『ヴァーノン、フロリダ(1981)』

1.

フロリダ州ヴァーノン。

パンハンドル panhandleと呼ばれるフロリダ半島の根元に位置する、この眠たげな小さな町は、20世紀中盤には600人程度の人口しかいなかった。

しかし、1950年代から60年代にかけて、四肢切断による保険金支給件数は全米トップだった。トップどころか、全米の件数の3分の2が、この町から申請されていた。もちろん、保険会社は不審に思った。

ある男は、28社だったか、38社だったか、とにかくたくさんの保険会社の保険に加入していた。この男は農夫で、普段はマニュアルシフトのトラックに乗っていた。ところが、その日、事故の日は妻のオートマチックの車を運転していた。それで、左脚を失ったんだ。マニュアルの車だったら左脚でクラッチを操作しただろうと言うんだ。さらに、この男はなぜか止血帯を持っていた。蛇に噛まれたときのために用心で持っていたんだという。ばかみたいにたくさんの保険に加入しているもんだから、月々の支払いは収入よりも多かった。貧乏ではないよ。中流だろう。結局、こいつには全部で100万ドル以上保険金が出た。世の中に自分の足を撃つやつがいるなんて、陪審員に信じさせるのは到底無理だからね。陪審員たちは信じないだろうと思った。示談で半分の額にしたんだ。そうじゃなきゃ、200万ドル以上出ただろうね。

マレー・アームストロング、リバティ・ナショナル保険会社[1]

○○という男は、裏庭で自分のことを撃ったんだ。自分の家の裏でね。銃が暴発して腕を吹き飛ばした。そいつは妻に向かって、保険証書をもってこい、それから保安官に連絡しろ、と言った。妻が「なぜ?」と訊くと、「腕を吹き飛ばしたんだ」という。妻が保険証書を持っていることを確かめたかったんだろう。

ヘンリー・ピッツ、前ワシントン郡保安官[1]

手を失くした男を知っている。医者がなんとかしようとしたが、「痛えんだ、切ってくれ」と言う。だから医者は切った。そういうのは一、二件あったね。四肢切断。でも証拠がないんだね。

フランク・キャロル、前ワシントン保険会社社員[1]

〇〇という奴は二連散弾銃でやったね。トラクターに立てかけてあって、一発目が暴発した。蛇を撃つのにつかもうとしたんだっけ。暴発で脚をぶっ飛ばされて、銃を落としたら、もう一発暴発して腕がふっとばされたんだ。

L・W・バードショウ、保険会社社員[1]

ヴァーノンでの流行は、失った脚と逆側の腕を失うことだという。松葉杖が使えるからだ。

前述のL・W・バードショウによれば、他にも「仕事中に左手をのこぎりで切り落とした男」「鶏を守るために自分の脚を撃った男」「鷹を撃とうとして腕を失った男」「保険加入12時間後にリスを撃とうとして脚を撃った男」などがいる[2]。もちろん、全員「事故だ」と主張する。

保険会社は、このヴァーノンという町にナブ・シティ(Nub City)というあだ名をつけ、四肢切断になった者たちがナブ・クラブ(Nub Club)を作っていると噂した。統計的に見て保険金詐欺としか思えない、この一連の出来事を、業界では有名だった保険調査員のジョン・J・ヒーリーが現地に赴いて分析し始めた。ヒーリーは「町で二番目に景気のいい仕事は広場で犬の交尾を眺めること、そして一番景気がいいのは自分の腕や足をショットガンでふっとばすこと」とヴァーノンを評している[3, p.265]。保険金詐欺の決定的証拠は見つけられなかったが、保険会社はこの地域で傷害保険を取り扱わなくなったという。

2.

『ヴァーノン、フロリダ(1981)』

ニューヨーク・タイムズ紙が1972年にジョン・J・ヒーリーの特集を組み、町の名前を伏せて「フロリダにはこんな町がある」と報じた[4]。エロール・モリスはおそらくこの記事を読んだのだろう。この恐ろしい町の話に取り憑かれてしまい、いつか取材したいと思うようになった。1970年代、科学哲学者トーマス・クーンにプリンストン大学を追い出され、移った先のカリフォルニア大学バークレー校のフィルム・アーカイブでケンカばかりしていたエロール・モリスは、ヴェルナー・ヘルツォークの知己を得て、映画製作の世界に入った。そして、ヘルツォークから2000ドルをもらってヴァーノンに移住、1年近く住んで「ナブ・クラブ」についてあちこち嗅ぎ回ったのである。ヴァーノンの住民たちは、このヒッピーくずれのよそ者を嫌った。モリスが片手片足の男の家を訪れた時、男の息子がモリスを殴り倒して、今度現れたら殺すと脅したという。モリスはバークレーに戻って「Nub City」というフィクション映画の脚本を書き始めた[5]

彼の最初の映画『ゲーツ・オブ・ヘブン(Gates of Heaven, 1978)』は興行的に失敗したが、モリスはニューヨークの公共放送TV局WNETとドイツ国営放送局ZDFから資金を得て、ヴァーノンに関するTV用ドキュメンタリーの製作にとりかかった。1980年、ヴァーノンにNYU映画学校の卒業生のスタッフとともに乗り込んで撮影を開始しようとする。ヴァーノンの住民は、町の秘密を嗅ぎ回る、生意気なインテリ集団を蛇蝎のごとく嫌い、カメラマンのネッド・バージェスをトラックで轢き殺そうとした。結局、モリスは「ナブ・クラブ」の話を題材にすることを諦めざるをえなかった。PBSで放映された映画『ヴァーノン、フロリダ(Vernon, Florida, 1981)』は、南部の小さな町に住む、一風変わった人たちの博物誌となった。

片腕、片脚の者たちが登場することはなかったが、『ヴァーノン、フロリダ』に登場する住民たちが語る話は、観ている者の方向感覚を失わせるような、めまいがして少し休まないとついていけないような、どぎつい蛍光色のカクテルを飲んで二日酔いしているような、そんな感覚を起こさせる。七面鳥の猟にすべての人生をつぎこみ、毎日七面鳥が何を考えているか考えている男、聖書に登場する「therefore(ゆえに)」という単語について延々と説教する牧師、テレビの警察ドラマさながらの重装備のパトカーに乗っている町にたった一人の警察官(ドラマのパトカーのように無線がついているが、一人なので誰と話すわけでもない)、トリニティ実験の行われた場所の砂を持ち帰り、それが「時間とともに成長している」「瓶の内側を這い上がっている」と主張する夫婦、彼らのことは、画面を隔てて見ていても、だんだん不安になってくる。

この映画が放映されたときには、「ナブ・クラブ」の存在について世間には広く知れ渡っていなかった。オフビートなドキュメンタリーとして批評家からは温かく迎えられた。

『ヴァーノン、フロリダ』は、登場する者たちを笑い者にしているわけではない。彼ら、彼女らに対して愛情をもって接している。ただ、入れ込みすぎておかしなことになっている独特な人々として映し出しているのだ。

Roger Ebert[6]

話をちょっと長々と引っ張りすぎた感はあるが、それでもこの映画はユーモラスだし、一風変わっていて、面白い。モリスが、この人達の夢想や想像力を認めて楽しんでいるのがよく分かる映画だ。

Janet Maslin[7]

この映画は、もちろん地元のヴァーノンでは不評だった。「モリスは住民の中から変なやつばかり選んだ」と市の担当者は言う。

もともと、腕や脚を散弾銃で吹き飛ばした者が人口の1割くらいいる町である。その人達にインタビューできず、代わりに町の牧師や警察官の話を映したら「変なやつばかり選んだ」とたしなめられるのである。たしかにモリスの演出が若干シニカルなのは否めないが、同情の余地もある。

3.

なぜ、ヴァーノンの住人は四肢切断を厭わず保険金を集めるようになったのか。地元のジャーナリストたちは、貧困が原因だと言う[1][2]

19世紀後半、ヴァーノンは、蒸気船の経由点として小さい町ながらも地域の要衝として栄えていた。ワシントン郡の郡庁所在地でもあった。だが、蒸気船は廃止され、郡庁も1913年にチップリーに遷された。恐慌の時代、この土地は深く深く貧困と孤立に埋もれていく。戦争とともに、都市部は景気の回復をみたが、ヴァーノンのような場所はさらに長く窒息していった。失業率は30%近く、なんらかの補助金や保護を受けないと暮らしていけない者が多かった。職があっても給料は全国平均をはるかに下回った。おそらく1940年代後半くらいに、偶然に、あるいは意図的に、腕か脚を失った者が保険金を得たのが最初ではないだろうか。保険調査員のジョン・J・ヒーリーも、この町の経済的袋小路をかんがみた時、「この片腕を失えば、その腕が一生かかっても稼げない大金を手にすることができる、と考える人間がいてもおかしくないだろう」と述べている。

意図的に怪我をして保険金を騙し取る詐欺は、たしかに恐慌の時代に流行したという。1936年に全米の新聞の第一面を賑わせた事件がある。男女合わせて6人組が、交通事故を装って保険金を騙し取ろうとした事件だ[8]。自動車に細工をしてあたかも事故を起こしたかのように偽装し、男のうち一人は腕の骨をのし棒で折り、女性はチーズのおろし金で脚を擦りむいた。これで8000ドルを騙し取ろうとした。そのやり方が乱暴で痛々しいために、センセーショナルに報道されたのだろう。大恐慌のどん底の時に、最も保険金詐欺が横行したと言われているが、大部分は治癒することが前提の怪我だった。ヴァーノンのように切断にまで行くケースはまれだ。

実は、日本でも類似の事件はあった。1982年に発覚した福岡県の集団詐欺事件では、指を切断して保険金を受け取った者が30人以上も逮捕された(ウィキペディアのリンク)。これは借金の取り立て、返済のために組織的に行われていたようである。セント・ピーターズバーグ・タイムズ紙のヴァーノン特集記事も、この日本の事件に言及している。

ヴァーノンの出来事の原因は貧困だと言われているように、日本でも、詐欺事件の背景に経済的事情があると言われている。しかし、ヴァーノンの住民のなかにも、20年前に手や脚を失った者たちと同じくらい貧しいか、それ以上に貧しい者はいた。だが、ちょっとした金のために手や脚を失うなんてありえない、と彼らは言う。

「10,000ドルもらったって指を撃ったりしないね」92歳のジョー・ペインさんは、彼の狭い家の擦り切れたソファに座って、曲がった指を突き出しながらこう言った。家のどこかにある扇風機が生暖かい空気をむなしく叩いている。度のきつい眼鏡の奥で目がぼんやりとくすんでいる。ペインさんは指を眺め、頭を横に振りながらこう続けた。

「いや、1ドル札を1万枚、そこのテーブルの上に積まれても、指を撃ったりしないよ」

St. Petersburg Times [1]

4.

モリスの映画がTVで放映されてから3年後の1984年に、ヴァーノンである事件が起きた。

ヴァーノンにただ一人いた警察官をクビにしようという話が出て、市の評議会が開かれた。そこで喧嘩が起きたのである。その様子をパナマシティのローカルTV局WMBBのカメラマンが記録していた。

映像のはじめのほうで、通りかかった女性の頭を殴りつける女性がナーヴェル・アームストロング、ヴァーノン市の評議員である。殴りつけられたほうの女性は警官の解雇に反対していた。小突きあいが殴り合いに発展し、同席していた男女入り乱れて流血の騒ぎになる。このビデオを見た多くの人が、白シャツの肥えた中年男に注目する。ピンクの服を着た女性を乱暴に殴っている男だ。これはJ・C・アームストロング、喧嘩をおっぱじめた当の女性の夫である。人々の関心は、彼の左手に集中する。

1984年10月に起きたヴァーノン市評議会での乱闘事件

記者がナーヴェルに、どうして彼女の夫が左手を失ったのか尋ねると「知ってんでしょ」と答えたと言われている。

5.

二つの後日譚がある。

2007年頃、ヴァーノン市の中心(といってもいくつかの商店と広場からなる質素なものだが)にハイウェイを通す計画が提案された。これでは広場は潰され、商店も閉鎖しなければならなくなる。住民は全員反対した。二人を除いて。

一人は前市長のジェームズ・ボスウェル。ハイウェイの建設計画では、彼の持っている土地がハイウェイに面しており、コンビニを建てるのに最高の立地だという。土地の価格が16倍にはねあがった。もう一人は、前述のナーヴァル・アームストロング。彼女が所有する土地はボスウェルの土地の隣りにあり、やはり価格が高騰した。

住民の反対など議論する必要がないと感じたのであろう。ハイウェイは予定通り町を潰して建設された。いま、ヴァーノンという町は、ただのハイウェイである。

自らを損壊してまで、金を欲しがるという体質が染み付いている、と当時の新聞は報じた[2]

もう一つの後日譚は、白い砂の夫婦についてである。

エロール・モリスは、ブランダイス大学に呼ばれてレクチャーをした。そのときに『ヴァーノン、フロリダ』に登場する、「成長する白い砂」を信じている老夫婦の話を紹介した。おそらく、面白おかしく話したのではないだろうか。レクチャーの後、教授の一人が近寄ってきて話しかけてきた。地質学者だと言う。彼によれば、白い砂は、本当は砂ではなくて石膏(ジプサム)だという。トリニティ実験の行われたホワイト・サンズ・ミサイル実験場の一帯は、一面この石膏が砂粒化したものに覆われている。ヴァーノンの老夫婦はこれを持ち帰ったのではないか。この石膏は水分を吸収すると嵩が増加する。ニューメキシコの乾燥した気候の砂をフロリダの湿気にさらすと、嵩が増して「成長したように」見えるかもしれない。そう言うのだ。エロール・モリスは「バカだったのは自分のほうかもしれない」という[9]

「真実」があるとして、それはもはや永遠に失われてしまっている。私達の目の前に、夫妻が持つ「白い砂」の瓶が映っている。しかし、それが本当に石膏だったのか、彼らの主張するように嵩が大きくなっているのか、あるいは夫妻がどこかその辺りで集めてきたただの白い砂だったのか、ガラスを這い上がっているというのはただの妄想だったのか、知りようがない。ただ、そこに白い粉が入った瓶が映っているだけだ。

ヴァーノンの「ナブ・クラブ」の話も、この白い砂のようなものなのかもしれない。町は、そのことをタブーとして語ることを拒んできた。だが、その町自体が分解しつつあり、タブーをタブーとして生かしてきた主体そのものも消えようとしている。

今から数十年も経てば、この町の物語はいろいろなかたちに変容しているだろう。ひょっとするともっと血生臭く、恐ろしい話になっているのかもしれない。だが、だんだんと作り話くさくなっていくのだろう。数百年も経てば、民話のようになっているのではないか。

私達が民話として聞いている話も、もとをたどれば、こんなことなのかもしれない。

ヴァーノン、フロリダ(Vernon, Florida)

監督:エロール・モリス
製作:エロール・モリス
撮影:ネッド・バージェス
編集:ブラッド・フラー
音楽:クロード・レジスター
配給:ニューヨーカー・フィルムズ
1981

References

[1]^ P. B. Gallagher and C. Martin, "Vernon, Florida: Tales of Self-mutilation Are Town’s Hidden Shame," St. Petersburg Times: D, St. Petersburg, Florida, p. 1, Aug. 18, 1982.

[2]^ T. Lake, "Dismembered Again," St. Petersburg Times: E, St. Petersburg, Florida, p. 1, Sep. 02, 2007.

[3]^ K. Dornstein, "Accidentally, on Purpose: The Making of a Personal Injury Underworld in America." New York: St. Martin’s Press, 1996.

[4]^ B. Davidson, "’ Nub City,’ and Other Stories Of an Insurance Investigator," The New York Times, On, pp. 115, 386, 460, 461, 462, 463, 464, Mar. 12, 1972.

[5]^ D. Resha, "The Cinema of Errol Morris." Middletown, Connecticut: Wesleyan University Press, 2015.

[6]^ R. Ebert, "Vernon, Florida Movie Review & Film Summary (1982)." https://www.rogerebert.com/reviews/vernon-florida-1982

[7]^ J. Maslin, "Film: ’Vernon, Florida’," The New York Times: Movies, Oct. 08, 1981.

[8]^ "Six Seized Here on Fake Accident Racket Charges," Los Angeles Times, Los Angeles, p. 1, Jun. 15, 1936.

[9]^ E. Morris, "The Errol Morris DVD Collection," FLM Magazine, Summer 2005,