Star-Gazette (New York) 1942/1/5 |
第二次世界大戦前後の映像技術や工学をながめていると、この頃から、《見えるもの》と《見えないもの》の境界を曖昧にするテクノロジーが徐々に社会に浸透し始めている様子が見えてくる。可視の外側の現象が、平然と可視の領域に滑り込んで、ヒトは自らの知覚が広がったかのような錯覚に囚われ始める。この錯覚は時としてとても危険なものになりうるのだが、視覚に不自由を感じないヒトはすべての感覚のなかで視覚を無防備に無批判に信望していて、その危なかっしさを見逃しがちである。
このテクノロジーを支える基盤となったひとつが真空技術だ。真空技術の成熟は、水銀灯、CRT、光電子増倍管などの装置の製品化に不可欠だった。また、1910年代に登場したボーアのモデルが、物質と分光を直接的につなげる役割を果たし、例えばその後の写真技術の展開に極めて大きな影響を与えた。《近代的な》分光測定装置が登場し始めたのも1940年代だ。物質をモデルで考察し、そのモデルの検証を測定する方法が広がっていた時代である。そうして、赤外線や紫外線、さらには電子線が身近な ──科学者にとってだけでなく、一般人にとっても── ものになっていった。
赤外線フラッシュ写真
アメリカが第二次世界大戦に参戦し、都市部に消灯令が発令され、闇が街を覆うようになると、当時の新聞カメラマンたちは、それをなんとかして《絵にしよう visualize》とした。彼らは当時の最先端技術 ──コダックやデュポンが売り出した赤外線に反応するフィルム[1]と赤外線フラッシュ── を駆使して、夜の街に蠢く人々を撮影しはじめた。消灯令下では、まったくの漆黒の闇に包まれてしまって肉眼では見えにくい街の風景を、赤外線フラッシュ写真はあたかも鮮明に見えているかのごとく写し出す。
Daily News (New York) 1942/3/16 |
Pittsburgh Press (Pittsburgh) 1942/6/26 |
Chicago Tribune (Chicago) 1942/8/13 |
赤外線フラッシュ写真に写っているのは、エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」の暗い街角で遊んでいる人々だ。あの絵に描かれた暗い通りや闇に沈んだ建物の部屋を赤外線で照射すると、笑っている男や、キスしている男女が浮かび上がるのかもしれない。
ウィージーも1940~50年代に赤外線フラッシュ写真が映し出す《闇の中》に興味を持った写真家の一人だ。彼も1942年、消灯令の最中に赤外線フラッシュ撮影をはじめた。ウィージーはその後、映画館や劇場などの暗闇のなかの人々を隠し撮りするようになった。スタンリー・キューブリックも同じようにニューヨークの夜に蠢く人々を隠し撮りしている[2]。闇のなかで、人々が他人の視線を忘れて見せる姿、そういったものをフィルムに映し出す行為は、吉行耕平の『ドキュメント・公園』まで受け継がれていった。近年注目を集めている夜間の動物たちの行動を撮影する「トレイルカム」は、この延長線上にあるのかもしれない。ただ、哺乳類の生態観察として、ヒトが夜中の公園で性行為にふける様子などを覗き見するのは、もう驚きも面白みも失われ、それよりは、自分の庭先に突然現れるタヌキを観察するほうがよほど感動的になったようである。
赤外線フラッシュ写真も、通常の撮影と原理は同じで、フラッシュが発光した光を被写体が反射、反射光がフィルムに届いた部分が感光する。普通の写真と違うのは、発光される光が赤外線で、フィルムが赤外線に反応するという点だ。赤外線フィルムといっても、実際には近赤外の領域のごく一部までしか感度がない。さらにフィルムの製造元各社のあいだで設計がそれぞれ異なっており、最も人気があったコダックのHIE/HISシリーズのネガフィルムは最も広く赤外線領域をカバーして、波長950nmまで感度があった[3]。コダックHIE/HISフィルムは、アンチハレーション層がないために、ハレーションが起きるのが特徴だった。
赤外線が見せる世界は、私達が普段接している可視光の世界と若干違うものが現れる。最も顕著な特徴の一つが、ヒトの眼が黒く大きく見えることだ(例えばこの写真)。ヒトの眼球が赤外線を吸収してしまい、フラッシュの赤外線が反射・散乱されないからだと言われている。一般的に「ヒトの眼球の大部分を構成する水が赤外線を吸収する」と言われるのだが、赤外線フラッシュ写真に関して言えば、眼球が持つ900~1100nmの赤外線吸収が引き起こすのだろう[4]。赤外線写真について著書のあるローリー・クラインは、フラッシュを使用しない赤外線写真で起きる眼の黒化について、眉と眼窩が直射日光を遮るため僅かな明暗の差が生じ、赤外線写真ではそれが拡大されるとしている[5, p.42]。この理論では被写体の正面からフラッシュを浴びせる赤外線フラッシュ写真でも眼の黒化が起きる理由が説明できないが、たしかに眼窩の構造が原因で十分な赤外線量がフィルムまで戻ってこない可能性もあるだろう。
ヒトの眼球と水の赤外線吸収スペクトラム Gea60 : 眼球([6]に記載されているもの) vitreous : 硝子体 aqueous : 房水 lens : 水晶体 cornea : 角膜 water : 水(参照用) [4]より |
赤外線フラッシュ写真のもう一つの特徴は、赤外線は皮膚の下にかなり潜り込むので、毛根が写るという点だ。ウィージーのこの写真は赤外線の性質をよく表している。この男性はあきらかに頭頂部が禿げており、側頭~後頭部はきれいに剃っているのだが、その側頭~後頭部が暗くくすんでいる。下の図は皮膚のどの深さまで光が潜り込むかを示している。近赤外線が毛根を含めた奥深くまで入り込んでいるのが分かる。可視光にせよ、赤外線にせよ、写真に反映されるのは、潜り込んだ上にさらに反射・散乱されて戻ってきた光である。可視光の写真は皮膚の表面で反射されたものが大部分を占めるのに対して、近赤外線を使った写真では、毛根くらいまで潜り込んだ光がフィルムまで戻ってくる。ウィージー写真に写された男性は、剃ったところの毛根が赤外線を吸収してしまってフィルムまで戻ってこないため、暗くなっているのである。
光の各成分が皮膚の下どこまで潜り込むかを示した模式図 NIRが近赤外 [7]より |
ちなみに、髪が黒く見えるのは髪に含まれる色素メラニンが可視光を吸収するからだが、メラニンは赤外光もかなり吸収する。
メラニン、オキシヘモグロビン、水の可視光~近赤外吸収スペクトラム [8]より |
可視光で見た《見た目》など、ごく表面的な情報にすぎない。
新聞カメラマンたちは赤外線フラッシュ写真で夜の人々を撮影したが、1940年代末の一時期、ハリウッドのカメラマンたちは赤外線フィルムを使用して昼の風景を夜に見せかける、“Day for Night” の撮影をしていた[9]。このテクニック自体は1920年代から存在したが、『アパッチ砦(Fort Apache, 1949)』以降、ちょっとした流行になった。特にユニバーサルの製作主任、ジム・プラットがスタジオで撮影される作品に次々と導入していったようである(1) 。ウィリアム・キャッスル監督の”Johnny Stool Pigeon (1949)” はその一連の作品のうちの一作で、メキシコの国境の町、ノガレスのシーンをほぼすべて赤外線フィルムでロケーション撮影している。
“Johnny Stool Pigeon (1949)”の赤外線フィルム撮影 d. William Castle dp. Maury Gertsman |
Johnny Stool Pigeon (1949)“の1シーン Howard Duff Dan Duryea |
“Johnny Stool Pigeon (1949)” 上のシーンの撮影の様子[10] |
大気中の粒子は波長の短い光を散乱していて、ゆえに空はヒトの眼には青く見える。一方で、波長の長い赤外線領域の光は散乱されにくく、赤外線フィルム撮影では、晴れた空が暗く映る。これが、“Day for Night” 撮影に赤外線フィルムが使用された最大の理由だ。だが、ここでも赤外線領域でヒトの眼には見えていない物理現象が数多く起きている。最も顕著に違うのは葉緑素を含む植物の葉だ。植物の葉は可視光域の光を極めて効率よく吸収しているが、近赤外線はほとんど反射している。“Johnny Stool Pigeon” や “Abandoned (1949)” で林や並木の葉が白く写っているのは、植物のこの性質によるものだ。
“Johnny Stool Pigeon (1949)” |
“Abandoned (1949)” d. Joseph H. Newman dp. William H. Daniels |
植物の典型的な可視光~近赤外~赤外の反射スペクトラム [11]より |
新聞カメラマンたちの赤外線フラッシュ写真は、フラッシュが発する赤外線が対象物に当たって反射される様子を撮影する。《夜》を《夜》として映し出す手法だ。しかし、赤外線フィルムを使った “Day for Night” 撮影は、太陽光が照らす風景から赤外線だけを抽出している。そのやり方で、監督や撮影監督は《昼》を《夜》だと嘘をつこうとした。空には鮮明に縁取られた雲が浮かび、舗道には並木の蔭が映り、葉は白く浮き上がっている。太陽までもが満月にすり替えられる。この偽ジョルジョ・デ・キリコの世界は、当時の観客に対しては《夜》としての説得力も魅力もなかったのだろう。すぐに廃れていってしまった。
だが、赤外線フィルムで撮影された映像を《夜》の風景だと思う必然性はどこにもない。“Johnny Stool Pigeon” のノガレスの町の風景は、ヒトにはふつう見えない世界なのだ。形式的な異化 defamiliarization によって私たちが慣れ親しんだ可視光の認知を混乱させるやり方だ。この認知の混乱を新しい国家の再定義に利用しようとしたのが『怒りのキューバ(Soy Cuba, 1964)』である。赤外線フィルムで撮影されたサトウキビの《白》は窓からまかれる革命のビラの《白》と呼応するはずだったが、モスクワは好感を示さなかったと言われている。この作品を発見したのが、アメリカのシネフィルたちという暢気な有閑階級だったのは、彼らが映画を知覚のゲームとしてとらえているからだろう。
ヒトの網膜が知覚しているものは、眼の前にあふれているすべてのエネルギーのなかのわずかな部分でしかない。そう考えると、ヒトの思想や思考なんて誤謬だらけに決まっているではないか。
“Soy Cuba/I Am Cuba (1964)” d. Mikhail Kalatozov c.Sergey Urusevsky |
Notes
(1)^ この時期のユニバーサルの作品で赤外線フィルムを用いて撮影した作品として、“Sword in the Desert (1949)”、 “Johnny Stool Pigeon (1949)”、 “Illegal Entry (1949)”、 “Take One False Step (1949)”, “Abandoned (1949)”が挙げられる。
References
[1] W. W. Kelley, “Making Modern Night Effects,” American Cinematographer, vol. 22, no. 1, p. 11, Jan. 1941.
[2] A. A. Finney, “Weegee and Kubrick: The Infrared Connection.” https://www.infrared100.org/2020/07/weegee-and-kubrick-infrared-connection.html.
[3] R. Williams and G. Williams, “Reflected Infrared Photography: Films.” https://medicalphotography.com.au/Article_03/02e.html.
[4] T. J. Van Den Berg and H. Spekreijse, “Near Infrared Light Absorption in the Human Eye Media,” Vision research, vol. 37, no. 2, pp. 249–253, 1997.
[5] L. Klein, Infrared Photography: Artistic Techniques for Digital Photographers. Amherst Media, 2016.
[6] W. J. Geeraets, R. Williams, G. Chan, W. T. HAM, D. Guerry, and F. Schmidt, “The Loss of Light Energy in Retina and Choroid,” Archives of ophthalmology, vol. 64, no. 4, pp. 606–615, 1960.
[7] C. Ash, M. Dubec, K. Donne, and T. Bashford, “Effect of Wavelength and Beam Width on Penetration in Light-Tissue Interaction Using Computational Methods,” Lasers Med Sci, vol. 32, no. 8, pp. 1909–1918, 2017, doi: 10.1007/s10103-017-2317-4.
[8] I. B. Allemann and J. Kaufman, “Laser Principles,” in Basics in Dermatological Laser Applications, vol. 42, Karger Publishers, 2011, pp. 7–23.
[9] “Necsus | Beyond human vision: Towards an archaeology of infrared images.” https://necsus-ejms.org/beyond-human-vision-towards-an-archaeology-of-infrared-images/.
[10] L. Allen, “They Do It with Infrared,” American Cinematographer, vol. 30, no. 10, p. 360, 1949
[11] M. T. Kuska, J. Behmann, and A.-K. Mahlein, “Potential of Hyperspectral Imaging to Detect and Identify the Impact of Chemical Warfare Compounds on Plant Tissue,” Pure and Applied Chemistry, vol. 90, no. 10, pp. 1615–1624, 2018.
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