RCA設計のエコーチェンバー(Reverberation Chamber)

前回、「市民ケーンとマッカーサー」という記事で、『市民ケーン』の革新性について言われていることのうち、コートレンズの革新性について考えてみた。当時のアメリカの光学技術をめぐる状況を見渡してみると、見えてきたのは軍事研究の重要な一分野だったレンズコーティング技術が、スピンオフしてハリウッドに恩恵をもたらしていったという事実だった。そしてハリウッドのメジャースタジオの撮影部門は、おしなべてコーティングレンズの開発に積極的であり、『市民ケーン』の撮影監督グレッグ・トーランドもそのなかの一人だったということだ。

今回も『市民ケーン』の革新性について、分析してみたい。今回取り上げるのは<音>である。その中でも<音と空間>のテクニックについて考えてみたい。

マジソン・スクエア・ガーデンの演説シーン

映画の音響技術についてのドキュメンタリー『ようこそ映画音響の世界へ(Making Waves: The Art of Cinematic Sound, 2019)』で、オーソン・ウェルズ監督の『市民ケーン(Citizen Kane, 1941)』の音響設計がいかに当時画期的だったかという話が出てくる[1]。『地獄の黙示録』などの編集で知られるウォルター・マーチは「(ウェルズは)『市民ケーン』でラジオの技術を映画に転用した」と述べている。そしてそのラジオから転用された<技術>として、空間における音の残響・反響(リバーブ, reverberation)の設計を上げている。

『市民ケーン』において、オーソン・ウェルズは音についての技術をラジオから映画に持ち込みました。カメラの焦点深度の場合と同じように、音の空間性についても挑戦したのです。空間はそれぞれ異なった音の反響特性をもっており、反響(reverberation)の要素を繊細に使いこなして、物語を語ることができるということを示したのです。

ウォルター・マーチ[1]

このマーチの発言とともに、オーソン・ウェルズが演出、主演したラジオ・ドラマ「宇宙戦争」が引用され、『市民ケーン』のいくつかのシーンがさらに引用されている。『市民ケーン』で引用されているのは、いずれも広い空間で音が反響しているシーンだ。例えば、ケーンの巨大な邸宅ザナドゥで暇を持て余したスーザンとチャーリー・ケーンの会話、選挙演説会場でのチャーリー・ケーンの演説、それにサッチャー・ライブラリでの会話のシーンだ。

なぜ『市民ケーン』のこれらのシーンが<画期的>だったと言われているのだろうか。実はマーチの発言は要約されすぎている。広い空間を音が伝搬すれば、壁や天井、床で反射して、その空間特有の反響がもたらされる。広い大会堂で演説すれば、声が反響して聞こえるだろう。その様子を撮影し、同時に適切に録音すれば、広い空間であることはおのずとわかるはずだ。それはたいして驚くことではない。『市民ケーン』が<画期的>だと言われたのは、これらのシーンは特に広くないスタジオで撮影され、声の反響はあとから人工的に(・・・・)つくられたものだからだ。


『市民ケーン』より チャールズ・フォスター・ケーンの選挙演説のシーン

この点において、マジソン・スクエア・ガーデンでの演説シーンは特に注目に値する。実際に撮影に使われた空間よりもはるかに大きく、また聴衆で会場が埋まっている錯覚を作り出すために視覚的な効果が工夫された。

マジソン・スクエア・ガーデンのシーンの聴衆側から見たショットでは、演説者のステージだけがセットとして作られた。巨大なホールと観客はすべて書割である。書割に小さな穴が開けられており、そこから光がチラチラ見えるのは、観客が持っているプログラムがヒラヒラしている様子を模している。カメラの動きは、あたかも巨大なアリーナでカメラが高みから降りていくような印象を与える。観客をとらえるリバース・ショットは全体を捉えずに細かいディテールだけに限定している。来賓席のエミリーと息子、ホールの観客席のリーランドたちといった具合だ。

ロバート・L・キャリンガー[2 p.87]

これに対応して、音の設計が施されている。

音に関しては、特殊効果の問題と同じ問題を抱えていた。(演説会場のような)イベントの感覚と感触をいかに人工的に作り出すかということだ。・・・録音コンソールでは、ウェルズの声の反響速度(reverberation rate)を操作してエコー・チャンバー効果を作り出した。リアリズムをさらに加味するために、もとの録音のコピー、しかもそれぞれ音質が異なるものがいくつも作られ、無音部分にその様々な断片が挿入された。よく聞くと、演説の文句やフレーズのあいだに挿入された声がエコーのように聞こえるのが分かるだろう。エコー効果も極めて繊細に調整されている。話者にカメラが近いときにはエコーは短く目立たないが、聴衆が映し出されるショットでは、遅延が大きく、かつ反響音が大きくなっている。

ロバート・L・キャリンガー[2 p.105]

今の録音技術を知っている人からみれば、あまりに原始的で、いったい何が困難だったのか、とても理解できないかもしれない。だが、この時代の技術を用いて、現代の私達が聞いてもさほど違和感を覚えない音響効果を達成できていることじたいが驚きなのだ。

1940年のオーディオ技術

1940年当時のさまざまなメディア製作環境でのオーディオ技術(録音・再生)はどのようなものだったのだろうか。

当時のラジオ放送はほぼすべて生放送である。だが、番組制作においては、効果音や政治家の演説などの音源としてあらかじめ録音されたものが使用されることもあった。

このような場合の録音媒体の主流は、アセテート盤(ウィキペディア)であった。これはラジオの放送局や、映画スタジオなどでも、比較的手軽に録音・再生ができるため、頻繁に利用されていた。これをラジオ放送そのものに使用することもできるように思われるが、たいていの場合、敬遠された。音質がよくなかったのである。日本でも1945年8月15日の昭和天皇の玉音放送はアセテート盤に録音されたものが放送されたが、音質は決して良くなかった。

一方、映画で使用されていた録音・再生技術はオプティカル・サウンド(ウィキペディア)である。これは、オーディオ信号をフィルムに記録する手法で、記録されたサウンドトラックに光を照射すると透過光量で音の強弱が読み取れる。1926年に導入されて以来、ノイズ低減とダイナミックレンジの向上に業界をあげて取り組み、音質に関しては優れていたが、フィルムの現像やプリントに手間がかかる。録音したその場で再生して確認するのが困難なのだ。

ドイツでは、これらに加えて磁気テープによる録音・再生がおこなわれていた。1935年にAEGがマグネトフォンを発表している1)。磁気記録では鋼線に録音するスチール・レコーディング(ウィキペディア)があるが、これはイギリスでBBCが番組制作や記録に利用していた。磁気記録は録音再生が比較的容易であるが、鋼線記録はノイズの問題を克服できなかった。

ハリウッドでは、ほぼすべての録音・再生はオプティカル・フィルムを使用しておこなわれ、補助的にアセテート盤を使用する、というのが一般的だった。例えば、PRCの西部劇『ザ・ホーク・オブ・パウダー・リバー(The Hawk of Powder River, 1948)』で主人公の<歌うカウボーイ>エディ・ディーンが馬に乗って歌うシーンをみてみよう。バスター・クラッベやエディ・ディーンの映画で録音技師の助手をしていたジャック・ソロモンによると、こういったシーンはあらかじめ曲が録音されたアセテート盤にあわせて俳優が歌う演技をするのをオプティカル・フィルムに録音していくのだそうだ[3 p.5]。ポータブル・プレーヤーがカメラのドリーに載せられているが、針が飛ばないように時速8キロくらいで進まないといけない。それでも地面に何かあると針が飛ぶ。<歌うカウボーイ>のジーン・オートリーやロイ・ロジャーズは全速力で悪人を追跡しているときに歌うわけにはいかず、なみあしの馬上でのんびり歌うしかないのである。


『ザ・ホーク・オブ・パウダー・リバー(1948)』

映画フィルムを用いた録音技術は、録音、ダビング、編集、ミキシングすべてを現像をともなうフィルムで行う、という気の遠くなるようなプロセスを必要とした。もちろん、アナログ信号技術であり、フィルムそのものがもつノイズや、真空管アンプ回路内のすべての歪みやノイズがダビングのたびに重ねられていく。1938年に映画芸術科学アカデミーから発行された「Motion Picture Sound Engineering」では、映画製作のプロセスについて以下のように記述されている。

現在の映画のための録音は、音としての状態は2つ、機械的状態としては6つ、電気的状態としては3つ、光学的状態としては6つ、化学的状態としては4つの状態を通過し、これらの状態同士、そして状態内での24回の変化のうち、少なくとも12回は機械的運動が重畳していることを忘れてはならない。

ケネス・ランバート[4 p.71]

そして、トータルとして2~3%程度の歪みが許容範囲だという。当時の装置やフィルムの性状について調べると分かるが、これは並大抵の技術力では達成できない。

リレコーディング

オーディオ・エフェクトとしての「リバーブ/反響(reverberation)」の議論に入るまえにもうひとつ取り上げておきたいことがある。映画のサウンドトラック製作におけるリレコーディング(rerecording)の工程だ。

トーキー映画が導入された当時、1927年頃から1930年代初頭までは、オーディオの記録再生のダイナミックレンジも帯域も限られており、さらにはフィルムのもつノイズや録音時のノイズが無視できないレベルだったため、撮影現場で録音されたトラックを音質劣化させずに手を加えるのは非常に困難だった。コピーを重ねるとノイズが無視できないほど大きくなってしまうのだ。1930年代初頭の映画を見ていると、ショットが変わるとバックグランドのノイズ(たとえばハム)が変わるのが露わになるケースに頻繁に遭遇する。例えば、この『アギー・アップルビー(Aggie Appleby, Maker of Men, 1932)』からのシーンでは、フィルムがカットされショットが切り返されるたびにバックグランドのノイズの特性が変わるのが分かるだろう。さらにザス・ピッツ(声の高い、チェックのブラウスを着た女優)のほうは、高い声で音が歪んでしまっているのが明らかだ。つまり、ザス・ピッツのセリフを撮影・録音したカメラ、マイクのセットアップ(A)と、もう一人の女優、ウィン・ギブソンのセリフを撮影したセットアップ(B)はそれぞれ異なっていたのだろうと推測できる。注意して聞くと、このビデオクリップで1分38秒から1分41秒あたりで、同じショット内でノイズが変わり、他のザス・ピッツのショットと同じノイズ特性になっている。1分38秒からのザス・ピッツのセリフはセットアップ(A)で録音されたものが挿入されたのであろう。


『アギー・アップルビー(1932)』 バックグランド・ノイズの例

初期のトーキー映画は、このようにショットごと、あるいはセットアップごとに音のダイナミックレンジ、歪み、ノイズ特性が変わるばかりか、ショットとショットをつなぐ部分に「ブリップ」と呼ばれる雑音が存在することも少なくなかった。これは、セリフ、効果音、音楽などの音の要素を映像とともにアドホックに編集していたからである。

1930年代には、映画サウンドトラックのノイズ低減のためにさまざまな手段が講じられた。粒状ノイズを低減したネガフィルム、音量に合わせて記録再生を最適化するプッシュプル方式などが登場し、ダイナミックレンジも広がった。そして上記のような「シーンごとに音の特性が変化する」問題を解決し、かつ、映画全体にわたって音響設計───セリフ、効果音、音楽などの音の要素をストーリーに合わせて操作すること───をおこなうために、<リレコーディング(Rerecording)>という工程が導入された。編集、ミックスダウン、マスタリングすべてを総合した工程といっても良いかもしれない。

前掲の「Motion Picture Sound Engineering」の「リレコーディング」の章を参照すると、1938年にはハリウッドのほぼすべての映画製作においてリレコーディングがおこなわれていたようだ[4 p.71]。『アギー・アップルビー』を1932年に製作したRKOは、1936年頃にダビング用コンソールを開発して全製作作品に用いている[5]。例えば、RKOがダビング・コンソールを用いてリレコーディングの工程を導入した後の作品、『美人は人殺しがお好き(The Mad Miss Manton, 1938)』を見てみると、リレコーディングの効果は明らかである。バックグランドのフィルムノイズは全くといっていいほど気にならないし、ショットが変わってもノイズの特性、レベルは変わらない。スタンリー・リッジスの殺人の告白の途中、非常に小さな音量で効果音楽が入ってくる。この音楽の表情は、リッジスのセリフの内容にあわせて変化しながら、次第に音量を上げてくる。このような繊細な制御を必要とするミキシングが可能になったのも、フィルムや撮影、編集時のノイズ混入が最小限に抑えられているからだ。だが、スタンリー・リッジスの囁くような声で話しているときには聞きやすいのだが、少し大きな声で話すと低域側が歪んでしまう。ダイナミックレンジの問題はまだ完全に解決できたわけではなかった2)


『美人は人殺しがお好き(1938)』 ノイズ低減とリレコーディングの効果

トーキー登場時の<セリフや音楽がシンクロしている映像>という物珍しさから、<映像と音で物語を語る>というシステムにわずか10年ほどで移行したのである。

では、このような技術環境のもとで、いかに<反響を使用した空間表現>が生まれたかを考えてみたい。

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Notes

1)^ 磁気テープによる録音・再生技術はナチスドイツの国家機密だったといわれることが多いが、フリードリッヒ・K・エンゲルによれば、戦時中でもドイツ国外でAEGの磁気テープ技術に関する情報を入手するのは比較的容易だったという。1937年にAEGはマグネトフォンをアメリカのGE社に送り、アメリカでの事業展開を打診している[6 p.60]

2)^ もちろん、現存しているプリントの状態、デュープ(コピー)作成時の問題、あるいはキネスコープやデジタル化でのマスタリングの問題などでサウンドトラックが歪んでしまう場合もある。RKOの場合はオプティカル・サウンドトラックに可変領域方式を採用していたため、プリント作成、デュープ作成での歪みは起きにくいと思われるが、デジタル化などの段階で発生するダイナミックレンジ圧縮や符号化による圧縮で音質が劣化することは頻繁に起きているようだ。

[追記 2022/8/8]1936~38年ごろまで、可変領域方式には独自の問題(ブラスティング blasting)があった。これは、セリフなどのごく一部(一単語、あるいは一音節のみ)が突然ひずんでしまう現象で、RKOとRCAのエンジニアたちを悩ませた。RKOの『美人は人殺しがお好き』のこの問題も、ブラスティングが完全に除去できていないのかもしれない。ブラスティングについてはこの記事で詳細に論じた。

References

[1]^ M. Costin, G. Rydstrom, S. Spielberg, and T. Eckton, Making Waves: The Art of Cinematic Sound, (Oct. 25, 2019).

[2]^ R. L. Carringer, The Making of Citizen Kane, Revised edition. 1996. 

[3]^ V. LoBrutto, Sound-on-film: Interviews with Creators of Film Sound. Greenwood Publishing Group, 1994. 

[4]^ Research Council of the Academy of Motion Picture Arts and Sciences, Ed., Motion Picture Sound Engineering. D. Van Nostrand Company, Inc., New York, 1938.

[5]^ J. O. Aalberg and J. G. Stewart, "Application of Non-Linear Volume Characteristics to Dialog Recording," Journal of the Society of Motion Picture Engineers, vol. 31, no. 3, pp. 248–255, 1938.

[6]^ E. D. Daniel, C. D. Mee, and M. H. Clark, Eds., Magnetic Recording: The First 100 Years, 1st edition. New York: Wiley-IEEE Press, 1998.