マクニール・レーラー・ニュースアワー 1988年4月19日 [NewsHour Productions

最近、Fox NewsやCNNの映像を見ていて気になったことがあって、1970~90年代のアメリカのTVニュース映像を見直していた。そういったものを見ながら、いかにマスメディアが、現在のさまざまな議論(ディスコース) のあり方に影響を与えてしまったかという点を考え直している。そのことを書き記す前に、まずは背景となった1990年代初頭のアメリカのキャンパスの風景から見直していこうと思う。

ポリティカル・コレクトネスのはじまり

私が「ポリティカル・コレクトネス」という言葉を初めて聞いたのは、1990年代はじめ、アメリカの大学のキャンパスでのことだった。そのときは、こんな言葉が30年以上たった今の日本で意味が通じる言葉になるとは思わなかった。こんな素っ頓狂な言葉が、そんな生命力を持っているとはとても思えなかったのである。

1992年の夏ごろだったか、私が在籍していた大学のキャンパスで「極左の教授たちがとんでもない言語統制を大学内で敷こうとしている」といううわさが流れてきた。大学の学生寮の向かいにあるチャイニーズ・レストランの入り口に積んであったコミュニティ・ペーパーにも似たようなことが書いてあったのを覚えている。「背が低い(short)」は差別的だから「垂直方向に障害がある(vertically challenged)」と表現しなければならない、とか、学内の会合で「議長」を「chairman」と呼んだら、フェミニスト達から抗議され、「chairperson」と言い換えたら、「son(息子)が含まれている、構造的性差別が顕在化しているのがわからないのか」とさらに抗議された、と言った話が、嘲笑的な文脈で聞こえてきた。だが、そのたぐいの話はどれも、いつどこで起きたかわからない都市伝説のようなものばかりで、カフェテリアでの無駄話として消費されて終わりだった。「こういうのを『ポリティカル・コレクトネス』って言うんだって」「へえ、変な言葉」それで終わりだった。私の知る限り、博士論文で「死んだ(dead)」と書いたら、差別的な表現だからと「代謝的に障害がある(metabolically challenged)」に修正させられた、とか、大学のブックストアの前でプラトンの本が焼かれた、とかいったことは起きていなかった。だいたい「極左の教授たち」が誰なのかもよくわからなかった。

誰かが「レイシスト」「セクシスト」「ホモフォビア」などとなじっているのを聞いたこともないし、「ポリティカリー・コレクト」というフレーズを使っているのを聞いたことなどない(ひょっとしたら保守派が使っていたかもしれないが)。「正統派リベラル」なるものを攻撃している学生がたくさんいるなんて聞いたこともないし、だいたい、どんな「正統派」だろうと攻撃するような学生はいなかった。教室に座って、教師の言うことを聞いて、宿題を読んで、レポートを書いて、テストを受けていただけだ。

John K. Wilson

1990年代の初頭に起きた「ポリティカル・コレクトネス」の運動は、《リベラリズム》の浸透を食い止めるために、アメリカの保守派によって捏造、操作されたものだというのは、よく言われることである[1][2][3][4]。「ポリティカル・コレクトネス」をめぐる争いは、大学のキャンパスを中心に行われたが、保守派の最終的な目的は大学の外部に議論を拡散することにあった。保守系の教授、学術団体、共和党支持の学生グループが、様々なメディアを使って、実際には存在しないに等しいか、左派のなかでもかなりマイノリティのフリンジの言論を、あたかもキャンパスを支配するヒステリックなファシズムのごとく描いて、キャンパス外部の人々に嫌悪感と危機感を抱かせようとした。大学内の政治的な議論を、左派による一方的な言論弾圧として捏造し、それをメインストリーム・メディアが取り上げ、さらにはラッシュ・リンボーのような「右翼エンターテイメント」が面白おかしく毎日のようにネタにして拡散していた。だが、このムーヴメントは偶然出てきたものではない。レーガン政権下でのウィリアム・ジョン・ベネットリン・チェイニーによる全米人文科学基金(National Endowments for the Humanities, NEH)の掌握、全米学者協会(National Association of Scholars, NAS)のような保守派のアジェンダを推進するための大学関係者の団体の結成、そして保守派のシンクタンクや団体による資金投下の結果、生まれたものである。共和党を中心とする保守派は、1960年代のキャンパスを席巻した反戦運動と公民権運動の《悪夢》を根絶やしにするという目的を持ち続け、冷戦が終わりを迎えようとしていたこの時期に国内のリベラル派を弱体化させようともくろんでいた。

このプロセスは二段階に分かれていた。まず、レーガン政権下で、大学の人文学(Humanities)の《没落》を指摘し、警鐘を鳴らす活動が開始された。《没落》とは、多文化主義、多人種主義、エスニック・マイノリティやジェンダー・マイノリティの視点からの研究 ───カルチュアル・スタディーズと呼ばれることもある─── がテーマとして頻繁に取り上げられるようになり、従来の学術的価値観に対してオルタナティブを提起しようとする動きをとらえて、そう表現していた。その嚆矢となったのが、アラン・ブルームの「アメリカン・マインドの終焉 (The Closing of American Mind, 1987)」である。この本は《アカデミアに蔓延する相対主義》を憂慮する議論のテンプレートとなり、その後の議論に強い影響を及ぼした。チャールズ・J・サイクスは「ProfScam(1988)」でアメリカの大学の人文系の教授が不誠実な教育を行っているという批判をポストモダニズムを介して展開した。そのほかにもリン・チェイニーの「Telling the Truth (1992)」、ウィリアム・ジョン・ベネットの「The De-valuing of America (1992)」などが出版され、共和党政治の中枢にいる人物たちが、教育問題をアメリカ社会のモラルの問題と直結させて論じた。次の段階では、そのようにして《没落》した大学のキャンパスをフェミニストや人種、ジェンダーのマイノリティ ───保守派は彼らを《マルクス主義者》と呼んだ─── が乗っ取って、好き勝手にやっていると危機をあおった。もっとも有名な著作はディネシュ・ドゥスーザの「Illiberal Education (1991)」だろう。「Politically Correct」という表現をキャンパスにおける言語統制という文脈で紹介し、ポリティカル・コレクトネスを批判する言説の雛形をつくった。

これらの活動には保守系シンクタンクと財団が深く関与している。「アメリカン・マインドの終焉」でベストセラー作家になったアラン・ブルームだが、彼自身はジョン・M・オリン財団[脚注1]から研究資金を得ていただけでなく、シカゴ大学のオリン・センターを運営もしていた[3, p.26] 。ポリティカル・コレクトネス批判の急先鋒、ディネシュ・ドゥスーザは、ジョン・M・オリン財団から30,000ドルの援助を受けて「Illiberal Education」を執筆、財団は20,000ドルで1,000部を買い上げて関係者に献本している。さらにこの年、ドゥスーザはアメリカン・エンタープライズ・インスティチュート[脚注2]のフェローとして98,400ドルの資金を得ている[5]。チャールズ・J・サイクスの「The Hollow Men(1990)」は、ダートマス大学を例にとりながら、フェミニストやマイノリティが、大学教育の政治化(極左化)を通して西洋文明の価値観を転覆しようと試みていると論じた著作だが、これはダートマス大学の卒業生による保守団体アーネスト・マーティン・ホプキンス財団の援助を受けて執筆された[6, Preface]。ロジャー・キンボールの「Tenured Radicals (1990)[3] [7, Acknowledgement]」、マーティン・アンダーソンの「Imposters in the Temple (1992)[8]」、クリスティーナ・ホフ・ソマーズの「Who Stole Feminism? (1994)[9]」なども、ジョン・M・オリン財団、フーヴァー・インスティチュート、ブラッドリー財団[脚注3]、スカイフ財団[脚注4]から資金援助を受けて出版された書籍だ。リズ・マクミレンによれば、ジョン・M・オリン財団は1991年だけで100万ドル以上の資金をこれらの研究活動に投下している。

これらの書籍の焦点は、アカデミアが左翼(マルキシスト)に乗っ取られ、ジェンダー、人種、階級の議論を《脱西洋化》《脱WASP化》してゆく過程で、言論統制と脅迫によって保守派を排除しようとしている、というものだ。議論はたいてい二つの軸を中心に展開される。一つは《脱西洋化》する学問そのものを、西洋文化の歴史を無視した質の低いものとみなし、その生産性の低さ、一般人の感覚からの乖離、下品さや粗雑さをあげつらうという軸である。もう一つは、左翼はそういった《脱西洋化》を正統化するために、保守派を「レイシスト」「セクシスト」と呼んで言論の自由を弾圧している、という軸である。この二つの軸は議論が紛糾するたびに互換と補間を繰り返して、保守派が言論のヘゲモニー(攻撃的位置)をとれるように機能している。

上記の研究や書籍は1991年を境に堰を切ったように市場にあらわれるが、同時にテレビ、ラジオ、新聞、雑誌といったマスメディアで、一般市民が理解できるナラティブが用意された。それが「ポリティカル・コレクトネス」だと言っていいだろう。それまで大学のキャンパスを席巻しているはずの《言語統制》《思想統制》なるものは、ほとんどメインストリームのメディアには登場していなかったのだが、1990年暮れから1991年前半の数ヶ月で突然「ポリティカル・コレクトネス」はアメリカ社会に蔓延するリベラルの病として認知されたのだ。 私たちキャンパスの一般人からすれば、先に「反ポリティカル・コレクトネス」の立場の意見を聞かされて、初めて「ポリティカル・コレクトネス」という存在を知ったのである。

“Political Correctness”と”Politically Correct”がアメリカの新聞に登場した頻度を年ごとに追ってみると、1991年から突如増加しているのがわかる。(newspaper.comの検索結果より)

まず、各大学の保守系学生新聞が、「ポリティカル・コレクトネス」の《ストーリー》を作り出して拡散していった。保守系学生新聞は1988年ごろからアメリカ全国の大学で登場し始め、全国60の大学でネットワークを作っていた。この資金を提供していたのが、やはりジョン・M・オリン財団だった[10]。そして、このネットワークの発表する記事がマスメディアのネタになっていったのである。

マスメディアでの「ポリティカル・コレクトネス」批判の先鞭を切り、その後の議論のテンプレートとなったのが、ニューヨーク・タイムズ紙の「The Rising Hegemony of the Politically Correct」(リチャード・バーンスタイン、1990年10月28日)とニューヨーク・マガジン誌の「Are You Politically Correct?」(ジョン・テイラー、1991年1月21日号)という記事である。リチャード・バーンスタインはニューヨーク・タイムズやタイム誌に寄稿していたコラムニストであるが、この「The Rising Hegemony of the Politically Correct」では、多人種主義、多文化主義、フェミニズム、すなわちポリティカル・コレクトネスを先導する思考が教育の質を落としていると警鐘を鳴らした。テキサス大学の1年生の英語のコースで多文化主義に基づいたカリキュラムが組まれ、それに反対した教授が左翼学生から攻撃された話を挙げて、大学のキャンパスを危険な言論弾圧が支配していると論じている。

テキサス大学でのカリキュラム変更に反対したグリベン教授は、学生新聞で右翼と非難された。彼を吊るし上げるためにキャンパス内で集会が開かれた。「私はいくつか質問をしたかっただけなのに、私の世界は破壊されてしまった」とグリベン教授は言う。

Richard Bernstein

ニューヨーク・マガジンの「Are You Politically Correct?」は、さらにセンセーショナルな内容だ。ハーバード大学のテルムストロム教授が、キャンパスで「レイシスト」と大声で罵倒されるシーンの描写から始まる。教授は、授業でアメリカ先住民を「Native American」と呼ばずに「Indian」と呼んだために、左翼学生による糾弾の格好の標的になり、最後は担当講義を取りやめざるを得なくなったという。別の例ではフェミニストが「女性蔑視!」「家父長的!」「女性嫌悪!」「男根主義!」と単語を叫びながら、レヴロンのファッション写真を次々と批判していくレクチャーの様子を挙げている。最初の見開きページには、文化大革命の紅衛兵のパレードとナチス・ドイツの焚書の写真が大きくフィーチャーされ、タイトルの字体はナチスを想起させるフラクトゥールを直線的に焼き直したものを用いている。全体主義政権下の恐怖政治と、左翼による「ポリティカル・コレクトネス」をイメージとして直結して提示しているのだ。

これらの記事は極めて衝撃的に迎えられ、多くの新聞やテレビが記事の内容を引き写しながら「ポリティカル・コレクトネス」を一般向けに紹介していった。

しかし、ニューヨーク・タイムズの記事も、ニューヨーク・マガジンの記事も様々な点で訝しい。読んでいて最も異様に感じるのは、「ポリティカル・コレクトネス」を推進する側の人間が一人も実名で登場しない点である。マイノリティの学生、アイヴィー・リーグのフェミニスト、大学の職員、といった具合で、気味の悪いのっぺらぼうが、怒り狂って罵倒している様子が描かれている。一方で罵倒される《被害者》は実名で登場し、いかに大学社会のなかで抹殺されたかを滔々と語る。

“Are You Politically Correct?” ニューヨーク・マガジン 1991年1月21日号(New York Magazine

書かれている《事件》が、実際に描写されている通りに起きたかどうかも疑問である。テキサス大学の英語のクラスの件も、ハーバード大学のテルムストロム教授の件も、事実とはかなり異なることが指摘されている[3](実際、テルムストロム教授自身が「記事で書かれているようなことは起きていない」と証言している)。リチャード・バーンスタインは、この後、ブラッドレー財団の援助を受けて「Dictatorship of Virtue(1994)」を発表する。ジョン・テイラーという人物に関しては、正直なところほとんどつかみどころがない。彼はフリーランスのジャーナリストで普段はエンターテイメント・メディア、プロフェッショナル・スポーツの舞台裏を取材していた人物だ。著書も何冊かあるが、テイラーが政治と学問について何かを書いたのは、後にも先にもこの記事一本きりである。さらに奇妙なことに、彼の著書のバイオグラフィーに、「Are You Politically Correct?」が言及されることは一度もない。まるで、別人のごとく、Authorshipが消失している。誰一人として彼を、今も深い溝を作り続けている「ポリティカル・コレクトネス」を人気の概念にした張本人として追及していない。(ちなみにワシントン・ポストの編集に同名の人物がいるが、別人である。)

こうやって造られた虚構のリベラル恐怖政治を、超保守派のラッシュ・リンボーやパット・ロバートソンたちが自らのラジオ番組やテレビ番組でさらにデフォルメしてジョークにしたり、恐怖をあおったりするのである。リンボーは有名な「フェミナチ(Feminazis)」という造語の作者であるが、面白おかしく、エンターテイメントとして毎日提供した。マスメディアのスペクトラムの最も極右はこのような「政治エンターテイメント」を通じて支持層を拡大していったのである。

1992年に出版された「The Official Politically Correct Dictionary and Handbook」。ポリティカル・コレクトネスを茶化した内容でベストセラーになった[WorldCat]。

ここで興味深いのはシンクタンクや財団は、直接ラッシュ・リンボーやパット・ロバートソンのラジオ、TV番組のスポンサーになったわけではなく、最も庶民から遠く離れた象牙の塔の、最もエソテリックな研究に資金をつぎ込み続けたことである。アラン・ブルームやディネシュ・ドゥスーザに、ジャック・デリダ、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコーらの思想を批判する研究をさせて、カルチュラル・スタディーズなどのリベラル寄りの人文学研究の枠組みに疑問符を差し込ませただけなのだ。さらには、大学のロースクールに長期間にわたって資金を投下し、若い弁護士、検察官、判事、その他の法律家たちを保守的な思想に誘導していった。これは長期的にみて、アメリカの司法を共和党が掌握していく道を舗装して整備したと言えよう。リベラル勢も人文学研究にもちろん投資していたのだが、保守派のほうが極めて効率的に影響力を生み出した。オリン財団のディレクター、ジェームズ・ピエルソンによれば、右派は年間100万ドル程度しか大学での研究資金を投下していないのに対し、左派は年間1200万ドルも投下していたという[11](これはひどく誇張された数字のように思えるが)。もちろん、左派によるそういった投資の成果が民主的な立法や世論形成につながっていったのだが、この30年間で保守派が作り出した支持基盤を考えると、プロパガンダの設計が極めてうまいというよりほかないだろう。

ウォルター、今の大学の教員のなかには60年代に学生運動やってた連中がいると思うんだ。とにかく、今の若い人たちが授業のほかに洗脳も受けているというのは間違いないよ。

Ronald Reagan, to Walter Annenberg, 1987 [12]

このように書くと「保守派によるイデオロギー工作」の陰謀論のように聞こえるかもしれない。実際には、保守派はこの筋書きをあらかじめ用意したわけでもなければ、誰かが全体の計画を練って指示を出していたわけでもない。保守派が恐れたのは、非常に単純なことだ。彼らの考えるアメリカの《国益》の追求が、左翼の批判にさらされて頓挫することを恐れていたにすぎない。ノーム・チョムスキーに同調しているようなインテリの運動を封じる方法をいろいろ試しているうちに、つい軌道に乗ってしまった作戦の一つだったのではないだろうか。冷戦の終結とともに、カリフォルニアのような防衛産業に依存している州では、財政引き締めが懸念され、旧来の学者たち(その多くは全米学者協会(NAS)に所属していた)は自分たちの財源を確保することに躍起になった[13]。スタンフォードがポリティカル・コレクトネスの震源地になったのも偶然ではないだろう。この時期にレーガン政権や共和党、あるいはワシントンの体制派が仕掛けた世論操作の運動としては、「音楽の低モラル化に対するレーティング制導入」「生活保護制度の悪用横行に対する制度縮小」「企業の強大化とトリクルダウン経済」「都市部の犯罪増加に対する移民制限」「暴力犯罪に対する銃規制緩和」などが挙げられるだろう。そういった運動にはなんらかの利益団体があり、彼ら彼女らの利益確保のためにアジェンダが用意され、レトリックが生成され、議論がメディアによって広められた。

ポリティカル・コレクトネスの現在

さて、ポリティカル・コレクトネスは、30年の時を経てどうなったのか。「ポリティカル・コレクトネス」は、もともとは保守派によって造られた侮辱的な言葉だったものが、むしろ左派によって「そのとおり、我々も、君たちも、政治的に正しい思考と言動をするべきだ」というニュアンスに転覆され、さらに陳腐化していった。この変な言葉は、2020年代には「ウォーク (Woke)」「キャンセル・カルチャー (Cancel Culture)」という、またおかしな表現に変貌した。興味深いことに、保守派によって準備された二段階のプロセス、人種差別、ジェンダー差別、階級格差について議論すること(ウォーク)と、政治的に正しくない言動を糾弾し、その人物を排除していくこと(キャンセル・カルチャー)が、これらの言葉に反映されている。今では「ウォーク」も「キャンセル・カルチャー」も、保守派によってまた侮辱的に使用されている。

当初の登場人物たちのその後も興味深い。かつてNewsweek誌でポリティカル・コレクトネスをもっともらしい筆致でこき下ろした[14]ジョージ・F・ウィルも、80歳となったいま、「かつて48の州で同性愛は違法だった、けれどアメリカはそれから大幅に進歩した」と目を細めている(どうやら次の段落でアイデンティティ・ポリティックスを揶揄しているらしいが、何が言いたいのかわからないのは昔と同じだ)。かつてレーガン政権で教育大臣をつとめて口角泡を飛ばしながらリベラルを非難し続けたウィリアム・ジョン・ベネットはジョージ・H・W・ブッシュ大統領の下でドラッグ問題に取り組み、「徳 virtue」を説く本を書いて、アメリカ国民にモラルの規範を示そうとしたが、高額ギャンブルの中毒であることをすっぱ抜かれてしまい、それ以来モラルの話はしなくなった。

ジョン・M・オリン財団から多額の援助を受けて、ポリティカル・コレクトネス批判の急先鋒となったディネシュ・ドゥスーザは、今も財団に受けた恩を返し続けている。テレビのコメンテーターなどを経て、映画界に進出し、2012年の大ヒットドキュメンタリー『2016:オバマのアメリカ(2016: Obama’s America, 2012)』を作る。この中でドゥスーザはオバマ大統領がいかにアメリカを弱体化させようとたくらんでいるか、というストーリーを様々な《証拠》《インタビュー》を通して明らかにしてゆく。3340万ドルの興行収入があったという。その後も『アメリカ(America: Imagine the World Without Her, 2014)』『ヒラリーのアメリカ(Hillary’s America: The Secret History of the Democratic Party, 2016)』『デス・オブ・ア・ネイション(Death of a Nation: Can We Save America a Second Time?, 2018)』『2000ミュールズ(2000 Mules, 2022)』と次々と映画を発表、ヒラリー・クリントン批判、トランプ前大統領礼賛、大統領選挙不正告発と時流に乗ったテーマで、アメリカ極右、陰謀論信者、プラウドボーイズ達の精神的支柱となっている。ドゥスーザによれば、民主党の政策はナチスのそれと大差なく、リベラルが推進したがっている妊娠中絶もメンゲレ博士がやりたがっていたものではないか、ということらしい(申し訳ないが、私はこれらの映画を最後まで見ていない。途中で原因不明の頭痛と眩暈を起こしてしまう。これらの見解は大方の批評家からの引用である)。Rotten Tomatoesでの批評家による評価は雪崩のように低くなってゆき、『オバマのアメリカ』で26%もあった評価が、『ヒラリーのアメリカ』では4%、『デス・オブ・ア・ネイション』では0%にまで落ち込んでしまった。『2000ミュールズ』では誰にも点数をつけてもらえていない。トランプ前大統領は映画を称賛したが、あのFox Newsのタッカー・カールソンが『2000ミュールズ』の宣伝をしないため、「Fox News is no longer Fox News」というFox Newsの実存のありかを問う名言を残した。

ひょっとすると、ドゥスーザのこれらの映画はインディペンデントの極めてボロい映画だと思われるかもしれない。しかし、少なくとも『デス・オブ・ア・ネイション』までは、ジェラルド・R・モレンがプロデューサーをつとめている。耳を疑うかもしれないが、モレンは『ジュラシック・パーク(Jurassic Park, 1993)』『シンドラーのリスト(Schindler’s List, 1993)』『マイノリティ・レポート(Minority Report, 2002)』などスティーブン・スピルバーグの監督作品の製作をつとめた名プロデューサーである。

ポリティックスはおかしな同居人を呼んでくるものである。

『デス・オブ・ア・ネイション(Death of a Nation: Can We Save America a Second Time?, 2018)』予告編[Quality Flix/Pinnacle Peak Pictures

Notes

1^ ジョン・M・オリン(1892-1982)は化学・軍事工業コングロマリットのオリン・インダストリーズのCEOである。第一次世界大戦でヨーロッパに銃弾を供給して成功し、ウィンチェスター社を買収、第二次世界大戦でも銃と銃弾を供給し、オリン家は戦後最も裕福な一族の一つとなった。その後、マシソン化学(Mathieson Chemical Company)を買収して、塩素系材料の供給大手となる。会社はその後伸び悩むが、湾岸戦争、イラク戦争で業績を回復した。1953年に設立されたジョン・M・オリン財団は50年以上にわたって保守系団体に活動資金を提供する財団として活躍した。

2^ アメリカン・エンタープライズ・インスティチュート(American Enterprise Institute)は、1938年にニューディール政策に反対するニューヨークの実業家たちによって設立された保守系政策研究所である。1990年代には、ジョン・ボルトン、ディック・チェイニー、リン・チェイニー、ニュート・ギングリッチなどが中心となって、いわゆる新保守主義(Neo-Conservatism)の勢力拡大に大きな役割を果たした。

3^ ブラッドリー財団(Lynde and Harry Bradley Foundation)はウィスコンシン州に本拠地を置く保守系財団。実業家リンド・ブラッドレーの遺志を継いで、ネオリベラリズムに親和性の高い研究や活動を支援している。

4^ スカイフ財団はスカイフ一族の運営する複数の財団の総称。リチャード・メロン・スカイフ(1932-2014)はメロン財閥のトップで、金融、石油、アルミの流通をコントロールした。

References

[1]^ E. McKenzie, "The Plot Against PC: Fat Cat Conservatives on Prowl," San Francisco Examiner: A, San Francisco, p. 15, Jul. 01, 1991.

[2]^ E. Messer-Davidow, "Manufacturing the Attack on Liberalized Higher Education," in After Political Correctness: The Humanities And Society In The 1990s, C. Newfield, Ed. Avalon Publishing, 1995, pp. 38–78.

[3]^ J. K. Wilson, "The Myth of Political Correctness: The Conservative Attack on Higher Education." Durham, N.C. : Duke University Press, 1995.

[4]^ J. Williams, Ed., "PC Wars: Politics and Theory in the Academy." Psychology Press, 1995.

[5]^ L. McMillen, "Olin Fund Gives Millions to Higher Education," Jan. 22, 1992. https://www.chronicle.com/article/olin-fund-gives-millions-to-higher-education/

[6]^ C. J. Sykes, "The Hollow Men: Politics and Corruption in Higher Education," First Edition. Washington, DC: Gateway Books, 1990.

[7]^ R. Kimball, "Tenured Radicals: How Politics Has Corrupted Our Higher Education." HarperPerennial, 1990.

[8]^ M. Anderson, "Impostors in the Temple: The Decline of the American University." New York: Simon & Schuster, 1992.

[9]^ C. H. Sommers, "Who Stole Feminism?: How Women Have Betrayed Women." Simon & Schuster, 1994.

[10]^ F. Butterfield, "Education; The Right Breeds a College Press Network," The New York Times: A, p. 1, Oct. 24, 1990.

[11]^ J. DeParle, "Goals Reached, Donor on Right Closes Up Shop," The New York Times, New York, May 29, 2005.

[12]^ R. E. Weber and R. A. Weber, "Letters from the Desk of Ronald Reagan" Crown, 2010.

[13]^ S. Diamond, "Managing the Anti-PC Industry," in After Political Correctness: The Humanities And Society In The 1990s, C. Newfield, Ed. Avalon Publishing, 1995, pp. 38–78.

[14]^ G. F. Will, "Curdled Politics on Campus," Newsweek, vol. 117, no. 18, Newsweek, pp. 72–72, 1991.