彼の『カメラを持った男(Человек с киноаппаратом, 1929)』にも印象的なシーンが登場する。

Человек с киноаппаратом, A Man with a Movie Camera (1929)

メインストリームの映画産業では、物語を語るために映像が編集されている。アクションシーンでカットの長さが短くなることはあるが、常に連続性 continuity を維持する、というルールは守られている。ルールが破られるのは、メインストリームから外れた位置にある作品だった。前衛映画作家たちの作品、例えば、アメリカのスタン・ブラッケージ(Stan Brahkage, 1933 -2003)の『夜への前触れ(Anticipation of the Night, 1958)』、チェコスロヴァキアのヴェラ・ヒティロヴァ(Věra Chytilová, 1929 - 2014)の『ひなぎく(Sedmikrásky, 1966)』、あるいは、LSDのトリップを描いたデニス・ホッパー(Dennis Hopper, 1936 - 2010)の『イージー・ライダー(Easy Rider, 1969)』などの作品では、非連続 discontinuousで、極端に短いカットをつなげる編集手法が採用されている。

ラピッド・カッティングは観る者の注意を引く道具として効果的な場合もある。TVコマーシャルは、様々な映像の実験場として機能していたが、ラピッド・カッティングも試されている。このCool’n Creamy PuddingのTVコマーシャルは、当時流行の《サイケデリック》を消費財化 commodify している非常に良い例といえるだろう。

Cool’n Creamy Pudding Commercial (1971?)

だが、1980年代を境に、ラピッド・カッティングの位置づけが大きく変わる。この頃から、ハリウッド映画を中心に、それまでの《古典的な》映像編集手法から逸脱した編集スタイル ──《MTVスタイル》あるいは《ポスト古典的スタイル》と呼ばれる── がみられるようになってきたのである。アメリカのケーブル・ネットワークMTVが、MVをノン・ストップで流すようになり、MVが大量に映像市場に供給されるようになった。それと同期するように『フラッシュダンス(Flashdance, 1983)』、『フットルース(Footloose, 1984)』などの映画が登場した。これらの映画は、MVとテクニックの上で似通っており、「プロットの語りの線形性よりも感情の状態を重んじたスタイル[8]」、「キャラクターやプロットよりも場所や感情、ムードを強調したスタイル」として認知されている。従来の《古典的な》ロング/ミディアム/クローズアップといったショットの使い分けや、ショット/リヴァース・ショットといった組み立て、イマージナリー・ライン、180度ルールといった制度が無視され、カットを畳みかけるようにつないでゆき、それぞれのカットは物語の上での役割よりもそのシーンが要求する情緒(かっこいい、でかい、速い、危ない、etc.)を増幅するという役割を与えられている。特にアクション・シーンでは、一つ一つのカットがアクションの段階を表現しているのではなく、アクションの過激さを観客に体験させるために、バラバラのカットがラピッド・カッティングで編集される。

かつて「MTVみたいな映画」という言葉は揶揄的に使われていた。マイケル・ベイは、劇場公開の長編劇映画に取り組む前は、MVやTVコマーシャルの監督として有名だったが、その頃から彼の映像作家としてのスタイルは一貫している。いろんな側面からludicrousという言葉がどうしても心に浮かんでしまうが、それでも一貫している。

Meat Loaf - I’d Do Anything For Love (But I Won’t Do That) (1993)
d. Michael Bay

MTVスタイルの最も過激な例として『ボーン・スプレマシー(Borne Supremacy, 2004)』のモスクワでのカーチェイスのシーンを挙げよう。特にトンネルに入ってからは、それぞれのカットで何が起きているのかはほとんどわからない。なかには、前後関係から考えておかしなカットも含まれているが、あまりに短すぎて誰も気づかないであろう。

Bourne Supremacy (2004)
d. Paul Greengrass
ed. Christopher Rouse, Richard Pearson

ラピッド・カッティングというテクニックの上では、『ボーン・スプレマシー』と『BLT』は似通っているといえるかもしれない。しかし、決定的に違うのは、『ボーン・スプレマシー』では、それでもすべてのカットが一つの文脈に属しているのに対し、『BLT』では、それぞれのカットは異なる文脈からきているのだという点だ(あるいはそのように示唆されている)。『BLT』のそれぞれのカットは、ただ単に、短く、そしてつながっても一つの意味を成すストーリーができない、というだけでなく、どこから来たものかわからない、という点で特異なのだ。これは、まさしくグレッチェン・ベンダーがTVというメディアが秘め持つ恐ろしい特質として指摘していたことだ。戦場での残虐な映像も、メロドラマも、靴のコマーシャルも、クイズ番組も、野球中継も、すべて同じレベルにフラットに放送され、その向こうにある膨大な文脈ははぎとられ、ただ時間単位でつなげられている。『BLT』の映像は、様々なアートやポップのパスティーシュやサンプリングに見えるかもしれないが、その示唆するところは、メディアによって映像が大量に供給され、スタイルが食い散らかされ、受容が無感覚化していく事態を乗り越えるために必要なスピードなのだ。

So Much Deathless Trailer, Gretchen Bender Retrospective, 2019

『BLT』のMVから30年以上を経た今は、インターネットの広大な空間に寄生する《プラットフォーム》が私達の意識を侵食している。文脈 context は極めて脆弱になり、裁断された情報が浮かんでは流れていくのを、眺めているだけになっている。検索して表示されるのは、どこかの企業が様々なデータをもとにフィルターし、ソートしたウェブサイトのリストである。SNSのタイムラインを流れていくのは、文脈をはぎとられたテキストや映像だ。私がタイムラインをスクロールすると、『BLT』のラピッド・カッティングよりも速く、数多くの、文脈が見えない文章や、写真や、動画が流れていく。グレッチェン・ベンダーが言い放った「もっと速く、もっと批判的に考えろ」という警句は、今こそ深く広く共鳴する言葉ではないだろうか。

その後

シャンバーグによれば、『BLT』のMVがリリースされてから1年ほど後にFOXネットワークのマイケル・リンダーから電話があったという。リンダーはバリ島のバーでNew OrderのMVを見て、このラピッド・カッティングのテクニックを、新しいTV番組のオープニングでも使いたいと思ったそうだ。TV番組の名前は”America’s Most Wanted”、オープニングはシャンバーグがプロデュース、グレッチェン・ベンダーが監督、編集した。

America’s Most Wanted (1988) Opening
d. Gretchen Bender
ed. Gretchen Bender

ベンダーは、TV映像の絶え間ない衝撃によって視聴者が無感覚になっていく状況を模倣し、解体し、《ヴォルテージを上げて》批判的に《吹き飛ばす》と語っていた。しかし、その《ヴォルテージを上げた》表現さえも、メディアは飲み込んだのである。

I think of the media as a cannibalistic river. A flow or current that absorbs everything. It’s not “about.” There is no consciousness or mind. It’s about absorbing and converting.

私はメディアというのは、共食いの河のようなものと考えています。すべてを吸収する流れ、みたいなもの。それは「何かについて」のものではないのです。意識も心もありません。吸収し、変換する、それがメディアです。

Gretchen Bender[9]

Notes

1.^ 現在(2022年7月)New OrderのOfficial YouTube Channelに掲載されているMVは、1986年当初に公開されたバージョンと若干相違する。具体的には「Intro 1」にあたる部分のカットがいくつか省略され、短縮されている。本稿では現在Officialに公開されているバージョンをもとにしている。

2.^ シャンバーグが、このビデオの製作過程について自身のサイト(現在は閉鎖されている)[1]で述べている。ロンゴが起用された経緯については以下のように述べている。

ロバート・ロンゴにアプローチしようというアイディアはロサンゼルスのワーナー・ブラザースのスティーヴン・ベイカーが言い始めたような気がする。スティーヴンはA&Rとして働いていて、アートの世界についても精通していた。彼は、トーキング・ヘッズやR.E.M.といった、映像に関しても非常にアーティスティックなアプローチをするバンドと一緒に仕事をしていたんだ。

Michael H. Shamberg

シャムバーグに依頼されたロンゴは、映像をコーラス部分とそれ以外に分けた構造を構想、撮影に取りかかる。

ロバート・ロンゴのガール・フレンドはビデオ・アーティストのグレッチェン・ベンダーだった。ロンゴはベンダーにビデオの編集を任せていた。(中略)カメラマンのリチャード・ダレットに16mmのカメラを持たせて、ニューヨーク近辺で様々なショットー戸外、屋内のいずれもーを撮影させたんだ。

Michael H. Shamberg

3.^ システムがオーバーロードした際に使用中のメモリをそのまま記録することをコアダンプという。

References

[1]^ M. H. Shamberg, "Bizarre Love Triangle | kinoteca.net (Archived in Wayback Machine)," Jan. 15, 2006. Link

[2]^ H. N. Fox, "Robert Longo." Los Angeles County Museum of Art ; New York : Rizzoli, 1989.

[3]^ N. Karlen, "Babes in Toyland: The Making and Selling of a Rock and Roll Band." New York : Avon Books, 1995.

[4]^ C. Bush, "Gretchen Bender: TV Terrorist," LA Weekly, p. 45, Apr. 03, 1986.

[5]^ B. Rettig, "Gretchen Bender’s Pioneering Video Art Predicted Our Obsession with Screens," May 22, 2019. Link

[6]^ J. Lewell, "Computer Graphics: A Survey of Current Techniques and Applications." New York, NY : Van Nostrand Reinhold, 1985.

[7]^ N. Magnenat-Thalmann, "Computer Animation: Theory and Practice." Tokyo ; New York : Springer-Verlag, 1985.

[8]^ K. Dancyger, "The Technique of Film and Video Editing: History, Theory, and Practice." New York : Focal Press, 2011.

[9]^ "Gretchen Bender by Cindy Sherman," BOMB Magazine, no. 18, Winter 1987. Available: Link