チェチェンの独立運動の指導者ジョハフ・デュダエフのボディーガード 1991年
『ロシア 1985 - 1999:トラウマゾーン(BBC, 2022)』

1.

BBCのiPlayerで配信されている『ロシア 1985 - 1999:トラウマゾーン(Russia 1985 - 1999: TraumaZone, 2022)』は、ソビエト連邦の崩壊からプーチンの登場までの時代を追う合計7時間に及ぶドキュメンタリーである。「共産主義の崩壊、そしてデモクラシーの崩壊の時代を生きるのはどんな感じだったか」という副題がつけられている。使用されている映像素材の大部分は、BBCのモスクワ支局にアーカイブされていたもので、今回初めて公開されるものがほとんどだという。それらの映像がほぼ時代にそって編集されているが、随伴音楽もなく、ナレーションもなく、適宜字幕が使用されているだけである。かつてソ連だったところ、新しい国が建設されていたところ、そして限りない混乱と紛争にあけくれた土地で撮影されたフッテージの集大成だ。為政者の言動が写っているものもあれば、日常生活を破壊された人々の姿もある。確かに、あの時代の旧ソ連の国々で生きるとはどんな感じだったかを追体験させてくれるような、そんな映像の連続だ。

このタイトルは本当に当たっている。見ていると、心理的に傷を負う。トラウマになる。中毒的だが、長時間見ることができない。1回見ただけでは、とてもすべてを飲み込めないが、2回見るとおそらく体調が悪くなる。アルコールの匂いのしない、耐え難い頭痛と意味のない疲労だけの二日酔いのように気持ち悪くなる。

『ロシア 1985 - 1999:トラウマゾーン』はアダム・カーティスが編集したシリーズだが、これまで彼が編集(監督)した『ビター・レイク(Bitter Lake, 2015)』『ハイパーノーマリゼーション(Hyperormalization, 2016)』『キャント・ゲット・ユー・アウト・オブ・マイ・ヘッド(Can't Get You Out of My Head, 2021)』といったドキュメンタリーとかなり様相が異なっている。これらのドキュメンタリーは、それぞれがまったく脈絡のないアーカイブ映像のマッシュアップと、それをつらぬくナレーション ──カーティスのやや偏った世界観に基づいた歴史の物語ナラティブ── が基調となっていた。見ている方はいったい何を見ているのか、誰によって、いつ撮影された映像なのか、映っている人は誰なのか、何が起きているのか、さっぱりわからない。その映像をそのまま・・・・受け入れるしかない。さらにナイン・インチ・ネイルズやショスタコーヴィッチの音楽が覆いかぶさり、ひたすら暗澹たる気分を演出する。彼の語る物語があまりに恣意的にすぎるというのは、ごくもっともな批判なのだが、カーティスはその恣意性をわざと浮き彫りにしているように思う。

過去20年以上にわたって、カーティスは極めてユニークなアーカイブ・アートの形式を作り出した。失われた映像の混沌のなかから彼がつくりだすブリコラージュは、私達の時代のオルタナティブ・ヒストリーだ。カーティスの幻燈を見ながら、出来事のあいだに思いもしなかった繋がりがあることを発見する。だが、なかには、彼が見つけ出してきた物事の諸相パターンよりも、混沌そのもののほうが真実に近いリアルなのではないかと思わざるをえないことがある。

John Gray, The New Statesman

カーティスは『ロシア 1985 - 1999:トラウマゾーン』で、ナレーションを入れなかった。また、随伴音楽を用いず、サウンドトラックはすべて元映像のものを使った。この演出で、このシリーズは、いままでのカーティスの手がけたもののなかでも最も恐ろしい、最も悪酔いのする、最もトラウマを引き起こすものになった。

元になった映像資料は、BBCのモスクワ支局にあった数千時間におよぶビデオテープである。カメラマンのフィル・グッドウィンがこのテープを偶然発見したのだそうだ。彼は6台のビデオデッキと6台のPCですべてをデジタル化して、イギリスに持ち帰った。だが、BBCの誰も興味を示さなかったのだという。そしてグッドウィンがカーティスのところへ持ち込んで、そこからこのシリーズの企画が生まれた。

2.

このドキュメンタリーは、ソ連の没落、冷戦終結からプーチン政権誕生までの歴史について、ある程度知っていないと分かりづらいかもしれない。ペレストロイカを主導するゴルバチョフ、ソ連共産主義の官僚機構を維持できると考える共産党幹部、情勢を見ながら賭けに出たエリツィンといった政治家たちが、様々な出来事をわずか数年のあいだに起こしていく時代だ。複雑に入れ替わる立場、起きた事件に対して豹変する態度、ネビュラのように変形し、時にはメビウスの輪のようにひねくれる政治的主張、それらを追いかけるのは、このアーカイブ映像のコレクションだけでは無理だろう。映像に対して字幕はあるが、全体像をある程度知っているという前提のもとでつけられたものだと思っていい。

私はあの時代のことはなんとなく覚えていて、そこで起きたことや政治家たちのとった行動について知っているが、それでも知らないことや忘れていたことが多かった。

例えば、1991年のクーデターで、クーデターに対抗する民衆が、どうやって戦車を無力化したかという話。アフガン侵攻に従軍していた退役軍人たちが集まった人々のなかにいて、彼らが、ムジャヒディーンの戦法(戦車に布をかけて無力化してしまうという方法)をここで実践したのだった。当時、クーデターに対抗して集まった民衆は戦車を相手に勇敢だなと思っていたのだが(死者もでている)、そのなかに退役軍人たちがいるという想像力に欠けていた。

戦車に布をかけて無力化する元ソ連兵たち 1991年8月クーデター
『ロシア 1985 - 1999:トラウマゾーン(BBC, 2022)』

第一次チェチェン紛争の際に、ロシア兵の母親たちが、子どもたちを戦闘から連れ戻すために前線まで押しかけていたというのも知らなかった。実際にある母親が、従軍していた息子をチェチェンから連れ戻す様子がビデオにおさめられている。オリガルヒの数々の蛮行も、当時の民衆の生活の映像を背景に追っていくと、その現実離れした事態に唖然としてしまう。随所で現れるブッシュ前大統領やクリントン前大統領、そしてヒラリー・クリントンの姿を見ると、なぜ2010年代にロシア人たちが、アメリカの大統領として、世界の勢力図を描くパートナーとして、従来の共和党や民主党の大統領候補を毛嫌いしたのか、というのも、決して理解できないことではないのかもしれない。だが、アメリカのリバタリアン・エコノミストやIMFがロシアを破壊したのだという、西側左翼の議論(ジョセフ・スティグリッツが左翼かどうかは別として、彼はそのような意見を表明している)は「自惚れだ」と、カーティスは言う。

(旧ソ連の人々は)フリードリヒ・ハイエクのような経済学者から西側の経済思想を取り入れたのかもしれませんが、そういう思想を、彼らは自分たちのやり方にそって解釈したのです。エゴール・ガイダルにしても、ロシアのジャーナリストが口をそろえて言うのですが、ソビエトのエリートの子供なのです。彼の思考は、どんなことでも計画どおりにいく、という姿勢に深く根ざしているのです。彼は、西側の思想を取り入れて、計画を構築したのです。そんなやり方は、あまりにも狂っていて、制御不能になったのです。ロシア人たちに聞けば、みんな「いや、あれは全部私達がやったことだよ」というでしょう。

Adam Curtis, Protean Interview

さらに、このシリーズの注目すべき点は、歴史的事件が起きていた舞台だけでなく、広大な旧ソ連の領域のあらゆるところで起きていた出来事や生活の変化を捉えていることである。

チュクチ(モスクワから5970キロメートル)のデパートのようす
『ロシア 1985 - 1999:トラウマゾーン(BBC, 2022)』

ロシア初の大統領選挙に立候補したボリス・エリツィンが、ウラジオストックで選挙演説をするようすや、ボルクータの炭鉱で働く女性たちの奮闘ぶり、モスクワから《わずか》630キロメートルしかはなれていないとは言え、誰も来ない村、ボリソフスカヤの村民の選挙についての意見など、想像を絶する《広さレンジ》の社会のごく一部を垣間見ることができる。

『トラウマゾーン』を見た人が、このシリーズを見ていると迷子になったような気持ちになる、と言います。私はそれが狙いでした。この世界を旅しているような、そんな感じです。ですから、私は字幕に「キロメートル」を入れて、どれくらいロシアが広いかを示したかったんです。彼らが保有する鉱山やいろんな場所を見せたかったんです。この場所を旅しながら、いろんな人達に出会う、そういった感覚を感じてもらいたかったのです。

Adam Curtis, Protean Interview

MeduzaのジャーナリストVladimir Raevskyによるインタビューで、カーティスは、これらのフッテージの大半は、BBCのスタッフが取材時に《余計に》撮影したものだろうという推測をしている。番組用の撮影が終わった後も、気になってカメラを回し続けたときに偶然撮影したものだ。だからこそ今の私達が釘付けになるのかもしれない。カーティスは、そのカメラマンたちやスタッフを称えたいのだが、名前もわからないし、記録も残っていない。ナレーションを使用しなかったのも、「これはチームで作ったものだ、自分はすこし下がって、それらをまとめ上げる役目にすぎない」という気持ちからだという。

チェチェンで始まった鞭打ち刑を伝えるBBCのレポート
レポーターの後ろでチェチェン軍人が一般市民を棒で打っている。
実際にBBCのニュースで使われたかどうかは不明。
『ロシア 1985 - 1999:トラウマゾーン(BBC, 2022)』

3.

カーティスがこのプロジェクトに着手したのは、ロシアによるウクライナ侵攻前だった。プーチン大統領による独断的な軍事行動を見て、多くの人がこのシリーズに今のウクライナをめぐる歴史的背景やプーチン大統領のヴィジョンの萌芽を見つけ出そうという願望に駆られるのも仕方ないのかもしれない。しかし、カーティスが指摘するように、チェチェン侵攻とウクライナ侵攻では、関わってくる要素も大きく異なる。また、ウラジーミル・プーチンという人物の思想の根源を、この時期の暗澹さのなかに見出そうとするのも、偏った分析だろう。

むしろ、この時期の旧ソ連圏の民衆が感じた絶望感、無力感、虚無感は、いまの西側の我々に通じるものがあるのではないか。たしかにスーパーマーケットにジャガイモはならんでいるかもしれない。工場の従業員が、自分の作った製品を鉄道の駅で売ったりしていないかもしれない。店で買った酒で血を吐いたりしないかもしれない。公然と売血をする施設が街中にあるわけではないのかもしれない。だが、私が気分が悪くなってしまうのは、言いしれない絶望感だけは、ひどく身近に感じてしまうのだからだろう。

(あの頃のロシアと)現在とはその点においてひどく似通っているんです。私達もこのシステムがうまくいっていないことを感じている。それに、地位のある人間たちが、システムを喰い物くいものにしているんです。しかもそれが違法じゃない。過去10年ほどでおきた、例えば量的緩和とか、そういったものを見ると、国のお金が、一握りの非常に裕福な人間の財産に大量に流れ込んでいるのがわかるでしょう。それって、略奪ですよね。でも違法じゃない。私がイギリスで知り合ったロシアのジャーナリストが言うんです。「ああ、これって1988年のモスクワだね。分かってるよね?」

Adam Curtis, Protean Interview
ロシア 1985 - 1999:トラウマゾーン
Russia 1985 - 1999: TraumaZone

編集:Adam Curtis
脚本:Adam Curtis
音楽:Lawrence English (Ending Theme)
配給:BBC iPlayer
2022