わたしたちの果てなき切望 (5)
プロパガンダは、見えない政府の行政機関である。
Edward L. Bernays [1]
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“Banana Republic” by United Fruit Company (1958)
ユナイテッド・フルーツ・カンパニーは中米のバナナ産地からの利益を確保するために、PRコンサルタントのエドワード・バーネイズ(Edward L. Bernays)に依頼、バーネイズはアメリカ政府、特にCIAに働きかけた。CIAは現地で1954年にクーデターを画策し、ハコボ・アルベンス・グズマン政権を打倒、傀儡政権を樹立した。この地図は、バナナの独占を回復したユナイテッド・フルーツ・カンパニーによる中米地図である。〔David Rumsey Map Collection, David Rumsey Map Center, Stanford Libraries〕
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1.
ジェイソン・スタンリーの《プロパガンダ》に関する議論で、私が注目するのは、社会階層と支配を通して《プロパガンダ》をみている点である。スタンリーによれば、特権を軸とした階層のあいだでの支配関係を強化するものが、プロパガンダである[2]。
プロパガンダとは、社会の中で特権を持ったグループが、特権を奪われている(negatively privileged)グループをコントロールする手段である。
Jason Stanley
「特権を奪われている negatively privileged」はマックス・ウェーバーの階級概念の表現の一つ(negativ privilegieren)で、日本語では「消極的に特権づける」と訳されていることがある。
《プロパガンダ》のこの形態を極限に推し進めたとき、特権階級が、特権を持たない階級の人々を動員し、時には犠牲を美化して、死に追いやるために使われる。特に、ファシズムでは、特権階級が、みずからの利益追求のために、《政治的》な目的、イデオロギーを捏造していく。そして特権を奪われている者は、捏造されたイデオロギーを信じて自発的に拡散していく。そして自分と同じ階級に属する人間に対してもイデオロギーへの隷従を強いるようになる。エティエンヌ・ド・ラ・ボエシが提唱した《自発的隷従 Voluntary Servitude》である。おそらく、このような図式が《プロパガンダ》をめぐる議論には内在していると思われる。
この《特権》について極めて意識的なのが、ジグムンド・フロイトの甥でPRコンサルタントのエドワード・L・バーネイズである。バーネイズは、大衆は基本的に愚かであり、「判で押したように」言われたことを繰り返すだけの存在と見ていた。そして、社会には「見えない政府」が存在し、それによる「意識的で理知的な大衆操作は民主主義の重要な要素だ」と考えていた[1 p.9]。ディープ・ステートのような陰謀論を生み出す土壌を作った言説だと言ってもよいだろう。
もちろん、この図式が《プロパガンダ》をめぐる歴史を、どこまで正確にとらえているかという問題はあるが、それはまたいずれ考えたい。
ここで、NATOのプロパガンダの定義を見ておきたい。NATOが2020年に発行した「Public Affairs Handbook」によれば、プロパガンダは「Information, ideas, doctrines, or special appeals disseminated to influence the opinion, emotions, attitudes, or behaviour of any specified group in order to benefit the sponsor either directly or indirectly」と定義されている [3 p.258]。ここで、大切なのは「(プロパガンダを製作して広めるように指示した)スポンサーに利得があるように in order to benefit the sponsor」という部分である。プロパガンダの製作者(例えば、映画会社)が直接経済的利益というかたちの《利得 benefit》を得ることではなく、スポンサー(例えば、政府)が(国民の態度の変化によって)《利得》を得ることに焦点を絞っている。
2.
『カサブランカ』の議論に戻るまえに、もうひとつだけ見ておきたいことがある。
多くの人にとって、湾岸戦争はもはや風化した出来事かもしれないが、私には、当時眼にしたある映像がずっと頭から離れない。
この戦争は1990年の8月にイラク周辺への兵力派遣が始まり、翌年の1991年1月17日に戦闘が開始された。マスメディアは毎日サダム・フセインの好戦的で暴力的な側面を報じ、イスラム諸国の人権問題を取りあげ、なぜイラクのクェート侵攻が民主主義にとって脅威なのか騒ぎ立てていた。そんななか、サリー・フィールド主演の映画『星の流れる果て(Not Without My Daughter, 1991)』が、開戦1週間前の1月11日に劇場公開されている。これは、1984年にイラン人の夫にイラン国内で拘束された妻と娘が逃亡してアメリカに帰還した実話をもとにして製作された映画である。この映画のTVコマーシャルが、荒唐無稽なほどの人種差別を利用した宣伝で、私は開いた口がふさがらなかった。
このわずか30秒ほどの映像は、ちょうど米軍のサウジアラビア駐留が最極値に達した頃に、TVで繰り返し流された。「美しきアメリカ」の世界の優しい世界の住人である夫が、突然本性を現してステレオタイプのアラブ人男性に変貌する。イランを舞台にした物語だが、このTVスポットを見ただけではそんなことは分からない。私も、新聞のレビューを読むまで、アメリカ人女性がアラブ人に誘拐されるスリラーくらいに思っていた。偏見を巧妙に利用して、興味を持たせる仕掛けだった。映画はそこそこヒットした。
『星の流れる果て』はアメリカ国民に湾岸戦争協力を促すプロパガンダ映画だろうか?湾岸戦争の敵国イラクではなく、むしろイラクと敵対しているイランを舞台にしているのだから、その時点で戦争協力映画として機能しない。では、アラブ人への差別を国内で作り出して、国民の戦争協力体制を人種差別的に強化しようとしたのだろうか。少なくともそのように装っているのは間違いない。おそらくMGMの《意図》は、戦争開始の週に映画公開をぶち当て、TVコマーシャルで人々のなかに薄く広く浸透している人種偏見を刺激し、興行を成功させようというものであっただろう。このTVスポット ───そして映画そのもの─── は人種偏見を利用した金儲けのギミックだったと言ってよいのではないか。
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Not Without My Daughter (1991) TV Spot |
『星の流れる果て』のTVスポットに使われていた巧妙な操作術は、『カサブランカ』の物語の前提となっているものと、あまり違わないのではないか、という印象を私は以前から持っている。すなわち、人種や国民のステレオタイプを利用しながら、戦争という時事的な事象をメロドラマのなかに埋め込んで、エモーショナルな反応を引き出そうという手法が、どこか類似しているように感じるのだ。確かに副次的な目的は戦意高揚であったかもしれないが、最もコアとなる《意図》は興行収入の増大であったのではないか。
一企業が利益追求のために政策的な工作を要請することもある。ユナイテッド・フルーツ・カンパニー(UFC)の利益回復をもくろんで行われたグアテマラのアルベンス政府の転覆(1954年)が良い例だ。ハコボ・アルベンス・グズマンは、大統領に就任して以来、UFCにとって不利益な農地回復などを推進していた。UFCの依頼を受けて、反共工作を画策したのがエドワード・L・バーネイズである。アルベンス政権は共産主義政権とレッテルを貼られ、CIAによってクーデターが起こされた。クーデターの後に、CIAが乗り込んでいってアルベンス政権とクレムリンの秘密の関係を見つけ出そうとしたが、ほとんど没交渉でむしろ反共産主義的でさえあったことが明らかになる(クレムリンからバナナを供給してほしいと頼まれたアルベンス大統領は、それはUFCのビジネスだから私は手を出せないと断っていた[4 p.146])。その後、この事態やその他のアメリカによる干渉に対して、グアテマラをはじめ中米では、本当にソ連からの援助を受けた共産主義勢力が内戦を起こして政情不安が長年にわたって続く。反共のカードを使ってビジネス拡大を狙ったUFCは、CIA、そして連邦政府からも疎まれるようになっていく。見事な「意識的で理知的な大衆操作(conscious and intelligent manipulation of masses)」の結果である。
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グアテマラでの「赤狩り」
LIFE誌がクーデター直後に掲載した「共産主義者逮捕劇」の様子(LIFE, July 19 1954)
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References
[1]^ E. Bernays, "Propaganda." Brooklyn, N.Y, 2005.
[2]^ J. Stanley, "How Propaganda Works," Reprint版. Princeton, New Jersey Oxford: Princeton Univ Pr, 2016.
[3]^ "Public Affairs Handbook (Allied Command Operations & Allied Command Transformation)." NATO/OTAN, May 2020. Available: Link
[4]^ P. Chapman, "Bananas: How the United Fruit Company Shaped the World." Edinburgh ; New York : Canongate ; [Berkeley, Calif.?] : Distributed by Publishers Group West, 2007.
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