わたしたちの果てなき切望 (7)

過去をコントロールする者は未来をコントロールする。
現在をコントロールする者は過去をコントロールする。

“1984” George Orwell

『カサブランカ』上映中の映画館
オハイオ州スチューベンヴィルのキャピトル劇場。映画の公開が、ちょうどカサブランカ会談と重なり、格好のPRとなった。(Motion Picture Herald, 1943年2月20日号)

では、この定義に照らし合わせたとき、『カサブランカ』はプロパガンダ映画にあてはまるだろうか?

前述のように政府の官僚機構である戦時情報局の映画部が実質的に機能し始めるのは、1942年の夏、『カサブランカ』の撮影終了後である。映画部が『カサブランカ』に対してとったアクションはすべて事後的である。映画部が『カサブランカ』に寄せた好意的なレビューは、映画公開後のものである。ハル・ウォリスは映画としての説得力(ヒットのポテンシャル)を最優先にして脚本の書き換えを命じていた。すなわち、戦時情報局の介入は実質的に不可能だったのである。唯一考えられる政府側からの介入としては、ジャック・ワーナー(陸軍大佐)が、ハル・ウォリス(民間人)に対して、脚本や演出にプロパガンダを注入するように指示した場合があり得るが、それを示すような記録は文献内では見当たらない。また、仮にあったとしても、それが陸軍中佐としてのジャック・ワーナーの指示なのか、それとも企業経営者としてのジャック・ワーナーの指示なのかは容易に判別がつかないだろう。戦時中のワーナーブラザーズが、政府の軍事組織の命令系統が混入していた組織だというのは、そういう意味である。『ウィニング・ユア・ウィングス』のように映画の製作命令が陸軍のトップまでたどれるような場合でもない限り、《意図》のありかについては慎重になる必要がある。

すなわち、『カサブランカ』についていえば、映画製作の《意図》において、政府が直接介入して、その内容をコントロールしていたとは言えない。ただし、プロモーションや配給における《意図》に関しては、政府が若干だが介入している。北アフリカ地域の政治情勢を鑑みて、戦時情報局は『カサブランカ』の反ヴィシー的態度は北アフリカでの占領統治の展開には好ましくないと判断し、この地域でのこの映画の配給を禁止した [1 p.286]。配給制限という点でプロパガンダ政策の一部として機能したと言えるかもしれない。しかし、総合的にみて『カサブランカ』は《プロパガンダ映画》にはあたらないだろう。

まさしく、このような特徴がゆえに『カサブランカ』は公開時に政府や政治団体に利用された。アメリカ国内の自由フランス(France libre)はこの映画に絶好の宣伝材料をみたようである。プレミア上映がおこなわれたニューヨークのハリウッド劇場付近で、自由フランスの闘士たちが旗を掲げてパレードをおこない、ハリウッド劇場のロビーでは自由フランス兵の募集所まで設置した [2]。そして、このお祭り騒ぎの様子を戦時情報局は短波放送を使って全世界に中継したのである [3]。すなわち、映画の配給の際に、政治団体(自由フランス)と戦時情報局が共同して、この映画の反独/反ヴィシー的メッセージから利を得たということになろう。

New York Daily News, November 11, 1942
トーチ作戦 Operation Torch での連合軍の北アフリカ上陸成功を報じる記事。カサブランカのヴィシー政府による統治は崩壊する。この2週間後の11月26日に、ニューヨークのハリウッド劇場で『カサブランカ』はプレミア公開された。

なぜ、「『カサブランカ』はプロパガンダ映画だ」という言説が氾濫しているのだろうか。

戦意高揚のメッセージを含んでいる、と述べるだけでなく、「プロパガンダ映画だ」と明示的に断言するものの多くが、「娯楽映画だと思われているが」という枕詞で始まっている(あるいは暗に含んでいる)。少しばかり意地の悪い言い方をあえてすれば、「皆さん、娯楽映画だともてはやしていますが、それ、プロパガンダ映画ですよ」というニュアンスを多分に含んでいる。「娯楽映画でも、あるいは娯楽映画だからこそ、プロパガンダ映画なんですよ」というものもある。

しかし、「娯楽映画だから、プロパガンダ映画ではない」などという認識が支配的だったことなどあっただろうか。このことについては、より慎重に考えていきたい。

それにしても、NHKの「映像の世紀バタフライエフェクト:映像プロパガンダ戦 嘘と嘘の激突」のナレーションについては、なんて卑しいんだ、という言葉しか思い浮かばない。「諜報機関」とはどこか。なぜ「プロパガンダ映画」なのか。一般視聴者向けの番組のなかで、「諜報機関」という、あたかもアメリカ政府が秘密裏に事を為したかのようなニュアンスをもつ言葉をあえて使っている。少し調査すれば、戦時情報局が『カサブランカ』の製作に関与していないことは明白だし、当時の諜報機関といえば戦略情報局であって、戦時情報局でさえない。「皆さん、娯楽映画だともてはやしていますが、それ、プロパガンダ映画ですよ」というニュアンスを通り越して、陰謀論の一歩手前まで来ている。あの番組に関しては、他にも歴史的事実を歪曲したような表現が随所にあらわれてくる。製作者たちの歴史認識を疑わざるを得ない。

References

[1]^ A. Harmetz, "Round up the Usual Suspects: The Making of Casablanca: Bogart, Bergman, and World War Ii." New York : Hyperion, 1992.

[2]^ "Free French Ceremonies For "Casablanca" Opening," The Film Daily, vol. 82, no. 100, p. 10, Nov. 23, 1942.

[3]^ "Gov’t Tells World of "Casablanca" Bow," The Film Daily, vol. 82, no. 103, p. 7, Nov. 27, 1942.